4話
パンの声を聞くのならば、心を頑なにしてはならない。
「村長さーん!起きて!起きてってばーっ!」
エピがバンバンとドアを叩く。
尚、現在、月が天高く輝く時刻。つまり、夜だ。多分、割と深夜だ。
なんとなく……まだ見ぬ村長に申し訳なくなった。
「なんじゃ、エピ!一体今何時だと思っとるっ!」
そして怒声と共に勢いよくドアを開いて現れたのは……絵に描いたような村長であった。
白髪頭。立派な口ひげ。手には杖を突き、質素ながらも少しばかり立派な服装をしている。
威厳がありそうでなさそうであるような、そんな風貌。
つまり、村長っぽい村長!
まさか、こんなに『THE・村長』みたいな人を見ることになろうとは。恐るべしファンタジー世界。
「む?この少年は……?」
「救世主様!救世主様だよ、村長さん!祠にお祈りに行ったら居たのっ!」
……村長が、訝し気に俺を見ている。その視線もご尤もだ。
「初めまして。救世主です」
なのでとりあえず、挨拶した。
「は、はあ……?」
……余計に不信感を抱かれた気がする。
うん、どう考えても今の、怪しかったな。うん。反省している。
とりあえず中へ、ということで、村長宅に招き入れられた。
「まあ、どうぞ。こんなものしかありませんが」
「あ、いえ、お構いなく」
そしてテーブルに着いて、お茶を出された。
エピと村長が飲み始めたのを見てから飲んでみると、なんというか……牧歌的な味がした。うん。
いや、不味いとは言わない。だが、なんか、こう……牧歌的な味がした!
「して、救世主様、というのは……失礼しますぞ」
村長が俺の手に手を伸ばす。一瞬、隠すべきか迷ったが、相手が手の甲の模様の事を知っているなら仕方ない。諦めて手の甲を見せた。
「おお、これは……!」
そして村長は俺の手の甲を見て驚愕し……。
「……なんじゃっけ……?」
うん。
「これじゃの」
やがて村長は1冊の古い本を探して持ってきた。
「ここに、書いてあるのお。……『救世主の持つ紋章は救世主の力の証なり。』」
覗き込むと、そこには……俺には読めない文字が続いていた。
よく考えたら、俺、異世界に来た割には言葉が通じてるな。でも文字は駄目、ってことなんだろうか。
「村長さん……!こ、これ、字、汚すぎて読めない……!」
……うん。
もしかしたら、文字も読めるかもしれないな。でもとりあえず、これは読めない。オーケー把握した。
「でも、絵は分かるね」
エピが示す先には、俺の手の甲にあるものと似た紋章がいくつか描いてある。
「ふむ、これが先々先々先々代の救世主様の紋章、こっちが先々先々先々先代の救世主様の紋章、こっちが」
「つまり、歴代救世主の紋章なんですね?それも、かなり古い」
「左様じゃ」
本にある紋章には、ある程度共通点がある。
二重の円の中に模様が重なったもの。
4つの円が十字を描くように組み合わさったものの中心に何かの模様が重なったもの。
放射状の線の中心に何かの模様が重なったもの。
下半分の円に沿って並ぶ模様と、中心の模様を合わせたもの。
……そして、1つの円をぶった切るように走る斜線に、別の模様が絡むもの。
俺の紋章は右も左も、この『1つの円をぶった切るように走る斜線に別の模様』の奴だ。
それぞれ、斜線の装飾とか、中心にくる模様とかは違うが、大体、大まかな形というか、大まかなシルエットというかは一緒である。
「この紋章は何の力だったんですか?」
如何せん、文字が読めないので仕方ない。本の中にある『1つの円をぶった切るように走る斜線に別の模様』の紋章を指して村長に聞くと、村長は1つ頷いて、答えた。
「『イチジクの木に実を生らせなくする呪い』だそうですじゃ」
……。
成程、分かった。
『1つの円をぶった切るように走る斜線に別の模様』の紋章は、ハズレなんだな!
密かに落ち込む俺に対して、村長はもうちょっと先を見据えていた。流石村長。
「疑うようで申し訳ありませんが、救世主様。お力を見せて頂いてもよろしいでしょうかな?」
「お安い御用です」
村長は俺の能力を見て、本当の救世主なのか試すことにしたらしい。
まあ、この程度は信用を得るための必要経費だろうし、別にいいか。
それに……この村の状況なら、俺の能力はそこまで『ハズレ』じゃないはずだ。多分。
村長宅の外に落ちていた手近な石を拾って持ってきて、村長とエピの目の前でパンにする。
気分でなんとなく、クリームパンにした。
「どうぞ」
村長に差し出すと、村長は恐る恐る受け取り、しばらく眺めてから、ついに、食べた。
「こ、これは……」
一口齧って、絶句。
それから村長、中々のスピードでクリームパンを食べ進み、30秒かからずに完食!速い!
なんつうか……こう、美味しがってもらえるっつうのは、悪くねえな、って思う。うん。
そうか、よく考えたら、クリームパンなんて、こんな村じゃ食べられないよな。もしかしたら、王宮料理とかのレベルなのかもしれない……。
……そして村長は居住まいを正す。
「いやはや、素晴らしい。わしはこのように美味い食べ物を初めて食べました。石をこのような食べ物へと変える奇跡。あなたは確かに救世主様なのでしょう。疑った事をどうぞお許し下され」
村長は改まってそう言ってくれたが……だが、俺は、気まぐれでクリームパンをチョイスしてしまった己の浅慮を悔いていた。
恐らくここでは中身が入っていない普通のパンを選ぶのが最適解だった。
分かりきっていたのに。この村長に、クリームパン。最悪の組み合わせだと分かっていたのに!
村長……髭に、クリーム、付いてます……!
落ち着かないので、髭のクリームは拭いてもらった。
また、「救世主様、私もさっきのパン、食べたい……」というエピの要望に応えて、もう1つクリームパン作った。
そしてエピが幸せそうにクリームパンを齧る中、改めて会話再開。
「ところで救世主様」
「はい」
俺が苦悩する中、村長がずい、と寄ってきた。
「お願いがございます」
ああ、うん。
「この村は魔王復活より、大地の精霊様の加護を失ってしまい、果ては川の上流で何かあったのか水も減り、作物が不作で」
「つまりパンですね」
「パンです!」
パンですよね。分かってます。分かってますよ。
……まあ、うん。これはやるつもりでいたさ。
こっちが『してあげた』後の方が、村長たちが『してくれる』可能性が高いしな。
それに、折角、『石をパンにする能力』なんて得ちまったんだ。有効利用したい。
やっぱり、パンは人が食ってなんぼだよな、って思う。
「はいはいはい、パンだぞ!食え!ひたすら食え!」
そうして俺は、やけっぱちになりながらパンを量産していた。
最初は良かったんだ。夜中だから、村人のテンションも低かったし、皆、どっちかっていうと俺を畏れる雰囲気だったし。
しかし。
「美味しい!」
「あー、久しぶりにこんなうめえパン食ったよ」
「もっと!もっと食べたい!もっとパン!」
「このパン、変な形……」
村の広場の真ん中で、俺はひたすら、石をパンにしていた。
あんぱん食パンカレーパン、ジャムパンに塩バターパンにチーズパン、それからメロンパンとかロールパンとか。俺が大好きなカ○パンとか!カニ○ンとか!○ニパンとか!
そういった多種多様なパンを作りまくっては、村人たちに渡していく。
……最早、村人たちに遠慮は無い。
元々、人と人の間が狭い、小さなコミュニティだ。
俺がそのコミュニティに取り込まれ、すっかり仲良くされつつパンを量産させられるようになるまで、時間は掛からなかった。俺が畏れられてたのは精々2分かそこらだった。
「しかし、本当に救世主様がいらっしゃるとはねえ……ありがたやありがたや」
俺は時折拝まれつつ、村人たちの心象を無駄に良くしていくことに成功。
いや、別に、人気者になりたい訳じゃないんだが……まあ、嫌われてるよりは好かれてた方が、何かと都合が良いだろうけど。
……集団心理は恐ろしい。
今まで食に対して、強制禁欲状態だった村人たちは、解放された食への欲望を存分に満たして気分が高揚している。
それも、集団になって、互いが互いを高揚させ、勝手に盛り上がっていくのだ。
「救世主様バンザーイ!」
「救世主様バンザーイ!」
「バンザーイ!」
「パンバンザーイ!」
「パンバンザーイ!」
「パンザーイ!」
いつの間にか、俺は祭り上げられていた。
「ねえ、おにいちゃーん、さっきのとろんってして甘いのちょうだーい!」
「はいよ、クリームパン」
「僕はさくさくしてるのがいい!」
「はいよ、クロワッサン」
「お、おれ、変な形したやつ……」
「分かってるじゃねえかほらカニ○ンだカ○パン」
「あの、こっちじゃなくて、ねじねじ、ってしてるパン……」
「うるせえカニパ○食ってろ○ニパン」
そして祭られつつも、パンは作らされていた。
崇められつつも働かされる。一体何なんだ、これは。
「救世主様!ありがとうございます!」
「はいはい、いくらでも食ってください。保存の利くパンも作って蓄えておきますから。今は後先考えずにどうぞ。お腹壊さない程度にね」
「ああ、何とお礼をしたら良いのか……」
そうして村人は俺に好意を持つだけではなく、何か返そうとしてくる。与えられた分、何か返したいと思うようになるのは当然っちゃ当然か。
あとはこれを、俺にとって有利な方向に持っていければいいわけだ。
……欲しいものは、第一に、元の世界に戻る手段。
第二に、身の安全。
身の安全の方なら、なんとかなるだろうか。
そんなファリー村春のパン祭の最中。
ふと、月明かりが蔭る。
村人たちの賑やかさが、ざわめきへと変わる。
……何か。
何か、俺の第六感および嫌な予感がビンビンにアンテナおっ立てているんだが。これは一体……。
「……来る!皆、隠れて!」
エピの声が鋭く空を裂くのとほぼ同時。
低く地鳴りのような音が響き。
地面がひび割れ。
盛り上がり。
そして。
轟音。悲鳴。
それらが混じり合う中、俺は、目の前に現れた巨人を見ていた。
ごりごり、と石が擦れ合う音を響かせながら、拳を振り上げる……石の絡繰りの巨人の姿を。
『見つけたぞ……神の玉梓!』
巨人はそう言いながら、振り上げた拳を俺達目がけて振り下ろした。