75話
俺の頭の中には、色々な物が渦巻いている。
何故魔物が子守してるのか、とか。
なんでよりによって、怖いに怖いを掛けあわせて怖くしたような魔物がわざわざ子守をしてるのか、とか。
あの赤ちゃんがいきなり流暢に予言喋り出したら俺、どうしたらいいんだろう、とか。
が、俺の頭が再起動するより先に、エピが動いた。
「その子貸してっ!」
魔物ひしめく室内にずんずんと勇ましく進んでいき、明らかにボスっぽい、明らかに一番怖い、明らかに一番子守が下手そうな、そして今、赤ちゃん……エイス様、であろう赤ちゃんを抱いている魔物に向かって、両手をつき出したのである。
「む……?」
「ほら、貸してっ!」
戸惑う魔物に構わず、エピは赤ちゃんを奪い取ると、魔物から離れた所に座り、泣く赤ちゃんをゆるゆる、と揺らし始めた。
続いて、静かに、何か子守歌のようなものを歌いだした。
単純なメロディのリフレインなのだが、おそらくそれが赤ん坊には安心の材料になるのだろう。
やがて赤ちゃんは泣き止み、そして眠り始めた。
「おおー……」
魔物達がどよめく中、エピは振り返って、しー、と、指を口の前に持ってきて魔物達を黙らせる。
「……すごいな」
エピに近づいて小声で話しかけると、エピは「村の子達をみてたもの」とやはり小声で返して、得意げな笑顔を浮かべたのだった。
「ああも簡単に泣き止むとは……やっと普通の働きをする乳母を手に入れてきたか」
赤ちゃんをベビーベッドに寝かしつけたところで、エピに魔物が寄ってきた。
「今まで連れてきた女は皆、1度は多少時間がかかっても泣き止ませるが、またすぐに泣き始めてな」
魔物は実に満足げであるが。
が。
「……あのね、魔物さん」
エピは、実に不満げな顔で、言った。
「普通、赤ちゃんって、泣くものなの」
「いーい!?赤ちゃんは泣くの!」
「う、うむ」
「それから、普通の女の人は!魔物に囲まれた状態で子守なんてできないの!」
「そ、それは」
「赤ちゃんも!魔物に囲まれてたら怖いの!」
「成程、そ」
「というかあなた達、見た目が怖いのっ!」
「そ……そうか……」
エピの怒涛のお説教である。
すやすやと寝ている赤ちゃんに配慮しての小声であるが、鋭い小声には魔物達を正座させ、頭を垂れさせるだけの効果があった。
「だから今までの女の人達は子守ができなかった訳じゃなくて!赤ちゃんは泣くものだし魔物に囲まれてたら子守なんてできないし赤ちゃんだって落ち着かないしあなた達怖いし!つまり!あなた達が悪いのっ!」
「はい……」
すっかり慄いた魔物達は、仁王立ちしたエピの前にすっかり縮こまっていた。
……うん。
まあ、普通の人は、魔物が囲んでる中で子守なんてできないだろう。それは分かる。当然だ。
だが……ええと、エピは……?
「もしかしてシュネーシュの町の女の人達を連れて行ってたのは、子守の為なの?」
「ああ、そうだ」
「それで、赤ん坊が泣いたら次、また泣いたら次、ってとっかえひっかえ?」
「ああ……人間の赤ん坊は機嫌が悪くなくても泣くのか」
「そうよ」
どうやら魔物達、根本的に色々と分かっていなかったらしい。町から攫われた人達、教えてやりゃあ良かったのに……。
「だが、それでもどうしても、予言が必要なのだ。魔王様のご命令でな。何としても預言者エイスの予言を持ち帰れと言われているのだ」
そして魔物の方は、割と話ができそうな雰囲気である。
なら……うん。
「そうか。で、あの赤ちゃん落ち着かせてやれば予言するのか?」
「ああ、そうだと聞いているが……だがしかし、世話をした者の近くに居た者の欲する予言をするらしいのだ。我々は近づくとすぐ、泣かれるもので……!」
苦悩する魔物を見て、俺はエピと顔を見合わせた。エピも勇ましく頷いた。
「なら、俺達がサポートして、お前達に予言を授けてやるよ」
「だから、予言が終わったら赤ちゃんも女の人達も返してね!」
「ほらっ、タスク様!魔物の爪切りしてっ!こんな爪じゃ、引っ掻いちゃう!」
「あっはい」
「ヨハンナさんも手伝ってよ!」
「え、な、なんで私が」
「言う事聞いてくれるんでしょ!?」
「は、はい……」
結局、魔物は了承した。交渉成立。
俺達は、魔物がこの『エイス』なる赤ちゃんが予言をするように、魔物をコーディネートする。そして魔物は、予言を1つ授かったら潔く帰る。こういう内容の約束である。
……そして現在、魔物達は爪切りの真っ最中である。魔物用の爪切りなんざ存在しないので、短剣なりナイフなりでちまちま削っているのだが……結構神経を使う作業だな……。
ヨハンナさんもエピによって動員され、ぐちぐち言いながらも魔物の爪を短く整える作業に勤しんでいる。
「この後は角と牙ね!とんがってると怖いもの!」
更にエピは、頭の中に『魔物を怖くなくする』ための設計図を組み立てていく。
成程、次は角か。うん、確かにこいつら、全員強面だし、角とか牙とかついてるもんな。
「い、いやしかし、角や牙は我々の誇りなのだ。切る訳にはいかん!」
「そうなの?だったらカバーつけましょ。ふかふかの可愛いやつ」
「か、可愛いやつ……」
……エピの主張に魔物達は談義し……。
結局、切るよりはマシだ、ということで、角や牙には布製の可愛いカバーを着けることになった。
「先っぽにポンポンつけると可愛いと思うの」
「ぽんぽん……」
……怒涛のエピイズムであった。
そうしてエピとヨハンナさんを筆頭に、様々な準備が行われる中、俺とボスらしい魔物は並んでちくちくと、縫物をしていた。
何を作ってるって、角カバーである。角カバー。強面の魔物の角に着けるカバーである。もう俺、何やってんのか自分でもわかんない。
「人間とは斯様に面倒な事をするのか……」
「するんだよ」
俺もそうそうやらないけどな、縫物なんて……。
魔物が遠い目してる。気持ちは分かるぜ。でもお互いさっさと帰る為にもさっさと縫おうぜ……。
そうして、小一時間後。
「よしっ、これでいいわっ!」
俺達の目の前には、毛並みをふかふかにされ、爪や牙は切られたり布製のカバーを掛けられ、ついでに花飾りを着けられたりリボンを結ばれたり謎の着ぐるみを着せられたりして、奇妙にメルヘンチックな団体が出来上がった。
これでいいのか。これでいいんだろうか。もう俺には何も分からない。
「お、終わった……」
へろへろ、と崩れる魔物達に、しかし、エピの容赦のない叱責が飛ぶ。
「まだよ!これでやっとスタート地点なの!ここからが大事なんだから!実際に赤ちゃんをあやす方法を教えてあげる!」
言いつつ、エピは腕の中に赤ちゃんを抱え、魔物達の前に立ちはだかったのであった。
そうして更に数時間後。
「ねーんねーん、よーいこーだ」
「るーるるー、るーるるー」
そこにはメルヘンチックな恰好をした魔物達が子守歌を歌いながら、赤ちゃんをあやす光景があった。
……控えめに言っても、謎の光景である。
だが、魔物は大分落ち着いたし、爪は切ったし、見た目は大分メルヘンチックになった。
そして何より、抱き方やあやし方が圧倒的に上手くなったのである。
「流石だな、エピ」
「うん。年下の子達のお世話するのは私のお仕事だったもの!」
エピは嬉しそうに、俺はもう疲れと光景のシュールさに虚無の境地に至りつつ、魔物達を眺めた。
……その時である。
「……おお」
ぱちり、と、赤ちゃんの目が開いた。
その瞳は、透き通った青色に光を灯す。
「……エイス。『グラキエイス』よ。我らに予言を授けたまえ」
魔物の静かな優しい声に反応して、赤ちゃんは動き、そして、赤ちゃんの唇が、動き。
「城は招き入れたパンによって滅ぶっ!」
やたらと流暢に喋った。
俺もエピも、ついでにヨハンナさんですら、ぽかん、とする中、魔物達は喜びの声を上げていた。
「おお、遂にやったぞ!遂にこれで、魔王様へと予言をお渡しすることができる!」
わーわー、と魔物達が騒ぐ中、しかし、赤ちゃんはまた、ぐっすりと眠っていた。
どうやら、予言の後は寝てしまうらしい。
……。
「ね、ねえ、タスク様……あの、パン、て、言ってた、よね……?」
そして俺とエピは、顔を見合わせる。
うん、赤ちゃんが流暢に喋ったのも十分に違和感で驚きなんだが、それ以上に、だよな……。
「……つまり、この城……」
「滅ぶのね……」
……喜びの声を上げる魔物達には、黙っておこう!
「いやはや、助かった。礼を言うぞ、人間」
それから30分後。魔物達は嬉し気に礼を言ってきた。
「それはいいけど、約束通り、赤ちゃんと町の人達は返してもらうからな」
「うむ、構わぬ。元よりその約束だ。そうするがいい!我らは約束を違えるような魔物ではないからな!」
魔物が案外気前よく鍵を渡してくれたので、それを持って地下へ向かう。
施錠された扉を開ければ、果たして、そこにはたくさんの人々が居た。
「あっ、人!人よ!」
「もしかしてあの赤ちゃん、エイス様なんじゃ」
「私達、助かったのね!」
「おうちかえるー!」
老若男女……ではないな。うん、ええと、老若女。うん。老若女達が、開けた扉に向かってやってきた。
全員、消耗してはいるようだが、生きては居るのだからまあ、十分か。
「ええー、こんなに小さな女の子まで……」
彼女らを地下から誘導して玄関ホールまで連れていく途中、何人か、まだ女、というよりは少女、と言った方が良いような人も何人か見つけた。
そして、その中には1桁年齢だろうな、みたいな子も。
……どう考えても母乳でねえぞ、この人達。
「ああ、遊び相手に良いんじゃないかと思ってな」
不審に思っていたら、魔物の方から補足してくれた。えっ、そんな純真な理由だったのかよ……ロリコンじゃねえのかよ……。
「だが実際は、エイスと一緒になって騒ぐだけだった」
「当たり前でしょ!」
……まあ、魔物だもんな、人間の生活は、分かんねえよな……。
「はい、ヨハンナさん、あとはよろしくね」
「はいはい、分かったわよ」
町の女性達をホールに集めたら、そこでヨハンナさんが例の魔法を使う。
ふわり、と風が吹くと、そこに現れたのは風の馬車。薄緑色をした軽やかな馬車が、5台現れたのであった。
うん、これで女性達を連れてシュネーシュまで帰れるな。
……と、思ったのだが。
「一度に全員は無理よ。一度、女性達を町へ帰しましょう。それから私達も乗って行けばいいわ」
定員オーバーであった。
うん、いいさ。もう少し待つ位はなんてことない。
俺達は納得して、風の馬車が女性達を乗せ、町へ向かったのを見送ったのだった。
……そして。
すっかり、馬車が見えなくなった時。
「これで邪魔は無くなったわね」
「えっ」
ヨハンナさんが低く笑う。
振り向くと、ヨハンナさんは風の刃を上空で渦巻かせていた。
「首輪は外させてもらったわ!言ったでしょう、『魔法の錠なら開錠できる』って!」
ヨハンナさんの首には、もうパンの首輪が無い。いつの間にか外したらしい。
……いや、魔法なんて無くてもあれは外れるんだけどな……。
「さあ、救世主を騙る愚か者よ!死になさい!」
……そして。
首輪なんて無くても、ここには石なんて、幾らでもあるのだ。
やはり、予言は当たるんだな。うん。