1014. カヤビンジアの町 ~飛ぶ魔物の夜空
夕日の差す中、馬車は乾いた道を辿り、次の町へ入った。
バイラが先頭で、旅の馬車が続く。バイラは、見て分かる警護団の格好らしく、彼が前を歩いているだけで、町の人々は見慣れない馬車でも、特に警戒しない様子。馬車は夕方の土の道をゆっくり進む。
『村に毛が生えた程度』とバイラに聞いていたが。町は確かに、通りも建物も小さめだけれど、ドルドレンは、通りにいる人の数に少し驚く。
「小さな町というが。人は多い気がするな」
「そうですね。この地域の村落が仕事に来るのは、この町だけなので。
町自体は小さいんですよ、周囲にもっと小さい村落が点々としていて、そこから来る人がいる時間は、人口が多く見えるかも」
農作物を販売する先も、若い人の最初の働く場所も、お金のある人だと学校も。この町を頼ると、バイラは教える。
「ナイーアがいた村みたいな?」
「そうです。あんな感じの場所が幾つもあるので、彼らがお金を作るのは、近い町だけです。とはいえ、村からも距離はありますし、今はもう。魔物も出るので、更に離れた場所へは動けないでしょう」
「どこも似たり寄ったりだが。テイワグナは広いから、そうした地域が多いのか」
総長は、魔物被害が身の危険に留まらないことを、よく知っている。だから余計に気になるのは、こうした小さな地域の人々の動きが制限されることで、副次的被害も増えること。
「早く。魔物を恐れず、皆が生活出来るようにしなければ」
総長の呟きに振り向くバイラは、ニコッと笑って『総長たちが来て下さったことで、もうそれは、行われています』と答えた。ドルドレンは、彼の目を見て微笑み『有難う。だが、もっとだ』と頷く。
「総長、そろそろ宿です。部屋は小さいけれど、一軒、割りと清潔に保っている宿があります。風呂もありますし、食事だけ外ですが、そこでどうでしょうか」
「バイラに紹介されるということは。お前も泊まったことがあるのか。安い?」
「ハハハ。安いですね。首都の宿なんかに比べたら。首都の1泊分で2泊出来るでしょう」
そうか、と思うドルドレン。首都ではパヴェル(←貴族)の家に泊まったから、首都の宿代を知らないのだ。そんなに差があるんだなと、学ぶところ。
少し話してすぐ、バイラの馬が数軒先へ動いた左側で止まる。
「ここです。馬車はこの横から入れて下さい」
宿と横の建物の間に、馬車が入れる路地が見えた。路地なのに、張り出した屋根が付いていて、雨でも通過する馬車に掛からないと分かる。
それを見上げた総長は、『ここの宿は気遣いがあるのだ』と呟いた。バイラも路地を抜けて、その言葉に頷くと『この宿の敷地は、こうして屋根を出していますね』と指差す。
「良い主人だ。思い遣りがある。さぞ、客も付いているだろう」
「その主人が。この前、亡くなってしまって。フォラヴと先日来た時に、ここの息子の話を聞きました」
そうなの?と、馬車を停めて眉を寄せるドルドレンは、亡くなった理由が何となく過ぎる。その表情を見たバイラは『そうです。魔物で』一言伝えると、残念そうに首を振った。
「町に出たのか」
「そうみたいです。ここの町にも駐在所はあるのですが。交代か何かの留守で、警護団もいない時に。
魔物は飛ぶ魔物だったそうです。上から滑空し、通りにいた町の人を攫って」
そこまで言うと、バイラは馬を繋いで干草を出し、飼葉桶にこんもり置いてから『この話は。息子が自分で言うまで訊かないでやって下さい』と総長にお願いした。ドルドレンも了解する。
それから、馬車の皆に声をかけて『ここの宿だが』とざっくり、事情を教え『魔物の話をされるまでは、触れないで』と頼んだ。
皆も頷いたが『退治していないなら、町長に会わないと』騎士たちは心配そうに、総長に相談を持ちかけたので、ドルドレンも『そうするつもりでいる』明日にでも、と答えた。
ドルドレンたちは2名を馬車に残して、宿へ入り、人数を伝え、宿泊代を渡した。宿には他にも客がいて、風呂場の案内を先に、続いて、部屋の用意が出来たら部屋へと、鍵を各々渡された。
「風呂なのだが。馬車番で、馬車に眠る仲間もいる。彼らの風呂も」
「お風呂は自由です。時間だけ守って下さい。部屋のお代だけ貰っています」
気の良さそうな、少し頭髪の後退した、50代くらいの主人は教える。『時間が、夕方から夜の10時までです』お客さんの管理も兼ねて、短い時間で済まないけれど、と謝る彼に、ドルドレンはお礼を言う。
「女は?女性がいるのだが。風呂は、男と別れているだろうか」
「女の人は。そうですね、えーっと。鍵を掛けてもらって。女性や子供の入浴は、中から鍵をしてもらうんですよ。男性はその間、我慢して頂くような」
「そうなのか。では、他の女性が先に入っていても、うちの女性は後から」
はい、と頷く主人。
ドルドレンの気にしていることが分かったようで、主人は台帳を開いて指で辿り『今日。一人、宿泊で女性がいますけれど。お年の上の方ですから、長風呂はされないと思いますよ』と教えてくれた。
「有難う。教えてもらえると助かる。ちょっと、そのな。他の女性と入るのを、気にすると言うか。そうした女性なのだ」
「女性は、気にする人もいますね。同じ風呂に、他人がいるんですものね」
主人の理解ある親切に、お礼をもう一度言うと、ドルドレンは部下とミレイオに待っていてもらい、馬車へ戻る。
「イーアン。風呂は入れる。宿の中を歩き回るのは嫌だろうが、風呂だけでも」
ちょっと荷台を覗いて声をかけると、イーアンは見えず、親方だけがいる。『む、イーアンは』親方にドルドレンが訊ねる。親方は静かに視線を横に動かし、そっと片手を後ろに回した。『おい』出てこないイーアンをちょんちょん突いて、親方が笑う。
ひょこっと、顔を半分覗かせるイーアン。暗がりに白っぽいイーアンを見て、親方の背中に隠れていたと知る。
「どうしたの。何でタンクラッドの背中に」
「お前が相手でも。彼女にはまだ、この姿が抵抗あるんだ。分かってやれ」
そんな、とドルドレンは荷台に上がり、親方の背中を覗いて、ちょびっと縮こまるイーアンを見る。『おいで。出てきなさい。俺が気にすると思うか』おいでおいで、と腕を引っ張る。
「イーアン、俺は夫だ。何ともないぞ。来なさい」
「でも。私、真っ白なんですもの。黄色人種なのに」
「何だ、そのオウショクは。知らんぞ、そんな人種(※この世界にいない)。龍のイーアンの白さだ。綺麗だよ、反応を恐れるな」
うーん、と悩みながら、腕を引っ張られてノロノロ出てきたイーアンは、夕方の明かりに照らされると、本当に一瞬、別世界の人(※現実そうだけど)のように見えた。
「不思議だ。イーアンなのに、イーアンとは違う雰囲気だ。始祖の龍もこんな姿だったのかも」
ドルドレンの灰色の瞳が丸くなって、イーアンをじっと見て囁く。
タンクラッドは、首を傾げ『ん?始祖の龍。なぜそう思う』煙でしか見たことがない彼女のこと、色付きで想像したことがない。
「え。だって、始祖の龍は、ビルガメスのお母さんなのだ。子供は強い龍気の影響を受けると、イーアンは言っていた。
始祖の龍は強かったし、ビルガメスの体の色があんな感じだから、きっと似ていたかもしれない。
ビルガメスのお母さんも、外から連れて来られた人間のようだが、空に馴染む間に、様々なことが起こっていただろうし、こうした変化もなかったとは、言い切れないだろう」
「お前は・・・時々、妙に勘が働くなぁ。そう言われれば、そうかもな」
二人の男が、頭の上で会話しているので、イーアンは交互に見ながら『始祖の龍。ビルガメスは見たことないんだっけ?』と、彼から何も聞いていないことを思い出していた。
ドルドレンはイーアンに向き直り、ニッコリ笑う。その笑顔が世界最高イケメンスマイルで、イーアンは脳天がくらっと来るが。今日に限っては、自分の見た目にそこまで暢気になれない。
そんな困った顔を見つめるドルドレンは、イーアンの長く後ろへ伸びた角に触れて『何て素晴らしい』と言う。
「君は。空に愛された。それを感じないといけない。後でゆっくり聞かせてくれ。ここまで変わったとしても、イーアンは俺のイーアンだ。ただただ、俺は崇拝するだけ」
「崇拝なんて、よして下さい。ドルドレン、有難う」
気にしてはいけない、とドルドレンは微笑んで頭を撫でる。大きく捻れた立派な角の間を、ちょこちょこ撫でて『風呂に連れて行く時は、人に見られないようにする』と約束した。
それから親方を見て、風呂代は要らないことを教え、食事は風呂の後にしようと皆で話したことも伝える。
「タンクラッドは?風呂は先に入れる」
「そうか。もう夕方だしな。入ってくるか」
「宿の主人が良い人なのだ。食事も人数分、前の食事処で手配してくれた。風呂から上がって、店屋に入れば、待たされることもない」
そりゃ何よりだ、と笑顔を向けた親方は、立ち上がってイーアンを振り向き、背を屈めて立派な角をナデナデ。
「慣れないうちはな。仕方ない。だが、さっきも言ったように堂々としろ。お前は龍なんだ」
「はい。有難うございます」
フフンと笑って、タンクラッドは着替えを出すと、腕に抱えて風呂へ行った。タンクラッドと入れ違いで話し声がし、仲間も着替えを取りに来た。
ドルドレンはイーアンと一緒にいて、皆に『後でイーアンから話を』とだけ言うと、まだ縮こまる愛妻(※未婚)の肩を抱いて、皆がまた風呂へ向かうのを見送った。
「ドルドレンも。お風呂へ」
「うん。そうだな。一人で平気か」
「はい。ちょっと隠れるかも」
隠れているなら、それで・・・ドルドレンは微笑んで、彼女の頬を撫でると『風呂に入ってくるよ』と挨拶して、馬車を下りた。
イーアンは彼がとても優しく、愛情深いことに心から感謝する。『ドルドレンはいつも。私をそのまま受け入れて』有難う、と何度も呟く。
暗くなる馬車に差し込む、宿の窓に反射した夕焼けの色。荷台の一部を橙色に染めて、イーアンは暗がりの壁に寄りかかりながら、今日のことを思い出していた。
開け放した扉から見える空は、桃色の雲と黄色い光の混ざる穏やかな色。それがまだ残っている昼の青空に、線を引くように流れ、風は夕涼みの風に変わって、馬車の中の熱気を攫う。
「すぐに慣れないにしても。そのうち、気にもしなくなる。そうよ、角だってそうだもの。最初だけ。
男龍の皆さんにも愛情を貰ったから、私にも彼らの要素が流れ込んだのかも知れない。そうだとしたら、喜ばないと。これまでと大きく変わった意味を、考えないと」
小さく頷くイーアンは、お空の上にいる皆さんを思う。彼らは凄く喜んだ。これまでも強かったのに、もっと、強く・・・『私も』漲る龍気に、イーアンは深呼吸する。
ちょっと暑いけれど。龍気の多さを気にして、脱いでいたクロークを引っ張り寄せて羽織る。フードも被る。『もしかすると、この龍気で誰かに影響があるかも知れません』ダメダメ、と苦笑い。
それから空をまた見上げ、暫く見つめてから、イーアンは何かを感じた。
「あれは。あれですか」
夕焼けの空には、まだ何も見えない。だが――
「もしや。これが、町を襲った・・・・・ 」
イーアンは立ち上がる。まだ明るいし、宿の付近にも人は多かった。飛ぶわけに行かないと思い、そのまま荷台に立って、空に感覚を澄ませるのみ。
「やっぱりそうか。どうしよう。飛んでも良いなら、行けるけれど。ドルドレンたちはお風呂」
誰か。早く出て来ると良いのにと、やきもきしながら、イーアンは近づいてくる魔物の気配を感じ続ける。
どんどん近くなる。それに大きいような。『数は、そこまでいません。でも、大きさがあるのか』角が大きくなった分か、増えた龍気の変化のためか。全身で魔物を感じる。どれくらいの距離かも想像が付く。
「ぬぅ。私が動ければ。今すぐにでも倒しに行くのに」
この姿では、出るに出れないと悩む。ミンティンを呼んでも、結局は龍が来るのだから、見た目で驚かせるのは目に見えている。
どうしよう、と荷台をうろつく時間も惜しい。誰かを呼べればとも考えたが、風呂じゃ連絡珠は持っていない。
『裸ですからね。裸に腰袋は、さすがにどなたも』言いながら、アハッと笑ったが『笑ってる場合じゃない!』と自分で突っ込んで頭を振る。
「困りますよ。どうしましょう。私が行けるなら~っ うへ~、面倒くせぇ~」
この我が身の、異様な雰囲気抜群で、びゅーっとお空に飛べるほど・・・イーアンは図太い神経ではない(※他人には気を遣うタイプ)。
うう、マー○ルコミック・アベ○ジャーズの皆さんは、心も強かった。心底、それを今、羨む。『ヒーローは心も強くなければ』でも私、ムリ~~~~~
イーアンがふんふん、困っている間。
その姿はとうとう、肉眼に映る範囲に入った。『来た』参ったなぁと顔を拭って、イーアンは苦虫を噛み潰したような顔で、空に現れた姿を睨む。
「ちくしょう・・・間に合え(※風呂上り)!」
魔物が黒い粒のように映る状態で、イーアンは倒すタイミングをギリギリまで待つ。ぎゅっと拳を握り締めた、それと同時に。町の通りから『魔物!』の一声が、夕方の空気を劈いて響き渡った。
お読み頂き有難うございます。




