91話
あの方はここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。
『目覚めよ』
声が聞こえる。
『目覚めよ、切戸匡』
俺が知っている声である。ずっと昔から知っている声だった。
『目覚めよ、切戸匡』
あの時からずっと、側に居た声であった。
「分かってる」
言ってしまえばどこにでもある不運であったが、その理不尽に敢えて理由をつけるならばそれは、俺のせいだった。
確か、俺が遊園地に行きたいとねだったのだ。
12月の頭の方の日曜日。
県外の、少し遠くにある遊園地へと向かう車中。
高速道路。
前に割り込んできたトラック。
急ブレーキ。
崩れるトラックの積み荷。
降ってきた鉄パイプ。
割れるフロントガラス。
腹部に感じた痛みと喪失感。
目の前に広がる光景を見たから、或いは、腹部に刺さった鉄パイプによって、俺は意識を失う。
それから気づいたら病院に居た。
意識が朦朧とする中、ぼんやりと自分の状況を知り、ぼんやりと、何を考えていたかといえば、これからの事ではなくこれまでの事であるか或いは、幼い頭なりに死後の世界なるもの、宗教と呼ぶには稚拙に過ぎるがそれらしい何かについて、ぐるぐると思考を巡らせては途切れさせ、また意識が戻っては思考していた。
そうしている内に、俺は声を聞くようになった。
虚ろな思考に挟みこまれる、俺自身ではない何者かの存在。
『人が死ぬことに意味は無い。人が生きることに意味が無いのと同じように。だから人は自分で理由を作るのだ。生きることに。死ぬことに』
声はいつだったか、そんなことを言っていた。
『そうして人が求めた理由と祈りの果てに、私のようなものが生まれる』
『目覚めよ、切戸匡』
声が呼ぶのは、俺が望んでいるからなのだろう。多分。
「ッシャオラア!」
気合を入れて起き上がると、滅茶苦茶寒かった。
それもそのはず、俺は全裸であった。勘弁して頂きたい。このままでは猥褻物陳列罪である。恐らく数ある罪状の中でも1、2を争う不名誉な罪を背負う事になってしまう。
とりあえず近くの岩盤をパンにして、そこに首まで埋まって寒さをしのぐことにした。パンに生き埋め状態であるが、全裸で猥褻物陳列罪で凍死よりはマシであるので仕方ない。
……そして、パンに生き埋めになりつつ、俺は周囲を観察した。
隙間風が防がれたあばら家。
塞いでいるものは元々はパンであったはずの石である。
つまり。
……ここは、ハイヴァーとプリンティアの間にある馬小屋島の、その馬小屋の中、であった。
やはりここは、俺の予想通り、『リスポーン地点』であったらしい。
リスポーンしたってことは、多分俺は死んだんだろう。多分。全裸だし。うん。
……気になることは山のようにあるが、最も気になるのは仲間の安否である。
ユーディアさんは。カラン兵士長は。
……そして、エピは。
俺がもう少し早く動いていれば、逃れられたかもしれない、エピは。
エピは……死んでしまったのだろうか。
考えただけでぞっとしたが、恐らくそれが真実であろう、と俺の理性部分が言っている。
エピは死んだ。
俺が死んだのだ。恐らく、エピもまた、死んだ。
……そしてエピは、神の玉梓でありこそすれ、救世主ではない。
彼女は、復活しないのだ。
しばらく、パンに埋まったまま、思考を停止させていた。
起きたまま眠っているような状態でしばらく居れば、思考したくないことについて思考する余裕も出てくる。
即ち、俺は現実を受け止め始めた。
ユーディアさんは死んだ。
カラン兵士長は死んだ。
エピも死んだ。
またしても俺は周りに死なれてしまったというか、自分だけ死に損なったというか。
せめてもう少し、違う別れ方が良かった。
ハイお別れ会をして下さい、と言われて納得できるものではないだろうが、いきなり黒い咢に食われていきなりサヨナラ、よりは納得がいったんじゃないだろうか。無い物ねだりなのかもしれないが。
……それに、エピ達が。エピ達自身が、納得が、いかないだろう。
あんな死に方をして、納得がいく人がいるのだろうか。
突然死んだ。志を果たせずに死んだ。
それで、良いわけが無い。エピ達としても、エピ達を思う俺の落としどころの付けようとしても。
だがエピは死んだ。
死んだのだ。
死んだ。
目の奥に焼き付いている。
腹を貫かれて、瞳の奥の灯を消したユーディアさんの姿。
腹を切り裂かれ、赤に染まって吹き飛ばされたカラン兵士長の姿。
そして、瞳に俺を映して、俺に手を伸ばして、そのまま消えた、エピの。
エピの姿が、瞳が、俺を呼ぶ声が、全部全部全部全部、頭の中に、目の奥に、それらよりももっと深い何所かに焼き付いて、べったりと張り付いて、離れない。
死。
俺は、最もありふれた、それでいて最も不幸なる『死』を、ただただ繰り返し頭の中で再生し続けた。
……だが、ここで一旦、俺は体勢を変えた。頭を上にパンに埋まっていた姿勢を、脚を上にする形に変更する。即ち、犬神家状態である。
このままでは居られない。
遺された者は、このままでは居られないのだ。
どんなに悲しみに暮れていようが、前進を余儀なくされる。それはとっくに俺が学んできたことだ。
大丈夫、二度目だ。初めてじゃない。きっとうまくやる。
そう、うまく。
……例えば、死んでしまった仲間の遺志を継ぐ、とか。
魔王を殺す、とか。
魔王殺しの為には、いくつかの謎を解かなければならない。
まず1つ目に、『プリンティア国王は魔王だったのか』である。
……恐らく、否。
ユーディアさんも訝しんでいた通り、あれは、怪しすぎる。
魔王の手の者であったことはまず間違いない。あのゾンビ化とか見る限り。
が、それ以上、となると……多分、違う。
なので。
もし、魔王があの場に居たとしたら……俺達を殺した、アレだ。
アレが、魔王か、それに近い何か、であろう。
さて。
では、アレを殺すにはどうすればいいのか。
正面から行く、なんて馬鹿な事をしても無駄に死ぬだけであることは容易に想像がつく。
ともすれば、突破するための策を練らなければならない。
強い力を手に入れる、とか。或いは、より強力な誰かを助っ人にする、とか。
……プリンティアに居るという魔王は、新魔王の方だ、という事が分かっている。
そして、確か、新魔王と争っていたという旧魔王が……。
ここで俺の脳裏に、凄まじい速度で様々な情報が浮かんで消えて、切れて繋がって……そして。
希望を成した。
パンに沈んだ俺の頭の中、一度結論を出して止まった思考は、『死』の記憶とそれにまつわる感情のリピート再生、それらを掻き消す為だけの空しい目標……それら全てを超えて進む。
旧い魔王は、冥府の底に居る。
冥府。
つまり、あの世、だ。
ここは異世界。そして俺は石パンで水ワインでカニ○ンな救世主なのである。
ならば、可能であってもおかしくはないだろう。現に俺だって生き返った。そういう神話だってあった。
だから、できるんじゃ、ないか?
俺は、死んでしまった仲間達を生き返らせることが、できるんじゃ、ないだろうか。
……ここから俺は、とりあえず、オートロン……秋の国へと向かう事になる。
そして、エラブルの町の東、ルカの山の中、火山の奥深くにある、あの門の先へ行く。
『汝らここに入るもの一切の希望を棄てよ』。
あの地獄の門の先が、俺の当面の目標になりそうだ。
さて。
そうと決まればいつまでもパンに犬神家している訳にはいかない。
俺はパンから這い出るゾンビの如く、或いは墓から這い出る救世主の如くパンから抜け出して、とりあえず、馬小屋の外に出た。そして周りを見渡して本当に何も無い事を確認した。寒かったのでもう一回馬小屋の中に入った。
困った。
「なにもねえ」
船はねえ。ヨットもねえ。パンツもズボンもシャツもねえ。食料もねえ。岩はある。よってパンなら食べ放題。
俺、こんな島嫌だが、しょうがない。そもそもこの島を脱出する方法が無いのである。
……枯れ木も島の賑わい、というレベルに多少の木が生えている程度のこの島で、一体どうやって脱出すればよいのやら。
前途多難である。
とりあえず、試行錯誤してみることにした。なんというか、手を動かしていないと駄目だった。落ち着かん。生き返る可能性があるというか、それにすべてを賭けてる勢いの俺であるのでまだ前進する気力を保っているが、これ、うっかり考えすぎると落ち込むだけだからな。余計なことは考えず、希望だけ見つめて猛進するのが俺の精神衛生上最もよろしい。
そうして復活1日目にして俺は、小舟っぽいものを完成させた。
要は、石をパン化能力で削って舟型にしたのである。
俺はできたばかりの小舟を海に浮かべた。
小舟は沈んだ。
……。
それからも小舟を薄く作って軽量化して浮かべることに成功したものの俺が乗ったら壊れたり、やたらと扁平な形の小舟を作って乗ることに成功したものの波に煽られて転覆したりして過ごした。
それでも俺は試行錯誤をやめなかった。試行錯誤をやめることは、俺がこのままこの島から出られない以上に、エピ達の永遠の死を意味する。
俺はどうしても、死んだ彼女らをどうにかしたい。
どうにかすべく、足掻ける所まで足掻きたい。
正直もうこの世界なんぞどうでもいいので、それだけ叶えられればいい。
……その為にも、俺は、空回りでもなんでも、前進していなければならなかった。
そうして、復活3日目。
……パンでできた船が波間にパン屑となって消えていくのを見て絶望した俺は、ふと、海の上に、奇妙な影を見つけた。
白い波しぶきを立てながらこちらに迫ってくるらしい影は、どう見ても異様である。なんだあれは。
「―!」
しかも何か声っぽい物まで聞こえる。
……しかも。しかも、だ。
「タスクー!」
なんか、聞き覚えのある声で、ある。
謎の影が近づいてくると、俺の目にも、それが何か分かるようになった。
「タス……タスク!タスク!やはり生きていたのか!生きていたんだなーっ!」
「か、カラン兵士長ーっ!」
それは、舟も筏も無く……ただ、フライパン。
ただ、フライパンに掴まって海を凄まじい速度で進んでくる、カラン兵士長の姿であった。
……ああ。
今なら、神にでも悪魔にでも感謝できる。そんな気分だ!