28話
森を抜けるとそこは、夏の国であった。
「わー……綺麗……」
遠くに見えるのは、海か。
太陽が沈んでいく空は燃えるような赤や橙に染まり、海には杏色の光が瞬き、黒く影が落ちる。砂浜に寄せては返す波すらも黄金色に染まって煌めく。遠くに跳ねる水飛沫は、鯨か何かなのだろうか。
……それはそれは鮮やかに美しい光景であった。絵に描いたような、というか、絵よりも美しい、というか。
「本当に夏、ってかんじだな」
シルエットとしてしか見えないが、アレはヤシの木だろうか。いや、ヤシによく似た別の植物かもしれんが。
「すごいなあ……こんな風景、見たことなかった……あれは、水なの?あれが海、なんだよね?」
そしてエピの感動は、俺の数倍以上、上を行くらしい。
写真や絵画ですら、海を見たことが無かったのだろう。
エピは夕焼けの海を食い入るように見つめている。
「……綺麗だよな」
「……うん。すごく……」
ファリー村の村長が言っていたことを、思い出す。
エピを連れ出してくれ、と。世界を見せてやってくれ、と。
……成程。見せてあげたい、と思っちまうよな、これは。
夜になったら適当に馬車を停めて野営して、翌朝、また移動する。
「えーと、エリンさんに貰った地図には、『アペリ』っていう町が載ってるね」
このまま道を行けば、『アペリ』なる町に到着するらしい。夏の国であるエスターマ王国の最初の町、ってことだな。
「その先はどっちに行ったらいいのかなあ」
「分からん。とりあえず夏の精霊を探すしかないだろうから、アペリの町で聞き込みだな」
春の精霊については、祀ってある場所がはっきりしていたからな。夏の精霊もあんなかんじに定位置に居てくれればいいんだが。
「……精霊様、お散歩してなければいいね」
「うん」
だが、春の精霊があんなのだったからな。あんまり期待できねえ。
そうして、その日の夕方には無事、アペリの町に到着した。
「わー、すごい。夏の国、っていうかんじ」
アペリの町は、夏の国、といった街並みであった。
木や石や漆喰の壁に、植物で葺いた屋根。或いは完璧に木造建築。高床に作ってあるのは雨が突発的に降るからだろうか。
ランダムに敷かれた石畳の脇の並木はヤシの木っぽく、咲き誇る花も色鮮やかすぎる程に色鮮やかで、正に、常夏の国、っぽい。
「……あついね」
「な」
そして、暑い。
俺はいそいそ、とパーカーを脱いだ。流石にこの気温で長袖2枚は無理だ。
エピはエピで、ウエストががっちりしている服なので、やっぱり暑いらしい。半袖だから、その点はマシなのかもしれないが。
「……さて」
「うん」
そして俺とエピは顔を見合わせて、ぐっ、と、手に力を込めた。
「よし!早速夏の精霊について聞き込みだ!」
「おー!」
掛け声と共に拳を天へと突きあげる。
エピと共に、気合は十分!よし!夏の精霊の情報、なんとしても手に入れてやるぜ!
そしてさっさと聞き込み終わらせて宿とって寝よう!車中泊じゃああんまりゆっくりできなかったんだよなあ、狭いし寝返りうったらエピにくっついちまうし……。
「ああ、それなら隣のウヴァルの町に夏の精霊様がおわす遺跡があるよ」
……。
尚、これ、聞き込み1人目である。
何なんだ。俺達の意気込みは何だったんだ。あれだけ気合入れたのに。無駄だった。無駄だったじゃないか。
「そ、そうなんですか」
「ちなみに精霊様にはお会いできるんでしょうか?」
「ははは、どうかなあ。昔は会った人も居たらしいけれど。半分迷信みたいなもんじゃないかな」
だが、精霊ってものの認知度はこんなもんらしい。プリンティアの春の精霊もこんなもんだったっけ。
その割には俺達、既に精霊2体に会ってるんだがなあ……。
ま、いいか。
「ところで、夏の精霊様に会いに行くってことはお兄さん、救世主様かい?」
「……え?」
よくなかった!
「え、あの、違いますって。違いますというか救世主様って何ですか!?食べ物ですか!?それとも俺に毎晩話しかけてくる妖精さんの名前ですか!?」
「ははは、冗談だって。そんな慌てなくてもいいだろ、お兄さん!」
何だ、焦った。冗談かよ。あんまりビックリさせないでほしいんだがなあ!
「……というかお兄さんアンタ、毎晩妖精が」
「それも冗談ですってははは」
「おっ、中々やるねえお兄さん。ははは!」
……もしかしてこの世界、妖精とかも居るんだろうか。
「知らないなら教えてやるよ。救世主様は魔王を倒す力を手に入れる為、四季の精霊様のお力を授けて頂くんだとさ。ま、巡礼ってこったな」
へー。そういう文化があるのか。
……あ、エピが複雑そうな顔をしている。
うん、まあ、そうだよな。春の精霊だと勘違いされているエピは、これからも多分、追いかけ回されるんだろうからな……。なんというか、期せずしてエピが井末に追っかけ回されていた理由が分かってしまったぜ。
「だからお兄さんが夏の精霊様を探してる、なんつった時、そういうジョークを飛ばしたって訳さ」
うん、ジョークどころじゃねえよ。こちとら心臓止まりかけたわ!
「ま、タイムリーなジョークだよな。ほら、救世主様は今、このアペリの町に来てらっしゃるだろ?」
……。
エピと顔を見合わせた。宿とる前で良かったぜ……。こりゃ、もう1日車中泊になってでも、さっさと次のウヴァルの町を目指した方が良さそうだな。
記念すべき聞き込み1人目との会話を終えて、俺達は広場の適当なベンチの上で地図を広げた。
「えーと、ウヴァルの町、ウヴァルの町……あ、ここか」
「ちょっと遠いね」
これはまた、街道沿いの宿に泊まりながら、ってことになるんだろうか。ウヴァルの町まで、馬車で3日程度はかかりそうだな。
「うーん、或いはもうちょっとショートカットできそうな道を……」
「えー、でも、この森を突き抜けるのは難しいと思うなあ……」
だが、うかうかしていられない。
ここでゆっくりしている暇なんぞ、無いのだ。
俺達はさっさと夏の精霊に会って、『元の世界へ戻る方法』を聞かなくては。
んでもって、駄目なら駄目で次の精霊の所へ行かないといけないからな……。のんびりしてたら、井末に追いつかれる!
「やっぱりショートカットはやめようよ、タスク様。危ないと思う」
「だが……うっかり井末に追いつかれたらなあ……エピは春の精霊だと勘違いされてるし、俺は俺で殺されそうだし……」
俺達は地図を前に、うんうん唸っていた。
もういっそ、2人で交代しながら徹夜で馬車を動かすか?いや、それも危険だしなあ……。
そうして悩み続けていた時だった。
「あら?何かお困りかしら?」
俺達が顔を上げると、そこには赤っぽい金髪の女性が微笑んでいた。
「もしかして、ウヴァルを目指しているの?」
女性は俺達の手元の地図を覗き込んでそう言った。
「はい。できるだけ速く着く道を探していて……」
俺達の地図には、考えたルートが幾つも記されている。中には疲れた頭が暴走した結果の『空を飛んでいく』とかそういうルートも入っているが。
「そう。急ぎの旅なのね?」
「親戚が危篤でして」
尚、こういう時の理由づけの為に、俺の架空の親戚はしょっちゅう危篤になっている。俺の人生で多分、もう5回目超えてると思う。
「あら、それは大変。……なら、この森を抜けてしまえばいいわ」
女性はそう言って、地図上を真っ直ぐ、アペリの町からウヴァルの町まで進んだ。
「え、でも」
「大丈夫よ。この森、昔は街道が通ってたの。だからそこを通って行けば、そこまでの悪路じゃないわ。その代わり、野宿三昧になるけれど。でも、街道を行くよりは1日ぐらい早く着けるわよ?」
ほー。それはいいな。
「どうする?」
エピに相談すると、エピも頷いた。
「うん。じゃあ、森、突き抜けていこう!」
多少の悪路はまあ、我慢しよう。野宿というか車中泊も、まあ、仕方ない。
全ては井末御一行を避ける為だ!
「ご親切にどうもありがとうございました」
ということで、道を教えてくれた女性にお礼を言うと、女性は優しく微笑んだ。
「いいのよ。困っている人が居たら助けるのは当然のことだわ。それに、知識や情報は渡したって減らないものね」
名言だね。知識や情報は渡しても減らない。
……まあ、時と場合にもよるだろうが、この場合は、廃れた道を利用する人が多くなればその分、その道が復活する可能性が高くなるわけだし、『減る』よりは『増える』かもしれないよな。うん。
「ありがとう、お姉さん!」
「ええ。あなた達の旅の無事を祈っているわ」
女性はまた微笑むと、手を振って俺達から離れていった。
「良かったね、タスク様!」
「ああ。……じゃあ、早速で悪いけれど、もう出発するか」
「うん!お買い物は……」
「……ウヴァルの町までは持つだろ、多分」
それに俺達、もう、消耗品はほとんど必要ないからな。
パンは石から作れるし、水すら雨の精霊のおかげで持ち運ぶ必要が無くなっちまったし……。
「……うん。なんか、すごいね。私達」
「うん」
思い立ったらすぐ出発。この身軽さは中々凄いよな……。
ということで俺達はものすごい速さでアペリの町を出発した。滞在時間、たったの2時間弱。何なんだこれは。
「じゃあ、ここから真っ直ぐ行って、森の中ね!」
「森も夏っぽいな……」
海から離れていく方向に進めば、森が見えてくる。
森は熱帯雨林、アマゾン、みたいなかんじの様子だった。うーん、暑そう。
「ま、また長旅になるな。よろしく」
「うん、こちらこそ!」
……ということで、また馬車の旅が再開してしまったのだった。
……もうちょっと警戒すりゃあ良かったか、と思ったのは、その数時間後であった。