102話
「おーい亡者共、ワイン煮できたぞー」
「何故俺達は川原で肉を煮ているのか」
「いやだって、腹減ってる人達の目の前で自分達だけ飯食うのってなんか嫌じゃないですか」
「まあ一理あるが、それにしてもどうして川をワインにしたのか」
「そこに川があったので」
さて、煮えたぎる血の川は早速だがワインの川になった。
更にその後、ワインの川で煮込まれつつ空腹状態である亡者達を見ながら飯を食うのは気が引ける、という理由で、また或いは、どうせ煮るなら人より肉の方がよかろう、という事で……煮込まれていた人達を一回川から出し、そこら辺の石をパンにして成形してから石に戻すことで石の鍋を作り、川から熱々のワインを汲み、カラン兵士長が火を熾してくれたところに鍋を乗せ、そこら辺の石から生やした肉を煮込みまくっている。
勿論、俺達は食べない。地獄の物をうっかり食べると現世に帰れなくなりそうなので、それは勿論心得ている。
では煮込んだ肉はどうするか、と言うと、そこらへんに居た生き物全員に配っている。いや、生き物っていうか死に物なのかもしれないが。
具体的には、さっきまで川で煮込まれていた亡者達や、そこら辺に居た半人半馬のケンタウロスとか、そこら辺の森を飛んでいたが目聡くこちらの肉の気配を察知してやって来た半人半鳥のハーピーとか。
ワインも肉も、ついでに言えば鍋も火も無限にあるのだ。どうせならこれぐらいやってしまっても問題はあるまい。決して。
「たのしい」
「それは良かったな」
彼らが肉のワイン煮込みを食らう間、俺達はそれぞれ現世の石由来のパンと肉を食う。ワインで煮込む余裕が無かったので、適当に直火で焼いて食った。それでも肉がいいから割と美味かった。
そうして俺達もそこら辺に居た人やその他も大体満腹になったところで、俺達はそこら辺の石からパンや肉の木を生やしてから再び出発した。
良い事をした後は気分が良い。
川から離れて森を抜けると、そこには地獄絵図があった。
「火の雨が降ってる……」
このエリアだけ、火の雨が降り注いでいた。
火の雨、である。比喩でもなんでもない。本当に火が降り注いで、亡者達を焼いていた。
降り注ぐ小さな流星の如き火。舞い散る火の粉。それに焼かれる亡者達。なんともえげつない地獄である。
だが、この火の雨地獄の先に何かが見える。多分、この先がこの地獄の層の中心であり、次の地獄への入り口なのだろう。
……つまり、俺達はこの火の雨のエリアを抜けなければならないのだが。
「……この雨の中を抜ける、というのは中々に難しそうだな。外套で雨避けしながら走り抜けたとしても……タスク、あれを見ろ」
カラン兵士長が声を潜めながら指さす先には、巨人が横たわり、進路を塞いでいた。
つまるところ、あの巨人をなんとかしなければならないようだった。
だが、接近して戦おうものなら、その間に火に焼かれてしまう訳である。
……ふむ。
「カラン兵士長、ものすごくいいアイデアが思い浮かびました。最高のリサイクルですよ」
「嫌な予感しかしないが一応聞こう」
俺は何故かカラン兵士長の信頼を失っているらしいが、改めて、アイデアを伝えた。
「要は、火とはいえ、雨なわけです」
「ふむ」
「ならフライパンから発射できます」
「まるで意味が分からん」
「そして、火を噴射するフライパンであれば、人2人ぐらいはなんとか飛ばせるんじゃないかと」
「さっぱりわからん!」
数分後。
俺はフライパンに乗って空を飛んでいた。
フライパンはあたりの火の雨を全て集めて噴射し、凄まじい推進力を得ていた。もう誰にも止められない。
「成程、そういえば三つ首の犬と戦う時にも同じことをしていたな……」
「これで飛べます。楽勝です」
「では俺は歩いて付いていくとするか……。まあ、火の雨が消えただけでも十分だな」
俺はフライパンに乗って空を飛び、カラン兵士長は後からのんびりついて来た。流石にフライパン1つに男2人でタンデムは無理である。まあ、フライパンが火の雨を全て集めているので、この地獄は最早火の雨地獄ではない。歩くにもそう問題は無いはずなので、カラン兵士長には申し訳ないが歩いて頂こう。俺は空を飛ぶ。
そうして進んだ先で、遂に巨人と対面することとなった。
ざ、と足元の砂を踏んで、剣を抜くカラン兵士長。
その横でフライパンジェットでホバリングしながら宙に浮く俺。
「……さて、巨人よ。退いてもらおうか」
カラン兵士長の声に、横たわった巨人は、目を開く。
巨大な体の巨大な顔の中、目だけが動く。
ギョロリ、と、血走った巨大な目が、俺達を捉えた。
……そして、問答無用、とでも言うかのように、その巨大な体躯に見合わぬ速度で、手が振り抜かれる。
「怖えよ!」
ので、思わずフライパンジェットを巨人の手に向けて発射してしまった。
「敵ながら不憫で仕方がない」
「いやだってあれは怖かったし仕方ないですって」
手を火傷した巨人は案外打たれ弱かったらしく、しくしく泣きだした。よって俺達はその間に巨人の横をさっと通り抜けて先へ進むことができた次第である。
「……さて、そろそろ、エピかユーディア嬢が見つかるといいのだが」
「ですね。……2人とも、地獄に居るはずはない、って思いましたけど、地獄がこんな調子じゃ、どっかに居ないとも限らないですね」
何なら、今までかっ飛ばしてきた地獄のどこかに既に居た可能性も無きにしも非ず。……いや、今まであれだけド派手にパンでワインしてきたんだから、向こうが気づくか……。
「この先に居るとしたら……どんな責め苦を受けているのか」
カラン兵士長が苦り切った顔で先を見据える。
……エピも、ユーディアさんも、悪い人じゃない。だが、この地獄は……おかしいと思う。
人間なら誰しも、何かしらかの罪は犯しているんじゃないだろうか。そして、それをあげつらって責め苦を受けさせる、というのは、如何なものか。
ましてや、エピやユーディアさんが、酷い目に遭っていたとしたら、だ。
……この地獄の責任者を探し出して、ぶちのめしてやらないと気が済まない気がする。
次の地獄は、それはそれは惨憺たるものであった。
……どれぐらい惨憺たるものだったかというと、まあ、鬼みたいなのとか悪魔みたいなのに取り囲まれる程度には惨憺たるものであった。
地獄の新しい階層に来て、真っ先にパンの木を生やした。高く高くパンの木を伸ばして、その上に乗って地獄中を眺めた。
「……エピもユーディアさんも居ないな」
無論、こんなことをしているのは、エピとユーディアさんを探す為である。意味も無くパンのモニュメントを建設している訳ではない。
「まあ……ここに居なくてよかった、と思うべきだろうな」
地獄の階層中を眺めて、カラン兵士長は苦い顔をした。
それもそのはず、この階層では、ありとあらゆる責め苦が行われていた。大体どこでも鬼みたいなのとか悪魔みたいなのが亡者を虐めていたのである。
鞭打つとか、首を捻じ曲げられるとか、煮込まれるとか、燃やされるとか、裂かれるとか……。
見ていていい気分はしない。
……が、亡者達を虐めていたモンスター達も、今やその手を止め、突然現れたパンの巨塔を見て口をあんぐり開けている。まあ、突然パンが生えてきたら見るか。うん、多少気分がいい。
が、まあ、見られているって事は当然、モンスター達が俺達に反応するってことである。
うっかりパンの巨塔をへし折られて墜落とかしない内に、さっさと自分達でパンの上から降りておく。
「貴様ら、生者だな!?どこから入った!?」
パンから降りた俺達に、早速、鬼みたいなのから声が飛んでくる。
「『一切の希望を棄てよ』の門から入りました」
「その後の話だ!」
「割り当てられた地獄へ行かねばならぬというのに!」
「この大罪人が!」
「いっそ死ね!」
鬼だの悪魔みたいなのだのに寄って集られて罵られると、何とも怖い。しかもこいつら、ついさっきまで亡者達をスプラッタにしていた連中である。怖い。怖すぎる。
「……この数を一度に相手取るのは面倒だな」
しかもこの数。
辺り一面で亡者達を虐めていたモンスター全員が俺達の方に来たので、それはそれはもう、大量なのである。
「じゃあ俺が一網打尽にしますよ」
が、こういう時に俺の石パンパワーは真価を発揮するのだ。
俺はフライパンを構え、足元の石(素晴らしいことにこの地獄は地面が石だった。主よ感謝します。)からパンを生やす。
一気に、だ。
俺達を中心としたドーナツ状に、防壁を築くように。
そうして生まれたパンの壁は、すぐに石の壁へと変える。
壁の向こう側でモンスター共が壁を破壊せんとやってくる気配を感じ……俺は、石の壁から外側に向けて、パンを無数に生やした。
ただし、ここで一工夫だ。
生やすものの先端は、肉。塩漬けの豚肉をじっくり乾燥させた奴。つまり、パンに比べてかなり重いものだ。
続いて、肉のすぐ後には蒸しパン。つまり、かなり柔らかくて脆いもの。
最後に普通のカチカチフランスパンで柱の土台とし……この3つの素材でできたパン柱を、一気に生やして……一気に止めた。
慣性の法則、というものがある。
要は、車は急には止まれない、の法則である。動いているものは急には止まらない。
つまり、凄まじい速度で伸びたパン柱が、急に、ピタッ、と伸びるのを止めた時。パン柱には、慣性が働くこととなる。
即ち……石壁の外側に向けて働く慣性が、パン柱の脆い部分を破壊する。
蒸しパン部分が壊れ、先端の肉は……慣性に従って、飛んでいく。
石壁の外側へ。放射状に。無数に。それはそれは凄まじい速度で。
「なっ」
「これは何だ!?」
「くそっ、目をやられた!」
案外、肉の弾丸だって馬鹿にならないものである。死なずとも、モンスターたちが怯むには十分な威力を持ってして、肉の弾丸はまき散らされた。
おかげで鬼も悪魔も、動きを止める。第二撃に備えて、若干の警戒態勢に入りつつ、じりじりと、こちらの様子を窺っているのだろう。
ならば、ということでお望み通り第二撃を発射しつつ、足元に穴を開ける。
勿論、穴を開けていることは壁の外に居るモンスター達には分からない。
「……タスク……」
「ここにはエピもユーディアさんも居ないみたいですし、長居するだけ無駄ですよ無駄」
カラン兵士長が何とも言えない顔をしていたが、それでも俺はこの地獄に風穴ぶち開けて脱出する気満々なのである。
「また落下するのか……神よ……」
「今度はもうちょっと上手くやりますから大丈夫ですって多分」
壁の向こう側で鬼やら悪魔やらが頑張っている様子を感じながら、俺達はすぐ、足元のパン穴に飛び込んだ。
さて、無様に落下する訳にはいかないので、流石に今回は工夫した。俺は学習する生き物である。
パン穴を垂直ではなく、斜めに作ったのだ。こうしておけば、穴の中を自力で歩いていく必要があるものの、自分で自分を制御できずに落下、ということにはならない。
あとは慎重に、地獄をパンにして掘っていき、貫通するまで進めばいいのだ。
「ところでタスク」
パンの斜め穴を進む傍ら、カラン兵士長が聞いてきた。
「さっき、ちら、と見えたが。獄卒に対して肉の弾丸を使っていたな。あれは何故だ?石にもできただろう?」
「あ、気になりましたか。というか気づいたんですね」
多分、壁の隙間とか上の空きとかから見ていて肉の弾丸に気付いたんだろうが、大した観察力である。
「で、どうしてだ?単に追い払うだけにしろ、石の弾丸を使ってよかったのではないか?」
「特に深い意味は無いですよ。ただ、石だと跳弾してうっかりこっちを攻撃しかねないかな、とか、色々思うところがあったのと、そこら辺の亡者に当たったらまずいな、と思ったので」
わざわざ肉の弾丸を使ったのは、とりあえずモンスター共を足止めさえできればよかったから、という理由もだが、攻撃したくない相手を攻撃してしまわないように、という意味合いが強い。
地獄の亡者達に、これ以上の責め苦を与えたくはない。
「それからですね」
そして、もう1つ理由がある。
「俺の世界では、塩漬けにして乾燥させた豚肉の事を、『プロシュート』と言うんです」
「……ほう」
カラン兵士長は『雲行きが変わったぞ』みたいな顔をした。
「今回の弾丸に使ったのは、そのプロシュートでした。それから、射撃することを『シュート』と言いまして」
「……ほう……?」
カラン兵士長には既に、『雲行きが怪しくなってきた』みたいな顔をされている。
「まあつまり、さっきのあれはいわばプロシュートシュートという」
「タスク」
カラン兵士長は非常に真剣な、かつ、優しい顔をしていた。
「休憩しよう。お前は疲れているんだ」
休憩しつつ、プロシュートを齧る。うめえ。
「とりあえずこのまま地獄の床兼天井をぶち抜いたら、そこから滑り台を伸ばして地上まで行こうと思います」
「ああ、それがいいな。ある程度は着地地点も制御できるし、何より、安全だ」
血の池地獄の塔ごと地獄の床をぶち抜いた時のような無様な落下は今後一切やりたくないからな。こういう小細工をバンバン使って、安全を確保していきたい。
……ふと、思い出したことがあったので、口に出す。
「あ、それからですね、カラン兵士長」
「どうした?」
「俺の世界では、空飛ぶ乗り物がありまして。飛行機って言うんですけど。当然、事故が起きることがありまして、そういう時の為の脱出経路として、脱出用の滑り台を用意してある奴があるんですよ」
カラン兵士長が『神よ』みたいな顔してるが構わず続ける。
「その滑り台もシュートと言うんですね。文字の綴りが射撃のシュートとは違うんですけど」
カラン兵士長が祈りの形に手を組み始めたが構わず続ける。
「プロシュートで滑り台を作ったらこれもまたプロシュートシュート」
「神よ!」
結局、プロシュートシュートじゃなくてパンシュートおよび石シュートで降りることになった。
理由は簡単、プロシュートは肉であるが故に、滅茶苦茶摩擦係数が高かったのだ。
よって、プロシュートシュートで滑ろうとすると尻が滅茶苦茶つっかえて、滑るどころではなかったのである。
無念。