41話
巨大イカの太い脚が船に巻き付き、絞め上げている。
ミシミシ、と嫌な音がし始めたあたりで流石に我に返った。
「くそ、これどうすんだ!?」
とりあえず手近な脚をフライパンでバシバシやってみるが、妙に弾力のある脚である。ダメージ入ってるんだか入ってないんだか。
「わわわわわ、お客様の中に戦士の方はいらっしゃいませんかー!」
ユーモラス船員はそんなことを叫びながら、船室の方へと走って行った。うん、いるといいね。
「エピ、どうだ、戦えそうか?」
「ううう……」
……そしてエピは、非常にしんどそうである。イカが張り切ってるせいで、船は益々揺れるしな……。
だが、船酔い状態のエピは、それでも戦い始めた。流石、村の戦士である。
「……んっ!」
微妙にキレの悪い動きながらも、風の翼を生み出して宙を飛ぶ。
途端、イカの脚が離れ始め、エピを追う。
船から離れた脚はエピに殺到し……。
「えいっ」
勢いよく炎の鞭で打ち据えられた。
……なんとなく、イカ焼いた時の匂いがする。腹減ってきた。
エピは手近なイカの脚に炎の鞭で攻撃し続ける。
流石のイカも、炎の鞭は効くらしい。エピにべしべしやられまくり、1本、また1本、と脚が「こりゃたまらん」とでもいうかのように海中に沈んでいく。火傷だからな、冷やさないといけないんだろうが……火傷に塩水って、もっと酷くならねえのかな。
「それっ」
立て続けに数度、エピはイカを鞭打っていく。やがてイカの脚はどんどん沈んでいき……遂には全て、海中へと沈んだ。
更に。
「……タスク様」
イカの足を全て退散させたエピが、輝く笑顔で、こう言った。
「聞いて!すごいの!宙に浮いてたら、揺れないの!」
あ、うん。
地面が揺れるなら飛んじゃえばいいじゃない、とでも言うかの如く、エピはそれ以降、ずっと飛びっぱなしであった。
まあ、元気で居られる方法があったなら良い事だよな。うん。
が。
エピも元気になったし、イカの脚は退散したし……と思っていたら。
「うわっ!?下から来たっ!」
船が下から突き上げられて激しく揺れる。
どうやらイカは原点に戻って、船を転覆させようとし始めたらしい。
「こ、これ転覆しかねねえっ!」
「わ、わ、ど、どうしよう、タスク様!」
イカの姿は見えない。完全に海の中から襲ってきているらしい。これじゃあ、攻撃するにもできん!
……一応、イカを仕留められるであろう方法は、在るのだ。
つまるところ、この海をワインに変えちまえばいい。流石にイカだって生物なんだから、ワイン漬けにされたら死ぬだろ。……とは、思うんだが、なあ……。
それってイカだけに留まらず、この海全部に及びかねない訳である。
想像してみよう。ワインによって真っ赤に染まった海を。そこに浮かぶ魚の死体とかイカの死体とかその他諸々を。
……惨劇だろうなあ、間違いなく。赤い死の海。セカンドインパクトかよ。
つまり海のワイン化は、最終手段だ。巨大イカを殺せるぐらい海をワイン化するとなると、環境への影響がでかすぎるからな!
だが。
そうなると……俺に残された手段は、もう、ほとんど無い。
海。見渡す限りの海で……パンにできる石など、碌に無いのだから。
となれば最低限、イカを水面上に釣り上げねばなるまい。
俺は甲板にあった長いロープを取った。
「エピ!こっち来い!」
「はぁい……きゃっ!?」
何も知らずに飛んできたエピを捕まえて、腰にロープを巻いてしっかり結ぶ。
「た、タスク様?何、何これ?」
「俺の国の言葉にはこんなのがある」
エピの腰のロープが緩んだり抜けたりしないことを確認しながら、俺はエピに言う。
「エビで鯛を釣る」
「……へ?」
「鯛じゃなくてイカだし、エビじゃなくてエピだが、まあなんとかなるだろ」
「え?え、ええ……ええええ?」
エピは戸惑っているが、多分いけるような気がする。
何故ならばさっき、イカは空飛ぶエピを見つけてすぐ、船からエピへと標的を変更していたから!
つまり、エピが船の外まで飛んでいけば、イカを釣れるんじゃあないかっつう話である。
「あの、タスク様、それ、本当にイカ、来るのかなあ」
「釣りの腕には自信があるぞ」
「あの、釣り、なのかなあ」
「悪いが駄目元でやってくれ、他に手段が無い」
釈然としない様子のエピではあったが、ロープのもう片方の端を船のマストに結び終えると同時に、船の外へと飛び出していった。
「きゃ、あの、タスク様、ロープ引っ張んないでぇ」
「こうすることで食いつくのを待ってるんだよ」
要は、釣りである。多分、釣りである。
適度にエピを揺すりつつ、イカが食いつくのを待つ。
船への攻撃は、止んでいる。
あとは、イカがエピを狙って出てくるその瞬間が勝負だ。
接触さえできれば、勝てる。
……そして。
宙に浮いたエピが脱力して、すっかりロープに揺すられるばかりになった頃。
「来た!」
盛大な水飛沫と共に、巨大イカが現れた。
「きゃーっ!」
エピの真下から一気に現れたイカを釣るべく、俺はエピのロープを引いた。
「きゃあああああ!」
エピはなされるがまま、ロープに引っ張られ、それをおいかけてイカもまた、船の方へと脚を伸ばし。
……甲板に、脚が届く。
「今だ!」
「はいっ!」
突如、エピが宙で身を翻し、鞭を放った。
バシリ、と勢いよくイカの脚が叩かれ、皮膚が裂ける。
「エピ、頼む!」
「あううううう嫌あああああ!これ嫌ああああああ!」
「ごめん!」
だが、皮膚が裂け、血が滲んでもイカの脚はエピを狙い、エピを捕まえた。
エピを、捕まえた。
つまり、イカの脚は、エピの位置で固定された訳だ。
裂けた脚から飛び散ったイカの血液。俺は、そこに……フライパンを、叩き込んだ。
「これやだぁ」
「そう言わない」
イカの血の雨が降る。
ヘモグロビンじゃなくてヘモシアニン使ってる血だからな、青い。青い血の雨が降ってる。
……要は、フライパンを浸した液体を雨として降らせる、っていう奴をやったのである。
フライパンの吸引力はエスターマのジャングルの川登りで証明済みだからな。やればなんとかなるんじゃないかとは思ってたし、梅雨の精霊も「そんな使い方しないでくれ」みたいな事は言ってたが、できない、とは言ってなかったしな。
「タスク様ぁ……」
「うん、ごめん。今回は本当に悪かったと思っている」
今回の最大の犠牲者であり功労者であるエピは、ロープを解かれつつ、じっとりした目で俺を見ている。尚、今はエピが雨避けをしてくれている。じゃないと俺達、青い血塗れになるからな。うん。
「あとでなんか埋め合わせはするから……」
とりあえず謝るしかないので謝るが、そう言った途端、エピはきょとん、とし……それから、何か、嬉しさをにじませた含み笑いをし始めた。
「……約束ね?」
「お、おう」
……俺は一体どうされるのであろうか。
イカの餌にされるとかじゃなければ、大抵のことはやるけどさ……うん。
だが、これで無事、イカはダウンした。
死んだかは分からないが、とりあえず、海に沈んでそれっきり出てこないからな。多分、大丈夫だろ。うん。
「……ああああ、しかしどうして、クラーケンなんて……」
一通り『お客様の中に戦士の方はいらっしゃいませんか』をやってきたらしい船員が呟いた。尚、戦士のお客様は見つからなかったらしい。多分、相手がクラーケンだって言わなければもうちょい出てきたと思うぜ。
「この海域でクラーケンなんて、出た事がないのに。不思議なものです」
「そうなの?」
「はい。この海域はずっと穏やかでして」
船員の言葉に、何か、引っかかる。
何か、忘れているような……。
あ。
「エピ。さっき、女の人の悲しい歌声がする、って、言ってたよな」
「うん」
船酔いからしっかり立ち直って正気になっているエピは、それでも至極アッサリと頷いた。
「ほ、本当に聞こえたのか」
「うん。本当。なんだか……すごく、悲しくて、恨めし気、なかんじの……」
……。
ユーモラスな話を先程してくれた船員を見る。
船員も、俺を見た。
そして。
『みぃつけた』
ゆらり、と、美しい女の声が響く。
ぎょっとしながらそちらを見れば、海の中から……水が、伸びていた。
迫った水は、勢いよくエピを飲み込む。
「タスっ……わぷっ」
水に飲みこまれたエピは、そのまま海の中へと引きずり込まれていく。
「エピ!」
咄嗟に伸ばした手は届かず、すり抜ける。
ぼしゃん、と、空しく水の音が響いた。
……俺は上着を脱いで、ロープを腰に結んだ。
「お、お客様!?」
助走をつけて甲板を蹴って……そのまま海へと飛び込んだ。