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43話

 その瞬間、ものすごい勢いでワインが降り注いだが、そんなことは関係なくなるぐらい、海水が降り注いできた。

 当然である。スライムがワインになって消えたことで、海水からこの空間を分断していた壁が無くなったんだから。

『いやああああああ!?』

 幽霊女が悲鳴を上げる。俺は水中で悲鳴を上げるなんて器用な真似はできないので、黙ってエピとフライパン掴んで海上を目指す。

『ちょ、ちょっと待って』

 ……と思ったら、女が俺の脚にしがみついて来た。

『ま、待ちなさいってば』

 だが俺は返事をできない!何故ならここが海底、水中だからである!

 そして最早、この幽霊女を振り払う時間すら惜しい。俺は半ば悟りの極地に至りつつ、エピと幽霊女を連れたまま、フライパンで海上を目指した。




「ぷはっ」

 海上でなんとか息をつく。

「エピ、無事か!」

 そしてエピの頭も海上まで引っ張り上げる。が、エピは気絶しっぱなしなのであまり関係なかったかもしれない。

「お客様ー!大丈夫ですかー!」

 海上へ顔を出した俺達に、船から声が掛けられる。どうやら船は待っていてくれたらしい。

「無事だー!」

 なので俺は船に向かって手を振り、やがて投げられた浮輪に捕まり、降ろされた梯子を上ってなんとか船の甲板へと戻ることができたのであった。


「はあ、ああああ……くっそ、疲れた!」

 甲板に戻ってすぐ、俺はぶっ倒れた。ここまで着衣水泳だったし、息できなかったし、エピ背負ってたし、海から出てからは益々エピが重かった。

 だが、なんとか、一応、エピを連れて戻って来られた。

 ……まだ目を覚まさないのが不安だが。

『嘘みたい……海から出られた……』

 そして幽霊女もまた、甲板へと上がってきていた。お前も結局ついてきたのかよ。

「お客さん、この女性は誰です?」

「怪談に出てきた姫君だよ」

「またまた、御冗談を!」

 冗談じゃねえから怖いんだよなあ……。




 幽霊女は放っておいて、まずはエピだ。

「おい、エピ、しっかりしろ」

 エピは依然としてぐったりしているばかりで、目を覚まさない。

「おい幽霊女!」

『もしかして私の事……?』

「他に誰が居るっ!おい、エピに呪いを移したとか言ってたな、あれ、一体何だ!」

 流石にエピのこの状態はまずいだろう。触った肌はひやりと冷たく、呼吸もしているのかしていないのか、曖昧である。脈もどこかゆっくりで、弱弱しい。

『眠りの呪いよ。生命力を低下させて、そのまま眠らせ続けるの。満月の夜にだけ、魔力が海に満ちて、生命力を回復できるけれど……』

 尚、今宵は満月である。

「駄目じゃねえか」

『そ、そんなこと言われたって分かんないわよ、私にだって』

 幽霊女は役に立たなさそうなので放っておくとして……どうすりゃいいんだ、これは。

 エピが起きないのは呪いとやらのせいなのか?だとしたら、それを解かないといけないのか?


『その子の呪いは既にとけています。眠りは、単に生命力の低下によるものです』

 声に振り向けば、そこには見知らぬ男が立っていた。

『げっ』

 幽霊女が慄く。

 ……まさか。

『ご心配なく。もう正気に戻っています。……私は海の精霊です』




 海の精霊を名乗る男は、非常に礼儀正しい印象の相手であった。

「正気に戻った、ってのは、どういうことだ?」

 だが、一応聞いておこう。なにしろこいつは、ついさっきまでエピが身長185cmで95kgで男でサドだっつう話をしても諦めなかった変態野郎だ。

『あなた方が魔物を倒して下さったおかげで正気に戻ることができたのです。私は先ほどまで、魔物に憑りつかれ、操られていました。かれこれ200年あまりになるでしょうか』

 成程、200年。200年ね。そりゃ、変態にもなる気がする。

「よくそんなにほっとかれたな」

『ええ……今から数代前の救世主に、助けを求めたのですが……私の状態を知りながらもスルーされてしまいまして。そして私が忘れられたまま魔王が倒され、平和に』

 ……。

『おかげですっかり忘れ去られ、数代越しにて、ようやく助けて頂けたという顛末でして……』

 遠い目をする海の精霊を見て、俺は思った。

 ゲームのサブイベントは、面倒くさがらずにきちんとこなそう、と。




 で、この海の精霊がとても可哀相な目に遭っていたという話はいい。どうでもいいんだ。

「で、海の精霊。エピは今、どうなってる?呪いが解けてるなら、放っておけば目は覚めるのか?」

 海の精霊に詰め寄ると、海の精霊はとても申し訳なさそうな顔で、答えた。

『その子の生命力ですが……残念ですが、このままでは、生命力を回復させる生命力が無いので、死に至るでしょう』


「なんとかできないのか」

『残念ですが……海の癒しの魔法は全て、穏やかなる眠りの癒し。今のその子に使っては、悪化させるだけでしょう』

 くそ、頼りにならねえ……。

 呪いだか生命力の低下だか何だか分からないが、とりあえず、このまま放っておいたらエピは死ぬ、と。

 だが、パンやワインでどうにかできるもんでもないってことは分かる。

 駄目元で、背中の紋章を意識しながら念じてみても、エピの体力を回復させることはできなかった。

 どうする。どうするどうするどうする。

 頭の中で血液が沸騰するような、或いは凍り付くような、そんな感覚を覚える。

 考えても考えても、答えが見えない。

 これは……答えは、在る、のか?


『眠り姫の目を覚ますのはキスよ!』

 突如、幽霊女の声が聞こえた。

「……は?」

 振り向けば、自信満々、何か嬉しそうな幽霊女が居た。

『そう相場が決まってるわ!』

 ……。

『確かに、接吻は呪いを解く古い魔法でもあります。ですが、呪いは既にとけて』

『うるさいわね、ほら、他に方法が無いならさっさとやりなさいよ、駄目元でやっちゃいなさいよ!』

 きーす!きーす!と、幽霊女がうるさい。

 一緒になって叫び始めたユーモラスな船員もうるさい。

 よく分からないまま手拍子始めた海の精霊もうるさい。

 ……が。

 おかげで、大事なものを思い出した。




 エピのポシェットを探ると、底の方にすっかり忘れ去られたそれがあった。

「あった、マルトの町で貰った口紅……」

 パックンなフラワーに噛まれた記念で貰ってきた、『キスした相手に生命力を分け与えられる口紅』である。

 ……エピじゃなくて、俺が使う羽目になるとは!本当に人生は何があるか分からん!


 最早どうにでもなれ、という心境で口紅を使う。もういいよ、これでエピが助かるかもしれないんだったらこの程度はやってやるよ、この野郎。

 そして自棄になりながら……だが、直前になって一抹の冷静さと機転とせこさを取り戻した俺は、エピの手をとる。

 で、まあ。うん。


 瞬間、俺から生命力が抜けたような、奇妙な感覚があったので、多分成功したんだろう。

 エピの体が、ふる、と震える。

 そして、ふー、と、エピは長い息を吐いた。

 ……やがて、呼吸は正常なものとなる。

 いつもの、寝ているエピだ。体もだんだん、温まってきたらしい。握っている手が、温くなってくる。

 ……あー……。

『あああああ!唇にじゃないの!?違うの!?お約束でしょ!?なんなの!?なんで唇じゃないの!?』

「うるせえ海に叩きこむぞ」

 生命力が抜けたからなのか、単に気疲れしたからなのか、とりあえずひたすら眠くなってきた俺は、とりあえず口元をガシガシ拭うだけ拭ったら、エピを運んで船室に戻ることにした。

 後ろで幽霊女と海の精霊が何か言っていたが、もう知らね。




 気づいたら寝ていたらしい。が、一応、着替えた形跡はあった。濡れたまま寝てたら風邪ひいてたかもな。

 ……そして、恐ろしいことに。エピも着替えたらしい形跡があった。

 これは……俺がやったんじゃあ、ない、よな……?

 自分で自分を疑っているぞ、俺は……。


「……んう……?」

 ふと、エピが何かむにゃむにゃ言いながら、緩やかに寝返りを打った。

 シーツに広がった麦藁色の髪が、船室の窓から漏れる光に煌めく。呼吸は緩やかながらもきちんとあるし、そもそも寝言むにゃむにゃ言ってるんだから、多分、大丈夫だろうが。

「エピ、エピ。起きろ」

 念のため、起こしてみる。

 すると、思っていたよりもあっさりと、深いオリーブグリーンの瞳が覗いた。

「ん……ん?タスク様?あれ?ここは?船?」

 びっくりするぐらいいつも通りのエピを見て、気が抜けるやら、安心するやら。

「えっ、た、タスク様、起こしておいて二度寝するの!?」

 とりあえず俺は、俺の布団に倒れ込んだ。

 あと5分……。




『あら、起きたのね』

『おはようございます』

「お前らいつまで居るの?」

 改めて起きて、エピと2人連れだって船の食堂へ行ったら、幽霊女と海の精霊がティータイムであった。

 何か、何か釈然としねえ。

『ああ、私はすぐにお暇します。ただ、あなた方お二人に海の加護を、と思いまして』

 だがそういうことなら話は別である。加護くれ。そして早く海に帰ってくれ。

「海の加護?」

『はい。これから先、海の事故に遭わぬように。また、水の中でもある程度自由に行動できるように』

 海の精霊はそう言って微笑むと、エピと俺の頭上に、それぞれ、水の塊のようなものを生み出した。

『そして、助けを求めた時、人に忘れ去られたままうん百年とか経たないように』

「最後のそれって本当に加護ですか?呪いじゃないですか?」

 俺の疑問に答えは無く、代わりに、俺達の頭の上で水の塊が弾ける。

「うわっ」

「きゃっ!」

 エピは水の塊を被り、ずぶ濡れに……ならずに、不思議と、乾いたままであった。

 そして俺は。

『……素晴らしい反射ですね』

「自分でもそう思います」

 咄嗟にフライパンで頭を庇ってしまった為、案の定、俺じゃなくてフライパンが海の加護を受けた。

 ……。




 そうして海の精霊は海に帰っていった。もう来ないでくれ。

「でもこれで私達、海の中でも動けるね、タスク様!」

「もう二度とあんなのは御免だけどな……」

 エピには、一応、事の顛末を3割引きぐらいで伝えてある。あらすじだから、仔細は要らないよな、という配慮の元、3割引きである。その3割に何を選ぶかは俺の判断に任された。うん。

『そうね、私も二度と海になんか入るもんですか』

「それでお前はいつまで居るんだよ」

 ……そして、ナチュラルに俺達の隣に並んで海を眺める幽霊女。

 こいつは一体、何なのか。




「そういやお前、自殺しようとしてなかったか?」

 気になりついでに聞いてみよう。

 たしかこの幽霊女、エピに呪いを移しておいて、なのに自分は喉を石で突いて死のうとしてたからな。……ん?死のうとしてた、ってことは、こいつ、もしかして幽霊じゃないのか?そういや、幽霊じゃない、みたいなこと言ってた気がするが。

『したわよ。元々私、海へは身投げしたんだもの』

 ……あっさりと、サッパリした答えを頂いてしまったが、予想以上に重かった。

 そうか、元々が自殺だったのか……。道理で、『やっと死ねる』な訳だな。

「身投げ……どうして?」

『愛する人が去ってしまったからよ』

 そう言って笑う女の顔は、寂しげであった。


『……とても素敵な人だったのだけれど。私の事は眼中に無かったのね。『元の世界に帰る』って言って、それきり、二度と会えなかったわ』

「……え?」

 だが、俺としてはそれどころじゃないのであった。


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