44話
元の世界に帰る、と言って、それきり、二度と会えなかった。
……その言葉が意味することは、つまり。
俺が、元の世界に帰れる可能性、である。
「そ、その人はどんな人だった?『救世主』か?」
『え?ええ、そうよ、よく分かったわね』
突然、俺の反応が良くなったからだろうか、幽霊女は少々慄きつつも、答えた。
『不思議な人だったわ。人の怪我を治せる人でね。視力を失った私のお父様も助けられたの』
ということは、その救世主は回復系の能力を持っていた、ってことか。羨ましい。
『それから、イチジクの木が何故か嫌いでね……』
「実がならないようにしたんだな?」
『ええ。……ほんと、よく分かったわね』
よりによって、その代の救世主かよ!
まあいい。能力のハズレっぷりでは俺とどっこいな救世主が、『元の世界に帰った』っていうのはむしろ嬉しい情報だ。俺だって元の世界に帰れるかもしれない。
「その救世主について、もう少し詳しい情報は分からないか?具体的には、どうやって帰った、とか」
『そ、そう言われても……どうやって帰った、なんて分からないわよ』
まあ、そうか。この幽霊女は救世主と一緒に居たって訳でも無かったみたいだしな。
『……ただ、確か、何か探してるみたいだったわね。お父様にも尋ねて、結局城では見つからなかったから、国から出て行ってしまったのだし……』
あ、そういえばこの幽霊女、どこぞの国のお姫様だったのか。成程。そりゃ、救世主とも会える訳だ。
「何か、っていうと、物か?」
『ええ。確か……知恵の実、と』
信仰の無い俺でも、流石にこれは知っている。
知恵の実。
創世記に書いてある奴だな。
エデンの園にあったこれを食べた事によりアダムとイブはエデンの園を追放された、というアレだ。
正体は林檎だとか、実は林檎じゃないとか、色々言われてるらしいがそこまで詳しくは知らない。
「で、その、知恵の実、っていうのは……何に使ったんだ?」
『さあ……食べたんじゃない?だって、実でしょ?』
……。
まあ、仕方ないか。とりあえず、今後、何か『知恵の実』に関わる情報があったら拾っておこう。
元の世界に帰る手段なのかも分からないが……まあ、精霊が駄目だった時の保険、として。
「まもなくコンブレに到着です!」
そうして俺達を乗せた船は、ようやく、秋の国オートロンの港町、コンブレへと到着しようとしていた。
なんだか滅茶苦茶に長い船旅だったような気がするぜ……。
「ところで幽霊女さんはこの後どうするの?」
『だから私は幽霊じゃないのに……』
すっかり幽霊女で定着した幽霊女は、若干不服そうではあったが、エピの素朴な疑問に答えることにしたらしい。
『そうね……もう母国に戻っても知り合いは皆死んでるでしょうし、愛した人ももう居ないし』
……なんか、改めてこの幽霊女、かなりヘビーだな……。
エピと2人、沈鬱な面持ちでいると、ふと、幽霊女は、こんな事を言い出した。
『……ところで、今代の救世主って居るのかしら』
能力だけで良ければここに居ることは黙っておこう。嫌な予感がするから。
「えーと、今、夏の国に居ると思うよ。ね、タスク様!」
「お、おう。でもその内こっちに来ると思うぞ。秋の精霊に会いに来るはずだからな」
『ふーん』
幽霊女は何やら、嬉し気に……にたり、と、笑った。怖い。
『じゃあ、私は折角だし、今代の救世主様に会いに行ってみようかしら。私の代の救世主様と似てたらいいわね……』
そう言って、幽霊女はくつくつと笑う。怖い。
……エピと俺は、顔を見合わせた。
この幽霊女、いろんな意味で重い女だな……!
そうして船は無事、港へ到着。
幽霊女は港町コンブレに留まることになり、一方の俺達はそそくさとコンブレを後にした。
できればこのまま井末にも幽霊女にも会わずに元の世界に帰りたいと切に思う。
「地図が無いって不便だな」
「地図があるっていうことが凄く貴重な事なんだよ、タスク様」
そして俺達は、海伝いにひたすら進んでいた。
俺達が持っていた地図はエスターマ王国らへんまでしか載っていなかったので、当然ながらオートロン内の地理はサッパリである。
だが、一応、『海伝いに西に進めばエラの村が見える、そこから更に北へ向かうと塔が見える、その塔に秋の精霊様が居るらしい』という話はコンブレで聞いてきた。
……今までの、春と夏の精霊は、それぞれ、人の町に近い場所に居てくれた。
だが。
今回の秋の精霊は……『人里離れた場所に居る』らしい。
早い話が、『向かうエラの村へは馬車の行き来など無く、漁村から塔までも当然インフラ整備は無い』のであった。
つらい!
そうしてなんとかかんとか、進み続けて2回目の野営明けの朝。
「おはよ、タスク様」
「ん、おはよ」
お互いにパン穴からもぞもぞ出てきての起床である。
「なんかやっぱり、肌寒いね」
「まさに秋の国、ってかんじだな」
だが、そろそろ、『起きるのが辛い』気候になってきていた。
この世界、季節の流れがあるわけではないのだが、その代わり、それぞれの国がそれぞれの気候になっている。
エスターマ王国から離れてオートロンの中心へ進めば進むほど、朝夕の冷え込みが激しくなってくるのであった。
「そろそろ、パン穴も工夫しないとな」
「うん。もっともちもちのパンが周りにあったほうがいいかも」
パン穴で寝ている分には比較的暖かいんだが、これから先、もしかしたら、パン穴の保温程度じゃ限界が来るかもな……。
何となく寒々とした朝靄の中を俺達は進む。
「あ、あれかな」
「あー……?あ、見えた、ような気がする」
ぼんやりと視界が霞む中、エピは早速村を見つけたらしい。
一方の俺は、エピ程目が良くないので、見えるような、見えないような、である。
「早く行こ!」
だが、目的地が見えてすっかり元気になったエピはそんなことはお構いなしに俺を引っ張って駆けていくのであった。
そして村になんとか到着。
入り口の看板には、『エラの村』と、滅茶苦茶に薄くなった文字が並んでいた。
多分、ここが目的地、で合っているのだろう。
……が。
「な、なんか変だね、タスク様……」
「空気が滅茶苦茶淀んでないか、ここ」
村には靄と一緒に妙な臭気が立ち込めている。空気が淀んでいる、という表現がこんなに相応しい状態も無いだろう。
そして更に、村の中に踏み入っても、人の姿が見当たらない。
……代わりに、何やらうめき声やすすり泣きのような音が、静かに聞こえてくるのである。
「もしかしてここ、幽霊の村なのかな」
「おいやめろ」
幽霊女と別れたばっかりだからか、エピの発想はそっちに行くらしい。いや、俺の発想もそっちに行きかけたが!だが、流石に!流石にここに居る人達全員死んでるとかいうことはないだろ、多分!流石に!
内心『これ大丈夫なんだろうか』と滅茶苦茶不安になりつつも、村の中を進む。
そして俺達は、恐らく村の中心であろう広場までやってきた。
「うわっ」
「きゃー……こ、これ……」
そこにあったのは、人工の泉らしいものだった。古びて汚れていなければそこそこ美しいのであろう石の大きな水盆の中央から、滾々と、水が湧き出ている。
が。
「どう見てもこれ、普通の水じゃねえ……」
「絶対これがこの空気の原因よ、タスク様ー!」
淀みに淀んでどす黒いような紫っぽいような、とにかくひたすら不気味な色をした水。そこから放たれる臭気。
それらを一言で表すならば、『ひどい』。これに尽きるね!
「ああ……旅のお方でしょうか……」
こんなもんを村の中央に設置している村のセンスに慄く俺達に、声が掛けられた。
振り向けば、そこには痩せてやつれた若い男が居た。
「まあ、そんなところです」
「旅の者です!」
俺達が答えると、男は、そうですか、と頷き、続けてこう言った。
「ならば、早々にこの村からは立ち去られた方がよろしいかと」
「まあ、そうするつもりでしたが」
言われなくてもこんな所にいつまでもは居られねえぞ。
「何かあったの?」
エピが尋ねると、男は自嘲気味な暗い笑みを浮かべて、頷いた。
「……その泉が答えの全てです。この村は、毒水に汚染され、病に侵されました」
それから、村の男に話を聞いた。
曰く、この泉は村のシンボルとして、綺麗な水を出し続けていた、と。
だがある日を境に、突然、泉から毒水が湧き出るようになり、やがて、毒水は村全体を侵すようになっていき、やがて村には病が蔓延した、と……。
「……成程な」
「そういうことです。なので、この村には長居されない方がよろしいかと。病がうつるかもしれませんし……」
だが、村人の話を聞いて、1つ、重要なことが分かった。
「この泉、好きでこうなってる訳じゃないんだな?」
「あ、当たり前じゃないですか……」
よかった。なら。
「じゃあこの水、ワインに変えてもいいですか」
「え……?」
なら、ちょっとはこの悪臭、マシにできるかもしれねえよな。うん。