おまけ
おまけです。
「じゃ、お休み」
「うん、おやすみなさい!」
ぱちん、とランプの電源を落として、俺達はそれぞれ眠りに就いた。
布団に潜りこんでしばらくすれば、眠気が襲ってくる、のだが……。
エピが隣で寝息を立てているのを確認してから、俺はベッドの外に出た。
特に喉が渇いている訳でもないのだが、台所で水を飲む。
それから特に何をするでもなく、俺はまたベッドに戻った。
なんとなく、眠りたいような、眠りたくないような感覚の中、しかし、やってくる睡魔はあっという間に俺を眠りの国へと連れていく。
最近、夢見が悪い。
そんな日の話である。
どう夢見が悪いのか、といわれれば困る。夢というものはこう、大体がフワッとして実体が無いものである。特に、最近の奴は。
ただなんとなく、深く暗い海の底を覗き込むような、開けた箱に何も入っていなかったような……或いは、『死んだ』時のような。そんな気分になって目が覚めるのである。
それも、深夜とか、未明とか、大体そんなかんじの時刻に、である。ここ1週間ばかり、まともに眠れた試しがない。
「……ええと、大丈夫?」
「ああ……まあ……ちょっと寝不足なだけだから……」
そのせいでエピに心配される始末である。
「最近、タスクさま……じゃない、ええと、タスク、眠れてないの?」
「ちょっと夢見が……」
パン作りながらぼんやりしつつ、集中が続かずにうっかりうっかり、かにくりーむぱんを作りすぎる。
もこもこもこもこ!と天井まで積み重なったかにくりーむぱんを眺めつつ、一体どうしてこうなったのか、と、やはり回らない頭で考えるが、頭が回っていないので何も考えられない。
「うーん、これはなんとかしないと駄目よね……」
「うん……」
……最初はじきに改善されるだろうと思っていたが、このままだと俺は睡眠不足で死ぬ。それも、睡眠不足が直接の原因じゃなくて、睡眠不足による集中力不足でカニパ○作りすぎて埋もれて死ぬとかそういう死に方で死ぬ!
「ってことで井末お前、俺に何かした?夜な夜な五寸釘と藁人形持ってガンガンやってたりする?」
「そんなわけないだろう!?お前の中で僕はどういう人間なんだ!?」
「エピ見たさにちょくちょくパン買いに来る邪魔者」
ということで、本日も元気に『パンの国』にご来店頂きました井末君に聞いてみたが、心当たりは無さそうである。
ちなみに井末はモルスが死んだことにより『元の世界に戻る手立てを全て失った』状態で絶望していたので、元の世界に戻した。こいつも本意で召喚されたわけじゃあないし、俺にたてついてきていたってのも……『元の世界に帰るため』だったわけだから、まあ……戻すくらいは訳ないよな、と。
ところがどっこい、元の世界に帰した井末君だったが、なんと俺のご近所さんであった。
『パンの国』開店後も悪態をつきつつそこそこ頻繁にパンを買いにやってくるようになってしまったので、なんというか、俺としてももうこいつを恨んだり憎んだりする気にはなれない。元々小物といえば小物だったからなあ……。
「睡眠不足なら医者に行ってみたらいいんじゃないか?睡眠導入剤が処方されなかったとしても原因が分かることもあるかもしれない。カウンセリングだって馬鹿にならないから」
「まあ、最終手段はそれか……或いは、いっそ首の骨とか折って……」
「死ぬ気か!?」
「うん、それで朝になったらエピに生き返らせてもらう」
「常識が通用しない……!」
……と、まあ、井末からはそんなアドバイスをもらった。どうしようもなかったら医者に行く、っていうのも考えておいた方がいいよな。
何かと向こうの世界の方が色々と便利だからそっち頼りになることが多いが、こっちの世界の技術も舐めたもんじゃないし……。
「ということで眠れないんですがどうしたらいいですかね」
「いや、そう言われてもな……悪夢を見るなら、その原因がありそうだが。呪いか、そうでないなら……」
「タスク自身の気持ち?」
一応先輩方にも聞いてみよう、ということで、カラン兵士長とユーディアさんに会いに来たのだが、やっぱりこちらもこんな具合のお返事であった。
「もしどうしても眠りたいなら、首の骨を折るのを手伝う。その後生き返らせるから平気」
「ユーディア、それは駄目だ……それは、それは何かが、何かが駄目だ……!」
しかもユーディアさんの発想が俺と同レベルである。これは駄目だ。
「或いはいっそ……寝つきを悪くする、というのはどうだ?」
「え?」
「夢を覚えていないんだろう?中途半端だからよくないんじゃないのか。いっそ夢を積極的に見にいくんだ。そうすれば原因が分かるかもしれない」
いっそ、積極的に夢を見にいく、か。
……うーん、夢の内容は恐らく悪夢極まりない何かだろうから、気乗りはしないが……このままズルズル引きずるぐらいなら、その方がいいのかもしれない。
「ならこのお酒を持って行くといい」
そして、そんな俺にユーディアさんが手渡してくれたのは、そんなに大きくない酒瓶だった。
「これは?」
「イスカの近くで採れる薬草を浸け込んだワイン。眠りが浅くなる」
何故そんなものをわざわざ……。
「あー……タスク。結構悪酔いするから気を付けるんだぞ」
「何故そんなものをわざわざ!」
「わざわざじゃない。別の効果の薬酒になることを狙ったのに、狙った効果が出なかった。ワインとの相性が悪かったみたい」
あ、そういう。
……ってちょっと待て、つまりそれは失敗作だよな?失敗作を俺に飲ませようという事だよな!?
「だからカランには薬草をそのまま食べさせることにした」
……。
「ちなみにその薬草、効果は」
「ああ、それは」
気になったので聞いてみたら、凄い顔をしたカラン兵士長がユーディアさんの口を塞いでしまった。
「……タスク」
「はい」
「気にしないでくれ」
「は、はい」
いや、滅茶苦茶気になるんですが……一体……一体……。
謎が謎を呼びに呼んだが、それがむしろ良かったかもしれない。なんか気になることがあると微妙に寝つきが悪くなるので、これなら夢を記憶しておけるくらいの深さの眠りに入れるかもしれない。
「じゃ、じゃあお休み、なさい……?」
「ああ!お休み!」
「な、なんか気合入ってるのね……?」
「ああ!今日こそ!」
エピが何とも言えない顔をしているのも気にならない勢いで、俺は元気に中途半端な眠りに就くべく、微妙に色々考えながら就寝したのであった。
尚、結局、ユーディアさんがくれた酒は飲み忘れた。
……深く暗い海の底を覗き込むような、開けた箱に何も入っていなかったような……或いは、『死んだ』時のような。
いや、違う。
これは……『死にかけた』時の。或いは、その後の。
更に、或いは。
『思い出したか』
「いや、むしろ忘れた事なんて無かったけれど」
……忘れた事は無かったが、最近、思い出すきっかけは、まあ、あった。
天国に行ったり地獄に行ったりしてたわけだし。その時に、色々思い出したし、色々考えたし、そのせいで、こう、色々と……記憶だけじゃなくて、そこに一緒になっていた感情まで思い出した、というか。今まで考えないようにそっとしておいた部分を自分で抉ってしまったというか。
「……でも、もう要らないと思ったんだけどな」
『そういうわけにもいくまい』
「だろうな」
これは、感情と共にあるものだ。どうしようもないことにどうしようもない感情が重なっている時、それらを整理するために自分の中に構築していくものだ。
云わば、これは不幸を整理するためのものなのだ。少なくとも、俺にとっては。
「別に俺、今、不幸じゃないんだけどな」
だから今の俺には必要ないはずのものだ。俺はそう思うのだが。
『不幸から一切切り離された人間など存在しない。自分自身に限らずとも、不幸はどこにでもある。お前に連なる不幸はお前のものだけではない。人は他者の不幸もまた、不幸に感じるものだから』
これはそう言って、真っ直ぐに俺ではない方を見ている。
『私はお前の内に在る全ての不幸に救いを与えるために在る。意味の無い物事に意味を与えるために在る。理不尽を説明するために在る』
ふと、何か暖かいものが触れたような気がした。
『案ずるな。私はお前と共に在る。お前が私を必要とする限り、永久に』
『目覚めよ、切戸匡』
目を覚ますと、オリーブグリーンの瞳が滅茶苦茶近くにあった。
「うおわっ!?」
「へきゃっ!?」
そしてお互いに驚いて飛び退いて、それぞれ布団の上にバッタンボッフンと倒れる。
「え……エピ、俺の寝顔でも見てたのか……?」
目が覚めて目の前にエピが居たってことは、そういうことだよなあ……と思いつつ、念のため確認すると。
「ち、違うもん!誤解だもん!ただ……」
エピは不服そうにそう言い、手に持っていた物を見せてきた。
「これを使って、タスクの夢、覗いてたの」
「あー……遠見の魔鏡」
エピの手の中にあったのは、いつぞやに貰った遠見の魔鏡であった。これを使えば遠くのどこかが見えるって奴。
「ほら、タスク、悪い夢に魘されてるって聞いたから。ルカスさんに相談したら、この遠見の魔鏡で夢を覗いてみたらどうだ、って。ついでに使い方教えてもらってね、頑張ったら、なんかちょっといける!って」
成程、魔王ルカスが一枚噛んだか。……今回の俺の不眠騒動で、四方八方に心配かけてる気がする。すまん。
「で、覗いた感想は?」
聞いてみると、エピは……神妙な顔で、俺を真っ直ぐに見つめて、言った。
「タスク様が、1人でなんか、喋ってた……」
エピの言葉を頼りに、俺自身、なんとなくうっすら覚えていたさっきの夢を掘り起こすように思い出していく。
すると面白いもので、さっきまでうっすらとしか覚えていなかったものが、だんだんはっきりしてくるのである。案外こんなもんか。
「で、ええと、タスク様、凄く1人で喋ってたんだけれど!1人で!宙に向かって、っていう訳でもなくて、ほんとに、1人で!」
「ああうん、なんか思い出してきた」
「あれやっぱり悪霊か何かに憑りつかれたの!?まさかレギオンさん!?」
エピは非常に心配そうであったが。
「あー……いや、こう……俺の中で色々と、整理がついてなかったものを整理し直したっていうか」
どう説明したものか、と考えつつ、言葉を選び……。
……結局。
「まあ……カニ○ンみたいなもんだ。うん。それの整理した。んで、大体整理できたし多分大丈夫だ。うん」
「え、ええー……えええー……?」
「ありがとな、エピ」
「えええー……う、うん……うーん……?」
俺は、伝えることを諦めた。というか、伝えるべきじゃないような気がしたし、伝えずにこのまま、自分の中に収めておくべきだな、と思った。
宗教、なんて。
自分自身の中に在る宗教観なんて。理不尽な不幸につけた理由なんて。理不尽な死につけた理由なんて。
自分の中に生まれて、自分と共に在って、自分を支えてくれるだけの。ただ、そんなものだろう。
必ずしも人と共有すべきものじゃないだろうし、必要な時だけ思い出せばいいんだろうし。
……幸福であればある程、忘れていていいものだ。きっと。
俺は明日から、またよく眠れるだろう。
『これ』はそういうものだって。支えにするべきであっても、縛られるべきものではないって、思い出したから。もう大丈夫だ。
「ところでエピ」
「んー……?」
エピは眠そうだが、致し方あるまい。普段、俺よりもさっさと寝てしまうエピが、俺の夢を覗き見るために頑張って起きていたのだ。それはそれは眠たいことだろう。
ということで、眠くなって判断力が鈍っているであろうエピに、ここぞとばかりに提案する。
「今週末、出かけないか?」
「……ええと、それって……っ!」
が、俺の見込み違いも甚だしく、エピは急に覚醒し、それから、はにかんだ笑みを見せた。
「……でーと?」
「まあ、そうとも言う」
答えると、エピは満面の笑顔で頷いた。
「うん!行く!」
「ところで、どこ行くの?」
やっぱり聞かれた。
「サ○リツ製菓の工場見学」
「お菓子の工場見学?」
「いや、カニ○ンの」
「やだ」
やっぱり断られた!
結局、工場見学へは魔王ルカスと一緒に行くことにした。
そうしたらユーディアさんも食べ物につられて付いてくることになり、そうなるとカラン兵士長も付いてくることになり、そこまでいったらエピも折れて付いてくることになったのだった。
そして工場見学後はユーディアさんがカラン兵士長に追いかけられつつご当地グルメ巡りを始め、魔王ルカスは新たなインスピレーションを得て空飛ぶカニパ○城建築の為に向こうの世界に戻ってしまったので、俺とエピは植物園に行った。
エピは花を眺めつつ、何やらご満悦であった。
なべて世は事も無し。