70話
エピと分断された。
しかも、分断する壁はここぞとばかりに透明度が低く、向こうが見えない。
「エピー!エピー!聞こえるかー!」
……しかも、声も聞こえないらしい。壁の向こう側は静まり返っている。
これは緊急事態だ。致し方あるまい。
ということで、すかさず氷の壁をワインに変えつつ、火の魔法札で火を当ててみたのだが。
「あー駄目かよくそったれ」
魔法札程度の火力だと駄目らしい。
仕方が無いので鞄に入れておいた石を塩バターパンにして着火してくべてみたが、ちょっと火力不足だな。氷が融けないことも無いんだが、常に冷却され続けているような状態らしく、融けた端からまた凍っていく。比較的凍りにくいはずのワインにしてもこれである。やんぬるかな。
しばらく待ってみたのだが、氷の壁がどうにかなる気配は無かった。
エピが向こう側で火の鞭を使って融かしてくれる期待もちらりとしたのだが、この調子では諦めた方が良さそうだ。
……カラン兵士長の方もそうだったしな。
仕方ない。このまま進んで、この先で合流できるか試すしかないだろう。
あー、くそ、無事で居てくれよ……。
……そして俺も無事で居たい。うん。エピやカラン兵士長ならともかく、今、俺が敵とぶつかったら、割と死ぬ。うん。
二重三重に不安な中、しかし不幸中の幸いなことに、モンスターの類には出くわさずに進むことができた。
そして、迷路の方もややこしいながらも割とサクサク進み。
「あ、エピ!」
割と呆気なく、エピと再会することができたのであった。
何だったんだ、俺の心配。
「エピ!」
が、声を掛けても、エピは俺に気付いていないようであった。声が届いていないのか。
氷の壁一枚隔てた所でうろうろおろおろ、といった様子で動いているのが見えるのだが。
仕方ない、エピの近くまで行って、壁をバンバン叩く。
すると、エピは俺に気がついて、ぱっ、と顔を明るくした。
壁越しに再会を喜び、それから、近くに壁の向こう側へ行けるような道が無いか探す。
……案外それはあっさりと見つかり、俺は壁の向こう側、エピの居る方へと進むことができたのであった。
「エピ、無事か!」
「うん!タスク様も大丈夫?」
エピは駆け寄ってくると、俺の手を掴んでぴょこぴょこと跳ねて喜ぶ。
見たところ、怪我は無さそうだな。うん、何より。
「エピの方は魔物、出なかったか」
「うん。全然。タスク様の方は?」
「こっちも出なかった」
お互い運が良かったって事か、或いは、この塔、別に魔物が住んでる訳じゃあないのかもしれないな。
よく考えてみたら、こんな寒い所で、かつ餌の無さそうな所に住める魔物って滅茶苦茶限られるよな……。
ひやり、とするエピの手がぴょこぴょこ揺れる感覚を手に感じつつ、ふと、気づいた。
エピの手は、そのままである。
つまり、貸した手袋をつけていない。
「あれ、そういえばエピ、手袋は?」
邪魔になって外したのだろうか。
そう思いつつ、聞いてみた、のだが。
エピからは、答えが無かった。
代わりに、俺の腹に、長く伸びたつららが突き刺さって、背中から突き抜けた。
霞む視界の端に、エピがどこかあどけない笑顔でにこり、と微笑む姿と、そのエピの手が、つららとなって俺に向かってもう一本、伸びてくるのが、見えた。
腹に何かがぶっ刺さったのは人生で2度目である。
……だが、初めてだろうが2度目だろうが、別にこの感覚に慣れるわけでもない。
衝撃の後からようやく体は痛みを認識し始めて、また同時に、痛みを認識しないようにと、体に力が入らなくなっていく。
ましてや、つららである。
つららでぶっ刺されるっていうのは、痛い上に冷たいし最悪だ。これならまだ鉄パイプの方がマシだった。
だが……まだ、マシだったのは、まあ、ぶっ刺さってるのは、俺だし、俺は、多分、
死にたくない。
「タスク!」
強い声に呼び起されて、俺は目を開けた。
そして、瞬間、バキリ、と、何かが砕ける大きな音。
「目を覚ませ、タスク!」
起きてるよ、と言う声が出ない。が、目が合ったら俺の状況は分かったらしい。
「……治療は自分でできるな?」
多分。
「なら、俺はこの化け物を始末する。タスクは自分の怪我をどうにかしておけ!」
……カラン兵士長の頼もしい背中を見つつ、俺は手を動かして、鞄の中に入れてあった石を探る。
石を傷口に放り込んで肉にすれば、とりあえず、体は何とかなった。何とかなった。何とかなったとも。こういう時はとりあえず何とかなったと思いこむことでプラシーボ効果が発動して、より何とかなるのである。つまり、とりあえず何とかなってなかったとしても何とかなったと積極的に思う事が大切なのである。うん。
「タスク、大丈夫か!?」
「なんとか」
流石のプラシーボ効果。傷が埋まっただけではあるが、もう体に力が入るようになってきている。声も出る。
「……驚いたぞ。階段を上ったらお前がつららに貫かれていたんだからな……」
カラン兵士長に支えてもらいつつ、起き上がる。手を開いたり握ったりしている内に、手の中に血が巡り始める感覚が蘇ってきた。
「いや、俺も驚きました……敵、エピの姿、してたんです」
「ああ、知っている。俺もお前やエピの紛い物に襲われた。どうやらここにはそういう趣味の悪い魔物が居るようだな」
あー……やっぱり、居たのか、魔物。うん、いや、エピの手がつららになって俺をぶっ刺した時点で魔物か何かなんだろうな、とは思ったが。思ったが!
「急がないと。エピともはぐれてるんです」
腹は見ないようにしつつ、立ち上がる。大丈夫だ。とりあえず体は動く。
傷は塞がったし、血も巡ってる。抜けた分の血が足りないのは、後でなんとかしよう。
とりあえず今は、エピが先決だ。
……ほんとに、無事で居てくれよ……。
「ここの魔物は幻影だ」
道中、カラン兵士長が解説してくれた。
「幻影」
「ああ。氷の壁に、俺達の姿が映るだろう。これが幻影の元だ。……恐らくこの氷は全てが魔力を帯びた、特殊なものだ。剣でも砕けない硬さの氷だからな。間違いないだろう」
ははあ、この氷が幻影製造機。何とも迷惑な話である。
「幻影が生み出されると、それが仲間の元に現れる。そして、幻影に油断させられたところで、この塔の床や壁から突き出たつららが攻撃してくるんだ」
なんと嫌な攻撃だ。実際嫌だった!
……だが、この手の攻撃はいわゆる初見殺し。初見を超えちまった俺達の敵ではない!
ましてや!
「つまり、氷の壁に姿が映らなければ万事オーケー」
「……お、おい、タスク、まさか」
「つまり!この塔が!透明度の欠片も無い塔になれば!万事!オーケー!」
「た、タスク、ちょっと待て、この塔は」
「アイスピラーをワインピラー……いや!ブラッディピラーにしてやるぜえええええええええ!」
……氷の塔は、全て、血になった。
透明さの欠片も無くなった。これで、俺達の姿が映るって事も無い。うん。
「エピ!大丈夫か!」
「えっ、た、タスク様が2人!?あっ、カラン兵士長も!?」
血の塔と化した氷の塔を突き進み、俺達はエピを見つけた。
エピは俺の姿をした何かによって壁際まで追い詰められていたが、幻影は突然、血の塔と化した氷の塔に驚き、まごまごしていた。このようにまごまごする幻影程度、怒れる俺達の敵ではない。
フライパンでつららをへし折り、カラン兵士長が幻影を切り伏せたところで、エピは無事、解放されたのだった。
「……よし、手袋してるな」
「え?え?」
エピの手を確認すると、ちゃんと、俺が貸した手袋をつけていた。
ついでにエピの頬を伸ばしてみるが、ちゃんと伸びる。温くてもっちりしている。うん、本物だ。
「はふふははー!」
「あ、ごめん」
「もう!痛いじゃないの!」
「うん、ごめん」
手を離すと、エピはさっきまで伸ばされていた頬を膨らませ、鞭をぶんぶん振り回して怒り始めた。うん、本物だ。ああよかったよかった。
血の塔になってしまった氷の塔は、すっかり上りやすくなっていた。
「結構、光の反射で惑わされてたのね」
「割と単純な迷路だったんだな」
なんというか、おそらく、この氷の塔……魔法の代物だったのだ。
氷自体が魔法の代物であったこともそうだが、それ以上に……『侵入者に塔の内部構造を誤認させるよう幻影を掛ける』ような仕組みがあったらしい。
幻影が晴れてみたところで振り返ると、俺達はごく単純な迷路の中で迷い、勝手に分断され、勝手につららが刺さったりして、大騒ぎしていたのである。やってらんねえ。
「最初からブラッディピラーにしとけばよかったぜ」
「ま、まあ、しょうがないよ。こんな魔法が掛かってる塔だなんて、思わなかったじゃない」
「魔法が掛かっていようがいまいが、これは……いいのか?やってしまって良かったのか……?」
三者三様、色々と思うところはあるが、まあ、とりあえず、すっかり攻略しやすくなった塔を上っていくのであった。
そしてほんの十数分で、俺達は頂上へと到達した。
「……わ」
太陽の光を燦燦と受けながら輝く血の塔の頂上には、不思議なものがあった。
「綺麗……馬の彫像?」
氷でできた精緻な馬の像が数体分。
それから。
「星、みたいだな」
その中央に浮かぶ、手のひら大の結晶。
星の形をしたそれは、燦然と輝いて、どこか荘厳な雰囲気すら漂わせている。
そっと手を触れると、星は一層、輝きを増した。
そして。
一切の音が消え、代わりに、ただ1つの音……声だけが、聞こえる。
『人の王であり神の子であり、死せる定めを持つ者よ。汝は救世主、この世を救いて光導く者。星の予言を聞け』
『汝は冥府の湖を割る。汝は雄鶏が鳴くまで3度守られる。汝は2つを天秤にかけ、遂には神となるであろう』