1021. 水は万物を善く利して、而も争わず
「え!何で?俺がここにいると」
しゃがれ声で、ビックリするドルドレン。イーアンが来ると親方に言われ、戦闘で鍛えた瞬発力で、座っていた体を一気に跳ね上げて茂みに隠れる。
「何で隠れる」
「だって。まだ怒っている。だから」
「(※口ぱくを読む親方&地獄耳の利点)俺たちがここに来ているとは知らないだろう・・・全く」
なぜか怯える総長に、苦笑しながら親方も立ち上がって、茂みの奥へ入る。『もう少しか?もう少し離れた方が良いだろうか』『怯えるなよ。愛妻だ何だと、四六時中、そこらで言っている男の姿と思えん』『事情が違うのだ』困ったやつだ、と笑って、親方は付き合う。
「その辺まで、離れれば良いだろう。俺に気が付くかも知れんが」
「じゃあ。タンクラッドは、俺から少し離れるか?」
何言ってるんだ、と、困る総長の頭を軽く引っぱたいて笑いつつ、親方は、木々の隙間から川辺を見た。
「そんな情けないことばっかり言うな。来たぞ。降りてくる。イーアンとオーリンだ」
「どうしたのだろう。どうしてここに」
「さぁな。見ていろ」
男二人が息を潜めて見ていると、太陽を降ろしたような白い光は川辺へ辿り着き、すっと光が消える。
黒いクロークを風にはためかせ、白い長い角を2本生やした、黒髪で白い肌の女が川原に立った。
「もう・・・伝説みたいだな。しょっちゅう、一緒に居ても、こんな姿を見ると感動する」
「イーアンは別世界から来たけれど。今も別世界から来たように見える」
総長の例えにヒネリがなさ過ぎて可笑しい親方は、イーアンを見たまま、笑いそうになる声を抑える。
数秒後、もう一つの白い柔らかい光が降りた。『オーリンだ。ガルホブラフも遠慮だな』少し離れた場所に降りた龍は、女龍が苦手に見える。
二人が静かに見守る中。イーアンは川へ向かって歩き、すぐに立ち止まって岩壁を見上げ、側に来たオーリンに何かを話している。
何かを話し合ってすぐ、オーリンはガルホブラフと一緒にまた飛び立った。
「どこへ行くのかな」
「ここからじゃ見えない。すぐ戻りそうな感じだがな。さて、イーアンはどうするのやら」
飛んだ龍の民を見送ったらしいイーアンは、少しの間、オーリンに顔を向けていたが、徐に目の前の浅い川に向き直る。
そして。イーアンは爪を出した。
ほんの一瞬、白く光ったと思ったら、両腕にそれぞれ、5m以上の白い龍の爪が現れ、何を思ったか、爪を振り回し始める。
ちょっと驚いた二人の男は、じーっとその光景を見つめて固まる。
『あれ。あれ、もしかして』『岩を刻んでいるんだ』『でも、細かい岩の欠片が水を更に潰すだろう』『イーアンのことだから、何かある』ひそひそ話して、成り行きを見守る二人。
30mほどの距離に、人の背丈を上回るほどの岩が、ゴロゴロとある川を、イーアンは爪で切り刻みながら進む。爪で切れないものは何もない・・・そう思うに、充分の迫力。
ガンガン、ガラガラと切り進み、イーアンは両腕を伸ばした最大幅、10m以上の範囲に入る岩を、細切れに変え続ける。
「お前。イーアンが奥さんで、本当に長生き出来る自信あるのか」
呟く親方に、ギョッとした顔を向けたドルドレンは『だから、今も隠れている』と答える。
親方は無表情で頷き、そして『早く謝った方が良い』と助言を与えた。
『それは』嫌そうに眉を寄せるドルドレンに、ちらっと視線を向け『俺は。彼女を怒らせた時は、とにかく先に謝った』と教えてやった(※大事なポイント)。
そんな恐れを抱く二人がいるなんて、なーんにも感じないイーアン(※意識してないと気が付かない)。
ガラガラガンガン、大岩を崩して、粗方済むと。脛まで濡らした足をそのままに、真向かいにある岩壁を見上げる。
「よし。次ですよ」
うん、と頷くと翼を出して、あっという間に飛んで消えた。
見守るドルドレンたちは『どこへ行った』とお互いを見てから、木々の陰で頭を動かし、イーアンの動いた先を見ようとする。
「いないのだ。上?上へ飛んだから、あの上に用が」
「そうか。水を見てくるんじゃないか?散らかった水の道を」
と。親方がそこまで言った時。
ガガッガッガッガガガガッ・・・激しく、何かが壊れる音が鳴り響き、二人はビクッとして音の方を振り向く。
「うわっ、イーアン」
「何してるんだ、あいつは。思いつくか、あんなこと!」
目を見開いて、目の前の光景に釘付けになる、ドルドレンと親方。
イーアンは岸壁の一番上から、2本の爪で、凸凹に崩れて水の道を乱す崖を、目一杯、切り裂いて降りてくる。
その凄まじさ、その速さ、その破壊力。
6枚の白い翼をぐわっと広げたまま、白い両腕の爪を突き立て、崖を切り開くかのように、真下へ引き摺り下ろしている。
そしてイーアンらしい、雄叫び付き。『おおおおおおおっっ!!!』猛々しい野太い声が、力を籠めていると分かる。
崖は爪で引き裂かれ、抉られ、その部分は、奥へ向かって楔形に割られ、崩れ落ちる。
「もう。彼女が、男らし過ぎて。俺は一生、尻に敷かれるつもりである」
「変な宣言をするな。それが一番のような気はするが(※推奨)」
唖然として、口を開けたまま、岸壁を切り開く姿を見つめる二人。
『遠征の時も。あんな感じで』『吼えるよな、イーアンは』『そう。男より強く感じる』『実際そうだ』『許してくれ』呟いた総長の最後の言葉に、笑うのを堪える親方。
ドルドレンの肩を組んで『一緒に謝ってやるから』と慰め、地上部まで到達したイーアンの逞しい背中に、力なく頷く総長と親方は、賞賛を送る(?)。
「はい。ではね、良いですよ!オーリン」
イーアンが大声で真上に向かって告げ、すぐに飛び退く。イーアンは、川辺から少し離れた場所で浮び、『オーリーン・・・良いですよ~!』もう一度、大声で合図。
「分かった~・・・・・ 」
返ってきたオーリンの返事。遠くから聞こえるようで、彼が上の岩場の、どこにいるのかは分からない。
次は何が起こるのかと見ている男二人。
ドキドキしながら待っていると、何やら『ドドドドド・・・』の振動を感じる。二人は2秒、その振動を感じ、3秒目にお互いの目を見て『この音は』と同時に言う。
「うっ!あれだ!ツィーレイン!!」
「何だ?!北の町?」
「逃げろ、タンクラッド!もっと奥へ」
慌てた総長は青ざめた顔で、親方の腕を引っ張り、木々の群れの奥へ走り出した。『どうした、ドルドレン!一体』『水だ!水が来るのだ』水?枝を避けて走りながら、親方が聞き返したその時。
ざばーんっと後ろで音がした。『水?!』振り向き、一瞬立ち止まる親方。その腕を思い切り引っ張られて『走れ、タンクラッド!』とドルドレンに怒鳴られた。
「鉄砲水だ!オーリンは上で、鉄砲水の用意をしていたんだ!」
「何だと?鉄砲水」
「ツィーレインの援護遠征で、彼女は鉄砲水を」
言い掛けるドルドレンの言葉に、目が落ちそうなくらいに見開いた親方は、後ろから迫る音を肩越しに確認し、もっとギョッとする。大急ぎでドルドレンの腕を掴むと、ドルドレンを追い越した親方は、全速力で駆け出した。
「早く言え!」
「あれ以上、早く気がつけない!」
川辺と高さの変わらない茂みに、夥しい量の水が押し寄せる。二人の男は全力疾走で逃げた。
*****
イーアンとオーリンは、勢い良く流れ落ちた水を、宙に浮いたまま見守る。
「いつも思うんだけどさ。こういうこと、遠征でやってたんだろ?」
「もっと時間は掛かりましたよ。前は飛べませんから」
「普通の人間状態で、こういうことするって。やっぱりイーアンは必要だったんだな」
さて、どうかしらねと、腕組したまま、水を見下ろして笑う女龍。『皆さんの協力あってこそ、成り立ったことですから』私だけいてもねぇと呟いて『ちょっと気になるかな』の懸念も続く。
「何が?」
「水質です。集めて落としたまでは良かったけれど。川の石はもう遮らないし、細かいのは押し流されるとは言え」
「ああ、濁りってこと。そうだな。でも、ここまでしてやれば、暫く我慢してもらって。どっちみち、濾過はしてるだろ」
「うーむ。そうなんでしょうけれど。いつまでこの濁りが続くか。作業用ならまだしも、生活用水と飲用水にするには、相当・・・根気良く、濾過する必要がありそうです」
大丈夫だろ、とオーリンは龍の首に凭れかかる。
『だってさ。あのまんまじゃ、多分。人の力で川の道を直すの、月日が掛かったぞ』それを思えば・・・黄色い瞳で女龍を見て、この結果は御の字と教えるオーリン。
「とりあえず。報告に行こうぜ。宿だろ?ミレイオたちに言ってさ。その時」
「ドルドレンでしょ?分かっていますよ」
フフッと笑ったオーリンは、女龍の肩を叩いて『一緒にいてやるよ』と励ます。女龍も、ちらっと彼を見て『余計なこと、言いそうだったら止めてね』と頼んだ(※保険かける)。
二人は大仕事後、ふらら~と町へ向かって飛んで行った。
*****
「タンクラッド。大丈夫か」
「疲れた。この年で全力で逃げるとは」
水を振り切って走り続けた挙句、立ち塞がる木々の上によじ登り、どうにかやり過ごした、総長と親方。枝の上で、幹に体を預け、ぜーはーぜーはーしながら、お互いの無事を確認。
「お前。さすが、若いな。息切れ、大したことなさそうだ」
「鎧で走ることもあった。だが疲れるのは同じだ」
龍を呼んで逃げようかと思ったが、龍を呼んだらバレる(←奥さんに)ので走るだけ走った二人。『もう。良いんじゃないのか。そろそろ、龍を呼んでも』息切れが止まらない親方は、下を見て『水も引いてる』と言う。
「うむ。だが。まだ近くにいるかも」
「いや。いなさそうだ。さっき、大きい龍気が向こうに飛んだから」
そう言って、町の方を指差す。ドルドレンも、へとへとで頷くと『じゃ。呼ぶか』少し覚悟を決めたように呟いた。
「おい、ドルドレン。今夜は一緒に眠りたいんだろ?お前、昨日は一人ベッドで」
「そうだ。寝れなかった。お前が一人だったから、タンクラッドと一緒に寝ようかと思ったくらいだ」
「やめろ。さすがにお前とは寝ないぞ。ちゃんと、今日は仲直りしておけ」
苦笑いで答える親方は、一緒に謝ってやるから勇気出せよと励まして、げんなりする総長に『龍。呼ぶぞ』と断り、バーハラーを呼んだ。
バーハラーに二人乗り。バーハラーとしては、デカイ男が二人も乗るのは嫌だった(※プライド高い)。貼り付くドルドレンに気持ち悪く思いながら(※弱々しく、龍に縋るドルドレン)さっさと運んでさっさと帰ることにした。
目の据わったバーハラーが、ぴょ~っと飛ぶと、親方とドルドレンはふと同じことを思った。
「水が汚い」
「そうだな。あの勢いじゃ、土も抉り返して汚泥で濁る」
「タンクラッド。ちょっと、龍を」
総長は振り向いて、後ろの親方に停まるように頼む。タンクラッドもすぐに了解して龍に伝え、空中で龍は浮ぶ。
「これでは。イーアンたちはどうも、水を流すことを何かで知ったのか。それでこの状況だろうが」
「あいつが、この濁った水を良しと思う気がしない。何か後でするかも知れないが」
「でも。水の速度は速い。もう町に入っている可能性も」
ふむ、と唸る親方。ドルドレンは困ったように、下を見下ろし『どうにか出来ないだろうか』と考えている。
「この濁りでは、濾過の網もあっという間に詰まるだろう。普段、ここまでの山水が入らないだろうし」
「じゃ、神頼みでもするか」
親方の返した言葉に、ドルドレンは振り向く。彼はニヤッと笑って『神頼みとは違うかな』と言い直すと、腰袋から小さな革の水筒を出した。
「それ。何だ?」
「普通は。この中に薬水が入るな。しかし今回は違う」
一口分の量しか入らない大きさの、革の水筒。その木栓を捻って開けると、親方は、眼下の濁った川に、中身をこぼす。
「見ていろ。何が起こるやら」
俺も知らん、と笑う親方に、ドルドレンは、彼もまた不思議な人だと思う時、度々。黙って二人で川を見つめていると、少しずつ色が変わり始めた。
「あれ。あれ。あれ、タンクラッド」
「ほほう。良いじゃないか。思惑通りで・・・いや、人間の思惑なんて言ったら、無礼だな」
さっと親方を見ると、彼は笑みを向けて『ノクワボの水だ』と教えた。川の水に垂らしたら、変化が起こるかと思って持ってきた、と言う。
「こんな形で使うとは思わなかったが」
「お前は。俺より、お前の方が勇者のようだ」
ハハハと笑った親方は、真剣な目で見ている総長に『お前が勇者だ。俺はお前の手伝いに過ぎん』そう言って、少し寂しそうなドルドレンの髪を撫でた。
「見ろよ。色が引く。水が澄む。さすが、命の取引をしたノクワボの想いよ」
親方の声に、ドルドレンは無言で頷く。川は濁りを少しずつ消して、流れる速度に合わせるように、その色は透明に変わって行った。
「じゃ。帰るか。これでこっちが少し有利だぞ」
頼もしい親方の笑顔で、ドルドレンは溜め息。でも感謝して『ありがとう』と小さく答える。
二人は、水を綺麗にした自負を持って、少々ゆとりある気持ちで宿へ向かった。




