1話
悔い改めよ。パンの国は近づいた。
『目覚めよ』
声が聞こえる。
『目覚めよ』
遠くから聞こえる声は、どこか、あの時に似ている気がする。
『目覚めよ、切戸匡』
名前を呼ばれて、俺は目を開いた。
……そこに広がっていたのは、余りにも見慣れない風景。
石造りの薄暗い部屋の中、変な魔法陣みたいなものの上に俺は寝かされ、魔法陣の周りを透明な壁で囲まれ、そんな俺の周りで魔法使いみたいな恰好したおっさん達がうろうろしつつ作業している。
……。
俺は二度寝を決め込んだ。
『め、目覚めよ!切戸匡!目覚めよーっ!』
二度寝を決め込んだ。
石をパンにする。
水をワインにする。
多分、某救世主の方が起こした奇跡である。
俺は特に熱心に宗教を信仰してる訳でもないので、『石パン水ワイン』について知っているのはこんなもんだし、某救世主についての知識もまあ、一般教養レベルの物しか持っていない。
だが、これだけは分かる。
別に、石をパンにできて水をワインにできたからって、世界を救えるわけがない!
さて。
俺、切戸匡は今、二度寝する前の状況からほぼ好転していない状況に居る。
つまり、俺は魔法陣みたいなのの上に寝かされており、魔法陣の周りを薄く光る透明な壁みたいなものに囲まれ、そして俺の周りを魔法使いみたいな恰好したおっさん達がうろうろしながら作業している。
……これは一体、何なのか。
ここで三度寝を決め込もうにも、流石にまずい気がする。
もしかしたら、ここで何か動かないと本当に詰みなのかもしれない。状況を知る努力はした方がいい気がする。
体は動かさないまま、そっと、様子を窺う。
「……この救世主はハズレか?」
「まあ、だろうな」
聞き耳を立てれば、おっさん達の会話が聞こえてきた。
「こいつの能力、解明できたのか」
「いや。まだ解明できないが。だがとりあえず、四元魔力ではない。癒しの力でもない。民衆を引き寄せ動かすような力でもない。天罰を与える能力でもない。そこまでは分かった」
能力?……聞き耳を立てても、状況がまるで分からん。
一体何だ、能力、って。
「これだけ調べても出てこないんだ。こいつの価値は無いな」
だがとりあえず、俺の『価値』を調べているらしいことだけは分かった。
そしてその『価値』が『無い』ということも。
……くっそ、考えてみても、この先、どう動くのが良いのかがまるで分からねえ……。
なんか、なんか滅茶苦茶に嫌な予感だけはするんだが、それをどうしていいのかがサッパリだ!
ここで動いて、起きてることがバレたら不味いか?それとも、積極的に動いていくべきなのか?
……賭けに出るしか、無いよな?
「あのー、すみませーん」
声を掛けると、俺のすぐ近くで話していたおっさん2人が、あからさまにビクついた様子を見せた。
「なっ!?」
「お、起きた!?起きちまったのか!?」
……あれ。何か、違和感があるんだが。
俺は……起きないことを想定されてたのか?なら、誰が俺に『目覚めよ』と……?
「すみませーん」
とりあえず、俺はもっとおっさん2人に近づいた。
だが、魔法陣を覆う透明な壁に阻まれる。この壁、普通に壁として機能してやがるのか。透明だからすり抜けられるのかと。
「う、動いた……」
「くそ、おい、どうする!?」
……だが、ここで考えていても無駄無駄無駄、なのだ。
とりあえず、この透明な壁みたいなものをどうにかした方が良い。多分、この魔法陣の中に居ると、状況はどんどん悪くなっていく!そんな気がする!
よって俺に必要なのは、ここを出なければならないという必然性!そして緊急性だ!
……つまり!
「ちょっとトイレ行きたいんですけど」
「どうする!まさか魔法陣の上で目覚めるなんて!」
「調査に時間がかかりすぎたんだよ!」
「仕方ないであろう。こんな事、滅多にあるものでは……ううむ」
……そして俺は放っておかれている。
おっさん達がひたすら会議しているだけで、一向に俺は動かしてもらえていない。
「あのー、トイレ」
「どうしますか、このままあれを放っておくんですか?」
「あのー、すみませーん」
「できるか、そんなこと!このままいつも通りに、だよ!」
「トイレ行きたいんですけどー!トイレット!厠!雪隠!」
「で、でももう目覚めて……」
「トーイーレ!トーイーレ!」
「しかもうるせえぞあいつ!」
「漏らすぞ!ここで俺は漏らすぞ!いいのか!」
「あああああああ!なんであんな奴召喚しちまったんだよ!おい!お前!」
騒いでいたら、やっと俺に注意を向けてもらえた。あーよかった。
「もういい、お前はここで殺してやる!」
あっ、これ、向けられちゃいけない注意を向けられている気がする。
くそ、駄目だったか!トイレコール!
「待て」
だが、透明な壁の向こう側でいきり立つおっさん達が急に姿勢を正す。
反対側を見ると、そこには明らかに偉そうなおっさんが立っていた。
頭に王冠が乗っている。もしかしたら、王様なのかもしれない。
或いは、王様みたいな恰好をするのが趣味なだけのおっさんなのかもしれないが。
「仮にもそちらは救世主としてこの世に召喚されし者。そうぞんざいに扱うでない」
「しかし、国王陛下」
国王陛下、と呼ばれた以上は国王なのであろうおっさんは、俺を殺そうとしていた物騒なおっさんを手で押しとどめる。
「能力が分からぬのならば、本人に直接聞けばよいであろう」
おお!やーっと、話が分かりそうな人が来てくれたぜ!これで勝つる!
「さて。汝は救世主としてこの世界に降り立った」
だが、一言目からサッパリ意味が分からねーぜ!だめだ!勝てねえ!
「救世主?」
「左様。汝の世界にも、伝説に残る救世主が居たはず。汝は、汝の思う救世主の能力を得て、この世界を救うべく召喚された、新たなる救世主!」
な、なんか早速『救世主』がゲシュタルト崩壊しそうなんだが、なんだが……1つ、分かっちまったことがある。
「ちょ、ちょっと待て。つまりここは……?」
「ああ。ここは……汝からすれば、『異世界』なのだろうな」
あーあーあーあー、これ、俺の手には負えない奴だ。もう駄目だ。夢じゃないならもう駄目だ。これ、どうしようもねえ。
何だよ、異世界って。何なんだよ、異世界って。俺が一体何をした。
「して、汝の能力は何だ?汝は汝が思う救世主の能力を得ているはずだ。手の甲を見よ」
……だが、ここでウダウダ言っててもどうしようもない。仕方ないので、手の甲を見る。
「……何時の間に落書きが!」
「ら、落書きではない!それが救世主の能力の証なのだ!」
俺の手の甲には、右と左、それぞれ違う模様が描いてあった。
が。
「どうせ手の甲に宿るならミツウロコのマークがよかった」
「な、なんだ、ミツウロコとは」
右も左も、トラ○フォースではない。残念。
「……して、見たところ汝には、右手と左手、2つの能力が宿っている。だが、我らが調べたところ、その2つとも、『四元魔力』……つまり、自然を操る力ではなく、かといって『癒しの力』でもなく、『民衆を動かす力』でもなく、『天罰を与える力』でもなく……およそ、救世に使えそうな能力ではなさそうなのだ」
言われて、なんとなく、分かってきた。
……分かって、きちまったぞ。
「先代の救世主は、炎と雷を味方につけ、風のように地を掛けたという。先々代は光を自在に操り、人々の傷を癒し、死した英雄を蘇らせまでもしたという。先々先代は、人々を束ね導き、強大な魔を封印したと」
つまり、アレだろ?俺が持っている『救世主』の能力は、『俺が思う救世主』の能力、と。
なら、アレしかない!俺がぱっと思い浮かぶ『救世主』の能力なんて、アレしかない!
つまり!
「汝は、一体何の力を持っているんだ?」
これは、詰んだ。
「分かりません」
「……分からない、だと?」
もう、開き直って答えた。
現状、俺ができることは時間稼ぎくらいしか無い。
俺が持っている能力に心当たりがある以上、調べられたりしたら多分、一巻の終わりだ。
だってこいつら、『価値が無いなら殺して次いこう』みたいな事をさっきまで話してたからな!
俺の能力がバレたら、多分その時点で俺はグッバイフォーエバーなんだろう。多分。
ならば、俺は限界ギリギリまで自分の能力を隠し通して、心当たりも無いふりをして……時間を稼ぐ!そして、俺以外の誰かがこの状況を好転させてくれるのを祈るだけだ!ジーザス!……あ、もしかして今この状況においては、そのジーザスが俺か。やってらんねえ!
「……分からない、という事は、汝には思う『救世主』が無い、ということかね?」
「いや、そうではなく……そもそも、宗教というものに縁遠い生活をしていたので」
「宗教に縁遠い……?」
だが、この状況、どう足掻いても好転しそうにない!誤魔化すのも難しい!一気に不穏な空気になりやがった!
まあそうだよね!宗教に縁遠い方が珍しいよな、俺の世界的に考えても!
「確かに俺の世界にも『救世主』は居ました。しかし、伝説に残っている奇跡があまりにも多いため、どの能力を手に入れたのかは……」
「では、自然を操る力でも、癒しの力でも、人々を束ね導く力でも、天罰を下す力でもない『奇跡』に心当たりはあるのかね?」
……くそ、ここで適当な事を言える程、俺の頭は発想力に優れてない。
回答に、詰まる。
「国王陛下。このまま問い続けても時間の無駄でしょう。やはりこいつには我らプリンティアを救う力は無いかと。ならばこやつを処分して、次なる救世主を召喚した方が良いのでは」
そしてここで、俺を殺す宣言してるおっさんからの駄目押し!
「今から急げば、まだ『祝福の夜』の続く間にもう一度召喚の儀式を行うことができるでしょう。逆に、この機を逃したならば、1年待たねばなりません。時間がありません。準備には3日掛かるのです」
「……そうだな。本人に自覚の無い能力など、あって無いようなものか」
国王、と呼ばれたおっさんが、俺に背を向ける。
「待っ……」
「やれ」
そして俺は、電流を流されたような衝撃を感じて、そのまま意識を失った。
『目覚めよ、切戸匡』
はっとして目を覚ますと、俺は魔法陣の上に居なかった。
じゃあどこに居るのか、と言ったら、見知らぬムキムキマッチョメンの肩の上である。
俺は俵担ぎにされて、暗い下り階段を運ばれていた。
「っち、もう目が覚めたのか」
「大人しくしていろ。そうすればすぐに終わる」
「俺をどうするつもりだ」
時間稼ぎのつもりで聞いてみる。
「決まってんだろ。処分するんだよ」
暴れてなんとか逃れようとしたら、鳩尾にパンチを一発食らった。
鈍い痛みと、遅れてやってくる吐き気。
寸でのところで吐くのは耐えたが、よく考えたら吐いて吐瀉物をこのマッチョメンどもにぶちまけてやればよかったような気もする。
「そら、もう着いたぞ……っと」
気がつけば目の前に、大きな扉があった。
マッチョメンが手にしたカンテラの灯をかざしつつ、鍵を開ける。
ぎ、と重い音を立てながら開いた扉から、湿っぽくかび臭い空気が流れ出てきた。
中に踏み入ると、途端に気温が下がったように感じる。
部屋の奥には魔法陣がぼんやりと光っているのだが……何か、違和感がある。
「ほら、見ろ」
マッチョメンがカンテラの灯を魔法陣の近くに持っていくと、そこでようやく、俺は魔法陣の違和感に気付いた。
「……穴」
魔法陣の中央は、ぽっかりと深い、穴になっていたのだった。
穴の底には光が届かないらしく、カンテラがかざされても穴の様子を窺う事はできない。というか、それで十分な答えになる。ここに落とされたら俺は死ぬ。間違いなく死ぬ!
「じゃあな。ま、二度と会う事も無いだろうが」
だが、俺は抱えられて、そのまま穴の上に吊り上げられる。
死の恐怖に、首筋がぞわり、とした。
「恨むなら、まともな救世主になれなかった自分を恨むんだな」
……だが、死ぬのが怖かろうが、なんだろうが。
俺をせせら笑いながら殺そうとしてる奴に、腹は、立つんだよな。
「……なら、てめえらは精々……悔い改めろ」
「……ああ?」
精々、笑って言ってやろう。
なんとなく、それっぽく……不吉な事を!
「パンの国は近づいた!」