80話
エピを待ちつつのんびりしていたら、すぅ、と、声とも音ともつかぬものが聞こえた。
「エピ?」
それからふと、肩のあたりに温い重みが掛かる。
見ると、エピは……寝ていた。どうやら、泣き疲れたらしい。
しばらく、エピの枕になっていたのだが、起きる気配もない。
……仕方ない。運ぶか……。
エピを背負うと、俺は小部屋の台の中にあった小さな本を取って、台と、その奥の壁に頭を下げた。
どうも、とか、なんか適当な事を言った気がする。なんというか、『お嬢さんをお借りします』とも、『いつもお世話になってます』とも言い難いというか、なんというか……。
……この一抹の気まずさを含んだ、こう、気まずさを凌駕する何かを、くみ取ってほしい。エピの母親なら多分そのくらいはしてもらえるだろうし、うん……。
エピを運んで野営地に戻ると、カラン兵士長が多分起きていた。多分。
どうやらカラン兵士長、俺がエピを背負ってもそもそ戻ってくる気配を察知してすぐに寝床に飛び戻ったらしい。
つまりどういう事かというと……きっちり服を着込んだ状態で、中途半端にパン布団に入って、ついでに剣も布団に入ってて、そして、滅茶苦茶規則正しい寝息を立てていた。
……心配をかけたようだが、とりあえず、説明は後にさせてもらおう。
俺はエピをパン布団の中に埋めると、俺もパン布団に埋まって、とりあえず何も考えずに眠ることにした。
「タスク様ーっ!おはようっ!」
「やだやだ寒い寒い寒いあああああ」
気づいたら、エピに布団を剥ぎ取られていた。パン布団を奪い返そうとしたら、エピはそうはさせまいとばかりにパン布団を齧り始めてしまった。ああ、俺の布団が食われていく。
「……おはよう、タスク様!」
俺の布団を齧って朝食としたエピは、そう言って笑顔を浮かべた。
「……おはよ」
まあ……いいか。うん。
そうして起こされた後、布団を適当に焼き直してこんがりさせて食べつつ、今後の行き先を決める。
「とりあえず、どっかで一回氷の塔に戻ろう」
「そうね。そうすると何か分かりそうだし」
「あの焼き肉の星の所にか?」
尚、カラン兵士長だけ若干置いてけぼりなのは否めない。
「知恵の実の位置、だよなあ……分かるんだろうか」
「駄目元よね」
「知恵の実って何だ?」
尚、カラン兵士長だけ置いてけぼりなのは否めない。
「だから冬の精霊にも一応会っておかないといけない、んだったか……」
「タスク様が元の世界に帰るための手がかりがあるかもしれないんだもの、絶対行かないと駄目よ」
「えっ、タスクは別の世界から来たのか?」
尚、カラン兵士長だけかなり置いてけぼりなのは仕方ない。
「……と、それから、なんだけど……」
地図を見ながら、ああでもないこうでもないしていたら、エピがおずおず、と手を挙げた。
「どうした?」
「ええと、ね。あの、タスク様が帰っちゃってからでもいいかな、って思うんだけど……私、魔王を倒してみようと思って」
おずおず言う内容じゃなかったし、ちょっとやってみようかな、なんて思い立つ内容でもなかったが、エピらしいと言えばエピらしいか。うん。
「正気か!?」
「うん。正気よ。……やらなきゃ、とは思ってないの。やってみようかな、って、思って」
……成程。エピの落としどころは、そこなんだな。
「なら、折角だから俺も手伝うよ。その後帰ったって間に合うだろ。それに、魔王を倒してからの方が神様とやらの覚えもいいだろうし」
「正気か!?」
「わあい、ありがとう、タスク様!」
「正気か!?」
ぽんぽん、と軽く魔王討伐を決めてから、ふと、俺は思い至ってエピに聞いておくことにした。
「……だが、魔王討伐するなら、井末の所に行った方がいいかもしれない。魔王を倒すっつったって、情報も何も無いんじゃ、倒しに行く事すらできない。俺はともかく、エピなら歓迎されるだろうし、それも1つの選択肢かとは思うんだが」
「ううん。行かない。前も言ったけど、見くびらないでね、タスク様っ!」
が、杞憂だったらしい。エピはにこにこ笑いながら、俺の手を握って離さない。
「それに、魔王の事なら、もう大分詳しいの」
……えっ?
「はい、これ」
エピが俺の目の前に突き出したのは、本だった。
エピを背負って帰る前に、台の下から持ってきた、あの文庫本サイズぐらいの本である。
本の角は金属細工の金具で補強されていて、ブックバンドの留め具には、エピのペンダントと同じ、青い石の装飾が付いている。非常に美しい装丁だった。
尚、一応、俺も中身は見たのだが、案の定というか全く読めなかった。……だが、エピには読めるらしい。
「これ、タイトルの通りなのよ」
「タイトルも読めない……」
「あっ、そっか、タスク様には読めないのね……ええとね、タイトルは、『魔王録』、だって」
魔王録。
誰が記録したんだ、そんなもの。もしかして、あれか?魔王様ご自筆の日記とかか?
「これ、歴代のエピストラ達が記録したものみたい」
あ、違った。よかった。
「つまり、代々魔王を討伐する役目を背負ってた人達、か」
「うん。私のご先祖様たち、なのかも」
エピは本を胸に抱えて、どこか楽し気に言った。
「なんかね、タスク様。私やっと、ファリー村の村長さんが言ってたこと、分かったような気がする。『気が済むまで行ってきなさい』って。……村長さん、もしかしたら、私のお母さんたちの事も、知ってたのかなあ」
可能性としては、十分にあり得る。
エピの母親らしい、あのシャボン玉の声の人は、恐らく、緊急に迫られたであろうが、それでも計画的にこの村を出て、エピを隠すことにしたのだろう。
ともすれば、ファリー村で、『巫女』として扱われていたエピが、事情を村長に開示した上で預けられたものと考えるのも、あながち間違ってはいないのではないだろうか。
「適当なところで、ファリー村、戻ってみるか」
「うん!……じゃあ、そのためにも早く、ハイヴァーでやる事、終わらせなきゃね!タスク様!」
「ここ、寒いしな……」
魔王を倒すことを決めても、今後の予定はそう変わりなさそうだ。
とりあえず、氷の塔に戻る、ってのは第一として、それから……井末同様、各国の精霊様とやらを探すことになる訳だが……。
「……あれっ」
「どうしたの?タスク様」
「……もしかして俺、エピにつきあってたら、名実ともに救世主になってしまうのでは」
エピと顔を見合わせる。
「うーん、まあ、そうよね。でも、別にいいんじゃないかしら。駄目?」
「そうするとプリンティアの国王軍団に殺される可能性が滅茶苦茶上がりそうな気がする」
「大丈夫よ、タスク様。その時にはもう、タスク様は元の世界に戻る予定が立ってるもの!」
成程、異世界へ亡命、か。
……それなら、まあ、十分にアリか。
元々、元の世界に戻るのが目的なのだし、元の世界に戻る前に殺されるのが問題だったんだし……殺される前に帰る算段が付いちまえば、何ら問題は無いな!よし!決めた!俺、救世主になる!
「結果だけ見れば、やはり、タスクが真の救世主だった、ということか。やはり運命というものは上手くできている」
「運命なのかなあこれ」
カラン兵士長もどこか楽し気であるが、俺としてはこれを運命とか神の思し召しとかで片付けたくない。何故なら、こんなパンまみれな運命とか御免だからである。俺は嫌だ。折角何か定められているんだったら、もうちょっと格好つくようにしてほしかった。
「運が悪いのも運の内よ、タスク様」
「ああああ……よく考えたら、俺、エピに付き合って魔王を倒そうもんなら、救世主図鑑みたいな奴に『石パン水ワインの救世主』って載るのか……」
「きっと後世の救世主たちの励みになるだろう」
「あああああ……」
落ち込んだが俺は元気です。
ということで、鉱山の廃村……エピの故郷だったらしい場所を出た俺達は、とりあえず、氷の塔に向けて、元来た道を引き返し始めたのだった。
そうして、数日後。
「こんにちはー」
「何者だっ……て、ああ、タスク達か。こんなに早く戻ってくるとは!」
俺達はイスカの村に戻って来た。そして、村の入り口でリザードマンのレーゲンさんに驚かれた。
うん、俺達だって、こんなに早く戻ってくるつもりは無かったんだがなあ。あの焼き肉星が遠回りさせてくれたせいでよお……。
「それより大変なんだ。聞いてくれ。氷の塔が、何やら赤く染まっていて……何かの前兆でなければいいが……」
……。
大丈夫だと思います……。
レーゲンさん達、イスカの村の人達にまさか『俺がやりました』とも言えず、塔の異変に怯えるイスカの人達を元気づけつつカニパ○を布教しつつ、俺達は一晩、イスカの村でお世話になった。
そうして翌日、俺達は元・氷の塔、現・血の塔に向かう事にしたのだが。
「では、くれぐれも気をつけてくれ。……ああ、タスク達にこんな事を頼むのも申し訳ないが、あの塔に起きた異変の原因が分かったら、知らせてほしい」
「調査なんて任せて、ごめんなさいね、気をつけてね!」
「どうかご無事でー!」
……非常に。
非常に、良心をえぐられるお見送りを受けた。
「ね、ねえ、タスク様、イスカの人達には言った方がいいんじゃ」
「い、言えるかよっ!俺がやりましたとかそんなの申し訳なさすぎてもう!」
「だが、このまま不安がらせるのもな……」
くっそ、何で俺の能力って、不可逆性なんだろうな!元に戻せるんだったらあの塔、元に戻すのに!
「とりあえず、イスカの人達には何か適当に安心できそうな理由をつけて報告するしかねえな……!」
「……タスク様、救世主様っていうより、詐欺師になってるよ」
そうか。俺もそう思う!