18話
「……豚さん……」
「豚だな……」
よりによって、豚かよ。もうちょっとかっこいい魔物じゃないのかよ。
『出て来い、神の玉梓……!出てこないなら、このままその小屋を潰して、全員ミンチにしてやる……』
なんとも言えない敵のチョイスと脅し文句のチョイスに微妙な気持ちになりつつ、指名されてしまった以上は仕方ない。
俺とエピはそれぞれ武器を持って、宿の外に出たのだった。
「豚だね」
「豚だな」
目の前にはでかい豚が居る。トンカツ何枚分だろうか。
『お前達だな?我が手先を洗脳したのは』
洗脳とは人聞きが悪すぎやしねえか?流石に。
『とぼけるな!ようやく人間を害する人間をあれだけ集めて育て上げたというのに!貴様らの邪魔のせいで!』
……まあ、要は、この豚は俺に対して逆切れ甚だしい怒りをぶつけている、と。OK理解。
「で?だったらどうするって?俺達をミンチにするってのか?」
ならば、とばかりに俺も睨みつけてやる。すると豚はそれが気に食わなかったらしい。
『物分かりが良いな!貴様らを殺してミンチにし、魔王様への供物にさせてもらおう!』
威勢のいいセリフと共に、俺達に向かって突進してきた。
「よーし上等だこの豚野郎!それなら俺はお前をトンカツにしてやるよ!さっさと精肉されやがれ!」
なので俺も適当な事を言いつつ、フライパンを構えた。
だがトンカツ食いたいのは事実である。
真っ先に飛び出したのはエピだった。
しゅ、と鋭い音を立てて振り抜かれた鞭が、豚の足下を狙う。
豚は鞭に気付いたが、咄嗟に避けられなかったらしい。びしり、という痛そうな音と共に、豚の脛が裂けて血が流れた。
立て続けに鞭が数発、豚を打つ。豚は動きがそんなに速くないらしい。自由自在に操られる鞭を受け、防戦一方、というかんじか。
「ほらっ!痛いでしょっ、豚さん!帰らないんだったらいっぱい鞭で叩いてあげるからねっ!」
……いや、うん。
エピは正しい。相手は豚だし、鞭で叩くのもエピの戦い方として何一つ間違っちゃいない。
だが。
だが、どうしても……エピが、相手を『豚』と呼びつつ、鞭振り回してると、なんか、こう。
うん。
『こざかしいっ!』
だが、豚は強かった。
鞭を避けることは早々に諦めたらしい。鞭を一身に受けて耐えながらも腕を振りかぶり、地面を殴りつける。
途端、地面が割れた。
岩石が盛り上がり、或いは穴となって、俺達の足場は急変した。
それはまるで魔法のように広がっていく。いや、実際、魔法なのか。
「きゃっ!」
「エピっ!」
砕けていく地面に足をとられたエピが、体勢を崩した。
『これで1人!』
体勢を崩したエピに向かって、豚が足を踏み出す。
一歩。二歩。エピに豚が、迫る。
俺も豚を追いかけるが、不安定な足場を上手く走れない。
豚の脚が、俺の手をすり抜けて、エピへ向かう。
「くらえ!ダブルソ○ト!」
なので俺は、豚が踏んだ岩を柔らかいパンに変えた。
『仕留めあああああああああ!?』
豚の脚がパンに沈んでいき、豚はその場で体勢を崩して盛大に転倒した。
『おのれ……面妖な技を……!』
豚がのっそりと起き上がる頃には、俺もエピも退避済みであった。やっぱりこの豚、割とトロいぞ。
「ど、どうしようタスク様、これ以上地面がぼこぼこにされたら戦えないよ。それに、鞭で攻撃してもあんまり効いてないみたい」
だが、トロい豚でも防御力と攻撃力は高そうである。地面の方は魔法なのかもしれんが、エピに鞭打たれまくっても平気で耐えるその根性と防御力は確かな物だろう。
つまり、一撃必殺みたいな攻撃で仕留めてやりたいところ、ってわけだ。
石ゴーレムをパンにした時みたいに、な。
「大丈夫だ。俺に良い考えがある」
「豚さん!こっちよ!捕まえてみてよ!」
エピが鞭を振り回して豚を叩きながら、不安定な足場をぴょこぴょこ駆け回る。
豚はエピの鞭なんて堪えていない様子だが、注意はどうしたって、エピに向く。
その隙に俺は、こっそりと、豚の足下へ近づいていく。
豚の脚の、脛の部分。
そこは、エピが鞭でしばいて、豚の皮膚が避けて血が滲んでいる。
俺は豚の血液に触れて、幾度となくやったように、念じる。
ワインになれ、と。
血液がワインになったらどうなるか。
まず、全部の血液がワインになったら、酸欠になって死ぬ。当たり前である。ヘモグロビンがポリフェノールになっちまうんだから当たり前である。
では、一部分だけ、血液がワインになったらどうなるか。
……アルコールを直接、血管にぶち込まれるのだ。
当然、急性アルコール中毒まっしぐら。
量によってはそれだけで十分殺せるはずだ。
だから、これで、チェックメイトだ!
『……何かしたか?』
だが、豚は死ぬでも酔っぱらうでもなく、振り向いて、俺を見た。
なんでだ。なんで効かない?いや、効く効かないじゃ、なかった。
発動しなかったのだ。俺は、豚の血液に対して、ワイン化の力を……発動させられなかった。
『残念だったな!死ね!』
理由を考える暇も無く、対策を考える暇などもっと無く、豚の拳が頭上から襲い掛かる。
咄嗟にフライパンを構えたが、そんなもんは関係ない、とばかりに、豚の拳はフライパンごと俺を潰しにかかってきた。
『……』
豚の拳が、俺が頭上に構えたフライパンにぶつかり、フライパンごと俺を地面に押し付ける形になる。
が。
「やわらかーい……」
足下は、パンであった。
さっき豚の足を引っ掛けるためにパンにした部分の端っこだったのである。
当然ながら、柔らかいパンの地面は俺を飲み込み、埋もれさせた。
……俺はパンに埋もれることによって衝撃を緩和し、豚の攻撃がクリンヒットしたにもかかわらず、無事、生き残ったのであった。埋もれたけど。埋もれたけど。
分が悪すぎるので一旦、足元の岩をより深くまでパンにして、より深く潜った。
『あああ!ちょろちょろとうっとおしい!』
上の方から豚の声が聞こえてくるが気にしない。そのままパンを掘って、豚から離れた位置まで進んで地上へ出る。
「タスク様、どうしたの!?」
地面からモグラよろしく出てきたところ、エピに心配されてしまった。
「血液をワインにしてやろうとしたんだが、なんかできなかった」
策があると豪語して動いたのにこの様である。何故だ。
「……血はワインにできないの?」
「かもしれない。とりあえず、別の方法を考えないと」
『話し合いは終わったか?』
「……まあ、ぼちぼち?」
何故血をワインにできないのかは……心当たりが、無いわけでもない。
だが今は、とにかく目の前の豚を何とかしないとな。
この豚が、春の精霊の遺跡で戦った虎みたいなアレぐらいの硬さなら、地面にパン落とし穴作って足止めしておいてフライパンでガンガンぶっ叩くっつうのが最適解のように思うんだが、相手は鞭の攻撃を受けてもしらっとしている豚である。
それに怪力だもんだから、落とし穴を抜けるのも速そうだし、地面をガッタガタにしてくれたのが魔法によるものなんだとしたら、そもそも落とし穴を作っても壊されそうな気がする。
「私、足を何とかしてみる!」
エピが、有効な対処無し、と判断したらしく、早速、鞭でちまちまと攻撃を再開した。
……いや、ちまちまっつったって、皮膚を裂き、肉を抉る攻撃なんだ。これは素直に、攻撃を重ねていったほうがいいだろうか。
「きゃっ」
だが、そうは問屋が卸してくれないらしい。いや、問屋っていうか、豚屋だが。
『捕まえたぞ!ちょこまかと動きよって!』
エピの鞭の先端が、豚の手で掴まれていた。
『死ねっ!』
豚が鞭の先端を持って振ると、咄嗟に鞭を離せなかったらしいエピが、そのまま振り回されて宙に舞った。
無防備に空中へ投げ出されたエピは、やがて、重力に引かれて地へ落ちる。
俺はエピの着地点となるであろう地点をパンに変え、クッションを何とか用意するが、エピは。
エピは、落ちなかった。
俺の手の中で、フライパンが輝く。
それと同時に、エピもまた、輝いた。
その背には、淡い光が翼を形作っている。
エピは『自分の意思で』宙を舞い、空を飛び、豚の追撃から逃れた。
……なにあれかっこいい。
『なっ、春の精霊の仕業か!』
まあ、多分。
「こっちよ、豚さん!」
エピは精霊の力で翼を得て、自由自在に飛び回りつつ豚を攻撃し始めた。
空を飛んでいるのだから足場の悪さなんて関係ない。
機動力を格段に増したエピの攻撃は、明らかに効いていた。
空飛ぶようになったら、足じゃなくて顔面狙えるからな!
『おのれ……!この羽虫が!』
そして、俺もまた。
輝くフライパンを手に、無意識の導くままに、能力を解放する。
確か、『春は芽吹きの季節』と。春の精霊は言ってたよな。
岩場が、剣山のように形を変えていく。
『なっ』
剣山は豚の足元にまで及んだ。そして容赦なく、豚を貫いていく。
その剣山は、フランスパンでできていた!
勢いよく伸びたフランスパンの剣山は、ことさら大きく太く出でて、豚を突き上げて上空まで運んだ。
『ああああああああああ!?』
突然のことに対応できなかった豚は、成されるがままに上空へ持ち上げられる。
上空へとフェードアウトしていく豚の悲鳴が心地よい。
そしてパンの塔は伸びに伸びたのだが、豚の重みに耐えきれず、ついには半ばでぽっきりと折れた。しょうがないよね、だってパンだもの。
『ああああああああああ』
ついさっきフェードアウトしていった豚の悲鳴が今度はフェードインしてきたなあと思ったら、轟音。
そして地面が大きく揺れる。
……揺れが収まった時、土煙の中に、転落死した豚の姿があった。
「や……った……やった!やったね、タスク様っ!」
空から降りてきたエピが飛びついてきてぴょんぴょん跳ねる。
……豚の血をワインにできなかった時はどうなることかと思ったが。
なんとかなってよかったぜ。やれやれ。
「よし、これでトンカツ食い放題だな!」
「食べるの!?」
「食べないの!?」
エピと喜びを分かち合おうとしたら喜びに齟齬があって悲しい。