103話
「なにこれさっむい」
「冬の国もかくや、と言ったところか……」
俺達はパンシュートで地獄を滑りきり、最終的にはパンクッションで受け止められて無事に着地したのだが。
……いや、『着地』ではない。
「一面氷かよ」
『着氷』であった。
今までの地獄は、どちらかというと喧騒に溢れていて、賑やかな場所であった。
が、この地獄には、まるで音というものが無い。
冷たく静かな氷の上、見渡す限りの全てが鏡の如き氷なのだ。亡者すら1人も見当たりはしない。
この静寂も、冷たさも、今までの地獄とは一線を画した何かであることは間違いない。
俺達は慎重に、氷の上を進んでいった。
「あ、逆?」
が、割とすぐに、俺の鞄から飛び出してきた人魂が『逆です』みたいなかんじに道案内を始めてくれたので、逆向きに再び進み始めることとなった。
さて、この広大な氷の上を、俺達は只々黙々と歩いた。
最初こそ、カラン兵士長と雑談なぞしながら歩いていたのだが、如何せん、寒い。
寒いと口を開くのもおっくうになるというもので、その内会話は途切れ、今や黙々と歩くだけになっている。
そう言えば東北地方の方の方言は『寒いから口を開かなくても発音できるように発達した』みたいな話を聞いたことがある。聞いた当初は半分冗談だと思ったが、今の俺としては正直あり得る話だと思っている。だって寒いと口開きたくなくなる。ホントに。
……寒々とした行進は、背筋も凍る光景によって一時停止した。
「タスクっ、足元を見ろ!」
無音の世界を破壊するカラン兵士長の声に、意識を引っ張り戻しつつ慌てて足元を見る。
……すると。そこには。
「……人が、埋まってる」
俺達の足の下、寒々としたアイスブルーに透き通る氷の中に、人がいた。
「これは……生きたまま、凍ったのか」
俺達の足下に居る人は、もがき苦しむような恰好のまま、ピクリとも動かずに氷の中に閉じ込められている。
よくよく見てみれば、同じように、氷の中に閉じ込められた人達の姿がちらほらと見えた。
「この地獄の責め苦が、これなのか」
氷漬けにされているだけなのだから、凄惨さはあまり感じない。
だが……恐ろしい事に。だ。
「動いてるっ、この人達、動いてますよ!」
俺の目は、確かに、氷の中、亡者の片目が、こちらを僅かに向いたのを見てしまった。
……意識があるのである。この、亡者達は。
意識のあるまま氷の中に閉じ込められて、ピクリとも身動きできないまま……このまま、未来永劫、永久に。永遠に。
氷漬けにされている亡者達の表情からは、絶望しか見受けられない。あまりにも静かな地獄だが、その分、あまりにも恐ろしい地獄であった。
やがて俺達は、氷の中心部へと到達した。
そこでは氷がくりぬかれて大穴を成している。地底へと続いているのだろう。
氷の穴の側面は、螺旋階段の如く段がついているので、俺達はそれを伝って下りていくことにした。
氷の階段を下り続けていく。
光も届きにくくなって暗くなっていく中、氷の壁面にはやはり、閉じ込められた人達が居た。
「……滅茶苦茶に火を焚いたら、ここの氷全部溶かせませんかね」
「難しい、だろうな。俺も試しに少し熱してみたが、全く溶ける気配が無い。恐らく、この氷自体が一種の魔法なんだろうが……」
どことなく胸糞悪い気分になりつつ、俺達は氷の中を下りる。下りる。
……やがて、氷の壁は消えた。
分厚い氷の層の下に潜ったんだな、ということが分かった。
だが、氷の螺旋階段だけはそのまま続いていたので、そのまま階段を伝って下りていく。
下りて、下りて、いよいよ寒さも限界か、というところまできて……俺達はようやく、地底へとたどり着いた。
地底も氷であった。が、地表とは大きく雰囲気が違う。
いくら恐ろしく透き通っている氷だとはいえ、このぶ厚さの氷を通ってきているのだ、光はすっかり弱まって、辺りのものがかろうじて分かる程度の光量にしかなっていない。上を見上げれば明るいが、自分の居る場所までは十分に照らされない。
氷を通った光はほの青く、また、氷自体もぼんやりと青く、暗く、黒い。
極北の深海はこんな雰囲気なのかもしれない。
流石に歩き回るには暗すぎるので、ランプに火を入れて辺りを照らす。
すると、周囲の氷の様子も地表とは大分異なることが分かった。
ランプのオレンジ色の光に照らされて浮かび上がったのは、数々の氷柱だ。氷柱、というよりは、いっそ、巨大な水晶の結晶か何かだと言われた方が納得がいくかもしれないが。
「人が入れそうなサイズですよね」
巨大な氷の結晶がランプの光を反射して、チラチラと輝く。
……うん。光の反射の加減で見えていなかったものが、見えた。
「……見ろ、実際に入っているぞ」
「うわあ……」
案の定というか、氷の中には人が閉じ込められていた。氷柱1本につき1人ずつ、らしい。地表の氷の層にも人が閉じ込められていたが、まだ居るのかよ。
げんなりしつつ、どことないやるせなさを感じつつ、氷柱から視線を外した、その時。
ふわ、と、ランプ以外の光源が舞い上がった。
「え、あ、そっち?」
人魂である。飛び出した人魂はまたしても道案内をしたいらしく、ぼんやり光ながらふわふわ飛んでいった。
……そして、ある氷柱の傍らで、止まる。
氷柱の中にはユーディアさんが閉じ込められていた。
「ユーディア嬢っ!」
カラン兵士長が青ざめながら氷柱に駆け寄り、氷柱をぶっ叩くが、この氷、割れる気配が全く無い。
「くそっ、ならばこれで!」
続いて、炎を纏った剣が氷を切りつけるが、数多の怪物を倒したこの剣ですら、氷に傷をつけることができない。
「……くそ」
数度、剣を振るっていたカラン兵士長だが、誰にとも知れぬ悪態をつきながら、その場に座り込んだ。
「これは……どうにかして、魔法を解かないと駄目なんですよね」
改めて、ユーディアさんを見る。
氷の中、他の亡者達とは違い、かなり穏やかな……少なくとも、足掻いた様子も無く、絶望した表情を浮かべるでもなく、只々静かに瞳を閉じて氷の中に閉じ込められている。
「一体……どうしてユーディア嬢が、地獄なぞに」
頭を押さえて俯くカラン兵士長に、何と声を掛けていいのか分からない。
俺だって、こんなのは間違っていると思う。
ユーディアさん。
イスカの村が好きで、イスカの村の人にも好かれていた。
村を救うために、危ない橋を渡ってまで、俺達にパンの提供を頼みに来た。
俺達をエスターマのジャングルで見つけた時も、殺せと言われていたのに殺さないで見逃してくれた。
……思い出せば思い出すほど、地獄に落ちる人じゃない。
クールで無表情で、そのくせ多分この人どっか天然ボケ入ってるぞ、と思わせる……そんなかんじの……どこにでもいるような、女の子だと、思う。
なのに地獄行きか。
「……本当に、この地獄ってのは……俺は気に食わないですね」
「ああ。俺もだ」
ユーディアさんは、俺達の事を認識しているのかいないのか。相変わらず、眠るように氷の中に居る。
……まだ、穏やかな顔してるから、よかった。これで苦しそうな顔でもされてたら本当にもう色々と駄目だった気がする。
「とりあえず、この階層をもう少し探索してみましょう。ここの魔法を解くための材料がここにあるかもしれない」
「……そうだな。このままここに居ても解決しなさそうだ」
精神的に結構きているが、だからこそ、動かなければ。合理的に考えてそうだってのもそうだが、動いていないと、益々落ち込みそうである。
俺達は立ち上がって、再び、歩き始めた。
歩き回る内に、そう長くかからずに一際大きな氷柱を見つけた。
「これは……あれ、中に何も無い」
「見ろ、タスク。ここに亀裂がある。氷柱の中に入れそうだぞ」
「あっホントだ、これ、中空になってますね」
大きな氷柱は、光を反射するので中がどうなっているのか分かりづらかったが、半ば手さぐりに氷柱の割れ目を見つけ、そこから中に入っていくと……氷柱の中に、下り階段があった。
「……とりあえず下りるか」
「これ、下りた先がもっと寒かったら嫌ですね」
「俺も嫌だな……」
いよいよもって寒くなってきたのだが、階段を見つけてしまった以上、先に進むしかない。
俺達は意を決して氷柱の中の階段を下りていった。
氷の階段は、途中で石に変わった。
そして、氷の天井の下に石造りの、非常にこじんまりとした城が現れる。階段はどうやら、その城の中へと続いているようだ。
「これはいよいよ、地獄の主がお出ましか?」
「ならそいつ殺せばユーディアさん溶けるかもしれないですね」
「よし分かった。殺そう」
「殺しましょう」
もう色々と限界な俺達は、楽しく物騒な会話をしながら階段を下り……そして、城の中へと、入っていった。
城の中に入って最初の部屋はごくごく小さなもので、恐らく、階段とこの城を連結させるためだけの空間なのだろうと思われた。
その証拠とでも言うかのように、すぐ目の前には装飾された両開きの扉がある。
この地獄の冷気はこの扉の奥から漂ってくるようである。間違いなく、この先に何かがあるのだ。
その何かが、ユーディアさんを救い出すカギになるものであることを祈る。
「……開けるぞ」
俺達は手に武器を持ちながら、お互いに頷き合い……扉を、開けた。
「……ぬ?客人か?」
そこには、下半身を氷の中に閉じ込められたまま、上半身だけ氷の外に出している……。
「……もしかして、魔王様であらせられますか」
「如何にも。……いや、『旧』魔王と言った方がよいかもしれぬが」
旧魔王様が、何か見覚えのあるパン食ってらっしゃった。
……それ、カ○パンですよね……?




