完成と、それまでの変遷。感じたこと。
完結させる、ということ。
ものを作るひとにとって、完成と未完成は雲泥の差のように思う。
完成と思った瞬間から低迷していくとか、そういったことは端に置いておくとしても、物語を完結させるのは、本当に険しい道だ。
私は先日、あるひとつの話を書き終わらせることができた。
十五年前から原案というのか、話の種があった。話というよりは、登場人物と彼らの住んでいる町くらいだった。気の向くままに登場人物を作って、役割を持たせ、イラストにしていた。私はこの頃、作文は得意であったが、自発的に文章を書くという行為はしていなかった。物書きですらなかった。どちらかというと漫画を描けるようになりたいと思っていた。横顔はどうしても描けなかったが。
あるときからすきなゲームの二次創作小説を読むようになり、私はなにを思ったのか、自分でも書きはじめた。本当に最初の頃は、台本のト書きのように書いていた。たぶん物語の書き方がわからなかったのだろう。話の筋もないようなものだったはずだが、なにか、ものすごく一生懸命になって書いていた。二次創作小説はそれからふたつ書いたと思う。その二、三作目はオリジナル要素が満載で、ゲームとは完全に別物になっていたが、それが私の物書きのはじまりだったと言えるかもしれない。
同時期に、先日完結した創作小説の元祖を書きはじめた。案の定、一話で止まった。どんな話にしたいのかも、プロットの存在自体も知らず、かつ紙とシャープペンで書いていて、手間は何倍もあった。体裁をきちんとしたいという気持ちが災いして、何度も書き直した。驚いたことに挿絵もつけていた。
すこしして主役を変更した。ここで主役は何故か女子大生になった。話もいまとほとんど同じで、いつの間にか別の世界に来てしまい、彼女が元の世界に帰るまでの話だった。何故高校生や中学生でなかったのかはわからないが、その女子大生に設定を変更した登場人物の年齢をそのまま引き継いだせいかもしれない。真相はわからない。
ここでようやく手法がデジタルになった。ワードは本当に便利だったが、一度間違えてデータを消してしまってからは用心深くなった。それから単にキーボードを叩いている感覚がすきだった。いまはノートパソコンなので、いまひとつだが。
女子大生を主役にしたその話は、その話だけで完結した。回収しきれていない設定も散見したが、現在の第一部の前進であるそれは、一応は完結していた。
またすこしして、同じ舞台で別の主役の話を書きはじめた。これは結果的に言えば書き終えることができたが、残念ながら諸事情により捨てた。
歳月が過ぎ、登場人物の人数と設定は豊かになった。また別の主役の話をちまちまと書いていた。これは現在の第二部の前身にあたるもので、話の筋もほぼ同じだが、内容は薄く短かった。しかし一応は完結した。そのあとで第一部の前進を書き直したが、これは厳密にいうと現在の第一部の二歩手前のものだった。
こうして同じ舞台で別の主役を立てるその話は、いつの間にか三部構成になっていた。そして第三部はそれまでの話の総括であり、キーマンの男の話であり、その頃影響を受けていた推理ゲームのような話にしたいと思っていた。
ここからが長かった。書き方がまったくわからない。そもそも舞台やトリックも思い付かない。参考にいくつか読んでも生かせない。八方塞がりで、文章を書くことを長いことしていないと、どうやって文章を書いていたのかわからなくなってしまうことがあった。ワードを開いても、文字が打てない。
いまはわかるが、私は、結局は創作意欲がないとまったく書けない性質で、それは数年おきに波が来ていた。第二部の前身を書き終えた時点で、おそらく創作意欲は萎えてしまった。だからいくら頑張っても頭にことばは浮かんでこなかった。この状態で書こうとしても苦しいだけなのだが、私は焦りを覚えていた。
このまま書けなかったら、この話を完成させることができなかったら、いつか後悔する。それは罪悪感に近かった。それから別の懸念があった。自分の創作物を、いつか自分が馬鹿にする日がくるのではないか、というものだった。
大人になってまで、こんな幻想染みたことに一生懸命になるなんて、と周りと同じように自分が価値観を変えて、あるいは責められる口実を隠すために、周りに同調してしまう日がくるのではないかと危惧していた。
悪いことはしていない。なにもしていない。けれど、なにか、ものすごく罪悪感を覚えるときがある。自分の持つ“大人”の像に縛られるときがある。自分がふつうではないことに、不安が湧く。ふつうでないことが当たり前だとしても。
そうしているうちに、忙しさに流され、長い時間が過ぎた。話を完結させられないことへの罪悪感と、創作物を馬鹿にするのではないかという懸念は、時折顔を出しては隠れた。私はそのとき別のことで精神が疲弊していた。創作意欲もまったくなかった。
あるとき、大きなきっかけがあり、喉に引っかかった魚の骨のように存在していたその話を完結させようと動きはじめた。創作意欲の波が来たのだろう。
はじめに第一部を整えた。全体的に静かな文章にしたくなり、セリフでは極力「!」や「?」マークを使わないようにしたり、地の文では口語をなるべく使わないようにしたりした。第二部とのつながりも増やした。一から作ったわけでもないのに時間はやたらとかかった。これでようやく現在の一歩手前まで来た。
第二部は、その前身の内容を濃くしようとするところからはじめた。主役の少女と周りの交流があまりにもなかったので、それを増やそうと努力した。第三部につながるように小話も追加した。話の佳境であるところも、前はもうすこしドラマチックだったが、加筆していくうちに内容が添わなくなったので変更した。地道な努力の結果、話は倍の長さになり、結果的に第一部よりも文字量が多くなった。
第三部は、はっきり言うと未知の領域だった。数年前にノートに書き殴った出だしの文章が数頁分と、当てにならない昔のプロットと、断片的な会話だけしか手元になかった。それでも第一部、第二部と徐々に創作意欲を高めていったおかげで、新たにプロットを書き起こすことができ、ことばを外に出すことができるようになっていた。それからは毎日が戦いで、充実していた。思い付いたことを片っ端から書き出し、精査、吟味し、それらをプロットに肉付けしていく日々。
並行して町や建物のモデルを決めたり、登場人物の行動カレンダーを作ったりと、設定の部分で矛盾を生まないよう気を付けた。建物のモデルを決めたばかりに、書き直したところもたくさんあるが、登場人物の動きがよりわかりやすくなったのはよかった。話そのものより、むしろ資料作りをしているほうが楽しいのは自明の理のように思う。
しかしある日、それまで考えていたプロットを覆す設定がふと出てきた。終盤の話の流れががらりと変わり、結末もまったく別になるその設定は、私にとってかなりの悲痛を生むものだった。何故その設定を思い付いたのか未だにわからないが、二日ほど悩んだ末に、それを採用した。なんとなく、そちらのほうが話の流れとして自然のような気がした。
案の定、その場面を書いているとき、泣いてしまった。自分の話で感情移入することはないと思っていたが、長年付き合ってきたせいもあるのだろう。自分のことは淡々と文章を書くタイプだと思っていたが、音楽を聴きながらノリノリで文章を書くこともままあるので、案外そうではないらしい。
話の取りこぼしがないよう気を付けながら、第三部が書き終わった。内容は、広義ではミステリーの部類に入るだろうが、残念ながら推理ものにはならなかった。一息つきたいところだったが、ここでさらにあることを思い付き、決意した。この話は、実は友人から許可を得て登場人物を四人借りていた。私は、話を完全にオリジナルにしようと思い、その四人に代わる登場人物をすぐさま作り、入れ替えた。そしてその四人は、友人に感謝と共に返した。友人はたぶん、それほど気にしていなかったように思うが、私にとっては長年の問題でもあった。
この話ができたのも、その友人から借りた登場人物たちがいたからであり、感謝してもしきれない。第三部を完成させるその日まで、私は彼らがいてこそ話が成り立つのであり、話の一部であることに疑問を持たなかった。しかし私は、ある日突然入れ替えようと決意した。全部を自分のものにしたいという気持ちがあったのかもしれないが、友人の手を借りるのを本当の意味で卒業しようと思った。なにかそのときはものすごく前向きに考えることができた。もちろん、話を考えるのも文章を打つのも私だったが。
登場人物を入れ替えた弊害はすぐに起こった。登場人物は名前と容姿だけを変えただけではなく、当たり前だが性格も違う別人で、話の筋に矛盾が生じはじめた。徐々に個性が出はじめ、前の登場人物が担っていたものを明らかに担えなくなった。やりはじめたのだから最後までやるしかない。第一部を加筆、修正することになんの躊躇もなかった。結構な量の文章を削り、代わりの場面を追加し、とても面倒ではあったが話はより一層整った。いったい誰が第一部の主役なのかわかりやすくなったように思う。これでようやく現在の第一部になった。第二部と第三部はあまり影響がなかったので、それほど苦労はなかった。
ようやく肩の荷が下りると思ったが、今度はなにを思ったのか、誤字脱字などをはじめから探しはじめた。あとはつい最近まで名前を知らなかった「表記ゆれ」のチェックも思い付くことば、すべてにした。その過程で、この字は漢字表記のほうが読みやすいのだろうかと、ものすごく悩んだのを覚えている。この際なので、“この漢字でないと駄目だ”という変なこだわりは捨てて、簡単なものにしたり、統一したりした。例えば「淋しい」を「寂しい」とか、「薫り」を「香り」とか。「中」や「違う」などは変更するまでひらがな表記だったが、結局、読みやすいのが一番だなと思ったので漢字に変更した。
これらの作業は物語を作るのとは違い、非常に単調な作業で、かなり苦痛で過酷だった。冗談抜きでマウスを投げそうになった。
そうしてその話は完成した。
のた打ち回るほどの苦悩と、ほんのわずかの充実と、長い長い時間をかけて。
そしてなんの因果か、この「小説家になろう」という大手の無料小説投稿サイトを知り、折角完成したのだからと、投稿することにした。何故ここにしたのかというと、単純に大勢のひとが登録しているからだった。最初の頃は本当に右も左もわからなかった。いま思うといろいろとやらかしていた感じがする。無知というのは本当にこわい。未だに把握していないことも多いだろう。
それからすこし経ってから番外編を書きはじめた。本編では必要分しか描いていなかった(と自分は思っている)恋愛要素を詰め込んだというのか、むしろそれそのものの問題を取り扱った話を書いた気がする。私としては本編でも充分甘い気がしていたので、楽しい反面悶絶していた。特に番外編2に関しては、既存の登場人物にもかかわらず行動や性格が掴めないことがあり、かなりてこずった。架空の三角関係にどうしてここまで頭を抱えなければならないのかと嘆いたこともあった。しかしまあ、なんとか完成し、その話はこれをもって本当に終わりを迎えた。
投稿をしてはみたものの、アクセス数は少なく、ポイントもほとんどなく、かなり残念ではあるが、いまは世に出せたことに安堵している。少なくとも、私以外の誰かが、私の作った話を知る機会が針の穴ほどくらいはあるのだから。肯定的に考えるなら、どれだけ可能性が低くても零ではない。歳月とともに減ってはいくが、誰かが見ている(らしい)とわかるのは、とても嬉しいことだ。どういう経緯で来たのかものすごく不思議で、ロボットかもしれないが。
登場人物のカラーイラストや挿絵も描けたので、いまは創作意欲がすっかりなくなった。満足したと言えるし、意気消沈でもある。完成させるというのは、私にとってはこういうものなのだ。嬉しくて、落ち込むもの。さようならを言うのがつらい。
書きたい話はあるが、すぐに書くことはないと思う。また数年後かもしれないし、ずっと書けないかもしれない。人間は本当に非効率だ。自分の中にエネルギーを生むために、外から何十倍、何百倍のエネルギーの塊に当たらないといけない。たくさんの刺激を受けないといけない。私はきっと、ここ何年もの間に受けたエネルギーをようやくまとめて、自分のエネルギーとして吐き出せただけなのだ。それはたまたま小説という体を成していた。
この頃、何故生きるのかと強く思う。
つらいのがわかっていて、生きる意味なんてあるのかと思う。
文豪でもこたえを見付けられなかった問題だ。私に見付けられる可能性はほとんどないだろう。だが、いまは、物語を書きながら、イラストを描きながら、創作物を作りながら細々と生きていけたらいいな、と思うようになった。
自分の文章にどういう特色があるのか、未だにわからない。もしかしたらないのかもしれない。ただひとつだけ言えるのは、書いた文章は私の好みのもの、ということだ。自分が読みたい、読みやすい文章しか書けないのだから当然だろう。こんなことを書くと怒られそうだ。読み手に読みやすいものを書くのは、ある意味正しいけれど、私自身も読み手で、だからこそ読み手が少ないということにつながっているのだろう。丁か半かではなく、どれを優先するかの問題で、その比率が違うだけ。どこで折り合いをつけるかの話だ。
結局自分のしたいようにするのが、自分の精神に一番優しい。
投稿してから小説を改行するかで一時期悩んだが、結局はしないことにした。
このほうが落ち着くから、という理由で。もちろん自分の小説に限った話だ。
少数派にいるのはこわいときもあるが、私の精神が参ってしまうよりはかなりマシだ。どうせしたほうがいいと思ったのなら、私の性格上すぐにでもしてしまうだろう。
人間の意見はころころ変わるものだ。世の情勢を反映して。
何年後になるかわからないが、新しい話、楽しく書けているといいな。




