26話
滅茶苦茶驚かされたし、実際、滅茶苦茶驚いたのだが、それは素振りに出さず、俺とエピは老人に向き合った。
「お邪魔してます」
そしてご挨拶した。
「どうぞごゆるりと。どうせ、誰も使ってはおらぬ家です故」
あ、よかった。この家、この爺さんの家ではなかったらしい。本当によかった!
他人の家に入って寛いでた訳じゃなくて本当によかった!
ご挨拶も済んだところで、改めてこの町が滅びた原因を聞くことにした。
適当なテーブルに着いて、爺さんが淹れてくれたお茶を飲みつつ、爺さんが話し始めるのを待つ。
……そして、お茶を半分ほど飲んだところで、爺さんはこう、切り出した。
「ランジュリアではもう、雨が降り続いて50年にもなります」
「それ異常なんじゃ」
「異常です」
だよなあ。
50年間雨降りって、凄いよな。異常気象にも程がある。
「雨が降り続き、太陽の光は届かず。作物も碌に育たず……丁度、雨が原因で川が氾濫したり、土砂崩れも立て続けに起こりましてな。悪路と悪い噂を避けるようになった旅人たちも訪れなくなり……」
まあ、そうだよな。毎日雨降りの町じゃあ生活にも困りそうだ。事故が起こるなら交易路としても機能しなくなるし。
「そうしてこの町は滅びました。町の者はほとんど皆、他の町へと移住していき、今はこの老いぼれだけが細々と暮らすばかりです」
そこまで話して、爺さんはまたお茶を啜る。
ずび、という音と、薪の爆ぜる音。そして外から響く雨の静かな音が混じり合って、暫し、沈黙が場を満たした。
「……ねえ、どうしてそんなに雨が降っているの?元々降っていた訳じゃないんでしょ?」
沈黙を破ってエピが尋ねると、爺さんはゆっくりとカップを置いて、重々しく答えた。
「……呪い、です」
地球温暖化の影響じゃないんだ。
「この町の外れには沼があります。そこに魔物が住み着きました」
爺さんは語る。
曰く、町の外れの沼に住み着いた魔物が、呪いによってこの町、ランジュリアに雨を降らせ続けているのだという。
雨は止むことも無く、只々降り続け、ずっとランジュリアを包み続けているのだと。
50年も。50年も!
……よくもまあ、そんなに根気が持つよなあ……。
「呪われた原因に心当たりは?」
「さあ。魔物の事ですから、人間が困れば何でも良かったのではないでしょうか……」
俺は今一つ、この世界の『魔物』ってものが何なのか、掴みあぐねている。
とりあえず人間の敵であることは間違いなさそうだし、俺の命を狙ってきてたりするから倒すが、実体はよく分かっていない。
が……人間が困れば何でもいい、か。迷惑な話だな。
「……或いは」
爺さんは、窓の外に降り続ける雨を眺めて、ふと、漏らした。
「昔、沼で魔物が水浴びしていたのを覗いていたから恨まれたのかも……いや、それはないでしょうが」
……。
「い、いや、その魔物が中々のナイスバディだったもので」
……。
「しかしまさかそれが原因なはずは……」
いや正にそれが呪いの原因なんじゃないかな!
水浴びを覗かれたとはいえ50年も雨降らせてる魔物も魔物だが、魔物がいくらナイスバディだからって水浴び覗いてたこの爺さんも爺さんである。どっちもありえねえ。
「心配して損した!もう!もう!」
エピは俺よりもご立腹であった。雨も吹き飛ぶ勢いで怒り続けている。うん。気持ちは分かるぞ。なんか深刻な話をされたと思ったら、気づいたらスケベジジイの若かりし頃の過ちを罪悪感0%で漏らされたんだからそりゃあ怒る。うん。
「い、いや、しかしですな」
「とりあえず今日はここで寝て、明日出発するか」
「うん!そうする!」
「あの」
「寝るので出てってください!お休み!」
エピがどすこいどすこい、とばかりに爺さんを押し出し、ドアを閉めてしまった。
そうすると爺さんも諦めたのか、ドアの外で爺さんが帰っていく気配がした。
……うん。
「ま、今日は寝ようぜ」
「うん」
呪いも雨も魔物も爺さんも覗きも頭の外に追いやって、とりあえず今日はゆっくり休もう。それがいい。うん。
その夜。
「―――」
何か、声のようなものが聞こえた気がして、目が覚めた。
エピが何か寝言でも言ったんだろうか。
エピの口元に耳を寄せてみる。
「……タスク様……それは、それは、駄目……んっ……」
……一体何の夢を見てるんだ。エピの夢の中で俺は一体何をしているんだ。気になる。すごく気になるが気にしたら負けな気もする!
「……あ、駄目、みんなが見て……」
ああああ!何だ!何をしているんだ夢の中の俺!というかエピは一体何を見てるんだ!
「崩れ……」
……ん?
「……だから、それは、パンにしちゃだめ、て……のに……」
うん。
よし、寝よう。
エピの夢の中でも俺は俺だった。平常通りの運転だった。何も問題は無かった。あるとしたら問題は俺の頭の中にこそあったのだ。やってらんねえ。
「―――」
だが寝ようとしてもう一度起きた。
やはり何か、また声のような音が聞こえる。
エピの声じゃない。何か……窓の外から、聞こえる。
そっと。警戒しながら窓に近づいて、窓を開け、外の様子を窺う。
相変わらず雨が降っている。そして外には誰も居なかった。
気のせい、か?……いや。
「―――!」
雨に霞み、暗く消えていく道の先。
村の外れの方から、何かが、聞こえてくるようだ。
翌朝。
エピを起こして朝食を摂ったら雨避けの外套を着込んで、俺達は村の外れの方へ向かって歩き始めた。
勿論、武装は怠っていない。鞭もフライパンもバッチリだ。駄目だ。字面だけだと完全武装のはずが全然バッチリそうに聞こえねえ。
「こっちから声が聞こえたの?」
「多分」
昨夜の話はもうエピにもしてある。
ただ、今もそうだが、その時も雨が降ってたからな。よくは聞こえなかった。
「良く聞こえなかったのに声だ、って分かったの?」
「ああ。よく考えると不思議なもんだが」
「……もしかしたら、そういう魔法、だったのかも。魔法を使う魔物だったら気をつけなきゃ。私達2人とも、魔法は使えないもの」
成程な。ま、気を付けるに越したことは無いだろう。
が。
……俺は、今回、負ける気がしていない。
村の外れ、森の中へ少し入ったところに、小さな沼があった。
水は淀んでいるが、昔はここの水を生活用水にしていたのかもしれない。
「……誰も居ない、ね」
「だな」
俺達は用心深く、そっと、沼に近づく。
沼の水面に手が届く位置まで近づいて、近づいて。
すると。
ザバアッ!と勢いよく水柱を上げながら、沼から、何か、出てきた。
「確かにナイスバディだ」
沼から出てきたそいつは、女性の姿をしていた。
そして、水から出た頭から肩、そして胸元辺りまでを見るだけで分かる程度のナイスバディであった。
「タスク様……やっぱり大きい方が……」
「いや、流石にこれは讃えないといけない気がした」
『キシャアアアアアアア!』
「あ、ごめんなさい」
沼の妖怪とエピからそれぞれに非難の色を示されたが、俺は俺に正直に生きていきたい。
『キャアアアアアアアア!ピャアアアアアアア!』
沼の妖怪が高く高く、女性の悲鳴のような金切り声を上げたかと思うと、沼の水が、震えた。
「タスク様!上!」
エピの声に上を見れば、雨が。
雨が、形を作っていた。
それは、剣であったり、槍であったり。雨が形作った煙る銀色のそれらは、一度、大きく震えたかと思うと……雨より速く、俺に向かって降り注ぐ。
「っと!」
勿論、真っ直ぐに狙ってくるものを避けるのは簡単だ。
俺が避けると、雨の剣や槍は地面に当たって砕け、水となって飛沫を上げた。
だが、雨の刃には限りが無いらしい。
次々と、雨が形を成して俺に向かって降り注ぐ。
俺はそれを避けながら……沼に、手を突っ込む。
そして、ワインの池の中に、沼の妖怪がぷかぷかと浮かぶことになった。
「……うん、水の魔物だったら、こうなるよね」
「住処が沼なら絶対こうなると思った」
沼の妖怪は流石、雨や水を操るだけの事はあった。つまるところ、浸かっていた沼がワインになったら、酔っぱらってプカプカしてしまったのである。
「こうしてみると、普通の女の人みたいだね」
ぷかり、と浮かんだ沼の妖怪は、さっきまで金切り声を上げて髪を振り乱していた様子からは程遠く、ただの美しい女の人、といった風情だった。
これならあのスケベジジイが覗く気持ちも分からんでもない。
「……あ、あれ?」
そんな折、エピが戸惑ったような声を上げた。
「な、なんか、変……?」
見れば、エピの掌から、淡く薄緑の光が輝いていた。
そして、俺のフライパンも。
……ま、まさか。
「精霊様が、反応、してる……?」
緑の光はやがて、沼の妖怪にまで波及。
『う……うん……?あ、あら……?』
妖怪は、すっかり理性を取り戻した様子で、目覚めた。
『ここは……な、なんでワインの中に!?きゃ、あああああああああああ』
そして、目覚めてすぐ、ワインの中に沈んでいった……。
……何なんだ、今の。