45話
そして悪臭漂う村はアルコール臭と芳醇な葡萄の香りの漂う村へと変化した。
やったぜ。
後は簡単だ。手近な岩を幾つかパンにする。
それから、エピが雨を降らせて、俺がフライパンに雨を集めて、適当な甕に溜めておく。
最後に、駄目元で村の男に対して色々と念じてみたが全て不発。知ってた。
はい、これでこの村での仕事は終了。
「では俺達はこれで」
「えっ」
「さようならー!」
「えええっあのっえっ!?えっ!?」
そうして俺達はワイン村を旅立った。
「ちょっぴりワイン、飲んでくれば良かったかなあ」
エピは若干、惜しそうにしていたが、諦めて欲しい。ワインが欲しいなら雨降らせてくれればいくらでも作るぞ。
「……村の人達、病気は大丈夫かなあ」
「まあ、駄目でもなんでも、俺にできる事はほとんど無いからな」
パンと水は置いて来た。汚染されているらしい水はワインに変えてきた。汚染水とワイン、どっちがマシかは……ワインの方がまだマシだと思う。多分。
……となれば、もう俺ができることは無い。
村人に試してみて、俺の第三の能力が病人を治す能力ではないと分かったからな……。
ならば、俺がワイン村の空気で酔う前に逃げるのが一番である。
「……あれっ」
だが、北上していく内に、俺達は見覚えのあるような無いような光景を目にすることになったのであった。
「この川……なんかおかしいな」
「うん」
傍らに流れる川の水は、妙に濁り淀んで、悪臭を放っていた。
「これもワインにしちゃう?」
「い、いや、それは流石に……留まってる水なら影響の範囲がある程度分かるが、流れてる水をワインにしちまうのはなあ……」
川をワインにする勇気は流石に無い。下流がどうなっているのかよく分からないが、分からない以上、川をワインにするのは避けた方が良いだろう。
「……この川の上流って、どこなんだろうな」
「うーん……辿ってみる?」
秋の精霊が居るという塔の方へと川は続いているようだ。
となれば、川を辿る労力は実質0か。
「辿ってみよう。とりあえず、途中まででも」
舟を工面して川上りしても良かったのかもしれないが、流石にこの水じゃあそういう気分になれない。
仕方なく、俺達は川沿いにずっと歩いて進むことにした。
進む森の中はひんやりと靄に湿って、若干肌寒かった。
だが、辺りの景色は見事、としか言いようがない。
赤や黄色に色づいた木々の間を、落ち葉を踏みしめながら歩くのはそう悪いものではなかった。
……が、よくよく考えると、紅葉ってのはそもそも、木が冬に備えて葉を落とす過程で起こるものであって、『永遠に紅葉し続ける』っつうのは、こう、おかしい。おかしいだろ。
「わー、綺麗ね。ね、ね、タスク様、この葉っぱ、赤から緑までいろんな色が1枚に入ってる!」
……だが、落ち葉を拾って喜ぶエピを見ていると、多少のおかしさは気にしないことにしても良い気がしてきた。
実際、考えてもしょうがないんだろうしな……。
そうして歩き続ける事半日とちょっと。
日が沈み、陽の光の最後の一片も消えようという頃になって、ようやく、それは見つかった。
「川が洞窟から出てきてるな」
「ということは、原因はこの中なのかな」
汚水が流れる川は、洞窟の中へと続いて消えている。
「……どうする?タスク様。中、入ってみる?」
うーん……もう、夜も更けたし、そろそろ野営か、と思っていたんだが。
だが……ここで寝る気にもなれない。なんといっても、この汚水の流れの側なのだ。俺はもうちょっと綺麗な空気の中で眠りたい。
「秋の精霊の塔、は……一応、前方に見えてたよな」
そして、この洞窟。俺達の目的地までの道筋上に在るのである。つまり、寄り道コストはほとんど無し。
「……ちょっと覗いてみるか」
「うん」
なので、俺達はそういう結論に至り、洞窟の中へと足を踏み入れたのであった。
洞窟の中は暗かったが、ランプを点けて、灯りをかざしながら歩けばなんとでもなった。
「新鮮な空気がほしいよう……」
「いやはや全くだ」
だが、空気は。この悪臭だけはどうにもならん。
いや、予想はしてたよ。流石に、無臭だとか、フローラルな香りがするとか、そういうイメージは全く以て無かったとも。だが、ここまで酷いとも予想していなかったのである。
なんか、こう……目に染みる。臭いが、目に染みる。
……新鮮な空気が恋しい。
うっかりこの洞窟に入った事を割と後悔しつつ、しかし、ここまで来たのだから、という事で、俺達は先へ進むのであった。
そして約30分後。
俺達は、狭い穴の前に居た。この穴の奥から水が流れ出している。この先にこの汚水の原因があるのだろう。
「この先から水が流れてるな」
「うん」
「……よし、入るか……」
「ここまできたものね……」
俺達は口元を覆うマスクを摂り替えつつ、意気込みを新たにし、穴の中へと入る。
……今回の探索で、割と濡らしたマスクってのは有効なんだなっていうことが分かった。エピが適当に外に雨を降らせて、俺がフライパンに集めて、適当な布を濡らして口元を覆うだけで、大分空気が緩和されたように感じる。時々、布を取り換えればより良し。
そうして濡れた布の恩恵を噛みしめつつ、狭い穴を潜った先には。
「……ねえ、タスク様ぁ、あれが原因、よね?」
紫色の饅頭組み合わせた頭とボディに適当な手足が生えたみたいな生き物が、せっせと、水源らしい地底湖を汚染している光景があった。
「精が出ますね」
紫色の饅頭に声を掛けると、饅頭はぎょっとしたように俺の方を見た。
『な、人間が何故こんな所に!』
紫色の饅頭は、頭に生えた2本の触覚だか角だかを動かしながら、俺達を威嚇する。
「この水を汚染してるのはお前か、いや、お前だな。疑う余地も無く」
『お、汚染だと!?ふざけるな!俺は俺の仲間を増やしているだけだ!』
「仲間?」
エピが尋ね返すと、紫饅頭は胸を張って答えた。
『俺は菌の集合体!俺はこの水に仲間である菌を増やしているだけだ!何が悪い!』
「いや、悪くないさ」
俺は静かに、そう言った。
『ああそうだ、悪くない……えっ?』
肯定されるとは思っていなかったらしく、紫饅頭は戸惑う。
「悪くない。生き物が生きようとするのは、自然な事だ。決して悪いことじゃない」
俺の言葉に、紫饅頭は表情を明るくした。
『あ、ああ!そうだとも!俺達は生物!自らの命を繋ぐために繁殖していくことは自然な事だ!それを殺そうとする人間達が間違っているのであって』
「だから、人間達が自らの健康を脅かす菌を殺菌しようとすることも、自然な事だ」
俺は、紫饅頭が入っている水をワインにした。
悪いが、パン使いは菌とは相容れねえのさ。
『ぐ、ぐわーっ!あ、あああ、俺の仲間達が……』
汚染水がいきなりワインになったのである。当然、そこに居た菌は皆死んだ。殺菌された。
『こ、この野郎!よくも、よくも俺達を!』
だが、紫饅頭はワイン程度のアルコールで死ぬようなタマじゃなかったらしい。
ザバリ、とワインから出てくると、宙で一回転し……分裂した。
分裂した。それこそ、無数に。数えきれないほどに。そして、目に見えるか見えないかギリギリぐらいのサイズにまで。
「な、なにこれーっ!塵みたいになっちゃった!」
紫饅頭は爆発的に細かく細かく分裂していって、地底湖の穴の中いっぱいに広がって、俺達の視界が煙るまでになった。
『ふははははは!言っただろう!俺は菌の集合体!人間に物理的なダメージを加えられるギリギリのサイズに分かれて貴様らを襲うこと程度、訳の無い事だ!』
空洞内のどこからともなく声が聞こえると同時に、俺達への攻撃が始まった。
「きゃ、きゃーっ!やだ!なにこれ!なにこれーっ!」
「地味に痛い痛い痛い」
それこそ、塵のようなサイズの菌ではあるが、それらが1つの意思によって操られ、俺達を襲う。まるで意思のある突風に動く塵のように、元・紫饅頭が攻撃してくる。
塵が俺達に何度もぶつかる。相手が菌ってだけあって、粘膜から入られたくねえし、かといって身を守ってもほとんど意味を成さないし、最悪である。物理的なダメージが大きいか、っつったらそんなことは無いんだが……。
『ははははは!どうだ!『目に見える菌』っていうのは厄介だろう!』
成程、確かに、目に見えないよりも厄介かもしれない。
目に見えなければ気にしないでいられるものが、目に見えた途端に気になり始める。
そして、物理的なダメージが0ではない以上、余計に翻弄されて、対処に手間取るのだ。
「やだ!やだっ、来ないでっ!」
特に、エピには精神的にきつかったらしい。いや、俺にとっても十分きついが!
……くそ、こうなったら!
俺は、俺達の足下の岩盤からパンを生やし、育てた。そして俺達を守る壁とする。
『むっ!?』
パンはカッチカチの食パンである。フランスパンじゃなくて、食パン。
『これで身を守ったつもりか!この程度、簡単に壊せるわ!』
そして予想通り、菌の集合体の猛烈なアタックによって、パンは削り取られていく。
尤も、削られるサイズはとても小さい。ぶつかってくる菌の塊がそんなに大きくないのだから、当然、削られるパンもまた、塵となって宙に舞う。
……そして、ついに、パンの壁は削りきられた。
『ふはははは!さあ、逃げまどえ、人間よ!そして見ろ、菌の下剋上を!』
俺達の目の前には、パン粉で白く煙り、菌で黒っぽく煙る空洞。
『淘汰されろ!』
そして、黒い煙にも見える菌の集合体が、襲い掛かってくる。
「エピ、飛び込め!」
なので俺は、エピを引っ張って、できたばかりのワインの湖に、飛び込んだ。
飛び込む瞬間、火の魔法札を投げながら。
ワインの湖に沈んだ俺達の耳にも轟音が響き、光や熱が感じられる。
驚くエピをもう少しワインの中に留めておきながら、俺は時を待ち……ワインの水面に出た。
ワインから出たら、そこには砕け、焼けた岩肌があり、そして、先ほどまで視界を煙らせていたものは何一つとして残っていなかった。
「え……?こ、これ、何が起こったの……?」
戸惑うエピに、俺は解説してやる。
「粉塵爆発さ」
解説が終わると、エピは分かったような分かっていないような顔で頷いた。
「ふーん、怖いのね、パン塵爆発って」
「粉塵爆発な」
いや、爆発したのは確かにパンだったが。或いは、塵状になった菌だったかもしれないが。ということはパン菌爆発だったのかもしれないが。
「でもよかった!これでこの川も元に戻るよね!」
ワインの湖の中央からは、滾々と水が湧き出ている。多分、あの水が流れ続ければ、汚水もワインも、やがては消えていくだろう。
「まあ、パンが菌に負けるわけにはいかないからな……!」
そして俺はワインと汚水と水が混ざって流れていくのを見ながら、なんとなく謎の達成感に浸っていたのであった。