30話
彼はフライパンをもって舟を導いた。
「助かりました」
「ありがとうございます!」
「なぁに、大したことじゃあないさ」
俺達は女性が持っていたロープによって引き上げられて、無事、地上へと戻ってくることができた。
改めて、女性の姿を見る。
日に焼けた健康的な肌。伸びやかな手足は長く、ついでに胸もでかい。
格好は……なんか、あれだ。アマゾネス。実に野性的。そして戦士っぽい。現に、この女性、でかい斧槍みたいなの持ってるし。
「……しかし、不思議なもんだな。こんな穴、昨日までは無かったんだが。しかもこれ……パンか?ふかふかしてるな」
アマゾネスのお姉さんはそんなことを言いつつ、パン穴の検分を始めてしまった。俺としては非常に気まずい。
「……んー、ま、いいか。分からん!何かあるならその内分かるだろ。邪悪な気配はしないし……」
が、ほんの30秒程度で、パン穴の検分は終了。うん。この潔い諦め方、嫌いじゃないぜ。
「ところでそっちの2人は、どこから来たんだ?」
「あの、私達、あの崖の上を通ってて……」
「落ちてきたのか!?」
「はい」
「はー、良く生きてたな……」
ね。俺達も思うよ。
そうして俺達は、アマゾネスのお姉さんに案内されて近くの村にお邪魔することになった。
早い所このジャングルを脱出して、夏の精霊が居るっていうウヴァルの町まで行きたいんだが……まあ、遠回りも仕方ないか。どのみち、馬車は崖の上だし、井末達がそのままにしておいてくれているとも思えないしな。旅支度を整え直さなきゃいけない。
「ところでお姉さん、お名前は?私はエピ!こっちはタスク様!」
「私は……エスティ。よろしく、エピ。それから……タスク様、か?」
「いや、タスク、でいいですよ、エスティさん」
「なら私もエスティ、でいいぞ、タスク」
アマゾネスのお姉さん改めエスティはそう言って、夏の太陽のような笑顔を浮かべたのだった。
……今後、自己紹介は俺がやろう。
エピに紹介してもらうと、こう、めんどくさいぞ。すごく。
村まではそんなに遠くない、とのことだったが、それはエスティの脚でなら、の話だったのかもしれない。
「あー、2人はそんなに森を歩き慣れてないもんな」
「はい」
「はい!」
倒れた木や大きな岩を、ひょいひょい、と乗り越えていくエスティに付いていくのは非常に大変であった。
しかも、時々魔物っていうか、変な生き物が出る。
やたらカラフルな怪鳥とか、やたらカラフルなヘビとか。そういうのは大体、エスティの斧槍でぶった切られたりぶっ飛ばされたりしていたので、俺達の方で何とかしなきゃならないことはあんまり無かったが。
「ほら、エピ」
「うん、ありがと、タスク様」
時々、俺が先に登って引っ張り上げてやったりしながら、なんとかかんとか、もだもだするペースではあるが、エスティに付いていく。
「……ふーむ」
そんな俺達を見て、エスティは面白そうに首を傾げた。
「お前達、兄妹、じゃあないよなあ。……かといって、侍従、ってかんじでも無いし……」
どうやら暇つぶしに、俺とエピの関係性を推測しているらしい。
面白そうに笑みを浮かべながら、何やらふんふん言っている。
……うん。
よくよく考えたらこれ、傍から見た時、俺とエピってかなり謎めいた関係なのではないだろうか。
エピは俺を『救世主様』の名残で『様』づけで呼んでるが、元々の性質なのか何なのか、俺に対して遠慮は無いし、敬語でもない。
一方俺も、エピに対して特に遠慮も無い。
……何なんだ。これ、傍から見たらどういう関係に見えるんだ。兄妹には見えないだろうし、かといって従者、みたいな堅苦しさも無い、よな……?
「……分かった。お前達、あれだろう?乳兄妹、って奴じゃあないか?」
ちきょうだい。
……ええと。唸れ!俺の知識!
確か、乳兄弟、っていうのはつまり、同じ乳を飲んで育った者同士、であるから……成程!
今!エスティは!俺が身分の高い誰かの子だと勘違いした上で!エピを『俺を育てた乳母の子』だと勘違いしている!
まあ、うん。それなら納得がいくよな。
両者には身分の差があって、かつ、兄妹同様に気心が知れている、と。
素晴らしい。素晴らしいな、エスティさん!よし、今後はこの設定をそのまま使わせてもら
「ううん、違うよ」
……。
「なんだ、違うのか?」
「うん」
「くそー、自信があったんだがなあ……」
エピが否定したため、関係偽造作戦は灰燼に帰した。
……まあ、関係なんてどうでもいいか……。今後、何かあった時に使おう。うん。
もうすぐ村だ、とエスティに言われて多少の元気が出つつ、俺達は歩く。
が。
「あれ?なんだか、焦げ臭いような……」
ふと、風に乗って、何か、焦げたような臭いがした。
「……まさか!」
エスティは表情を険しくすると、近くの木に飛び乗って、そのまま高い所までするする、と飛び上がる。
そして。
「嘘だろう……村が、燃えている!」
「エピ!雨だ!」
「うん、分かった!タスク様、そっちに川があるよ!タスク様も!」
「おう!」
エスティに何か言われるより先に、俺達は動き始めた。
「な、何をして」
「大丈夫!火事なら任せろ!」
言いながらも俺はさっさと川へ近づき、フライパンを川の水の流れの中に浸した。
「な、何をしているんだ?」
「雨乞いの儀式だ!」
フライパンから、冷たく清らかな力が伝わってくる。
『あなたに、力を』
そして、梅雨の精霊の声がふと、聞こえたかと思うと。
フライパンが、ぐっ、と、水を吸い込み始めた。
「……し、信じられん……」
雨は、しとしと、よりは、ざーざー、に近い勢いで降った。
エピだけだと小雨にしかならないが、俺がフライパンと水を使えば、ここまでの雨足を達成できるらしい。
「エスティー、村の様子はどうだ?」
「あ、ああ、少しずつ、火が消えていくよ。少なくとも、延焼は防げている」
ならよかった。
俺とエピは顔を見合わせて、満足!っていうかんじの表情をお互いに浮かべた。
「お前達、一体、何者なんだ?」
そんな俺達を見て、エスティは不思議そうな顔をする。
なので、とりあえず……説明しておこう。
「カニパ○教の教祖と、敬虔なる○ニパン教徒だ」
「かにぱ……?」
うん。あとで布教もしておかないとな。
「タスク様、私、別に教徒じゃないよ?」
「なんだと」
エピにも!
「村に魔物は……いないらしいな」
その後、エスティは木の上から村を見て、渋い顔をした。
「まだこの辺りに居る、か……なあ、エピ、タスク!」
エスティは木から降りてきた。すげえ。飛び下りた。すげえ。高さ5m以上はあったぞ。
「もしよければ、村の様子を見てきてくれないか。私はこのまま、村に火を放った魔物を追う」
「それは構わないが……1人で大丈夫か?」
「ああ、大丈夫。私はそうそうやられないよ」
「そっかぁ、なら、私達は村に居るね!もし、また魔物が来たら追い払っておくから安心して!」
「ありがとう!この恩は必ず返す!」
エスティはそう言うと、凄まじい速度で駆け出していき、すぐに森の奥へと消えていって見えなくなった。
……まあ、強そうだったしな。大丈夫っつってたんだから多分、大丈夫なんだろうが。
「じゃあ、私達は村を守らなきゃね!」
「おう」
若干、心配だが、俺達は俺達に分配された仕事を任されることにしよう。
そうして少し歩けば、村があった。
ジャングルの奥地、アマゾネスの集落……みたいな村は、さっきまで燃えていたらしい。木の壁や植物の葉で葺いた屋根が焦げたり燃えたりした形跡があり、辺りには焦げ臭い臭いがまだ残っていた。
「おや?お客人かね?」
そんな中、俺達の前には老婆が立っていた。
「はい。私達、エスティっていう人に頼まれて、この村の様子を見に来たの」
俺達は老婆に事情を説明した。つまり、崖から落ちて生き残って、エスティに助けてもらって、それから村の様子がおかしいことに気付いて、エスティは魔物退治に、俺達は村の警護にあたることにした、というところまで。
「エスティ……ああ、あの子だね……分かった。しかし、あの子は1人で行ってしまったのかい?」
「1人でも大丈夫だって言ってたの」
老婆は、「そうかい」と頷くと、思案するように目を閉じた。
……そして、目を開くと俺達を見て、手を取った。
「お客人。あんた達がエスティにこの村を頼まれたっていうなら、私達もあんた達を信じよう。きっとあんた達、腕の立つ戦士なんだね?」
「いやあ……」
「それは……」
ここで「はいそうです!」と言えないのが悲しい所だ。主観的にも客観的にも。
「なら、エスティを追いかけてくれないかい?この村に来たのはそんじょそこらの魔物じゃあないんだ。……ドラゴン、だったんだよ!」
「……ドラゴン?」
「そうだ。ドラゴンだよ。どうしてあんな高等な魔物がこんな村に来たのかは分からないがね……あの子1人でなんとかなる魔物じゃあないよ」
なんてこった。そんな大物が来てたとは。
ましてや、敵がドラゴンだと知っているならいざ知らず、エスティは多分、相手がドラゴンだと知らずに魔物を追いかけていった。このままじゃ危ないかもしれない。
「しかし、そんな大物が来た割には……って言ったら悪いけど、被害は少なくて済んだ、んだな」
俺はこの世界のドラゴンを知らないから、俺の知識にあるドラゴンで想像しているが……少なくとも、『高等な魔物』で、『エスティ1人でなんとかなる魔物じゃあない』のは確からしい。
ならば、その割には被害が少ない、と言えるんじゃないだろうか。
村は燃えた形跡こそあれど、それ以上の破壊の様子は無い。人が死んだような形跡もない。
「ああ。怪我人は出たが、死者は居ないよ。ドラゴンは一通り村に火を放ったら、それだけで去っていったからね。この村の守りもまだまだ捨てたもんじゃない、って事なのかねえ」
「村の守り、か」
ということは、その守りによって、ドラゴンの侵略は食い止められた、って事なのか。
「ああ。この村は夏の精霊様の加護があるのさ。だからそうそう、魔物も寄ってこない。だからあんた達も、安心してエスティを追っておくれ。」
ふむ。そういうことなら大丈夫か。
「ドラゴンは西の方へ飛んでいった。きっと西にある洞窟を根城にしてるんだろう。洞窟へは川をさかのぼって行けば辿りつけるよ」
しかも道もバッチリか。よし、ならばすぐにでも出発!
……と、いきたいところ、ではあるんだが。
「じゃあ、行ってきますのでちょっと……荷造り、させてください……」
「私達、荷物、結構無くなっちゃったの……」
先に、支度しないとな。荷物は井末達のせいで結構、無くなってるからな!あの野郎!
村の人達は家が焼けたり何だりしていたというのに、俺達に気前よく色々な道具を分けてくれた。
「火の魔法札があると落ち着くぜ」
「ね」
何よりもありがたかったのは、火の魔法札である。
魔法を使えない俺達にとって、火を起こせるこれはとても重要な道具だ。いざとなったらマルトの町でやったみたいにパンをお焚き上げするからな。そのためにも火の魔法札にはあってもらわなきゃあ困る。
「くれぐれも気を付けとくれよ!無理はするんじゃあないよ!」
「はーい!」
そうして俺達は、村を出た。
目指すは川の上流、ドラゴンが居るという洞窟、である。
「……ねえ、タスク様。大丈夫かなあ」
「駄目だったら逃げよう」
俺も正直、ドラゴンと戦いたくはない。絶対にドラゴンって空飛ぶだろ?そんな奴相手に石パン水ワインでどうやって戦えってんだ。フライパンじゃあリーチ不足だしな。もう打つ手がないのが見えてるぜ。
「うん。それはそうなんだけれど……ほら、私達一度、騙されてるよね」
あ、そっちか。
「今回のドラゴン退治、というか、エスティ助け。罠の可能性も、無い訳じゃあないよな」
「うん……ちょっぴり、心配になっちゃって」
井末の所の、あの、赤っぽい金髪の美女。ヨハンナ、って言ってたか。あの人にアペリの町で騙されたのは記憶に新しい。新しすぎる。
だが、なあ。
……うーん。
「今回は仕組まれてたとは思いにくい、よな。少なくとも、『もう一人の救世主』を狙って何かやってるとは思いにくい」
「うん。崖から落っこちるのなんて、誰も予想できないもんね」
まず、俺達を狙って騙す、ってのは無理だ。
エピの言う通り、俺達の動きは絶対に予想できなかったと思うし。予想してアレやってたならもう、素直に一本とられてやるよ。
「だから、もし騙されてるとしたら、『誰でもいいから騙したい』っていう事だろ?」
「うん」
「ってなると、目的は精々、金とかそういうレベルだ」
無差別に殺人したいとは思えないしなあ。もしかしたら、魔物の餌にしようとしてるとか、そういう物騒なのもあるかもしれんが……まあ、それは考えないことにしよう。
「そして俺達は金を今、碌すっぽ持っていない!」
「つまり!騙す価値が無い訳ね!」
「その通りだ!」
……ま、結論は、そういう事になる訳だ。
仮にそうじゃなかったとしても、騙す為にわざわざ村を焼くとは思えないしなあ。
「……それに、騙されてるかもしれない、って思って、騙してない人を疑うってのは、俺達多分、苦手だよな」
「うん」
そして何より、俺達の性に合わない。
これからも警戒するのは、井末達とプリンティア国王周辺くらいでいいだろ。多分。
「ま、何かあったら逃げるからな。その時は頼むぞ、エピ」
「うん!」
逆に言うと、井末だのプリンティアだのに対しては、滅茶苦茶警戒するけどな!次に会ったら容赦しねー!
川をさかのぼり始めて10分。俺達は大変なことに気が付いた。
「ねえ、タスク様。よく考えたら、私達の歩く速度でエスティに追いつける訳ないよね」
「その通りだ」
川沿いは多少、道がマシではあったが、それでも熱帯雨林でアマゾンでジャングルなのだ。歩きにくい。当然、進むのに時間もかかる。エスティに追いつくとか、無理である。
「なら……川を行こう」
俺達の目の前には、捨てられたのか停めてあるのか、小舟がある。
あれを使おう。
「え、えええっ?だ、だってタスク様、川の、『上流』だよ?行くの、上流なんだよ?遡るの?」
「ああそうだ。ほら、乗れ乗れ」
戸惑うエピを無視して、小舟に乗り込む。
うん、多少古びてはいるが、特に問題なく使えそうだな。浸水とかも無い。
「わ、わ……で、ど、どうするの?」
「エピ、雨を降らせてくれ」
ということで、まずは雨を降らせてもらう。
ぱらぱら、程度の雨だが、これでもいい。
俺(というか、フライパン)が梅雨の精霊から授かった能力。それは、『フライパンから吸い込んだ液体を降らせる能力』と、もう一つ。
そう。『フライパンに雨を集める能力』。
では考えよう。
フライパンに雨が集まったら、どうなる?
フライパンから水が湧き出る、ってことになるんじゃあないか?
小雨でも、集めればそこそこの水量になるはずである。つまり!
「集めた雨を俺のフライパンから噴射して川を遡るっ!」
「……タスク様ぁ」
「OK、俺が悪かった。0.5mm/時の雨に期待しすぎていたっていうかこの川舐めてたっていうか」
良い線まで行きはするんだよ。
だが、進まねえ。進まねえ。びっくりするぐらい、進まねえ。
川の流れに逆らって、その場に停滞することにほとんどのエネルギーを使ってる。
……。
「タスク様、これ、普通に歩いた方が」
「いいやっ!まだだねっ!」
考えろ!俺!さっき、村の消火活動をした時にはもっと雨が降ってただろ!
俺のフライパンから川の水を吸収して、エピが降らせる雨と合わせて、そこそこっていうか、結構な雨足になってただろ!
つまりだ!
「エピが降らせる雨よりも!俺が降らせる雨の方が多い!」
「でもタスク様!タスク様が雨降らせたら、降らせた雨を集めるフライパンが無いよ!」
「いいや、違う!諦めるな、エピ!」
確かにエピの言う通りだ。俺のフライパンで雨を降らせたら、確かに結構な雨が降る。
だが、『降らせる』為にフライパンを使ったら、『集める』為にフライパンを使えない。ご尤もだ。ご尤もである。
……だが、逆に考えるんだ。
集められなくったっていいやって。そう考えるんだ!
「出すのが駄目なら吸えばいいんだよ!」
俺はフライパンを舳先、つまり、進行方向へ浸した。
そして、雨を降らせる。
……。
「……水を吸う勢いで、舟が進んでる……」
ずごごごごご、と、フライパンが川の水を吸う。吸った水は雨になって辺り一帯に振るが、エピが雨避けの力で避けてくれるのでそこまで苦でも無い。
そして、水を噴射する勢いではなく、水を吸う勢いで、舟は動き始めた。
……なんかマヌケな絵面だが、もういいや、これで。
「タスク様、なんかこれ、変」
「変でもいいだろうが」
もういいんだよ、これで!