96話
「えええ……あなた、死んだの……殺しても死ななそうな顔しておいて……」
「死んでねえよ!というかお前こそ死んでるじゃねえか!やっぱ幽霊じゃねえか!」
「幽霊じゃなかったわよ!あれは!」
窓から身を乗り出しながら俺達の方に大声をあげる幽霊女と、柵の向こう、城の窓へと大声を張り上げる俺。
……静かな地獄の一角が、一気に騒がしくなった。
「タスク……知り合いか?」
「まあ、一応……」
そんな俺達の様子を見てカラン兵士長は、大層お困りの様子であったが、俺も困ってるので勘弁して頂きたい。
結局、城の前と城の中とで大声出し合って会話するのもあんまりだ、という事で、幽霊女が外に出てきて会話と相成った。尚、この城、俺達は入れないらしい。というか、『入らなくてもいいでしょ、生きてるのなら』とのことであった。
「あなたが会った私は、幽霊じゃないの。あれは肉体に魂の欠片が入った状態だったの」
「ぜんっぜんわかんね」
「要は、海の底でずっと海の精霊に束縛されていた私の魂は、その大半が死んでいたの。その残りが、あなたと会った私」
……幽霊女の解説を頂いたのだが、イマイチよく分からない。
ただ……俺の解釈が正しければ、だ。
「つまりどっちかっつうと、人間から幽霊成分を除いたのが俺とあったお前だったのか?」
「癪に障る言い方だけれど、そうね……魂の大半を失って、肉体と魂一かけらだけ……人間から幽霊成分を除いた残り、と言ってもいいのかしら……まあつまり、幽霊の真逆よ」
そうか、なんか生気が無いし、幽霊っぽいから幽霊女だとばかり思っていたのだが、あの時会った幽霊女はどちらかと言うと幽霊じゃない女だったらしい。かといって正式な生者でも無かったわけだが。
まあ、とりあえず言えることは、だ。
……幽霊女は、幽霊じゃなかった。
が、今、目の前に居るのは……幽霊、ってことで、合ってそうな気がする!
「で、改めて今ここに居るのは幽霊女ってことだよな。じゃあ幽霊女が何故ここに。井末……ああ、救世主に会いに行ったんじゃなかったのか?」
「あなた、一々癪に障るわね……それに、今も今で幽霊じゃないわよ。正式に肉体も死んだから。あなたの言うイスエ、って男に殺されたのよ」
……えっ。
「殺された、って」
「……まあ、あの時だって半死半生だったし、魂の大半は失っていたし、呪い漬けになっていたから肉体自体も、きちんとしたものじゃなかったしね。魔物だって言われたって、無理は無かったと思うわ……むしろ、普通に会話してくれたあなたが異常だったのよね……」
重い。重い空気が、場を満たす。
そう、かあ。
この女、殺された、の、かあ。
……この幽霊女に井末を勧めたのは、俺である。
なんか……なんか、一抹の申し訳なさを感じなくもない。というか、申し訳なさは置いておいても、憐憫とか、同情とか、そういうものは割と感じるのである。
「……じゃ、あ、ええと、幽霊じゃ、ない、ということで……改めてお名前を頂戴しても」
なんとなくぎこちなくなりながら申し出てみたところ、幽霊女改め、井末に悪霊退散されて殺されたレディは、くすり、と呆れたように笑った。
「リュケ。……やっと、名実ともに幽霊女じゃなくなったわね」
改めまして、リュケ嬢(いや、もしかしてリュケ姫、の方が正しいのかもしれないが)との会話を再開する。
「で、あなた、死んだんじゃないのに、どうして冥府に居るの?」
「エピを追ってきた」
が、一往復で用件が済んでしまった。
「エピ……ああ、あの娘ね……あの娘、死んじゃったの……そう……」
「連れ戻すけどな!」
リュケ嬢は妙に沈んだような沈鬱な顔をしているが、俺としてはこの先にエピを連れて帰ることが決まっているのでそんなケチがつきそうな顔をしないで頂きたいものである。
「そう、それでこれが欲しい、って言ってきたのね」
「は?」
が、リュケ嬢はそんなことを言いつつ、懐から何かを取り出して俺の掌の上に乗せた。
乗せられたものを見てみると、それは、小さな木の札であった。
「はい」
「いや、はいじゃなくて、え?」
これなに?お札?もしかしてこれを投げると川や山ができて後から追いかけてくる鬼なり山姥なりを阻止することができるのか?え?違う?
「この城の先で、地獄の門番が人をどの地獄へ振り分けるかを決めているわ。これは地獄行きの為の札よ」
ああ、成程。要は、この先へ進むためのチケットか。
「ありがとう。助かる」
「……偽造だけどね」
ああ、偽造なんだ……。バレたらまずくないか?これ。
「……大丈夫よ。この札は、一番軽い地獄行きの札。これならば、死者ではないあなた達でも、楽々門番の目を誤魔化して入れるでしょう。もし必要ならば、そこからより深い地獄へと進めばいいわ……」
そう、か。うん。まあ、問題ない。
要は、スタート地点からスタートして、順当に進んでいけ、ということだもんな。
エピが地獄に居るとは思えないが、もしかしたらどこかに引っかかってるかもしれない。
そういう意味でも、地獄を一層ずつ見て探していくのは悪い手じゃないしな。
順当に地獄めぐり、ってのもどうかとは思うが、この際、それも幸運だと思う事にしよう。
……。
あれ?
「あの、ここから先が地獄?」
「そうよ」
「じゃあここは?ここは地獄じゃないのか?」
「ここは辺獄。天国でも地獄でも無い場所よ。私は事情も死に方も特殊だったから、ここに居るの」
ほう。天国でも地獄でも無い。
と、いうことは、つまりここは、賽の河原……?
「……というかあなた、私が地獄行きになるとでも思ったの……?」
「いや、少なくとも天国行きじゃあないよな、とは思った」
正直に感想を申し出たところ、殴られた。痛かった。
ここがまだ地獄ですらなかったという事は、ここまで蚊を追い払ったりパン作ったりワイン作ったり川を渡ったりして来たのは、まだまだ前哨戦も前哨戦、予選どころか書類審査レベルだった、ということか。
正に賽の河原で石を積んでいたかのような気持ちである。空しい。そして悲しい。
「……ああ、そうだ」
しょんぼりした俺達の背に、声が掛けられる。
「あなた達、冥府の食べ物は食べた?」
……カラン兵士長と顔を見合わせる。
「食べてない、よな?」
「うん、食べてない食べてない」
思い返しても、特に食べてはなかった、と思う。
「そう。ならいいのだけれど。……もし、冥府から帰りたいと思うのならば。水くらいならともかく、冥府の食べ物を口にしちゃ、駄目よ?」
あ、やっぱり。そういうのあるんだな。怖え怖え。日本神話でも似たような話があったしな。気を付けるに越した事は無いってことか。
……が、この先一切、食べ物を食べずに進むことは不可能だろう。
ということで、聞いておかねばなるまい。
「……パンは冥府の食べ物に入りますか?」
リュケ嬢曰く、「知らないわよ、そんなの……」とのことだったので、俺達は現世から持ってきている石からパンを生やして増やして、それを当面の食料とすることにした。これなら多分大丈夫だろ。
「まあ……しかし、タスクの能力のおかげで、食料には一切困らないのが助かるな」
「むしろそれが一番の長所なので……」
案外パンパワーは役に立つが、歴代救世主の諸兄と比べると、どうにも火力不足というか、戦闘力不足は否めないと思う。それもこれも某救世主の方が石パン水ワインなんつう強烈なイメージの逸話を以てして信仰の対象になっているからなのだが。ジーザス。
……が、まあ、こういう場面では、滅茶苦茶役に立つよな、石パンパワー……。
リュケ嬢に見送られ、俺達はいよいよ本当の意味での地獄に入ることになった。
大人しく行列に並び、その先ですました顔……いや、『ああ死んじまった』みたいなしょんぼり顔をしつつ札を見せれば、あっさりと通してもらえてしまった。
というか、もう、振り分けしてる人自身が死にかけみたいな顔しながら淡々と流れ作業的に振り分けしているので、大人しくしていて、かつ、リュケ嬢がくれた『一番軽い地獄の札』を持っている俺達は、大した問題なし、と一瞬で判断されてしまうらしい。
やっぱり地獄の振り分けだって、ある程度簡略化していかないと業務過多だもんな。うん、それは分かる。
が、見てる限り、振り分け作業してるのは1人だけである。なんだこれ。そりゃ死にかけみたいな顔になるのも致し方なし、である。地獄における地獄のワンオペ体勢なんて労基に訴えられるぞ。地獄に労基があるのかは知らないが。
「タスク、行くぞ」
「あ、はい」
そうしてあっさりと地獄に入り込んだ俺達は、先へと進むことにした。
……心の中でそっと、地獄のワンオペ体勢で頑張っている地獄振り分け係の人が、残業代か代休がちゃんともらえることをお祈りしつつ。
そして、地獄振り分け係の人に差し入れがてら、そっと、近くの石をカニ○ンに変えつつ。
その数秒後、背後でカ○パンを巡る亡者の争いが起きて騒ぎになったのを聞いて、非常に申し訳なく思いつつも俺達は素知らぬ顔で辺獄を後にしたのであった。
さて、ここからが本当の地獄、である。