124話
神は「パンあれ」と言われた。するとパンがあった。神はそのパンを見て良しとされた。
真っ暗な中、たった1つの星と、宙に放り出された俺達5人、そして、絶対的な存在として君臨する、神。
ある種の絶望が頭をよぎる。
『これはやばい』と本能がコンマ秒で結論を出す。
だが、それすら遅い。
「さあ神の国を許されぬ子らよ!自らの行いを省みなさい!自らの生を、自らの命を省みなさい!そして、悔い、唯、祈りなさい!」
何も無い世界で、神だけが自由に動いた。
俺達は何もできないまま、神の放った光が、次第に俺達へと迫るのを見て……。
「悔いなどせぬ!」
眼前に現れた不可視の壁が、光を防いで俺達を守った。壁を生み出したのは魔王ルカスだ。
「悔いなど……自らの生きた道筋を悔いなど、誰がするか!この戯けが!」
吠えるように返す魔王ルカスは、必死の表情だ。流石の魔王でも、神を相手に余裕はないらしい。
「くっ……タスク!どうする!このままでは長く持たんぞ!」
魔王ルカスが悔し気に表情を歪めながら言う。本当に長くは持たないのだろう。
……ならば、すぐにでも決めなくてはならない。
この状況を、どうやって打破するか。
打破もくそもない。ここは新たなる世界。そして、神は『神という運命』から切り離され、この世界も、元の世界も、守る事も創る事も一切合切気にせず、破壊と蹂躙を行えるのである。
特に、この世界では……俺達以外に物が無い。それはそれは自由に破壊活動ができるだろう。
そして一方、俺達は手も足も出ない。
文字通り、だ。こんな、異空間、或いは宇宙の如き環境に放り出されている非常に不安定な状態。
この状態で、神と互角に戦う事はできない。
「神を……このままにしておくわけには、いかぬが……」
魔王ルカスは額に汗を浮かべながら、ギリ、と歯を食いしばり……恐らく、死ぬほど言いたくないであろう言葉を、発した。
「ここは、一旦……退く、か?」
「えっ撤退できるんですか!?」
「仕方あるまい!この状況だぞ!?」
「いや、そうじゃなくて!心理的に撤退できるできないじゃなくて!手段として撤退が選べるんですか!?まじで!?ラスボスみたいなの相手に逃げられるのかよ!?」
驚いた。めっちゃ、驚いた。
てっきり、『大魔王からは逃げられない』かと……あっ、相手は神だった。魔王はむしろこっち側か。盲点盲点。
「舐めるな、余は魔王ぞ?この程度なら退くことは……退くことだけなら、できる。その間、この結界を維持し続けることはできぬ故、防げるものは限られる。賭けになるが」
賭け、か。魔王ルカスがどのくらいの速度で撤退の準備ができるか。或いは、その間に神がどの程度、どのような攻撃をしてくるか。
「そして勿論、反撃はおろか、このまま耐え続ける事すらできぬであろうな。このままではさしもの余とて限界が来る」
それはつまり、暗に『決断するなら急げ』ということか。
なら、即、決断だ。こんなのもう決まっている。
ここは一旦、撤退して……。
……いや。
ここで撤退したとして、その後、神をどうにかできる算段はあるのか?
撤退したからといって、助かる見込みは?大魔王からは逃げられない、じゃないが、相手は神だ。いくらここ、新世界だか神の国だかよくわからん異空間に来ているからといって、元の世界に戻って、それで助かるという保証は?
何より。
目の前の敵をみすみす見逃すという事については?
「た、タスク様……」
エピが俺を見る。俺もエピを見る。
エピの瞳が不安げに揺れ、その瞳の中に煌めく星の光も一緒に揺れる。
……そして俺は、思い出した。
『汝は冥府の湖を割る。汝は雄鶏が鳴くまで3度守られる。汝は2つを天秤にかけ、遂には神となるであろう』
「撤退する」
下した決断を口にすると、全員の表情が引き締まる。
諦めであり、危機感でもあり、それらの確認でもある表情だ。
……だが。
「でも、すぐにはしない」
「え、ええっ?」
「どういうことだ、タスク」
俺は、緊張感と……これから起きる事への期待と不安とその他諸々を乗せて、笑みとする。
「この世界を神ごとぶち壊してから撤退する」
この世界において、神がなりふり構わず、一切遠慮なしに全てを破壊できるというのならば……それは、俺達にとっても同じことだ。
破壊しつくせばいい。破壊しつくしたって、誰も文句は言わない。
そして、俺にはそれができる。
『遂には神となる』。
世界を思うがままにできるのが神だと言うのならば、上等だ。
俺は、神になってやる。
「……準備はいいな?」
魔王ルカスが、緊張を多分に含みつつも、どこか楽し気で好戦的な笑みを浮かべて、問う。
「大丈夫」
ユーディアさんは剣を両手に、いつも通りの面持ちだ。
「こちらは任せろ!」
カラン兵士長はいつも以上に気合が入っている。頼もしい限りである。
「わ、私も大丈夫!負けないもん!がんばるもん!」
エピもまた、鞭を手にしてやる気に溢れているのであった。
そして。
「俺の準備も大丈夫です」
俺は、フライパンを右手に、小石を左手に。胸には覚悟を。脳裏にはカニパ○を。
完璧な装備で、皆の中央に居た。
「よし。では……結界を解く!全員、死んでくれるなよッ!」
魔王ルカスが叫ぶと同時に、腕を振る。
途端。
「愚かな。わざわざ滅びの道を選ぶとは」
一気に押し寄せる魔法が、俺達に襲い掛かった。
ピシン、と、高く鋭い音が空を裂く。
エピの鞭が冬の精霊の力を以てして、神の魔法を終わらせた。続いて放たれた魔法も、エピは次々に鞭で撃ち落としていく。
その都度その都度空を裂く鋭い音は、頼もしく、心地よいものだった。
神道では弓の弦を弾いて音を鳴らすことで魔を祓う、みたいな儀式があったはずだが、エピの鞭は正にそれであった。
「我がいとし子よ、神の玉梓よ。何故こちらに来ないのだ」
「だって私、あなたのこと嫌いだもんっ!」
神の言葉に鞭より鋭い言葉を返しながら、エピは鞭を繰る。
……神の魔法全てを、エピが1人で対応しているのだ。
長くは持たない。分かっている。分かった上での作戦だ。だから俺は急がなければならない。
エピの鞭を掻い潜って、何かが飛んでくる。
……それは、矢であった。
魔法ではない。ただの物理的な攻撃である。
当然、エピの鞭でどうにかできる範疇を超えている。
その矢が魔王ルカスを狙い……消えた。
「遅い。止まって見える」
飛ぶ矢を切り落とすという離れ業を見せてくれたのはユーディアさんだ。
そして。
凄まじい音と衝撃が空間を満たす。
そこでは、いつの間にか剣のようなものを手にした神が……カラン兵士長と鍔迫り合いをしていた。
「はは……これは、避ける訳には、いかない、なっ!」
本来ならば……1対1で戦っていたのであれば、誰かを守らなくてもいいのであれば、間違いなく彼なら避けたであろう攻撃を受け止めて、カラン兵士長は低く笑う。
「えらい」
そんなカラン兵士長に、僅かに微笑んで、ユーディアさんが舞い降りた。
凄まじい速度で振り抜かれた剣が、神を背後から襲う。
だが神は片手で難なくそれを受け止めて、言った。
「炎の子よ、獣の娘よ。お前達は幸福だ。お前達は悔い、改める機会が与えられている。お前達が死んだ時には、お前達は煉獄へ行くだろう。そこで自らを省み、悔い、祈ることで天国への道が開かれるだろう」
微笑む神は、どこまでも優しい。だがその優しさは、俺は決して好きになれない種類の優しさだ。
「はっ!ならば俺は地獄行きで結構だ!」
「私も地獄行きでいい。地獄は案外楽しそう」
2人は息を揃え、神の物理攻撃を受け止め、弾き、隙あらば攻撃していった。
……2人がこうまで物理的に戦えているのには、理由がある。
1つは、エピが魔法を全て打ち消しているから。
そしてもう1つは。
「はっ。全知全能が聞いてあきれる無知だな、『神』よ!知らなかったのか、煉獄はもう煉獄ではない。地獄も最早、地獄ではない!」
魔王ルカスが、魔法ではない、物理攻撃でも無い……魔法の余波の熱であったり、衝撃であったり。そういうものだけに特化した結界を張っているからであり、また、2人に魔法でバフをかけているからである。
要は、さっきまでやってくれていた完全防御の結界を棄てた代わりに、ランクを落とした結界を張ってもらっているのだ。
「ルカスよ、お前は地獄の子ではない。元より光の子であったではないか。この世界に光あれ、と祈りなさい。地獄を出て、新たな世界を」
「地獄?何を言っている」
神の言葉を遮って笑いながら、魔王ルカスはきっとその笑顔の裏で、緻密な計算をしているのだろう。
結界をランクダウンさせたのは、魔王ルカスに『撤退』の準備をしていてもらうためだ。
何故ならば、ギリギリまで粘ってから撤退する必要があるから。
「あれは、パン獄だ」
……魔王ルカスがウインクした。
準備完了、いつでも撤退可能、の合図だ。
さて。
俺は、星を見据えた。
この世界でたった1つ、存在する物体である。
あれがこの世界の始まりになるはずだったのだろう。
……だが。
「さて、神よ。ここは神の国だ、なんて言ってたな」
「そうとも。人の子、神の子よ。ここは神の国。自らの罪を省みなさい。悔い改め、祈りなさい」
俺は、神にフライパンを向ける。
「なら俺も言ってやる。『神』としてな」
神が怪訝そうな顔で俺を見たが、もう遅い。
「ここはもう、『神の国』じゃなくなるし、お前も神なんて名乗れなくなる」
俺の手の中で、フライパンが輝く。能力を最大限までチャージして、そして。
「だから精々……悔い改めよ」
精々、笑って言ってやるのだ。
「パンの国は近づいた!」
瞬間、星はパンになった。
パンは石になり、石からはパンが生える。生えたパンはまた石になり、石からはまたパンが生える。
無限に増え続けるパン。それはまるで、生命のようであった。生めよ、増やせよ、そして満ちよ。
「こ、これは」
神が焦ったようにパンから飛び出したカニ○ンを薙ぐ。
脆いパンはあっという間に散り散りに崩れていくが、散ったパンは引かれ合い、やがて1つの塊を成していく。
神がパンを燃やし尽くそうとしても、それより速い速度でパンは増えていく。
やがて1つの巨大な塊となったパンは、次第にありとあらゆるものを引き寄せ始める。
散り散りになったパンが吸い寄せられ、塊となる。
増えていくパンも次々に引き寄せられ、1つに融け合っていく。
万有引力ならぬパン有引力によって、パンは引き合い、引きつけ、引き寄せ、大きく、重く……。
そして、パンは、星となった。
瞬き1つする間に数十、数百、数千倍に膨れ上がっていくパンは、その巨大すぎる質量から内部で崩壊を始める。
パンとパンが溶けあい、やがて光を放つようになる。
星となったパンは、光を放ちながら、それでも更に膨れ上がる。限界など無い。パンは無限に広がっていく。
今や、この宇宙の全てがパンであり……世界は、パンであった。
「馬鹿な!こんな創造など、ありえない!これは、これは一体!」
「まだ分からないのか」
パンとなった世界は、次第に収束していく。
一点へと集まっていく無限のパンエネルギーに飲み込まれながら神が叫ぶ。
それでも尚、増えることを止めないパン。最早、俺がどうこうしなくても、こうなってしまったパンの星は止められない。
ひとりでに膨張し、収束し……そして。
「これは、パンだ」
重力を増していくパンの星は……崩壊する。
きらり、と、光が煌めいた直後。
パン新星爆発が起きた。
これは、世界の始まりであり、世界の終わりでもあった。
何事かを叫びながら世界の崩壊に飲み込まれていく神と、崩壊して、新しく始まる世界。
それらを、ちらり、と。ほんの一かけらだけ見届けてから……俺達は、パンの国を後にしたのだった。
……気づけば、天国に居た。
空は青く、花は美しく、風は甘やかで日差しはどこまでも穏やかであった。
俺達は1つの世界が始まり、滅び、また始まるのを見て……そして、戻って来た、のである。
「あのね、タスク様」
ふと、天国の風に柔らかな三つ編みを揺らしながら、エピは俺に言った。
「世界がパンになっちゃったけど。神様もパンで消えちゃったけど。それで、これから私達、魔王モルスをやっつけに行くけれど」
エピの、真剣で、必死な目が、俺を見つめた。
「魔王は、パンにしちゃ、駄目」
「はい」
魔王が石じゃないことを祈るぜ。