90話
目の前には第二形態となったプリンティア国王。
そして俺の手にフライパンはあらず。
プリンティア国王……だった怪物が、眼窩の奥に灯る熾火めいたギラつきを持つ瞳……いや、瞳の位置に嵌まった石のようなもの、を俺に向けた。
ジーザス。
「くっそ!このやろ、意外と速っ……」
プリンティア国王だった奴……もういいや、うん、折角第二形態になった事だし、略す。プ王。プ王は、俺を執拗に狙っていた。
フライパンを奪われた俺は、初期段階でしかパン化能力を使えない。つまるところ、ほとんど、只の一般人と変わりないレベルなのである。
そんな俺がプ王に狙われている訳で……当然、逃げる。逃げまどっている。俺はひたすら、攻撃から逃げ、パンと化した柱のなれの果てに隠れ、パンの中に埋もれて逃げ……と、逃げ続けていた。
だが、そんな俺には心強い味方が3人も居るのである。
「タスク様を追っかけるのやめてよっ!えいっ!」
エピが鞭を振ってプ王のむき出しになっているあばら骨をへし折る。
「化け物め!俺が相手だ!」
カラン兵士長の剣によって、プ王の爪が受け止められる。
「ちょうどいいところに」
ユーディアさんはそこらへんに落ちていたらしい剣を拾って、見事、プ王の片腕を斬り飛ばしてみせた。
が。
「なんで俺!?なんで俺なの!?ねえ!」
執拗に、俺だけが、狙われ続けているのである。
何だこれは。執念か。執念なのか。だとしたら一体何の執念だ。
城をパンにされたことの恨みとかか。だとしたら流石にちょっと悪かったと思ってる。謝るから攻撃しないでほしい。でも謝っても攻撃してくるんだろうから謝らねえ!
さて。
逃げ回りながら、俺はいよいよ、聞くべきことを聞く時が来たことを悟る。というか、少しでもこの状況を打破する手掛かりが欲しい。
「ユーディアさん!」
「なに?」
ユーディアさんはプ王の再生された腕をもう一度斬り落としながら、俺の問いかけに返事を返してきた。
「プ王を暗殺しようとした理由を教えてくれ!」
ユーディアさんは一度、大きくプ王を斬りつけてから離脱し、俺の傍へと舞い降りるように着地した。
「ユーディアさん」
「分かっている。言う。こうなったらもう、あなたも知っていた方が良い」
この間もプ王の追撃が俺を狙ってくるので、その都度逃げたり、ユーディアさんが斬り払ってくれたりしながらの会話である。
「プリンティアには魔王が住んでいる」
「それは知ってる」
「そして魔王城らしき城はプリンティアの大地の上、探しても、どこにも存在しない」
「それも知ってる」
……そして、この先は、知らないが……。
「だから私はプリンティア国王が魔王だと考えた」
察しは、付いてた!
「確かにあれはもう化け物だけど」
プ王、現在の状況、端的に言ってしまえば、ビッグゾンビ。
ユーディアさんに斬られ、カラン兵士長に斬られ、エピに燃やされたり裂かれたり叩かれたり絞められたりし。
それでも尚、プ王は俺を攻撃してくるのだ。
執拗なまでの生命力、まさにゾンビ。一応は再生しているとはいえど、見た目も十分にゾンビ。
というか、パンの城の残骸から這い上がって出てきた様子は正にゾンビであった。パンという墓から出てきたゾンビ。正にゾンビ。
「そう。化け物。……こうなってしまえば、もう、殺しても文句は言われない」
その通りである。ゾンビを殺してもゾンビバスターにはなるだろうが、殺人犯にされることはまず無いだろう。
死刑執行のご案内じゃなくて感謝状が届くこと間違いなしである。
「だから私はこの化け物を、殺す」
ユーディアさんの強い意志が、氷色の瞳の中を駆ける。
「協力してほしい」
「そりゃ、勿論」
俺はその強い意志に応えるべく、笑顔で答えた。
……だが。
「とりあえずこの逃げっぱなしってのはなんとかならんだろうか」
「タスクは逃げていてくれればいい。それが仕事」
恰好がつかないのはいつもの事である。ジーザス!
ユーディアさんは飛び回り、カラン兵士長とエピにも何かを伝えたようだ。
やがて、密やかに作戦が開始した。
「ああああああもおおおおおおお俺っていつもこういう役回りじゃねえか!」
「タスク様ー、がんばってー!」
まず、全く密やかじゃないかんじに、俺が走り回ってプ王を誘導する。
誘導する位置は予め決まっている。そう、元・城の上だ。
今の俺がフライパンを失ってパン化能力を激減させている以上、広範囲を今からパンにするのはあまりにも効率が悪い。
だったら、予めパンにしてある場所を使うのがベスト。
俺は上手くパンにならなかった物を足場に使いながら、パンの海を進んでいく。
プ王は当然、パンの海がパンである事に気付いたようだが、それでも進行を止めず、俺に向かって歩を進め続けた。
そしてやはり当然ながら、プ王はパンの海に沈んでいくことになる。この程度の沈み方では、全身沈む、生き埋めにする、なんてことは不可能な訳だが。
「これで動きは鈍くなったな!」
動きを封じる、という意味では、これで十分なのだ。
「よし、タスク!そこを動くなよ!」
「言われなくても」
カラン兵士長が俺のすぐ横にあったタンスの残骸らしき木片を足場に、宙へと飛び上がる。
カラン兵士長はその手に鎖の一端を握り、そのままプ王に向かって飛んでいく。
じゃらり、と鎖が重い音を立て、プ王の喉元に絡む。プ王はカラン兵士長を攻撃しようとするが、その頃にはもう、カラン兵士長はそこには居ない。
とっくに離脱したカラン兵士長は、鎖の一端を離して、下……つまり、パンと化している地面に向かって投げた。
「まかせて」
投げられた鎖は、そのまま柔らかフカフカなパンへと沈む。
パンに沈んだ鎖は、パンの地面ごと、バキバキ、と音を立てて凍り付いていくのだ。
氷の魔法を使っているのはユーディアさんだ。魔法はそんなに得意じゃない、と言っていたのだが、これである。魔法を使えない俺やエピからはブーイングものである。ひどい。
「じゃあ私の役目だね!」
そして、エピが躍り出る。
鎖とパンと氷によって動きを封じられたプ王なら、近づくことも容易だ。
近づいて、鞭を振り抜いて、冬の精霊の力を使う。
魔法が、消える。
……それがどういうことか。その答えはすぐに分かった。
プ王の姿が縮まり、元の人間サイズに戻ったのだ。
「ぐ……ぬ……う」
呻くプ王は、片目を抑えながらこちらを睨む。
続いて、何やらブツブツ、と口にすると、再び、プ王の体が変貌し始めた。
うん、そうだよな。俺もそうだと思ってた。
ということで、トドメである。
俺は、まだ人間サイズを保っていたプ王に近づき、その目玉……の位置に嵌まっていた、怪しく光る石のようなものを、パンへと変えたのだった。
もふっ、と、音がした。
「な……?」
そして、プ王は、変化を止めてしまった自分の体を見て、不思議そうに呟き、続いて、はっとしたように自らの片目であっただろう場所を探る。
が、そこにはパンがあるだけである。プ王は、もふもふ、としたパンの感触をその手に味わうのみよ。ははは。
「き、さま……」
プ王は流石に怒ったらしく、俺に向かって手を伸ばした。
が、それまでであった。
「駄目よ」
エピが静かに、かつ激しく鋭く鞭を操り、プ王の喉を叩き裂いていたからである。
「や、やったか……」
パンの海に倒れ伏し、完全に動かなくなったプ王を見て、俺達は安堵のため息をついた。
本当にどうなることかと思ったぜ……。
「こ、この人、本当に魔王だったの……?」
「だとしたら俺達は魔王を倒した、という事になるな……」
魔王、死亡。決まり手は鞭……いや、もしかしたら目玉のパン化、とかなんだろうか。だとしたらこの魔王は史上最大級に格好悪い死に方をした魔王なのではないだろうか。
「ま、まあ、何はともあれ、とりあえず目的は達した、よな?」
「そ、そうね!ユーディアさんは助けられたし、ついでに魔王もやっつけられたし……?」
「ついでか、ついでなんだな……」
形はひでえが、とりあえず、これで目的は達したのだ。色々と万々歳である。
……が。
「……もしかしたら、違った、のかもしれない」
「え?」
不穏な言葉を発しつつ、ユーディアさんは若干、表情を曇らせた。
「これが魔王だったなら、直接人間を束ねていたことになる。魔王がそんな、面倒な」
突然の出来事であった。
地面が揺れた、と思ったのである。ただそれだけだった。
……だが、その瞬間、俺は、目の前で氷の妖精然とした少女が、地面から現れた巨大な生物の爪めいた何かによって刺し貫かれ、高々と掲げられる様子を見たのである。
「な」
続いて、カラン兵士長が、腹部を裂かれ、何か赤いものを散らしながら吹き飛ばされるのを見た。
「タスク様!」
そして、エピが。
「させるか!」
そして、エピは。
「タスクさ」
俺は間に合わなかったのである。
俺はエピの足下に黒い影が蠢いたのを見て、咄嗟にエピを突き飛ばした。
しかし……エピは、エピを突き飛ばした俺と一緒に、地面から出てきた巨大な、どす黒い咢のようなものに、食われた、のであった。
そうして俺は死んだ。
……多分。