1042. タンクラッドと請う女
フォラヴの警戒が入った表情を、荷台のミレイオとタンクラッドは見て取り、彼と目が合った時に、少しだけ首を振って見せると、フォラヴは瞬きで返した。
ミレイオは、タンクラッドに顔を向け『分かる?』と小さな声で一言。タンクラッドは、作業の手を止めて『勿論』と返事。
青毛の馬は、道の前10mほど先に立って、こちらを見つめる、3人の女と一人の子供に近づく。
その4人はバイラを見ていて、一言も何も言わない。バイラは、相手の奇妙な風体に違和感を消せないまま、それでも馬を進めて、馬車とその者たちの中間ほどの距離で止まった。
「どうしたのか。女子供だけで、こんな場所にいるとは」
「乗せてもらえませんか。ここで下ろされました」
「誰に。どこから来たんだ。あなたたちはどこへ向かうのか」
「海から来ました。海の村に住んでいたけれど、魔物に襲われて、馬車を乗り継ぎ、母親の実家へ」
「行き先は」
「母親の実家です。ここから少し西へ」
バイラは表情を変えない。バイラの声は総長に聞こえるくらいの大きさで続けられたが、女の声は聞こえないくらいの距離。ドルドレンも、短いやり取りを聞きながら、静かに警戒を続ける。
会話の止まった数秒、別の女が口を開こうとした時に、バイラは彼女を見て先に喋る。
「西へ行くと言うのか。俺たちはその方向へ進んでいない。別の馬車を頼る方が良い」
「少し先なんです。送ってもらっても、半日と掛からない場所です」
「こんなところで、誰にも会えません。馬車は通らないから、歩いたら子供が大変です」
「下ろされた場所から少しは歩きました。でも歩くには遠過ぎるし、昨日から食事もしていません」
バイラの断りに、女は3人とも次々に、願いを訴える。女の一人にしがみ付く、10歳前後の男の子はバイラを不安そうに見つめているまま。
ドルドレンも、この間。バイラを挟んで見える、女たちと子供を観察していた。
肌の色が茶色く、皆、痩せていて、ごわごわと膨れた黒い髪を束ねており、それは洗っている様子はない。年齢は30代か、その程度。母親がどうとか言ったが、全員似ていない。
衣服は、見慣れない形で、袖なしの長衣を2~3枚着重ねている。頭と腕は出ているが、後はこの暑さに適合していないようにも見える、不自然な重ね着。それに服の大きさが合っていない気もする。
そして、なぜなのか。裸足。全員、裸足で――
ドルドレンは目が良い。10m先程度なら、色もある程度は見分けられる。さっき、彼女たちは『少し歩いた』と、後ろを指差したが。歩いたのに、茶色い足の甲には、砂埃が付いていない。
待てよ、と思う。イーアンは『雹が溶ける』と。雹が溶けた場所は、歩いていないのだろうか。乾いた砂埃も付いていなければ、濡れた地面を歩いて付く汚れもないなんて、そんなこと――
「よし。もう良いだろう。後は俺だ」
後ろから、威勢の良い声が掛かり、ドルドレンとバイラは驚いて振り返る。女たちと子供も、荷台から出てきた、背の高い男を見た。
「タンクラッド。何を」
「バイラか。交渉していたのか?」
ドルドレンの横を通り過ぎ、親方は平然として歩きながら、バイラに話しかける。
振り向いたまま、バイラは『はい。行き先の方向が違うので断り』答えかけて、総長の視線を辿り、ギョッとした。タンクラッドは、背中に剣を背負っている。
「こいつらか。乗せてほしいと」
「あなたもこの馬車の人ですか。私たちを乗せてもらえますか」
「いや、それはない」
「子供がもう歩けません。朝から何も食べていないし」
女の一人が前に出て、近くで立ち止まったタンクラッドに懇願しようとする。タンクラッドは、剣を抜いた。びっくりしたような声を上げ、女は後ずさる。
「おかしいな。俺はさっき、お前たちが『昨日から食べていない』と聞いたぞ」
「言い間違いです、剣!剣なんて。子供がいるのに」
「そうか。俺がせっかちだからかな。だが、乗せる理由にはならん」
「お願いします。海から、馬車でここまで来て、暑さで倒れるかも知れません」
「海か。相当遠いのに。何でここで下ろされた」
「事情があるんです。魔物も出るし、乗り継いだ馬車が、最後まで送ってくれるわけではないし」
自分より若い女が、少し怒ったように顔を向けて、近づきながら『乗せて下さい』と言い続ける様子に、タンクラッドは鼻で笑う。
「もう一度、訊いてやろう。どこから歩いたって言うんだ」
「朝から歩いています。子連れですし、2~3kmしか」
「2~3km。この道を。向こうから。子供連れで。それにしては、足も汚れないもんだ」
親方、視線を女の足に向け、その後、後ろにいる二人の女と子供の足元を見る。真向かいにいる女は、男の顔を睨み付けた。
「何で疑うんですか。馬車が来たから、足を払ったんですよ。砂地ばかりで足が汚れていては、乗る馬車に嫌がられると思って」
親方は女の言葉に、突然大笑い。『嫌がられる?足が砂で汚れていたら?』思い切り馬鹿にした言い方で、ゲラゲラ笑うと、笑いながら抜いたままの剣を突き出した。
「どこまで思いつくんだか。もう良い。俺が三度も質問するのは親切だぞ。
最後の質問だ。今すぐ死ぬか。逃げるか、選べ」
ぐわっと目を見開いた女は、白目をむいて親方を睨み上げ、ギリギリ聞こえるくらいの歯軋りを立てる。
その顔が一変したのを見た、バイラと総長は急いで身構えた。タンクラッドは笑った顔のまま、剣を持っていない腕を、後ろへ振った。
「そこにいろ。この程度、俺が倒してやる」
「お前。おまえ・・・殺す気か」
鈍い音に変わった女の声に、せせら笑うタンクラッドは剣をそのまま『そう言った』と答える。
答えた途端、女の顔がはち切れて、顔の皮の下から、美しい女の苛立つ顔が現れた。はち切れて剥け落ちる、表側の皮膚の下から、見る見るうちに、背まで伸びた、長い髪の女が現れる。
『お前。私を殺すと』
鈍い声はくぐもって、はっきりと耳に届かない。裸の女はタンクラッドに近づく。
見ている総長もバイラも、肝が冷える。後ろにいた二人の女も、表の人間の皮が剥け落ち、同じような裸の女に変わり、子供も同じように若い男に変化した。
「そうだ。お前も、どうやら俺を殺す気らしいな」
「好きにしても良い。殺さない方法もある」
「何よりだ」
親方は自分のすぐ近くに寄った、顔の美しい裸の女の笑みに、笑みで答える。女が手を伸ばした直後、時の剣は風を唸らせ、女を斬った。
歪む顔。斬れた胴体が滑って落ちる。落ちる間際で、タンクラッドはもう一度、女の体を返す手で斬った。
びっくりし過ぎて声も出ない、バイラと総長。斬っちゃったよ!唇まで上がった声を、急いで飲み込む。
タンクラッドは容赦ない。さっと次へ顔を向け、駆け出して攻撃に転じ、残りの女と男を、瞬く間に斬り捨てた。
斬った体が幾つかに分断されて、ごろごろ乾いた地面に転がる。その体は徐々に煙を上げ、黒ずんだ煤を伴って、肉体の形のまま炭化した。
「大したことなかった」
剣を振って、鞘に収めたタンクラッドは、足で炭化した体を踏み潰した。踏まれて崩れたその灰は、冷えた風に散らされ、地表を這うように消える。
タンクラッドは振り向いて、総長とバイラに首を傾げ、超絶イケメンスマイルを贈る。
ドルドレンはちょびっと赤くなった(※反応)。バイラは、そのカッコイイ笑顔に、この人の底力を見て、人ならざる畏怖を感じる。
「イーアンがな。地図を描いただろう。『この範囲の外は、雹があった』と。その雹は『朝になった時点で溶けていると思うが』とも。
こいつら。雹なんて気付きもしなかったな」
ハハハと軽快に笑ったタンクラッドは、『イーアンは、どこまでも俺たちを守ってくれる』可笑しそうに総長に言う。
「本人が知らずともな。守ってくれているんだ」
「あの。そうです。そうなんですが。その、タンクラッドさんは。女を斬るのに躊躇も」
バイラは、そこが凄いと思った。それを質問したら、タンクラッドは拍子抜けしたような顔をして、馬上のバイラに何度か頷く。
「お前は確か、護衛だったろう。お前でもそんな質問するのか。騎士ならいざ知らず。
当たり前だ。俺にとって、好きにしても良い女はイーアンくらいだ。コルステインが女なら、それも」
と、うっかり言いかけて。バイラ越しに、灰色の瞳に怒りが滾るのを見て取った親方は『イーアンは。まぁ。もうあれだけど』と濁す。
そして親方は、さささっと荷台に戻った。
馬車はこの後、涼しい風の強さが増した道を、雨を逃れるために、急いで施設へ向かって進んだ。
「タンクラッドさんは、見抜くことでも出来るんでしょうか」
追い風が強くなる道を、バイラは御者台のドルドレンに顔を向け、飛ぶ砂に片目を瞑りながら訊ねる。
「どうして?いきなり斬るからか」
タンクラッドの場合は、情けをかける部分が人と違うからじゃないかな、とドルドレンは思っている。見抜いていると言われたら、そんなふうにも思えるが。バイラは首を振って、嫌そうな表情を浮かべる。
「あの女たち。子供もです。服が」
「ああ。そうだな。大きさが合ってなかったような。それに何枚も着て、この暑さで怪しいとは思った」
「あれは、死装束です」
ぞわっとするドルドレン。顔を歪めたバイラは、溜め息を付いて『どうしてだろうと思った』と話す。
「ちょっと、待て。何だって?全員、死人だったというのか」
「いえ。私も言い切れないから。今はあんな服で埋葬しないと思いますが、一昔前はああして、袖のない服を、重ねて着させた体を埋葬していました。
私はあの女たちを、初めから怪しいと感じて。姿格好をはっきり見て、どこからか荒らしてきたのかと・・・そっちで想像しました」
「あ。荒らす。とは、それは。墓荒らしで、死人の服を着るとか?そんな恐ろしいことをする輩がいるのか」
いないとは言えない、とバイラも言い難そうに伝える。
「墓の中には、金目のものを入れます。それは今もそうです。私が護衛で回っていた時の話ですが、墓場で夜を過ごしたことがあります。
墓を恐れない盗賊もいて、墓の中の金品を奪ってから、死体の服を羽織って死人の振りで、旅人を脅すなんてこともするんです。
私たちが護衛だと分からず、商人の一行だと勘違いした賊が、そうしたことを」
ドルドレンは肝が冷えっぱなし。人間のすることか、と眉を寄せて詰ると、バイラも頷いて『本当に』罰当たりだと同意する。
「普通は。死者に敬意はあるものなんです。どのような形で死んだにしても、人生を魂が生きたわけですから。尊い魂を支えた肉体は、大切にされて当然、と考えられています」
「中には、『そうした気持ちがない、心の持ち主もいる』ということか。にしても、女子供でそれを疑うバイラも経験が豊富で、ある意味、大変だったのだろう」
少し考えてから、同情したドルドレンがそう言うと、バイラはちょっと笑って頷く。
「はい。楽ではなかったでしょうね。でも、私のことは置いといて。
女子供もそれを行うことがあります。貧しかったり、信仰心が薄くて、自分の欲に負けるなどで」
「それで。さっきのような場合でも、有り得る話だと応対したのか」
「そうです。テイワグナは、いろんな意味で古い国だと思います。ハイザンジェルのように、統治されていないところが目立つんです」
「バイラ。もう自国のことを嘆くな。あれは、魔物だったのだ。魔物が何か幻影を見せたか、または死者を使ったのか。
・・・・・バイラが『タンクラッドは見抜く』と訊いたのは、そのためだったんだな」
頷いたバイラは、追い風の砂を背に受けながら『私も何か感じれば良いのですが』ふがいなさそうに呟いた。
先頭を誘導する立場から、自分が危険に晒したと思っていそうな様子に、ドルドレンが言葉を選んで慰めようとした時、バイラの頭が左右に揺れる。
「どうした」
「はい。砂が舞っていて見え難いですが。あれ、そうです。警護団施設の壁です。見えてきました」
今や、冷たい追い風の強さは、砂を巻き上げて風景に黄色い色を付けるまでになり、ドルドレンたちは知らなかったが、馬車の扉もとうに閉まっていて、砂まみれはバイラと御者の二人だけだった。
「総長。砂が目に入りますから、御者台から出ないで下さいね」
馬車の側面から流れ込む風を受け、ドルドレンは砂でざらっざら。同じように、後ろの御者を務めるフォラヴも、泣きたくなるような、砂三昧に苦しんでいた(※汚いのキライ)。




