100話
そうしてカラン兵士長と女の巨像との戦闘が始まった。
……が、あまり心配はいらなかった気がする。
最初、カラン兵士長は避けるばかりであった。
まず、巨像の腕が届くか届かないかの所で、3度。
次に、巨像の腕が簡単に届く所で、3度。
そして、巨像の肘よりも内側に入って、3度。
合わせて9回、巨像の攻撃を避けてから、一旦元の位置に戻る。
最後に1度、避けてから、俺を見て、にやり、と笑った。
「3度、だ」
カラン兵士長の剣が、炎を纏う。この人こんな事もできたのか。
「きっちり3度で、倒してやる」
炎に照らされつつ、それはそれはもう、実に頼もしい笑みを残し、カラン兵士長は大きく跳躍した。
「まずは一本!」
巨像が振るう腕を逆に足場として高く跳躍したカラン兵士長は、最初の一刀で巨像の右腕を切り落としたのである。
あっという間。あっという間の神業であった。
その後も展開が速かった。
数度、巨像の攻撃を躱したカラン兵士長は、氷を纏った二刀目で巨像の左腕を切断。
そして、抵抗する術が無くなった巨像の首を、只の三刀目で切断。
……こうして巨像は動かなくなった。
「どうだ」
あまりの早業に、正に、開いた口が塞がらない、というか。
さっきまで『石が無いけどどうすんだ』なんて考えていた俺がアホらしい、というか。
「参りました」
自慢げなカラン兵士長に対し、俺は巨像に代わってしっかり参っておいた。
そうして実にアッサリと巨像を倒し、また地獄を歩き始めた俺達は、雑談に興じることにした。
他にやることが無いからである。一応、周囲への警戒は怠っていないが、この地獄、あまりにも平和なのだ。
「カラン兵士長、案外動かないんですね」
ということで、早速、実用性のある雑談を始める。
「動かない……ああ、さっきの女の像との戦いか」
さっきの戦闘を見ていて、気になった事だった。
カラン兵士長は、あまり動かない。
同じような間合いで3度避けていたが、最初の1度こそ大きく避けるものの、3度目にもなれば、必要最小限の動きだけで攻撃を避けていた。
つまり、この『3度避け』は、見切りの為の時間なのだろうが。
「あまり動いて良い事は無い。体力を使うし、案外、回避という行動は隙が大きいものだ。無論、攪乱しながら戦うという事も戦略だが、どうにも俺の性には合わないらしくてな」
ほう。
戦う事を生業としていた人の言葉であり、ついさっき、その神業めいた戦いぶりを見せてくれた人の言葉でもある。
ありがたみも一入であるし、素直に参考になるなあ、とも思う。
「例えば、エピなんかは、かなり動くだろう」
「ああ……そういえば、そう、ですね」
唐突に出てきたエピの名前に、咄嗟に頭が回らなかったが、よくよく思い返してみれば、エピはかなり動き回るタイプだった。
大きく距離を取り、突進して、一撃を加えたらすぐ離脱。
防御も回避も、全てが大きな動きの中に即興で組み込まれていた。
……というか、エピは時々、空中進出までして戦ってたからな。3D戦闘である。もう、動き方の次元が違うな。
「エピはあれで上手くいっていた。元々が野生の魔物相手に戦っていた訳だろうし、1対1で戦う事が多かったんだろうな。恐らくは独学で、自然と戦い方を身に着けていったんだろう。そういう動き方だ。やはりある程度、生まれ育った環境や、研鑽の過程が戦い方に出てくる訳だな」
……カラン兵士長の言葉を聞いて、ふと、思う。
「そういえば、俺、エピの戦い方なんて、意識したこと……」
そして、口に出してから、更に、思う。
「……そもそも、俺、エピの事、碌に知らないんですね」
「追いかけて地獄にまで来た割に、エピの事知らないんです」
思えば、俺とエピは長い付き合いではない。
俺がこの世界に来てからの、ほんの僅かな間だけの付き合いである。
お互いに幼少期の事など知らないし、生まれ育った環境についても碌に知らない。
俺は一応、エピの育ちの故郷であるファリー村を多少知っているが、それだって、本当に『知っている』かは怪しい。
俺はエピについて、何を知っているのだろう。よくよく考えると、恐ろしいほどに何も分からなかった。
「……ふむ、まあ、そんなものだろう」
が、悶々と考え始めた俺に、あっけらかん、とした声が掛けられる。
「相手について碌に知らない。当たり前のことだ。俺だってお前達の事はよく分からない」
「そのよく分からない相手の為に地獄についてくるあたり、本当に肝が据わりすぎてますよねカラン兵士長」
「まあそうだが」
苦笑いしつつ、カラン兵士長は続けた。
「それでいいのだろう。タスクにとってエピは、知らないから、知りたい、と……そう思えるだけの相手だということだ。違うか?」
知らない。俺はエピの事を碌に知らない。
だが、知りたい、とも思う。うん。正しい。
……知りたいから、地獄へ来た。
まだ足りないから、地獄へ来た。
うん。正しい。
「それに、タスクだって、エピの事を本当に何も知らない訳ではないだろう?」
カラン兵士長に言われて、思い出す。
出会った時から、エピは……。
「エピは、クリームパンが好きですよ」
俺が答えると、カラン兵士長は、それはそれは明るい声を立てて笑った。
さながら、地獄に太陽があるかのような明るさであった。
「頼りにしてますよ、兵士長」
「ははは、任せておけ、救世主!」
笑い声につられて俺まで何となく元気になりつつ、俺達は黄金を踏みしめ、続く階段を目指したのだった。
……目指した。確かに、目指した。
下り階段を探しに探したのだが、一向に見つからなかった。
「おっかしいな」
「おかしいなあ……」
地獄中を巡ったと思う。のだが、一向に階段が無い。
「流石にこれはそろそろおかしいのでは」
「おかしいよなあ……」
何か嫌な予感がしつつも、俺達はひたすら歩き続ける。黄金ばかりのこの地獄、果たして出口はどこにあるのか。
「あー……」
「ここか……」
出口はそれからすぐに見つかった。
「星は傾いた」
……もう一回、女の巨像が出てきたのである。
そして、よく見ると。
女の巨像が出てきている金の池の中、穴の側面に、下り階段であろう洞穴が見える、のである。
……あそこかー。
「さて、どうしたものか」
「倒しちゃうと消えちまうんですよね、これ」
「そういうことだろうな。さて、この門番はジャムパンで通してくれそうにはないが、どうしたものか」
女の巨像は、倒してしまうと地中に消えてしまう。
そしてその時、金の池も同時に消え、下り階段への入り口も消える、という訳である。
これで地面が金じゃなければ、幾らでもパンにして掘って掘って掘り進んで下り階段を掘り当ててやるのだが。
「この巨像を倒さずにあの穴の中へ入る、というのは……少々無理がある」
「間違いなく俺は死にますね」
カラン兵士長から否定の声は無かった。事実だが何かが悲しい。何かが。
「……石があれば、あの巨像にパン巻き付けて石にして動きを封じられるんですけどね」
「だが石は無いな」
「現世の石はありますけど、これ使うの、怖いんですよね」
現世の石は、即ち、食料用である。
この地獄において、一歩食糧事情を誤れば即ち、死、である。下手すると完全なる詰みになりかねない。
そんな状況で、不用意に現世の石由来のパンを増やしたり、食べるでもなく地獄に取り残していったりしたくはない、のだが……。
……要は、パンも石も無いのが悪いのだ。或いは大雨が降っていればフライパンジェットで飛行できるので、多少機動力が上がる。が、それすら無い。
ほのぼの地獄とか言っていた奴は誰だ。救世主能力が通用しないこここそが真の地獄である。地獄であった。俺にとってはここ、最悪の地獄であった。
「タスク。カラン。石を、探しているのか」
そんな俺達に、声が掛けられた。
振り向くと、なんと、そこには。
「……誰だ?」
見覚えの無い男が居た。
が、男は俺達の名前を呼んだ。更に、石を探していることを言い当てている。
……どこかで、会ってるんだよ、なあ……?
じっと男の顔を見ながら思い出そうと頑張っていたら、男は、柔らかいような鋭いような、微妙な笑みを浮かべて、言った。
「私は、レギオンだったもの。あの節は、どうも」
「……あー」
「あー……そういえば、お前の声も聞こえていた気がするな……」
レギオン。
オートロンとハイヴァーの間の洞窟で、カラン兵士長が全裸で暴れまくっていた原因であった、群体悪霊であった、と思う。
オークの群れに憑りついて入水自殺してたが、まさか地獄行きになっていたとは。いや、悪霊なんだから地獄行きで妥当っちゃ妥当だが。
「あの時の礼が、まだだった。これを使うといい」
そんなレギオンの内の1人だった男は、俺の目の前に大きな袋を置く。
袋の口を解くと、中から、じゃらり、と煌びやかな音を立てて、大粒の宝石が転がり出てきた。
「この地獄は黄金の地獄だ。でも時々、こうして宝石が流れつく」
ああ……そういや、装飾品を扱ってる亡者も居た、か。成程、このキンキラキンに紛れていたが、盲点だった。宝石。
宝石だって、石だもんな。つまりはパンだもんな。
「……でも、いいのか?こんなものを」
だが、この地獄、明らかに欲深い連中の為の地獄である。となれば、この地獄に居る目の前の元レギオンだってそうなのだろうに、宝石を差し出してくれた。その気持ちは嬉しいが、本当にいいのだろうか。
「構わない。元より、礼がまだだったのだから」
元レギオンはそう言って、また特徴的な笑みを浮かべる。
地獄じゃなかった。
ここは、地獄じゃ、なかったな。そんなに悪くない場所だ。だってこのような奴がいる場所なのだから。
「……その代わり」
「あ、うん」
「できたらパンを譲ってほしい。この地獄では、宝石よりパンが高い」
……。
うん。まあ、俺、こういうの、嫌いじゃねえぜ!
地獄産の宝石は大体全部パンになった。
そして増えに増えて、女の巨像の動きを完全に封じるに至った。
「黄金地獄の一部がパン地獄になっちまった」
「見るからにおかしいな」
「パン……パン……」
女の巨像はパンか石でガッチガチに固めたのでもう動けないだろう。
金の池の側面にはパン階段を設けたので、俺達は先へ進める。
そして元レギオンは俺が変えたパンを楽し気に拾い集めていた。何よりである。
「あー……宝石、ありがとう。助かったよ」
が、それでも助けてもらったことに変わりはない。彼に声を掛けられていなかったら、この地獄を突破するために食糧事情を危険にさらしていたのだから。
「構わない。私はこのパンでまた一儲けする」
……至極嬉しそうな笑顔の元レギオンに手を振って、俺達は金の池の淵へと下りていった。
「……地獄もそんなに悪い所じゃないですよね」
「そうだな。あまり現世と変わりがない」
俺達は階段を下りきるまで終始、『地獄ってなんだろうね』みたいな話をしていた。
そろそろ悟りが開けそうである。
女の巨像が門番の役割を果たしていたのだろう。特にその後、何事も無く無事に階段を下り……そうして階段を下りきった先は。
「ヒャッハー!血の池待ってた!待ってたぜ血の池!血!の!い!けええええええええええ!」
血の池であった。
「落ち着け、タスク」
黄金地獄からの血の池地獄である。嬉しくないわけが無い。落ち着いてられるか。全部水かワインにしてやる。覚悟しろ血の池。
「……神よ」
カラン兵士長が祈る中、俺は血の池へと嬉々として踏み入っていったのであった。