111話
「お、お父さん、ですか」
「お父さんです!」
エピの父と名乗ったその人は、エピとよく似た笑顔を浮かべて答えた。
「エピの……というと、あの、ハイヴァーの……」
廃村の、と言いかけて、ここは言い留まった。
恐らく、あの村はエピをファリー村に逃がした代償として滅んだのだ。
きっとその時、目の前の男性……エピのお父さんも、多分。
「そうだね。多分君たちが見たあの村は廃村というか廃墟になってたと思うが。あそこに居た、神の玉梓の一族だよ」
……が、割とあっさり言われてしまったので俺が小さな気を回すだけ無駄だな、と思った。うん。
「さて、いつまでもお父さん、じゃあアレだね。私の名前はリンガ。別にお父さんと呼んでくれても構わないけどね、タスク君」
さらに、やたらとニコニコと親し気な笑顔で自己紹介までされてしまったら、なんというか、もう……。
「よろしくお願いします、リンガさん。それから人魂状態でつついたりつまんだりして大変申し訳ありませんでした!」
「はははは、別に気にしなくていいのに!私だって目の前に人魂が浮いていたらつまむとも!何なら私なら、掴んで伸ばしたり縮めたり捏ねたりぐらいはするだろうね!しょうがない、しょうがない!」
……色々と敵わねえ、と思いつつも、嫌な気持ちにはならなかった。なんというかこの人……うん。
すごく、エピに似ている。
「さて、まずは移動しようか。ここにいつまでも居ると天使に見つかった時厄介だからね」
俺達はエピパパもといリンガさんに連れられて、魔法陣の祠を出た。
「リンガ殿も天使に見つかると厄介なのか?」
「まあ、君達と一緒に居たらそうだろうね」
まあそうだよな。大変申し訳ない。
「それから、ま、私は既に『居ないことになっている』からね。君達と一緒でなかったとしても、誤魔化すのは難しいだろう」
が、俺達の表情を見てか、苦笑いしながらリンガさんはそう続けた。
「居ないことに、なっている?」
「ああ。人魂になって地獄に行ったりなんだりするのに、頭の硬い天使の許可なんて待ってられないからね」
リンガさんはそう言って、にやり、と笑った。なんというか、こういう表情はエピには無いものなんだが、その楽し気な、というか、悪戯めいた、というか、そういう部分にエピっぽさを感じる。
「つまり、天使を出し抜いている。そう?」
「そういうことだ」
このお父さん、天使を出し抜く、という、およそ死んで天国行きになった人としてはアグレッシブにもほどがある行動をとっているらしい。流石である。
「……お、早速居たな。こっちだ、こっち」
そして物陰から先を窺ったリンガさんは天使の姿を見つけたらしい。
俺達に手招きすると、新たなルートを……。
「こっちですか」
「あ、うん。こっち。そこ狭いから頑張って通ってくれ」
およそ、道とは思えぬ道を、行くのであった。具体的には、純白のレンガでできた壁のレンガを幾つか抜いて、そこを通り抜けてる。めっちゃ狭い!
そうして俺達はリンガさんによる独自のルートによって天国を往くのであった。
「……あの、聞いてもいいですか?」
「どうぞ!マイワイフのスリーサイズ以外なら大体答えるよ?」
それはどうでもいい。いや、どうでもよくはないかもしれないが聞かない。絶対聞かない。
「どうして、地獄へ?」
俺が尋ねると、リンガさんはきょとん、としてから破顔した。
「ははは、君達の道案内をする為さ!どうだい、少しは役に立っただろう?」
「ええ、すごく。……ですが、どうして俺達の道案内を?……いや。『どうやって俺達を見つけた』んですか?」
疑問であったのだ。
この人はどうやって俺達を見つけたのか。
何故俺達か、は、聞くまでも無いだろう。エピの為だ。
だが、『エピの為に動く者』をどうやって見つけたのかは説明がつかない。まさか、天国からは地上がずっと見えています、みたいなもんなのだろうか。
「ああ、簡単な事だよ。これを目印にした」
だが、答えはシンプルであった。
「これ、って……指輪、ですか」
「ああ。この指輪だ」
俺が持っている指輪。エピがエピの故郷で拾った物で、エピが一欠片も残らずに消えてしまった後、この指輪だけが遺っていたから俺が預かっている。
「君がこれを持っていてくれてよかったよ」
この指輪は本来、エピに向けて遺された物だった。ということは、エピを見つけるための目印だったのかもしれない。
その目印で引っかかったのがエピじゃなくて俺だったという事は申し訳ないが、俺にとっては幸運だったな。
「ところで、さっき、エピは3つ先だと言っていた。それは本当?」
続いて、ユーディアさんが質問する。これは俺も気になっていた。主に、何で知ってるんだっていう意味で。
「ああ、本当だ。……ええとね。まず、ここの説明が必要かな。ここは神の為に戦って死んだ者の為の天国なんだよ。私達がここに居るのは少々筋違いのような気もするんだがね。神の御心的にはまあ、私達はここでいいらしい」
『筋違い』がどういう意味なのかを聞くには天使の耳が怖いのでやめておこう。
が、恐らくリンガさんは『こっち側』だろうな、と思うに十分な台詞であった。
「そして、エピが居るのは恐らくここから3つ先の天国。より神に対して貢献した者が置かれる天国さ」
ここではない天国、か。天国も、地獄と同じように、クラス分けされて陳列されている訳だ。
……つまり、だ。
「エピは死んでも家族に会えないんですか」
リンガさんは俺を振り返ると、寂しげな笑みを浮かべた。
「まあ、そういうことだ。より神に近い者はより神に近い場所に置かれる。エピは神の玉梓としての役目を引く子だったからね」
が、一転。
寂しげな笑みが、ぱっ、と明るくなって。
「……まあ、今はマイワイフがちょっとここから抜け出しているがね!ははは!」
……あなたのマイワイフ、どんな人なんですか?いや、きっとさぞかしあなたとエピに似てるんでしょうね?
「しかしリンガ殿。今までの話を聞く限り、天国とは神に関わる人のものであるように聞こえた。ということは、特に神と関係無く生きた者は皆、地獄行きなのか?」
信仰が人並みにある程度で、別に神の為に戦っている訳でもなく、神の声を聞くでもないカラン兵士長としてはそこら辺が気になるらしい。
「ん?いいや、そういう人は煉獄に行くことが多いね。天国でも地獄でも無い、中間が煉獄さ」
そうだったのか。煉獄とは、天国でも地獄でも無い、中間、と。まあ、今は煉獄っていうかパン獄であるが。
が……生前、善い行いをしていたが、特に神と関係無かった人は、煉獄行き、なのか。
……煉獄、を、もう少しじっくり、探索、すべき……ではなかった。すべきじゃなかったけれど、したかった、ような、気がする。少しだけ。
……いや、少し、じゃなくて、割と。
「……タスク君。誰か、会いたい人が居たのかい?」
ふと気づくと、リンガさんが立ち止まって俺を見ていた。
リンガさんだけではない。カラン兵士長も、ユーディアさんも、俺を見ている。
それらの視線に気づいて、頭が冷えて、気づいた。
「……いや、大丈夫です。そういやここ、異世界だった」
ここは異世界だ。俺が居た世界じゃない。天国地獄だけは異世界間共通だなんてことも無いだろう。だから多分、俺が会いたい人は、ここには居ないのだ。じゃあ元の世界になら居るのかと言えば、そんなことも無いのかもしれないが。
「そうか。……さて。次はこっちだ。今度はちょっと飛び降りるから気をつけて。あの苔がフカフカだから、あそこに向かって飛び下りると怪我をしにくいと思うよ」
リンガさんは特にそれ以上聞いてくるでもなく、しかし、ぽん、と、一度、俺の頭の上に手を乗せてから、再び歩き始めた。
……成長を超えて老化を重ね始めた手だった。
多分、俺の記憶の最下層に僅か残るばかりである、俺の父親のそれと、割と似ていた、と、思う。
尚、苔は予告通り、大層フカフカであった。フカフカ過ぎて着地したら埋まった。怪我はしなかったが埋まった。
そして天使が徘徊する場所を見事に避けて通るリンガさん独自のルートにより、俺達は一度も天使との交戦無く、洞穴のような場所に到着したのだった。
いや、本当に独自のルートだった。壁の穴を抜けるわ、塀の上を歩くわ、飛び下りるわ、飛び込むわ、滑るわ前転するわ……。
「イスカの友達を思い出す」
目的地らしい洞穴の前まで来たところで、ユーディアさんが呟いた。
「猫の魔物の友達が、こういう道を案内してくれた」
……。
リンガさん。あなたのコース取りは、猫並みだそうです!
「お待たせ皆!さあさあ、本日の主役を連れてきたぞ!」
リンガさんが洞穴に入ってすぐそんなことを言うと、洞穴の奥からたくさんの歓声が上がった。
「ちょっと見たい見たい!どんな子?」
「へー!お兄ちゃんが噂の!」
「噂の彼ね!」
……そしてあっという間に俺達はたくさんの人に囲まれ、やんややんやの喝采を浴びた。
「ここに居るのは私の同郷の者達……まあ、つまりエピの親戚やご近所さんだと思ってくれ」
言われてみれば、どことなくエピと表情の似ている人や、なんとも気の良さそうな人が大勢にこにこと俺達を見ていた。
この人達は全員『ここ』にいる。
……まあ、その意味は分かる。エピがファリー村に1人預けられた理由がここに直結しているのだろう。
死者たる彼らの笑顔を見て、複雑な気持ちになった。
……のだが。
彼らがエピを隠して、その犠牲となって死んでしまったのだろうとか、そういうことは置いておいて、だ。
ちょっと、聞き捨てならん。
「噂の……って、何、の……?」
嫌な予感しかしねえ。
もうなんか色々と嫌な予感しかしねえ。
俺は水行でもしたのかというレベルで冷や汗をかきつつ、リンガさんの言葉を待つ。
そして。
「ああ、エピの彼氏が地獄に来てまでエピを連れ戻しに来たってね!すっかり噂になってるんだよ!」
「彼氏」
「ほらほら、その指輪!それ、私とマイワイフの結婚指輪でね!片方を君が持ってるって事はそういうことだろう?」
……。
頭を抱えたい。
まず、俺がエピの恋人だと勘違いされている。頭を抱えたい。
次に、それが滅茶苦茶噂になっている。頭を抱えたい。
更に、エピの遺品のつもりで持ってた指輪がモロに曰く付きだった。頭を抱えたい。
しかも、この噂の発端はエピのお父さんご本人である。頭を抱えたい。
そして、そのエピのお父さんが俺に対して明るい笑顔を向けてきている。頭を抱えたい。
頭を!抱えたい!
だが!ここで頭を抱えて訂正するとどういう事が起きるか!
想像に難くない。
普通なら娘に恋人ができたら反対するらしい父親という立場にあるリンガさんが、何故か俺の存在を喜んでいるのだ。
そんな奇特な状況下で彼の勘違いを訂正すると、だ。
……間違いなく、滅茶苦茶、ガッカリされるぞ。
だってその『奇特な状況』ってのが、だ。
リンガさんが中々に奇特な人っていうのは勿論なんだろうが……。
……それ以上に多分、リンガさんご自身がもう亡くなっているから、っていう。そういう、理由だろうから。
……散々、考えた。
考えて、考えて……俺は結論を出した。
即ち、嘘を吐いたらそれはやはり不誠実であろう、と。
それから、できるだけこの人を悲しませたくないな、と。
そんでもって、まあ……嘘じゃないなら、別に不誠実ではないだろう、と。
ついでに、目の前のこの人は、それでよしとしてくれるだろう、とも。
「あのですね、リンガさん」
「何だい?」
「俺は別にエピの恋人という訳ではないです」
意を決して言った言葉は、目の前の年上の男性をきょとん、とさせ……それから、しょんぼりさせた。
「あ、そうだったのかい?ごめん、本当にごめんね、てっきりそうなんだとばかり……いや、ほんとうにごめん」
こちらが申し訳なくなるレベルでしょげて、申し訳なさそうな顔をするリンガさんにこっちまでごめんなさいと言いたくなるが、それは後にして、だ。
……。
「まだ」
たった2文字、しかも全く以て持って回った以外の何物でもない婉曲表現極まるたったの2文字如きを言うのにこんなに努力が要るなんて思いもしなかったぜ!