95話
人魂はふらふらふわふわ、俺達の前を飛んでいっては俺達から離れすぎると止まり、俺達を待つようにじっとして、俺達が追いつくと再びふらふらふわふわ飛んでいく。
「これは案内ってことでいいのか?」
「いいんだろうか」
俺達としてももう頭の上にクエスチョンマーク状態なのだが、とりあえず、明らかに意図を持って行動しているように見える人魂を無視する訳にもいかない。
このままだとどのみち、サンズリバーにしょうもないパン橋を掛けて死者も生者も行き来自由な無法地帯を生み出してしまうぐらいしか手立てがない。流石の俺もそれがちょっとためらわれる手前、ここは素直に人魂についていくのが賢明であろうと思われる。
そうして人魂はすいすい進んでいった。
川の下流の方へ下流の方へと進んでいくらしい。これそろそろ大丈夫なのか心配になってきたぞ、というところでようやく人魂は止まった。
「これは……」
「やれってか……」
人魂がふわふわと揺れながら示す先、そこには、捨て置かれた小舟が1隻、舫ってあった。
が、櫂は無い。帆があるでもない。
つまり、だ。
「これですね?」
「これだろうなあ」
俺が、すっ、とフライパンを出すと、人魂はまるで、その通り、とでも言うかのように、いよいよ高くふわふわと揺れるのであった。
「あああああああちょっとまってちょっとまってちょっとまってこれ駄目なやつあああああああ」
「落ち着け!落ち着けタスク違うそうじゃない下流に向かってどうするもう少し対岸に向かっていああああああああ」
「でもこれ流れに逆らうパゥアーが無いです!無いですよカラン兵士長!フライパンの敗北!ここに来てのフライパンの敗北!フライパンの吸引力が川の流れの速さに負けている!これは駄目!これは駄目なやつううううううう!」
辺り一面、雨模様。
フライパンが吸った川の水は雨となり、俺達にも問答無用で降り注ぐ。そりゃそうだ。雨避けパワーを持ったエピが居ない。当然、俺達はずぶ濡れになりつつの航行である。
そして早速パニックである。
何と言ってもこの川、滅茶苦茶流れが速かった。
舟に乗りこんで舟を舫うロープを切ったが最後、舟は凄まじい速度で流されて行く。
その速さ、フライパンが敗北するレベル。嗚呼、俺はまさかこのフライパンが負けるとは思っていなかった。よくよく考えると、エスターマのジャングルの川でも敗北ギリギリみたいなところがあったから、まあ、こうなることもやむなしと言ったところではあろうが、それにしたってもうちょっと頑張ってくれてもいいんじゃないだろうか、フライパン。
「タスク!見ろ、滝だ!」
「ひいいい」
しかもこの川の先、滝である。滝。落ちたら死ぬ奴だろうか。それともここは既にあの世だから死なないんだろうか。どっちでもいいがとにかく落ちない方がいいに決まっているのは確かである。
「し、仕方ない!タスク!川底からパンを」
「もうやってます!でも駄目です!」
そしてこの川、パンが出なかった。
うん、舟に乗る前に確認すべきだったね。この川の底、多分、石じゃない何かでできてるか、石じゃない何かが滅茶苦茶たっぷり積もってるかのどっちからしい。
……さっき見た、川底に引きずり込まれる人の様子を見る限りでは……多分……何かが、川底に、いっぱい居る、んじゃないかなあ、と、思われる。なんか、こう、舟の上から真下の川底を見ると、ギョロッ、とした目みたいな何かがこっち見てくる様子がちらっと見えるし……。
「お、おい!このままだと落ちるぞ!?」
「仕方ない飛びましょう」
「正気か!?」
最早この舟が滝へ落ちるのは秒読みである。
それでもなんとか対岸へそこそこ近づけてはいるから、ここから飛んで、すぐに泳いでもう少しの距離を稼げれば、ギリギリいけなくもない気がする。対岸からパンを伸ばせばもう少し距離を稼げるか。
何にせよ、滝に落ちるよりはマシである!
「はいじゃあ行きますよ!はい3、2、1!今だッ!」
俺は勢いよくフライパンを振り抜き、さっきまで降らせていた雨を一気にフライパンへ集めて放出。それで多少の飛距離を稼ぎつつ、対岸から伸ばしたパンにうまく着地することができた。
「最初からパン橋使えば良かったかなあ」
「そうだな!」
一方、カラン兵士長はフライパンジェットがあるでも無しに、それでも水ポチャは避けてパンにしがみつくことができていた。
どうやら、氷の剣の力で川の水に流氷を浮かべ、それを足場に飛んできたらしい。超人めいた動きである。ブラボー。
「……とりあえず、パンはこれ、川に流しますか……」
「その方が良さそうだ……」
そして俺達が渡った対岸では、できそこないのパン橋目がけて人が殺到し始めているのである。
やっぱりこれ、普通にパン橋掛けてたら死んでた気がするなあ、と思いつつ、カラン兵士長がパン橋を一刀のもとに切り落とす様子を眺め、亡者達がそれを見て嘆く声を聞き、悟りが開けそうな心地になっていたのであった。
……初っ端からこれって、結構先が思いやられるなあ……。
サンズリバーなのか地獄の中の川の何かなのかよく分からない川を何とか渡り終え、極度の緊張状態から脱して全身嫌な汗に塗れつつゼエゼエ言っている俺達の目の前に、再び人魂がやってきていた。付いてきていたらしい。いや、憑いてきていたのかもしれないが。
「……お前なあ、もうちょっといいルート紹介してくれよなあ……」
俺が恨みを込めつつ人魂をつつくと、人魂は悪びれもしない様子で、ふるん、と一揺れ。くそ、暖簾に腕押し糠に釘感が凄まじい。
まあ、最終的に川の向こう岸に辿りつけたんだから結果オーライって事にしとこう。
「さて、で、こっちなわけか?」
立ち上がると、人魂がふわふわ揺れながら川から離れる方……つまり、奥へ、と誘うように動いた。
「じゃ、行くか。……ここに居ると良くないことが起きそうだしな」
カラン兵士長も呟いて立ち上がる。
その手は油断なく、剣の柄に置かれていた。
……さっきから、川を渡って来た俺達の周りに、亡者たちが集まってきている。
どうやら彼らは川の向こうへと戻りたいらしい。そのために俺のパンパワーを使いたい、という魂胆なんだろうが。
「あんまり荒事は好きじゃないんですよ、俺」
「今まで散々城だの山だのをパンにしてきた奴が何を言う」
「パンにする分には喜ぶ人も多いんでいいかなって」
言いつつ俺もフライパンを握りしめ、亡者達をパン壁で隔離する。
あとはパンの壁の間を人魂に導かれつつ駆け抜けていくだけだ。本当なら、パン壁からフランスパンスパイクでも生やして亡者を一網打尽にした方が良いんだろうが、やはり、荒事は好きじゃない。甘いのかもしれないが。
「……まあ、タスクとの地獄めぐりは、こう、何というか……楽しそうだな。ああ……」
「そうですかね」
パン壁と亡者の壁を同時に抜けた俺達の背後では、亡者達による「パンうめえ!」なる喜びの声が上がっていた。
良い事をすると気分が良いぜ。ははは。
やがて俺達は、大きな美しい城の前に来ていた。
青灰色の石と黒の装飾的な鉄柵、そして青みがかったガラスで造られた城は美しく、そしてどこか憂いを湛えたような様相であった。
死者の国に相応しい外観だ。重く、静かで、美しいのにどこか空虚な、そんな雰囲気の……つまるところの、『死』を強く感じさせるような、そんな城であった。
「ここは……?」
まさか、ここにエピ達が居る、のだろうか。
……と思ったら、人魂は俺達を放置したまま、俺達がついていくことを一切考慮しないスピードとルートを以てして、黒の鉄柵の門を超え、城の1つの窓の前まで飛んでいった。
俺とカラン兵士長は当然だが空を飛ぶことはできない。そして、門は残念ながら開く気配が無い。
仕方なく人魂の様子を眺めていると、人魂が体当たりした窓の中で、誰かが動く様子が見えた。
そして、窓が開く。
……そこから現れた顔に、見覚えが、あった。
「ああああああああああああお前幽霊女!」
ぎょっとしてこちらを向いたその顔も、俺を見て、俺を指さして、愕然とした。
「えええええええええ!?あなたもう死んだの!?海で会った時はあんなにピンピンしてたのに!?」
城に居たのは、あれだ。
エスターマからオートロンへの航海中に行き会った、例の幽霊女、であった。
……幽霊じゃない、と自称していたが。
やっぱり死んでたことには死んでたんじゃねえかよこいつ!