20話
「いやあ、申し訳ない」
「ホントにね」
今、俺の頭は解放され、目の前には例の赤地の水玉模様をしたよくわからん花と、その花の育て主っつうか飼い主の人が居る。
「普段はこんなに誰彼構わず噛む奴じゃあないんですが」
飼い主のお兄ちゃんはそう言うが、その隣でパックンなフラワーはかぷかぷかぷかぷ、お兄ちゃんの手を齧りまくっている。
「説得力の欠片もねえ」
「うん……いや、なんかちょっと興奮してるみたいだな。なんでだろう」
というか、この花だかなんだか分からんのは何なんだ。生き物であることは確かなんだろうが。
「この子、なあに?お花?」
「ああ、うん。一応ね。花だよ」
『一応』なの?やっぱり?これモンスターだよね?
「一見、不気味だし、噛みつかれたりもするけれど、とても貴重な植物なんだ」
植物なの?噛むんでしょ?これモンスターだよね?
「こいつは噛んだ相手の生命力を吸収するんだけど……あ、吸い取られても、ちょっと元気がなくなる程度何だけどね!」
おい待て。俺噛まれたぞ。これモンスターでもういいんじゃねえかな?
「でも、その特性が……ほら。こいつの蜜にも現れるんだよ。この蕾を見てごらん!」
花形モンスターの茎の、枝分かれした先。そこには赤と白のまだら模様の、小さくて丸っこいチューリップみたいなのがついていた。どうやらこれ、まだ小さな蕾らしい。
「あっ、蕾はちょっと可愛いのね」
「ははは。そうだろう?それでね、この蕾を絞ると蜜が出てくるんだ」
俺達が見守る中、お兄ちゃんはその蕾の下に器を用意して、蕾を、むにっ、と握る。
すると。
……どろり、と、血のように粘っこく赤い液体が、出てきた。なんか、よく分からない塊とかも一緒に。
もうこれ絶対モンスターじゃん!
滅茶苦茶不気味な光景に俺とエピが戦慄する中、お兄ちゃんは嬉しそうに蜜について語ってくれた。
「おお、久しぶりだよ、こんなに良い蜜が採れたのは!……この蜜はね、この花の特性である『噛んだ相手の生命力を吸収する』っていう力を持っているんだ。この蜜に他の花の蜜や蜜蝋なんかも混ぜて、特性を変化させるとね……」
お兄ちゃんがポケットから何か、小さな短い棒状のものを取り出す。綺麗な細工だな。
これが何か、俺にはよくわからんのだが、エピにはそれが何か、分かったらしい。
「それ、口紅?」
「正解!……なんとこの口紅は、『キスした相手に生命力を分け与える』っていう道具なのさ!可愛いだろう?今、女の子達に大人気なんだよ!」
へー。面白いもんだな。
……説明の背後で、お兄ちゃんがガジガジ頭齧られてるところまで含めて!
「もらっちゃった……」
「良かったな」
結局、『こんなに良い蜜がとれたのは久しぶりだよ!きっと君を齧ったからだね!』ということで、俺が齧られたことへのお礼と、俺が齧られたことのお詫びとして、例の口紅をエピが貰った。俺にもくれようとしたんだが、断った。流石にいらねえ。
「う、うーん、でも、あのお花の蜜……うーん……」
ただし、エピがこれを使うかどうかは微妙である。
うん、俺もあの光景見ちまってるからな。正直なところ、口紅の色素があの……あれだろ?うん。使う気、起きねえよな……。
「……可愛い色だけど……」
口紅は、あの不気味な液体からは程遠い、可愛らしいピンク色をしていた。
「町で女の子に人気だっても言ってたけど……」
町行く女の子達は、『恋する口紅』なんつって、この口紅を持て囃しているらしい。
「でも、でも……!あのお花の、あの蜜……!」
「町の女の子達は原料知らねえんだろうなあ……」
……脳裏によみがえる、あの光景。
押された蕾から、ごぷり、と溢れた液体。
赤く粘っこい液体の中に所々混ざっていた、何かの塊だか破片だかよく分からない謎の固形物。
誰彼構わず噛みつくあの物騒な花。
……。
「この口紅、しまっとく」
「うん、そうしろ」
さて、微妙な貰い物を鞄と記憶の奥底にしまい込んだところで、俺達は昼食を摂ることにした。
尚、昼食は煮込みハンバーグみたいな奴だった。
これまでの町もマルトの町もそうだが、海が近い訳じゃないらしく、魚料理はほとんど無い。
そろそろ魚食いたい。
昼食後、更に花のシロップを使ったアイスクリームなんつうものまで食べ終えてすっかり観光まっしぐらな俺達は、町をのんびり歩いて散策していた。
「見て見て、変な石像ー」
「なんだろうな。あれ。しらたきの石像か?」
変な石像を見つけたり。(尚、これはそういう植物だったということが後に判明した。)
「あれなんだろうね。いい匂いがするけれど」
「分からん。高速回転する小型メリーゴーランドか」
「メリーゴーランドって何?」
高速回転する奇妙な物体を見つけたり。(尚、これは花の蜜を絞っていたことが後に判明した。)
「不思議なところね……」
「だな。家が植物に侵食されてる」
余りにも庭木が元気すぎて壁とか屋根とかが枝にぶち抜かれてる家を見たり。(尚、これは本当にただそれだけだった。)
……そんな具合に、マルトの町を周っていると、嫌でも耳に入ってくるし、目にも入ってくる。
「どうする?タスク様。お祭り、見てく?」
「ちょっと気になるよな」
どうやらこのマルトの町、明後日に花祭りを控えているらしい。
……『花祭り』なんて聞いても俺の頭の中には、小さい仏像に甘茶を掛ける光景しか浮かばないが。
「ま、そんなに急ぐ旅路でもないしな」
「じゃあ見ていくのね!わーい!」
異世界観光もまあ、悪くないよな。
ということで、俺達はあと2日程度、このマルトの町に滞在することを決めたのであった。
が。
「ごめんねえ、どこもいっぱいなのよ。ほら、花祭りがあるでしょう?」
宿が空いていなかった!
「まさか今晩の宿すら厳しいとは」
現在、おやつ時を過ぎたくらいの時刻である。
今から別の町への馬車に乗る気にもなれないし、そもそも花祭りとやらを見る気満々でいたので、この町で宿が取れないのはとても困るのだが。
「野宿する?私、またパンの穴でパンのお布団でもいいよ?」
「場所が無いだろ……」
しかもこの辺り、町の周りは花畑。
岩場は少々遠すぎるのだ。パン穴作って寝る訳にもいくまい。
「じゃあ、どこかのお家に泊めてもらう?」
「それもなあ……」
……まあ、最悪、酒場兼食堂みたいなところを見つけて朝まで入り浸れば、夜を明かすことはできるか。この世界でも朝まで飲んだくれる類の人達は存在しているらしく、そういう人達に対応した店というものも存在している。
ネカフェ難民みたいだが致し方あるまい。
宿が無いと、どうにも糸が切れた凧みたいになってしまう。
さっきにもまして町をブラブラして、散策というよりは徘徊に近い行動を繰り返してしまう。
「……ここ、どこだろ」
「……さあ……」
そうして俺達は、気がつけば見事に町はずれの花畑のど真ん中に来ていた。
「もしかしてタスク様って方向音痴?」
「そういうエピもな」
異世界人と田舎者の2人パーティは、街中では方向音痴以外の何物でもなかった。
方向音痴の俺達は、とりあえずそのまま花畑で休憩した。
「おべんと持って来たらきっといいよね」
「確かにピクニックには丁度いい場所かもな」
のんびりと暮れなずむ空を眺めつつ、ゆったりゆったりとした時間を味わう。
……まあ、それしかすることが無いからっつうのが一番の理由なんだが。
よく分からない謎のゆったり加減を味わっていたところ、ふと、前方から何かが走ってくるのが見えた。
「た、タスク様、大変!……なのかな?」
「……わ、分からん!」
傾いた太陽をバックに走ってくる人の後ろには……明らかに人じゃないシルエットが見えた。
「助けてー!助けてください!」
あ、走ってくる人が助けを求めて来た。なら助けよう。
……いやさ。ほら、追いかけてきてる奴。あれ、木が走ってるもんだから……パックンなフラワーよろしく、そういう、農作物なのかなー、と……。
別に『農作物の木に適度な運動をさせて健康にするため、一緒にジョギングしてます!』みたいな状況じゃないらしいので、早速、エピと一緒に動く。
木が走ってやってくるというシュールかつファンタジックな光景に終止符を打つべく、俺とエピは、鞭の両端を持って構えた。
花畑に隠れるようにしながら鞭をピンと張って、走ってくる人と木が通るであろう道を塞ぐようにする。
……そして、俺達の間を1人の少女が走り抜けた瞬間、俺達は鞭を高さ30cm程度に持ち上げた!
根っこをウネウネジタバタさせながら走ってきた木は、鞭に足……じゃなくて根っこを引っ掛けられ、見事にスッ転んだのであった。
「よし!今だ!殴れ!」
「うん!」
「はい!」
木が倒れたところに3人で寄って集って、ぼこぼこ殴る。
エピは鞭だとこういう場面に不向きなので、そこらへんにあった大き目の石を使ってぼこぼこやっていた。なんつうヴァイオレンスな眺め。
「……やったか?」
「タスク様、それ言われるとなんだか駄目な気がするの。なんでだろう」
自分でフラグを立ててしまったが、まあ、流石に3人がかりで倒れたところをボコスカやられたら木は死んだらしい。本当にもう、文字通りの木っ端微塵になっている。本当にもう、木っ端。木っ端だ。
……しかし、これ、木が普通に動いてたって事だもんな……。中の人が居る訳でもなく、本当に、木が。
やっぱこの町、すげえ。
「助けて頂いてありがとうございました。魔物に追われて、本当にどうなることかと……」
木の死体っつう奇妙な物を見ていたら、追いかけられてさっきまで逃げていた少女が、お礼を言った。
「申し遅れました。私、マルトの領主の娘、エリンと申します」
……清楚な少女である。年は俺らと同じぐらいか。
だが。
だが、その手に在るのは!柄の長いハンマー!つまり鈍器である!
この少女!ついさっきまで、しれっと俺とエピに交ざって木をボコスカやっていたのである!
……俺らが頑張らなくても、この子1人でなんとかなったんじゃねえかなあ、という台詞は心の内にしまっておくことにした。