93話
そうして俺達はハイヴァーとオートロンの大陸近くまでやって来たのだが、ここで大きな問題が発生した。
「服が無いっへっくしょい」
「……そういえば、慣れてしまったが、タスクは全裸だったな……」
「いや、一応、指輪はあります……」
「余計に酷いな……」
さて。
現在、俺には服が無いのであった。全裸である。
一応、エピの遺品である指輪はあるのだが、まあ、指輪があろうがなかろうが、全裸は全裸である。
よって、寒い。
更に言ってしまえば、この恰好で上陸して人里なんぞに向かおうものなら、変質者としてゴルゴダの丘で磔刑に処されてロンギヌスの槍でぶっ刺されても文句を言えないのである。エイメン。
ということで仕方なく、俺達は石パン橋を伸ばしてハイヴァーの漁村近くに橋を架けた。
そして、俺だけが橋の上の待機所で待機する中、カラン兵士長が1人、ドラゴンの血(当然の如く原材料は海水)を持って服を調達しに行ってくれた。本当にすみません。
「戻ったぞ、服だ」
「ありがてえ」
そして俺は数日ぶりに服を着た。ああよかった。これで変質者の汚名は着ずに済む。
「……だが、あの村ではすっかりこの橋の事が話題になっていたぞ」
「ああ、突如として現れた橋、ですもんね……」
……ま、まあ、また俺が死んだときに馬小屋島からリスタートになっちまう可能性を考えて、この橋はもうしばらく、ここにこのままにさせてもらおうかな、と思う。申し訳ない。
服を着て元気いっぱいになった俺も、なんとか上陸。
漁村から港まで馬車が出ていたのでそれに乗り、港から海路でオートロンを目指す。
「……で、オートロンの港から陸路でエラブルの町。そこから徒歩でルカの山、そしてルカの山の中にある地獄の門へ、ということか」
「そんなかんじです」
船に揺られつつ、俺とカラン兵士長は地獄めぐりのルートを確認。
やはり気が急くというか、のんびりしていていいことなんぞ何一つとして無いので、できる限りは船や馬車を使って移動することになる。
「はあ、しかし、地獄の門、か……どうしてそんなものの存在を知っているんだ?」
「ちょっと山からパンを噴出させたら出てきました」
「まるで意味が分からん」
俺も、ちょっと昔の記憶に思いを馳せて複雑な気持ちになってしまった。駄目だ、ちょっと客観的に思い返すとあの噴火ならぬ噴パンはどう考えても色々とおかしかった。
……だが、あの時は見つけてすぐに逃げた『地獄の門』に向かってる、ってのは、なんとも因果なものである。あの時の俺は、まさかあの門を自ら進んでくぐろうとするとは露ほどにも思ってなかった。
「井末のおかげ、だよなあ……」
何というか、巡り巡って、結局はあの時、井末がルカの山を噴火カウントダウン状態にしてくれたのが幸運だったんだよな。あれが無かったら噴パンしてなかったし、地獄の門も見つけてなかった。正に人生万事塞翁が馬、である。
「……んっ?」
あれっ、井末、で思い出したが……あの時。ルカの山の深部で、井末達が手にしていた、『ウェルギリウスの炎』。
確か、冬の精霊が『ウェルギリウスの炎があれば生きたまま冥府に入り、生きたまま出ることができる』みたいなことを言ってたよな。
……ということはもしや、アレが無いと、冥府に入れない……?
一抹の不安を抱えつつも、勝算が無いでもない。
よってとりあえずは出たとこ勝負、ということで、現場に向かってから色々考えることにした。
井末を探してウェルギリウスの炎を奪う、ってのも現実味が無い。なんてったって、あいつらも旅の身空である。探すのは骨だろう。
……だったら、地獄で待っていた方が早い。
どうせあいつらは旧い方の魔王を倒そうとしているらしいし、地獄で行き会う事もあるだろう。
考えるなら、その時に考えれば済む話である。
それに……なんとなく、なんとかなる気が、しているのだ。自分でも理由はよく分からないが……。
俺は半ば無意識に、エピの『遺品』である指輪を嵌めた指を触っていた。
俺達は船の上で一日を終え、翌日の昼、船はオートロンの北の方に位置する港町へ到着。
そこから馬車でエラブルへ向かう。
道中で宿に数回泊まりつつ、俺達は猛スピードで目的地まで移動した。
脇目も振らずに移動しまくると案外速く移動できるもので、結局、馬小屋島を出発してから7日経つ頃には、エラブルへ到着することができたのである。
なんというか、大きな町から大きな町へ移動する分には、そこそこインフラ整ってるんだなあ、と改めて実感した。
近くの町まで徒歩3日、みたいなファリー村とか、吹雪の中、雪を掻き分け掻き分け徒歩数日、みたいなイスカ村とかがおかしいのである。
そして今までの旅路で、いかにそういう『おかしな』村だの町だの廃墟だのばっかり寄ってきたかっていう……。
……あ、よくよく考えてみたら、その『おかしな』村って、エピやユーディアさんの故郷か。
成程。俺はなんというか……そういう『おかしな』場所を巡る運命なんだな……。そういう仲間ばっかり集まっちまった時点でもうなんというか、お察しである。
そうして馬車でひたすら移動している最中。
「このペースなら今日中にエラブルの町に」
「着かないですよ、お客さん」
「いや、もうちょい飛ばせばギリギリ」
「無理ですよお客さん」
気は急くが、馬車は一定のペースである。他の客も居ないので飛ばしに飛ばしてもらっても構わないのだが、馬を御する御者はこれ以上ペースを上げるつもりはないらしい。この野郎。
「ここをエスターマとかと同じような感覚で移動されちゃあ困りますよお客さん。なんてったってオートロンは秋の国だ。陽が沈むものも早いんですよ。夜は魔物も出ますからね、早めに宿に入って一泊するのが利口ってものです」
成程、どうせ急いでも一泊するのに変わりはないからこのペース、ってことか。まあ、その理屈は分からんでもないが。
「御者、魔物が出たら俺達が何とかする。これでも俺はエスターマで兵士長を拝命していた腕がある。並大抵の魔物が出ても負ける気は無いが」
カラン兵士長は、魔物なんぞ剣の錆にしてやる、という勢いである。俺だって魔物程度、パンの錆にしてやる所存である。俺達は急いでいる。急いでいるのだ。
「そ、そうは言ってもねえ……」
そうこう言いつつ、馬のペースは変わらない。この御者、急ぐつもりは無いらしい。この野郎!
その後も御者と押し問答を繰り広げたが、ペースは上がらなかった。
くっそ、滅茶苦茶に気が急く時に限ってこういうところでこういう気の持たされ方をするものである。やってられん。
しかも。
しかも、だ。
「お、そろそろ宿が見え……ん?あ、ありゃあ……」
御者がふと、怪訝そうな声を上げ。
「……わ、あわわわ!ま、魔物っ……どでかい魔物が居るぅっ!」
……これである。
急いでいる時に限って、こういう奴が、出てくるのである。
『ふはははは!また会ったな、神の玉梓……は、居ない……?あれ……?』
俺達の目の前には、4階建てビルに相当する程度のサイズの、パンでできたゴーレムが居た。
『小癪な!おい、神の玉梓をどこへ隠した!』
「俺が聞きたいわ!」
しかもこのパンレム、俺の気に障るような事を狙って言ってくる。隠した、じゃねえよ。どっちかっつうとお隠れあそばした、の方だよ。しかもエピがお隠れあそばしたのを探してるのはお前じゃなくて俺だよ!
『ふ、まあいい!まずは貴様、救世主を名乗っていたな!貴様を殺し、魔王様への供物としてくれるわ!この、最新鋭の魔法を組み込んだ、最強の!パンゴーレムによってな!』
そしてパンレムは(いや、多分、パンレムに搭乗しているのであろう悪魔は、だが)そんなことを言って、早速、とばかりに馬車に向かって拳を打ち出してきた。
「邪魔だ!どけ!このパン野郎!」
なので俺は馬車の中から顔と右腕と右手に握ったフライパンだけ突き出して、パンレムに向かってパンパワーを発動させる。
パンレムの拳が止まった。
『死ねえっ……あ、あれ?な、何を……こ、これは一体!?』
パンレムは困惑していたが、もう遅い。
止まったのは、拳だけではない。
パンレムは全身の動きを封じられていた。何故ならば……俺が、パンを、石に戻したからである。
「さよなら」
『ま、待て!待たんか!』
待てと言われて待つ義理は無い。義務も無い。
パンレムに驚いて気絶したらしい御者を馬車の中に引きずり込んでおいて、カラン兵士長が馬を御しつつパンレム改め石ゴーレムの股の下を抜け、進んでいく。
『こ、この、な、何故、ゴーレムの体が石にっ!?』
「パンだったからだよ!」
というか何なんだこいつらは。パンを過信しすぎてるんじゃないのか。パンはパンだぞ?所詮、建材兼食料兼武器兼ご神体、ぐらいのパンだぞ?そんなのでゴーレム作って勝てるわけが無いじゃないか。馬鹿なのか?
『お、おのれええええええ!こうなったらせめて、魔王様にご報告をして自爆してくれる!貴様らも道連れよ!』
終いにはこれである。最早いつもの事なので、俺はパンの波動を放ち、後は放っておいた。
それだけで、十分なのである。
『魔王様、お受け取り……あああああっ!?な、なんだこの奇怪な形のパンはあああああ!』
パンの波動によってカニ○ンと化した連絡用の石だったのであろうものは、空の彼方へと飛んでいったのであった。
そして、カラン兵士長の手によってスピードを上げた馬車の遥か後方で、ゴーレムが爆発した。
俺達は無傷であった。遅い遅い。ははは。
「づがれだ」
そうして俺達は、半ば無理矢理、夜も更けてからエラブルの町へと到着した。
「移動続きだった上での、悪魔の襲来だったからな……これから地獄めぐりだ。今日はゆっくり休もう」
さて。
こうして猛スピードでエラブルの町までやってきた俺達だったが、当然のように滅茶苦茶疲れていた。
移動続き移動続き、乗り換え時間を最短にするためにかなりの無茶をしつつの強行軍であった。
そしてこの世界、乗り物は確かに徒歩よりずっと速いんだが、乗り心地が良いかっていうとそれはまた別の問題なのである。
道がアスファルトで舗装されているでも無しに、当然、その上を走る馬車ってのはそこそこ揺れる。
よって、馬車による移動が続いた俺達は、満身創痍、なのであった。
そしてそこであの悪魔のパンレムである。いくら相手が阿呆のパンレムだったとしても、戦いは戦い。疲れもするし、消耗しもする。
こんな調子では、地獄に行く前に死にそうである。それは流石に勘弁して頂きたい。
……ということで、これまで急いだ旅路の分、1晩程度は勘弁してもらう事にして、宿でしっかり休むことにした。
今まで車中泊とかパン中泊とかだったからな、久しぶりのまともな寝床である。
おかげであっという間に寝付いて眠ることができた。
眠ったはいいものの、妙な夢を見た。
自慢ではないが、俺は碌に夢を見ない性質である。というか多分、見ても覚えていないのだ。
そんな俺が、滅茶苦茶に疲れた中でも明晰に夢を見ていて、覚えている。これは極めて珍しいことであった。
これは夢だ、と自覚する中、俺は目の前に広がっていた夢の靄が晴れていくのを見ていた。
……やがて、俺が見ている前で、霧が晴れ渡り、そこには……。
「なんだこれは」
「よく分かりませぬ。しかし、最近の人間達の間で流行している邪神を模したものであると、有識者の中で声が上がりまして……」
「……何故、人間はこのようなものを?」
「よく分かりませぬ」
「だがパンだな」
「パンですね」
「ならば食ってみればよかろう」
「魔王様、よく分からぬものをお口になさらないでください」
「だが美味い」
「お戯れを」
……俺が見ていることを知ってか知らずか、そこでは……魔王が、カニ○ンを、食っていた。
そこで俺は、はっと、気づいて、ついでに目が覚めてしまった。
逸る鼓動と駆け巡る血液を身体の内に感じながら、熱くも冷えた頭で、夢を反芻し……確信した。
今まで俺が悪魔と遭遇するたびに、魔王に送りつけることとなっていたパン。
あのパンが送りつけられ、恐らくその度にパン食ってた魔王は……。
……旧い方の魔王だった、と。