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2話

人はパンのみで生きるにあらず。水も無いと死ぬ。

 落ちる。フリーフォール系アトラクション真っ青の落下感である。そりゃそうだ、実際に落下してんだから。

 光が底まで届かなかったほどだ。相当深い穴らしく、中々衝撃が訪れない。

 その間、俺は脳裏を走る走馬燈を見つつ、己の不運よりも国王と魔法使いのおっさん達とムキムキマッチョメンズを恨みつつ、衝撃を覚悟していたわけだ。

 が。

 覚悟した衝撃が、一瞬、手首に走ったような気がした直後、俺の体は妙に柔らかい物に沈み……。

 沈んで沈んで沈んで、埋まったのだった。


 状況を把握できない。辺りは真っ暗で、何も見えない。当然だ。ここは光の届かない穴の底なんだから。

 だからとりあえず、視覚の代わりに他の感覚を研ぎ澄まして、状況把握に努めよう。

 まず、聴覚。

 遥か遠く、上の方で、扉が閉まるらしき鈍い音が響いた。さっきのムキムキマッチョメン共が出ていったんだろうな。とりあえず、安心か。

 だが、音は妙にくぐもって聞こえてくる。俺が埋もれている物によって吸音されているらしい。

 次に、触覚。

 柔らかい。ふかふかしている。俺が埋もれているものは、押せば沈む、それ以上押せば潰れる程度の柔らかさだった。どちらかというと乾いている。触り心地は悪くないな。まるでパンみたいだ。

 次に、嗅覚。

 芳醇な、小麦とバターとイーストの香りがした。食欲を刺激される。まるでパンみたいだ。

 ……もうこの時点で答えが出てるような気がする。

 だが俺は最後の最後まで確認を怠りたくない性分だ。

 分かりきった答え合わせの為に、味覚を試してみる。

「パンだ……」

 パンであった。

 分かってしまった。

 俺が埋もれているのは、パンだ。

 パンであった。紛うことなきパンであった。




 さて。

 一体、なんだって俺はパンの海に埋もれているのか。

 その答えは……もう、出ている。

『俺には救世主を模した能力がある』。

 それだ。


 救世主。実質的に世界を救ったのかとか、実在したのかとか、その他諸々を考えずに、ごくごく単純に『救世主』として知られる人物についてだけ考えれば、俺が知っている『救世主』は、ただ1人だ。

 神の御子だ。十字架担いでゴルゴダの丘に登ってロンギヌスの槍で刺された人だ。要は、世界一のベストセラー(聖書)の中に登場する例のあの人だ!


 ……信じたくはないが、これ以外に説明がつかない。つかないよな。

 俺は、『石をパンに変える能力を持った』。

 馬鹿みたいな話である。だが、『穴の底は元々パンでできてました!』よりはよっぽど信憑性が高い気がする。

 それに、馬鹿みたいな話、馬鹿みたいな能力ではあるが、俺の命は石パンパワーによって救われたのだ。多分。

 なら、まあ……いいか、と。

 割と前向きに、この状況を飲み込む気になってきた。少なくとも、死ぬよりは、多分、マシだ。多分。




 ということで、俺がパンに埋もれてた謎は解けた。解けたことにしよう。

 なのでとりあえず、パンから脱出した。

 上下感覚は狂っていなかったので、上に向かってパンを掻き分け掻き分け、ひたすらもがいた結果、ようやくパンの海を脱して空気を胸いっぱいに吸うことができた。

 が、パン内の方がよっぽどいい空気だったかもしれない。

 腐敗臭と言うべきか、そういった悪臭が立ち込めているのだ。

 ……多分、人間の死体、だろうな。あまり考えたくはないが。

 そもそも、こんな穴が用意されているくらいだ。多分、俺以外にも『始末したい人間』が居て、そいつらを始末するのにこの穴を使ってるんだろう。

 そして、この穴の底、恐らく石の床であったであろう場所に体を叩きつけられて、成す術も無く死んだ人達の死体は、供養されることも無くここに捨て置かれた、と。

 ……胸糞の悪い話だ。

 俺は救世主じゃなければ、別に宗教家でもなく、何かの宗教を熱心に信仰している訳でもないのだが……この穴の底で死んでいったであろう人達に対して、祈るような気分にはなったので、とりあえず、瞑目して黙祷した。

 光の欠片も届かない穴の底で瞑目する意味があるのかは分からんが。




 ……さて。

 とりあえず俺は今、生きている。そして特に死のうという気はない。

 ならばここから脱出しなければならない。

 こんな穴の底で生きていけるわけが無いし、そもそも、俺が死んでいないことが国王その他にバレたら、今度こそ殺される気がする。

 多分、俺を始末しないと次の奴を召喚できないとか、2人も救世主が居てはいけないとか、そういう決まりがあるんだろうしなあ。




 まず、パンの上に這い上がった。

 パンは圧力をかければすぐ沈んでしまう。

 なので、腹ばいになって、できるだけ圧力を分散させるようにしながらパンの上を進む。

 何も見えない中、手探りで進んでいけば、いくつかの骨や死体に触れた後、明らかにもっと硬くて大きなものに手が触れた。

 手が届く限り触ってみるが、途切れる様子はない。

 つまり、ここが恐らく壁だろう。穴の側面、ということになる。


 脱出経路は簡単だ。

 俺が本当に『石をパンに変える能力』なんていうふざけた力を持っているのならば、それを利用してここから出てやる。

 ……つまりこの、深い深い穴の側面!パンにしてぶち抜いて横穴空けてやるぜえええええええ!




 パンを千切っては投げる。

 パンを千切っては投げる。

 パンを掘り進んでもうどれぐらいになるだろうか。1時間?2時間?もっと過ぎた?

 何時間でもいいが、そろそろ辛くなってきた。もうやめたい。なんだこの作業。

 俺は岩壁をパンに変えては千切って投げ、千切って投げた先の岩壁をまたパンに変える、という作業をひたすら繰り返している。

 ……案の定、と言うべきか、やはり、俺には『石をパンに変える能力』が備わってしまったようだった。もう疑う余地も無い。

 そのおかげで生きてるんだから文句は無いが……もう少し便利な能力だったら良かったのに、と、思わんでもない。なんだ、『救世主』として手に入れた能力が『石をパンに変える能力』って。なめてんのか!

 国王の話で聞いた限りだと、過去の救世主は『雷と炎を味方につけた』とか、『光を操って人を癒した』とか、『死者も蘇らせた』とか、なんかそういう凄い能力を持っていたらしい。

 ……その中での、『石をパンに変える能力』。

 なんかこう、もっとすごい能力だったら、こんな事をしなくても、殺されることなく救世主として奉られつつ、生きていられたんだろうな、と思うと……やってられねえ!

 やってられねえが、仕方ない。今はこの怒りを石壁もといパン壁にぶつけるしかないのだ。

 千切っては投げる。千切っては投げる。千切っては投げる……。




 そして、多分、半日以上経った。如何せん、真っ暗闇の中で時間の感覚が無いので分からん。


 食べ物を千切っては投げる罪悪感など、とうの昔に消えた。

 というか、もう千切って投げるのも面倒になって、パンの壁に突進していくようにしてパンに埋もれながら進んでいる。

 腹が減ったら適当にパンを千切って食う。

 食パンばっかりで飽きたな、と思いながら作業を進めていたら、『石壁』ではなく、『石』であるならば……つまり、やたらめったら大きな石でなければ、割と自由なパンにできることが判明したのだ。

 ちなみに、食パンは食パンで、フランスパンみたいな奴からヤマ○キのダ○ルソフトまで柔らかさを調整できることが分かったので、今は専ら掘り進めやすいダ○ルソフトにしている。

 ……つまり、俺はあんぱんとかジャムパンとかカレーパンとかを作りながら、適当になんとか食いつないでいた。

 ……だが。

 口の中が、パッサパサだ!




 パンはいいんだ。この環境ならほとんど無限に手に入る。手に入りすぎて嫌になる程度には手に入る。だが、水はそうもいかない。

 パンばっかり食ってたら口の中がパッサパサになる。この状態で生き延びるのは難しいだろう。食料よりも何よりも、まずは水が無いと生きていけないからな。

 だから早い所、このパン窟を脱出して、水を探しに行きたいんだが……それは賭けになる。


 俺は今、触覚だけを頼りに、パンを掘り進めている。

 暗くて何も見えないので、もしかしたら方向感覚が狂っているかもしれない。

 そして、方向感覚ですらそれなのだ。距離の感覚なんて、もっと狂ってる。実際、自分がどれぐらい岩をパンにして掘り進めてきたのか、全く分かっていない。

 ……つまり、だ。

 もし、俺がここから上を目指して進んでいったとしても、出た先がまだ、あの穴からそんなに離れていない可能性がある。

 そうなった時、地面からパンと共に出てきた俺が発見され、再び殺される可能性は極めて高い。どう考えても目立つからな。パンと共に地上に出たら。

 なのでできれば、可能な限り、地中を長く進んでから地上に出たい。

 具体的にどれくらい長く進むのか、というのは、ずばり、『俺の体力が続くまで』だ。

 ギリギリまで地中で粘る。そして、もう駄目だ、となったら、地上に出る。

 多分、それが最適解なんじゃないかな。

 ……まあ、なんだ。

 つまり、俺はまだ、体力がある。

 よって、パン掘り作業は続行されるわけだ。

 ……いや、体力より先に気力が尽きるかもしれんがな!




 どれぐらい掘ったか、まるで分からない。

 時間も分からない。距離も分からない。

 ただパンだ。パンだけがここにある。今、俺の世界にはパンと俺と時々岩があるだけだ。

 暗いからもう何が何だか分からない。とりあえずパンだ。パン。とにかくパン。多分右も左も前も後ろも、俺の周囲1mぐらいは全部パンだ。もしかしたら俺自身もパンになってるのかもしれない。そうだったとしてもおかしくないレベルで全部パンだ。もうパンだ。パンすぎてパンがパンでパンだ。

 我ながら、『こいつもう気が狂ってんじゃないのか』と思ったりするのだが、多分まだ大丈夫だと思う。まだ気力はギリギリ尽きてない。大丈夫だ。多分。まだなんとか大丈夫。

 だが、そろそろ体が辛くなってきた。水はとうの昔に尽きている。

 ……限界かな。うん、限界だ。限界だわ、これ。

 あの穴からどれぐらい進めたのか、まるで分からない。うっかり地上に出た瞬間、俺を殺そうとする人達に囲まれる可能性もある。

 だが、その危険を冒してでも……いい加減パンから脱出してえ!いい加減、パン以外の感触のものに触りてえ!というかパンの香り以外の空気吸いたいし、パン以外の物食いたいんだよ俺は! そして何よりも!水!水を!水をくれえええええええ!




 ということで、ここから上に向かって進むことにした。

 パンにする範囲を上にずらして、足元が階段になるようにしつつ、上に向かって、徐々に高度を上げていく。竪穴掘ったって、登れる訳じゃないからな。

 だから、地上までは結構長い道のりになる。

 果たして、俺の気力と体力は持つのか……?




 無心になってパンを掘り進めて、掘り進めて、掘り進めて。

 やがて、パンにパン粉が混じるようになる。

 つまり、岩盤が土か砂か砂利か、そういうものに変わったんだ。

 余計に掘りにくくなった地面を、それでもパン粉を掻き分けながら上へ上へと進んでいく。

 その内、パンに泥のような、パン以外の物が混じるようになったが、それらを掻き分け、更に上へ。

 進んで、進んで、進んで、進んで、そして。


 突如、目の前のパンを透かして、光が見えた、気がした。

 ……いや、気のせいなわけが無い。今まで、真っ暗闇の中に居たんだ。視覚情報に変化があれば、すぐに気づく。

 何かおかしい気もしたが、俺は慎重に、慎重にパンを掘り進めていく。

 そして、遂に。

「……抜けた……」

 遂に俺は、パンを抜けることができたのだった。


 そこには、ずっと暗闇に居た俺にもそこまで眩しくない世界が広がっていた。

 天窓から月と星の明かりが差しこむ、石造りの部屋。その中に俺は出てきたらしい。




 室内を見渡す。……いや、見渡すまでも無かった。

 ここは、小さな祠みたいな場所らしい。アーチ状の入り口には扉も無く、月明かりの草原が外に広がっているのが見える。

 部屋はごくごく小さな、六畳間くらいの石造り。中央に素朴な祭壇のようなものがあるが、逆に言うとそれだけだ。俺はどうやら、祭壇の脇の床をパンにしてぶち抜いて出てきたらしい。

 中央の祭壇の上には、そこに供えられたらしい……素朴な花束と、小さな干からびたパンと、水が、あった。

 水が、あった。

 水。

 水。

 水である。


 ……俺は迷うことなく、素焼きのカップに湛えられた水を飲んだ。

 水は若干、土臭いようだったが、そんなことは気にならない。俺はここしばらくずっとパンに囲まれて、パンを食って、パンを掘っていたんだからな!

 ああ、水、うめえ……!




 そんな折、ぱさり、と、軽い音が響く。

 振り返ると、床に落ちた素朴な花束と……1人の女の子が、居た。

「……本当、だった」

 目の前の女の子は、茫然と立ち尽くし……俺を見て、こう、言ったのである。

「救世主様……だよね?」

 と。


 ……いや……そう言われると、すごく微妙……。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 俺はッッッ、、、このご作品をッ、、全力で支持するッッツ! (^^)
[一言] 読み始めました。 めちゃくちゃ笑っています(笑) ……この世界の危機、が何かはわかりませんが、数百年前のヨーロッパみたいに深刻な飢饉に見舞われているような状況であれば、兵糧を無限に作れる能…
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