40話
兵士詰め所の馬は、とても大人しく、従順だった。しかも鞍までついていた。
乗馬経験なんぞ無い俺でもなんとか乗って、駆けさせることに成功したんだから、まあ、かなりいい馬だったんだろうな、と思う。
尚、エピは何の苦も無く馬に乗って、馬を操っている。まあ、村の子だからな……。
俺が慣れない乗馬だもんだから、馬も全速力で走れないようだったが、まあ、それでもそこそこのスピードで王都が後方へ遠のいていく。
道中、王都へ戻っていくらしい人々の列なんぞを見つつ、俺達はひたすら、西に向かって馬を駆っていた。
目指すは港町スピジア。そして、海を越えた先。
秋の国『オートロン』である。
港町スピジアまで、野営を挟んで2日かかった。
その頃には乗馬にも多少慣れてたが、その代償として俺は筋肉痛が大変なことになった。
乗馬って、滅茶苦茶筋肉使うのな……。
とりあえず、町に着いたら真っ先に馬を適当な宿に預けた。預け代はとりあえず持っていた金貨を1枚と、ワインを1樽。
残りはエスターマ王国の兵団のツケ、ということで……要は、これから船旅になるから、この先、この馬は連れていけない。かといって馬刺しにする度胸も無かったので、だったら馬は返せるようにしておこう、という事である。
さて、そして俺達は宿に泊まる……というわけでもない。ここで1泊してる暇は無いからな。
髭王が会ってた『プリンティアの要人』って、どう考えても井末なんだろうし。ということは、こっちまで追いかけてくる可能性も無きにしも非ず、だ。折角死んだふりできたってのによー。
……んで、髭王は『偽物の救世主など居てはならぬ』っつってたけれど、あれ多分、文面そのまんまじゃないと思う。
要は、髭王は、『偽物なんて居る訳ない』っていう信仰以前に、『2人目の救世主が居ると都合が悪いから抹消すべき』っつう考えだろ、という。
早い話が、俺が偽物だろうが本物だろうが、1人目だろうが2人目だろうが、『井末以外の救世主は抹消すべき』と髭王は考えているんだろうから、(多分、プリンティアとの政治的な云々とかあるんだろ)俺は逃げるしかない。
ではどこへ逃げる、と言えば、1つしか無い。
海へ、である。
「わー!すごい!すごいよ、タスク様!ずっと海!」
「そうだな、海だな」
興奮気味のエピに手を引っ張られつつ、俺達はスピジアの町を歩いていた。
港町、というだけあって、海がとても近い。すぐそこに、紺碧に煌めく海がある。
やや強い潮風はどこか懐かしいような香りを伴って、俺達の髪をなびかせていく。
潮風に晒された石材でできた街並み。みゃう、と、海鳥の声が響く。
家に飾られているものは、白く風化して骨のようになった流木や、漂着したものらしい擦れたガラス。或いは潮風に赤錆びた金属の看板であったり、ベルであったり。夏らしい色鮮やかな花が潮風に揺れ、行きかう人々は明るく活動的。
そんな、非常に爽やかで好ましい街並みの中にあった食堂に入って、昼食を摂る。
港町だから、流石に魚が美味かった。ちょっと値段したけど、まあ、満足。
値段についてエピが聞いてみたら、店の人曰く、最近、あまり魚が獲れていないんだとか何とか。
……そういう理由なら仕方がないが、若干、ぼったくられた気もしないでもない。うん。
港……正確には、船へと向かう。
「コンブレ行きの船、間もなく出港です!」
コンブレ、というのが、秋の国オートロンの港町である、という事は既に知っている。
ということで、俺達も何食わぬ顔でコンブレ行きの船の乗り場に並び、運賃を支払い(これにより、ほとんど路銀がすっからかんになった)、船に乗り込むことに成功したのであった。
「出港!」
勇ましい声と共に、船の錨が上げられ、ゆっくりと、船が動き出す。
のんびり遠ざかっていく夏の国、エスターマ王国。
色々あったしかなり忙しなかったが、まあ……色々と結果オーライではあった、かもしれない。
夏の精霊にはさっさと会えちまったし、井末達に見つからずに国を出ることができたし。
うん、そう考えるとそう悪くねえな。うん。
「わ、わ、わ……私、こんなに大きな船、初めて乗ったんだけれど……結構、揺れるのね」
エピは揺れる甲板で、おっとっと、というように揺れてしまっている。
「沖に出たらもっと揺れるぞ」
「ええー……こんなに揺れてるのに、もっと揺れるの?地面が揺れるのって、すごく、落ち着かな……わわっ!」
エピは揺れる地面に馴染めないらしい。そりゃそうか。この世界、地震もあまりないみたいだしな。
これは……エピ、船酔いするかもな……。
「た、タスク様……タスク様ぁ……」
「すまん、エピ。辛いだろうが、俺にはどうもできん」
「あううううう……」
「水、いるか?」
「うん……」
そして夕方。俺達はあてがわれた船室に閉じこもっていた。
というか、閉じこもらざるを得なかった。
エピが案の定、船酔いしたからな!
くぴくぴ、と水を飲み、エピは再び寝台に横になる。
「……寝ても、揺れてるよう……」
「そりゃ、船だからな……」
エピは心底しんどそうなんだが、酔い覚まし、酔い止めなんてもんは無いのである。
飴でもあれば、舐めさせて気を紛らわさせたりできるんだが、俺に出せるのは雨とワインとパンぐらいである。
今、この状態のエピにパン食わせたらもどすだけのような気がするしなあ……。
可哀相だが、エピにしてやれることはあまりない。
精々、水を運んできたり、気分までグロッキーになっているらしいエピを撫でてやったり、構ったりする程度である。
……そうこうしている間にも日は沈み、すっかり夜になった。
エピがやっと寝付いたので、俺は1人、甲板に出て夜の海を眺めていた。
暗くて黒くて深くて、月明かりがてらり、と水面に反射するだけ。
射干玉の、という表現が相応しい海であった。
「おや、お客さん。どうなさったんですか?」
そんな海を眺めていたら、ふと、声を掛けられた。
帽子が如何にも船員、というかんじである。恐らく、本当に船員なんだろう。
「いや、眠れなくて」
眠れない、というか、まあ、折角だから海を見に来た、ぐらいの気分なんだけどな。
「おや、そうでしたか。……海を見ていると、落ち着きますよね」
「ああ、はい。俺、波の音、好きなんです」
真っ暗なだけの海であるが、音は変わらず、ずっと波の音と風の音、である。
うん、この音、嫌いじゃない。あと、雨の音とかも割と好きだ。落ち着く。
「ははは。それは良かった」
船員の人はなんだか嬉しそうに笑いつつ、一緒になって海を眺める。
「この海にはね、伝説があるんですよ」
「伝説?」
「ええ。……こんな夜ですし、眠くなるまで、聞いていかれますか?」
……まあ、暇つぶしとしては、丁度いいよな。渡りに船、ってか。いや、今まさに船に乗ってる訳だが。
「この海には財宝が眠っているのです」
「ほうほう」
お宝、ね。うん、まあ、アリがちな話ではあるか。
「金銀宝石、そして何よりの宝は、永遠に眠り続ける乙女なのですよ」
……永眠かあ。つまり、どざえもん。
南無。
「その乙女は昔、ある国の姫君でした。しかし、そのあまりの美しさに、海の精霊が姫君に一目ぼれしてしまったのです」
「そして海底に引きずり込み……ですか」
聞いてみると、船員の人は頷いた。
「ええ。そして、今も海の底では、姫君が永遠に眠り続けているのだとか」
つまり、永眠だな。
南無。
……いや、水死体って、割とさっさと浮いてくるんじゃなかったか。ということは、コンクリ詰めとかにされて沈んでるんだろうか。もうなんか、本当に成仏してくれ。心から成仏してくれ。
「……しかし、姫君に掛けられた眠りの呪いは、満月の夜にだけ解けるのだそうです」
「えっ死んだんじゃなかったんですか」
「お客さん、眠るって、そっちじゃないです」
そっちじゃなかったんですか!そっか!この世界、ファンタジーな世界だもんな!よかった!コンクリ詰めにされて沈められたお姫様なんていなかったんだ!
……船員さんが微妙な笑顔で俺を見ている。
うん、とりあえず俺も笑い返しておいた。うん。はい。
「……そして姫君は、眠りから覚める満月の夜、自らの運命と、何よりも海を呪う歌を歌うのだそうです。その歌はとてもとても美しく……しかし、それ故にとても、恐ろしいのだとか」
……。
ふと、空を見る。
そこには……満月。
……。
ふと、船員を見ると、船員は肩で笑っていた。
「……そう。きっと聞こえてきますよ」
そして、ゆっくりと俺の方を見る。
「こんな満月の夜には、姫君の呪いの歌声が……」
「伝説じゃねえじゃん!怪談じゃん!」
「ふふふ、こんな夜にはぴったりの話でしょう?どうです、お気に召しましたでしょうか?」
船員は肩で笑いながら、手に持っていたランプを顔の下に持ってきた。もうこいつ、ノリノリである。
「眠くなるまでっつったじゃねえか!眠れねえよ!眠れねえよ!」
「ははははは、いやいや失敬。私の1か月に1度の楽しみなんですよ。眠れないお客様にこのお話するの」
「迷惑な奴だなこの野郎!」
あああああ!なんか嫌だな!別に怖いとは思わんが!でもなんか目が冴えた!あああああああ!
なんとなく目が冴えちまったので、非常にユーモラスな船員と雑談することにした。ホラーじゃない奴。
そして、ウミウシの話で盛り上がっていた時。
「……タスク、様ぁ……」
ふらふらよれよれ、と、エピがやってきた。
「うわ、エピ、大丈夫か」
「ううう……」
どうやら、目が覚めた時に俺が近くに居なかったので探しに来たらしい。なんか可哀相な事をしてしまった。
「大丈夫か?部屋戻るか?」
「ううん……」
……だが、エピは部屋には戻りたくないらしい。
「部屋は……嫌……」
そしてエピは、げっそりした顔で、こう言った。
「何か、女の人の悲しい歌声が聞こえるの……落ち着かなくって……」
……。
ユーモラス船員と、顔を見合わせる。
「……あの、もしかして」
「いや、いやいやいや。私もこの仕事長いですがね、お客さん。伝説が現実になった事はありませんよ?」
だが、否定はしてみても、お互いになんか嫌な予感がしていたのだろう。
俺達は冷や汗混じりに周辺の海を見渡し……しかし、何も見当たらず……ほっとしたような、落ち着かないような、そんな気分になりつつ……。
ズン、と。
突然、船が大きく揺れた。
「な、波かっ!?」
「い、いえっ!波の揺れじゃない!これは……まさか!」
船員の不吉な言葉の先は、聞かなくとも分かった。
突如、海水が降り注ぐ。
降ってきた海水はフライパンで回収して排水したので大事にはならなかったが……俺達は、海水を跳ね上げた『それ』を、見た。
ぎょろり、とした目が、俺達を見る。
ぬめり、と光る何本もの脚が、船に巻き付く。
……それは、巨大な。とても巨大な。
イカであった。
「クラーケンだっ!」
あ、いや、クラーケンであった。うん。