扉
彼女は家の中を案内してくれた。探検と言っていいくらいの広さ。使うのは一階が主で、二階なんてほとんど物置だよ!と言って彼女は笑った。たしかに二階にはいろいろなものがあった。山のように積み上げられた本、チェスや将棋などのゲーム類、高そうな絵や骨董品のようなもの、人形、
「すっげえ!」
僕は恐竜の骨というラベルのあるガラスケースに見入ったり、なぜか置いてあったわたあめ製造機に笑ったりした。
「おばあちゃんがなんでもとっておいちゃうのよ。」
彼女も笑っていた。
「こんなにすごいものがいっぱいあるのに、ゆうりは外で歌ってるほうがいいんだね。変なの。」
そう言うと少し赤くなってつぶやいた。
「見られてたのか…。」
部屋の中より、外のほうが好きなんだ。風は気持ちいいし、いろんな色があるでしょ!
「さっきは何歌ってたの?」
僕の質問に彼女は自分に驚いた顔をした。
「小さい秋見つけた!早く紅葉しないかなって思ってたから。すごいタイミングだね!」
だーれかさんが だーれかさんが だーれかさんが みーつけた
小さい秋 小さい秋 小さい秋 みーつけた
目隠しおにさん 手のなるほうへ
すましたお耳に かすかにしみた…
秋広は汗をびっしょりかいて悪夢にうなされていた。
「…呼んでる口笛」
もずの声
だめだ、そっちに行っちゃ
「小さいアキ」
見つけた?
優梨はドアをノックした。
「おばあちゃん、起きてる?」
入っておいで、という声が聞こえた。ドアをあけ、ベッドの上に座っているであろう祖母にゆっくり近づく。
「ここだよ、こっち。」
そっと手を引かれ、隣へ誘導させられる。
「どうしたの、話したいことでもあるの?」
「私、もう二十六になるでしょう。」
話をいきなり切り出す。祖母にも予想はついていたことだった。
「結婚しようと思うの、信司さんと。」
僕と優梨はとても仲良くなり、その後も優梨に会いにたびたび家に行くようになった。優梨はまだ背の小さい僕をよくからかってきた。最初は気にならなかったが、月日が経つにつれてそれが嫌になった。優梨と対等に見られたかった。
優梨は日をおうごとに綺麗になってゆく。僕が、自分のことを俺と言い出したころには、彼女を女として好きだということを否定できなくなっていた。
しかし、俺はなにも言えないまま、優梨は遠くの大学に通うために一人暮らしを始めることになった。
「元気でね、アキ。」
「ああ…。」
「なんだ、あんまり悲しくない感じ!」
優梨は笑った。季節は冬から春に変わりかけていた。彼女のすぐ後ろには、迎えのタクシーが待っていた。俺の気持ちに感づいていた優梨の両親は気を使って家に戻ってしまっていた。
悲しくないわけ、ないだろ。
「だるそうな顔しちゃて…せめて笑いなさい!」
…なんで貴女は笑っていられるの?俺と離れてもいいの?
「なんか言ってよアキー、」
好きだ。
一瞬の沈黙、
優梨は驚いた顔をして唇をおさえた。
「好きだ、優梨ずっと…」
俺は優梨を抱きしめていた。
「ずっと好きだった、」
慣れない告白をした、今さっき、無理やり重ねた唇で。
彼女はしばらく抱きしめられたままだった。桜はまだ咲いていなかった。そしてそっとつぶやいた。
「知らない間に背、ぬかれてたんだね。」
俺が腕の力を緩めると、彼女は俺を見つめた。
「もう一回、」
優梨の祖母は彼女の髪を優しくなでた。
「そうか。」
「信司さんはこの一年間ずっと助けてくれたし、優しいし、信用できる。式は挙げないで、今までどおりに生活したいの。」
それが一番、人に迷惑をかけない選択。彼女はわかっていた。
信司―坂倉信司は一年前、二十九歳の時に今までの使用人の代わりとして一条家、優梨の家に雇われた。優秀で家事もなんでもこなし、まじめで優しいことで優梨と祖母からの信用ははかりしれなかった。
それに昨晩、こんなことがあったのだ。
「いつもありがとう、信司さん。」
優梨は夕食の後片付けをしている信司の背中に言った。
「どうしたの、急に。」
手をとめ、信司は優梨の隣に座った。優梨がソファーのきしんだ方向に顔を向けると、石鹸のようないい香りがした。顔はわからないけれど、優梨のなかでは好青年の像ができていた。
「どうして、いつもそんなに優しいのかと思って。」
なにげなく口にしたその言葉に、信司はまじめに答えた。
「あなたが、好きだからですよ。」
続けて、少し触れてもいいですか、と言った。
そして、唇と唇が触れた。
昨日は最悪な日だった、
そして今日は―もっと嫌な日になるだろう。
秋広はシャワーを浴びながら目を閉じて、いろいろなことを思い出した。
優梨が引っ越してからは、年に二回しか会えなくなってしまった。夏休みと正月、それも二日か三日の滞在だった。いつも会えないぶん、その日はずっと一緒にいた。幸せだった。初めての帰省で身体を重ねた。冬に帰って来れないからといって夏休み中にクリスマスパーティーもやった。秋には馬鹿みたいに手紙に紅くなったもみじを同封した。そして、優梨の大学卒業と秋広の大学入学パーティーで約束した。
「俺が一人前の医者になったら、結婚しよう。長く待たせるかもしれないけど、絶対幸せにするから。」
「うん。」
あのころは、全てが単純だった。俺は優梨が好きで、優梨も俺が好きで、周りも祝福してくれていた。それだけだった。なのに。
一年前の秋に全てが変わった。
秋広は二十一歳だった。




