127話
「懐かしいな……」
そうして俺達は、ファリー村へ戻って来た。
そして例の祠に到達したのだが……。
「……懐かしく、ない!なにこれぇ!私が最後に見た時はこんなに……こんなに、モケモケしてなかった!してなかったもん!」
「これは食べられない」
……まあ。
パンだったので。
パンだったので……。
「らん、らんらららんらんらん、らん、らんらららん」
「ぱんぱん、ぱんぱぱぱんぱんぱんぱん、かにぱぱぱんぱんぱん」
「なんでルカス様この歌知ってるんですか」
「うむ。何か、異界の情報の断片を余の心が受信したらしい」
ルカス様の電波受信はさておき(何せ、知恵の実をモッサモッサ食いまくった今、そういうことが本当にできてしまっても何らおかしくは無い)、目の前に広がっている光景は控えめに言っても腐界である。
カビである。
カビ。
……。
「カラン兵士長、ちょっと焼き払ってもらってもいいですか」
「か、構わないが……まずはカビごとパンを石にしてしまった方がいいのではないのか?カビが石にならなかったら、それから焼き払えばいい。さもないと……パンまで燃えるぞ……」
「それは駄目だ……村が焼けますね……」
「駄目!ぜーったい駄目!ファリー村燃やしちゃ駄目ーっ!」
ということで、とりあえずまずはパンを石にした。
「こうすると単に苔生した石ですね!」
「苔じゃなくてカビだがな……」
「やーん……」
まあ、ビジュアル的にかなりマシになった事は間違いない。やったね。
さて。
俺達はカビを焼き払ったり、狭い場所を再びパン化して圧縮して広げたり、そもそもこんなみみっちいことしてないで魔王砲でぶち抜いちまえと一発やらかしてみたりしながらパン道を進んだ。
「うわー、なんか思ってたより相当長いぞこれ……」
が、思っていたよりもパン道は長かった。
……思い出されるなあ、飢えと渇きとパンで気が狂いそうになりながら、死の恐怖とパンに押しつぶされそうになりながら、必死に石をパンにして、パンを千切っては投げ千切っては投げ、時間の感覚も無く、方向感覚も無く、その内上下の感覚すら曖昧になりつつ、そもそもパンとは何かすら曖昧になりつつ……ひたすら進んでいた、旅路の始まり。
思っていたより長かった道は、その分、俺が必死になって進んでいたという証明でもある。
「こんな道をタスク様、1人で頑張って掘ってきたんだね」
だが、同じ道を辿りながらも、今は気が狂いそうになっている訳でもなく、時間の感覚も方向感覚もきちんとしている。それはひとえに……側に居る人達のおかげだろう。
「辛くなかった?」
「正直、一生パンなんて食わねえ、と思った。その後1日経たずにパン食うようになったけど」
他愛も無い話をして、そっかあ、なんて返事が返ってきて、俺は思うのだ。
この旅で得たものは、とても大きかったな、と。
パン道を抜けて、ひたすら進んで、進んで、進んだ先。
「……む、暗いが、広くなったな」
微かに腐臭が漂うそこは……覚えがある。
「灯りを点けるぞ」
カラン兵士長がランプに火を灯すと、俺も見るのは初めてである光景が一気に広がった。
「……これは……」
決して、広い空間じゃなかった。
俺が初めて落ちた時は、途方も無く大きな空間だったように感じたが……実際は精々、バスケットボールのコート1つ分、といった広さ、だろうか。
灯りに照らされた空間は、狭く、薄暗く、どこか悲しく目に映る。
……そして、その空間にあったのは、無数の白骨。
石時々パンの床の上に散らばる白骨死体、またはその前段階。恐らくは召喚されてすぐ殺された、俺の先輩たちの姿であろう。
「ひどい……」
……やっと、見ることができた。
初めてここに来た時は、俺も手一杯で必死だったから、碌に弔いもできなかった。痛ましく思いはしても、思うだけで、弔うこともできなかった。
が。
「今は違うッ!」
「ど、どしたのタスク様、急に」
俺は……ちょっと考えて、それからすぐ、提案した。
「ちょっと、相談があるんだが」
皆からは反対意見など1つも出ず、満場一致で賛同を得られた。
そんな仲間達をありがたく思いつつ……俺達は、骨を拾い集めた。
1欠片ずつ、大切に。大切に。
「……こうしてみると、救世主、というのは一体何なのか、分からなくなるな」
骨を拾い集める作業中、カラン兵士長がぽつり、と零した。
俺の手の中に納まる骨は、小さく、軽い。もしかしたらまだ子供だった誰かの骨なのかもしれない。
「救世主は、人。タスクはそう。イスエもそうだった」
ユーディアさんの言葉には静かな重みがあった。俺も、或いは井末も、人。ただの人であった。
ただ、この世界に召喚されて、微妙な能力を与えられただけの、人。
「人、か。……その、ただの人1人が今まで、世界を守っていた、のか。そう考えると……」
カラン兵士長が骨を握り、何か、祈りの言葉らしきものを呟きかけてから、口を閉ざした。そもそも、祈る対象であった神がアレだったからな。
そして、考え抜いた末にカラン兵士長は、小さく「かにぱー」と呟いた。
……まあ、祈りなんて、言葉よりも想いの方が重要だからな……。
「さて、これでよいか」
結局、数時間かかって作業が全て終わった後、疲れながらも達成感に満ち溢れて、俺達は穴の底を見回した。
そこに、骨はもう1つも残っていない。
代わりに、穴の底に新しく生まれた○ニパン像。
……これは、魔王モルスへのあてつけ、みたいなつもりだ。決して、墓なんかじゃ、なくて。
「余が地上を征服した暁には、もう二度と、このような事は繰り返さぬ。かにぱーに誓って!」
魔王ルカスが静かな決意を確かに感じさせる声で、そう、言った。
……この世界が今後、異世界人を召喚しては殺す、なんて、そんなことを二度としないことを、俺も切に祈る。
勿論、神に、じゃなくて。まあ、カニ○ンとかにでも、誓って。
さて。
それから俺達はなんとか、縦穴を脱出した。
落とされた時は一瞬だったが、登るとなると中々骨が折れた。が、まあ、登れたのは登れた。
穴の側面をパン化して削って、螺旋階段状にして地道に登った。こういう時、パン化能力って地味に強いよなあ……。
「ふ、深かった……」
「この高さを落とされたのか、タスクは。……よく、生きていたな」
「まあ、全てはパンのおかげですよパンの。パンの」
「パンの」
「パンの!」
「パン……」
「……パンの……?」
「……パンの!」
オーディエンスの反応が微妙だろうが、実際にありとあらゆる色々がパンのおかげなのでそれは仕方ない。
……正直、穴を登り切って、改めて覗き込んで、俺ですら思うのだ。ほんと良く生きてたよな、と。そして思うのだ。俺、石パン能力で、本当によかった、と。
「……さて」
穴を登り切ったところで一息ついたが、これ以上休んでいる訳にもいかないらしい。
「お出迎え、か。中々の歓迎ぶりだ」
カラン兵士長が剣を抜くのを皮切りに、俺達もそれぞれ武器を構える。
俺達の目の前には、屈強な体躯の魔物が多数、押し寄せてきていたのだった。
「さて……面白い!ならば前哨戦、といこうではないか!」
魔王ルカスの声を皮切りに、戦闘が開始した。
そして開始すると同時に終わった。
「まあ、でかくて重けりゃ、こうなるよな」
「ひどい、全部パンに埋まった……」
「俺が剣を抜いた意味はあったか!?」
「威嚇……ですかね……」
結果、カラン兵士長その他の皆さんが武器を構えた甲斐も無く、とりあえず魔物達は全員パンの海に沈み、即座に石の中に閉じ込められることになったのであった。
集団で重い奴が来たら当然これだよな。うん。
「……とりあえず、進むか……」
魔王ルカス様は大層複雑そうな面持ちだが、仕方がない。
何故ならパンだからである。
その後も中ボスみたいなノリで何体か魔物が出てきたのだが、大体全員パンに沈んだ。
唯一、鳥みたいな奴だけは浮いていたのでパンに沈められなかった。仕方が無いので、天井と床から一気にパンを伸ばして鳥籠と成し、そこから石パン詰めにしていった。まあつまり、結局のところ、全ての敵はパンか石に沈むか埋まるかしたのである。
「こうしてみると本当にお前の能力はおかしい」
「自分でもそう思いますよ」
「大丈夫。タスクの能力はとってもおいしい」
「自分でもそう思いますよ!」
敵という敵をパンで飲み込みつつ、俺自身はパンを飲み込んでいる。今日もパンが美味い。
「あーあ、魔王やっつけよう、って時でも、タスク様はタスク様なのね……」
エピが俺を見てため息を吐いているが、その表情は半笑いである。しかもエピの口の中にクリームパンを突っ込んだら半笑いが全笑いになった。満面の笑みである。
「ま、この調子で魔王モルスもさっさとやっちまおうぜ」
結局のところ、最終決戦もイマイチ締まらないのであった。今に始まった事じゃないが。
「では、開けるぞ」
魔王ルカスの確認に、俺達は揃って頷く。
地下の城の、重厚な扉。その奥から漏れる気配は、間違いなく、強大な……エピとユーディアさんと俺を一度殺した、魔王モルスの気配である。
だが、俺達はもう今更、魔王モルスなんて恐れない。
ギ、と音を立てて開いていく扉に、恐怖は感じなかった。
むしろ、これから起こることに対しての、興奮。
祭の前のような、興奮が一気に決壊して溢れだしそうな、そんな気持ちで……俺達は、開いた扉の向こう側へ、歩を進めた。
部屋の中は、重苦しい黒に覆われていた。
床は黒大理石。壁面を覆う緞帳は重い黒の天鵞絨。極僅かに白の縞が走るばかりの黒大理石の柱が支える天井は、やはり同様に黒。
……だが、それ以上に重苦しく黒いのは、まるで実体を持ったかのように部屋に揺蕩う闇である。
黒い霧が満ちたような、質量を伴っているかのように錯覚しさえする、闇の中。
そんな闇の中央に居たのは、部屋より尚暗き闇。
「久しいな、モルスよ」
魔王ルカスが声を掛けると、その凝り固まった闇が動いた。
「その声は……ルカス、か……?」
重い石同士が擦れ合うような声が低く響き……闇が、動いた。
溶けるように闇が流れ落ち、床へと広がり、闇の水たまりめいたそこから現れたのは1人の人……に似た何か、である。
重く静かな容貌のモルスは、やはり重く静かな表情をしていながら……ごく僅か、その表情の中に、焦りが見える。
「何故、貴様がここに居る。貴様は確かに、地獄に封印を……」
「ふん、決まっておろう。封印を解き……」
魔王ルカスが、にたり、と、壮絶な笑みを浮かべ、魔王然とした態度で、答えた。
「神を!殺したからだ!」
「神を……殺した、だと!?」
「ああ。殺したとも」
震えるモルスの声にも動じず、魔王ルカスは堂々としている。
「ルカス……貴様、気が狂ったのか!?我らは神に生み出された天使!お前は光の子、私は闇の子として、この世界の幸福を守る存在であれ、と……」
「そして余は神に創られながら神と、神の言う『幸福』とやらに疑問を持ち……神にたてついた。その結果、結託した貴様らによって封印された。そうだったな、モルスよ」
魔王ルカスは堂々とし、笑みを湛えながらも……その瞳は以前の地獄最下層よりも冷たいままである。
「だから何だ!神の御心に背いたお前が」
「ああ、そうだ!余の業だ!それでよい!」
そして、モルスが声を荒らげるのを遮るように魔王ルカスが叫ぶ。
「よって、貴様を殺すのも、余の業だ。……が、余は自らの業など省みぬ。貴様らの死は余がこの世界を治める為の石畳の一枚に過ぎぬのだ、『魔王』モルスよ」
「『魔王』だと!?私はそのようなものではない!ただ、私は地上を統べる王たれと、地上を幸福へ導けと、神に使命を与えられただけだ!汚らわしい魔物共が私をどう呼ぼうが、私は」
「いいや、魔王だ!貴様もまた、な!」
吠えるようにそう叫んだ魔王ルカスは……次の瞬間、光を放った。
俺達の眼前には、太陽があった。いや、太陽の如く光を放つ、魔王ルカスが居た。
……その背に、純白の翼を広げて。
そして魔王ルカスは、自らの手で、その純白の翼を切り落としたのである。
「余は最早、光の子などではない!余は取り繕わぬぞ!余は魔王!この世界を我が物にし!余が思うがままにするためにここに来た!」
純白の羽が落ち、光と闇が拮抗する中、魔王ルカスは啖呵を切った。
「……『魔王』は2人も要らぬ!『魔王』モルスよ!今こそ滅ぶが良いわ!」
……ちなみに。
「見て、タスク様。蛍みたい」
「うん。蛍だな」
魔王ルカスの光は尻から出ていた。
後で魔王ルカスに聞いたところによると、『光の子としての能力を出した時に自分の尻が光ることに疑問を持ったことが、自分を創った神への疑念の始まり』だったらしい。
うん……。
さて、こうして始まった戦闘だったが、先手はモルスだった。
「ならば私はお前を倒し、地上の幸福を保つまでだ!……出でよ!」
床に広がった闇が一気に濃く、粘っこくなり……そこから無数の爪が、牙が、咢が現れる。
その中の1つに見覚えがあった。
俺を、エピを殺した牙だ。
だが俺は、慌てず騒がずパンを生み出す。
襲い掛かって来た数多の爪や牙がパンをえぐり、削り、壊していくが、気にしない。
これはあくまでデコイ。囮。時間稼ぎだ。もう少しだけ、時間が稼げればいい。
「私はね、何が幸せなのかなんて、分かんないよ」
時間稼ぎに加勢すべく、エピがパン壁の上に躍り出た。
「でも、あなたみたいにいろんな人を傷つけるのは、幸せじゃないって思うの。難しいことは分からないけれど。でも、それは違うって、思う」
エピが振るう鞭が流星の如く、闇でできた牙や爪を打ち払っていく。
「神様なんて居なくたって、誰にも何もされなくたって、きっと人って、勝手に幸せになれるよ」
数多、打ち払われた闇が集まって、1つの巨大な咢を成す。
その咢が襲い掛かる中、エピは……微笑んだ。
「だって私、今、幸せなんだもん!」
「地上の幸福だか何だか知らないけど、こっちは負ける気なんて一切してないからな」
闇の咢にパンを詰め込んで、はじき飛ばされたエピはカニ○ンでソフトに受け止めて……そして俺は、『本命』を出した。
崩れたパンの壁の向こうに、モルスが見える。
「なっ……ま、まさか……!?」
その表情は、驚愕であり……恐怖でもある。
「こっちに『何人』救世主が居ると思ってんだ、『魔王』」
パン壁が崩れ去った後、魔王モルスと対峙していたのは、俺達5人。
……そして、俺が天国と地獄と現世を反復横飛びして生き返らせた救世主達である。
「精々悔い改めろよ、魔王モルス」
今回が最終回だと予告しましたがあれは嘘です。
次回、最終回です。