41、王妃の覚悟
遅くなりました!
慌てすぎて、意味がわからない。もう無理(泣)
フェルディアド王率いる地方視察団は、帰路についていた。
エスティグノアの西側の鉱山から始まった視察の最終地は、東北地方アイデンハイツだった。エスティグノア王国でも辺境に位置するアイデンハイツはテレリア公国と隣り合っている。
しかし、そちらは警戒しなくてもよいだろうと、フェルディアドとトリストの意見は一致していた。
「本来なら国境付近というのはもっと物々しいものなのだろうけど、この辺りはやはり落ち着いているね。」
「えぇ、公国はまだ代替りをして間もないですから、国内で手いっぱいでしょう。もしくは……」
「あのバカが仕事をほっぽりだしているか、だろうね。」
「……あり得そうで怖いです。」
テレリア公国の大公は昨年即位したばかりの新人君主だ。…ちなみに少々顔見知りだったりする。
警備の都合上、普通なら国境線が近い地域を通るのは避けるものだがテレリアとの関係を考えればさほど心配は要らないかと思われた。それに、この国境近くの街道を通っていくと王都への近道になる。
リシュエールとの関係がギクシャクしたままで、しかもあんな出発をしてきたので早く会いたくてたまらなかった。彼女に会って、今まで傷つけたことを謝ろう。そうして、愛していると伝えるのだ。
「明日には王都へ入りますから、そのように寂しそうな顔をなさらなくても、すぐに王妃さまに会えますよ。」
と、トリストが呆れたような声音で言った。
「……そんな顔をしていたかな?」
「はい。」
寂しそうな顔などしていない、とも否定できない。仕方ないので口をつぐむと、今度はくすくすと笑われた。
まったく不愉快なことである。トリストは最近やたらとフェルディアドをからかう。前の一歩後ろに下がった感じがなくなった。
「……一時はどうなることかと思いましたが、仲睦まじい様子で安心ですね。この視察中も、リリシアナが近づく隙もないほど避けていらっしゃいますし?」
「バレていたのか……」
「当たり前ですよ。なに言ってるんですか。」
そう、フェルディアドのかつての恋人(……いや愛人か?)もこの地方視察に護衛騎士として参加していた。何度か話しかけられそうになったし、幾度となく視線を感じたのだが、それに反応を返すでもなく自然に振る舞っている。
自分のも多少の非はあるし、可哀想かなとも思ったが、これ以上、リシュエールの信頼を失うわけにはいかなかったのだ。
「恋人ではなくなったのだからね。一介の騎士がそうそう私と親しく話をしてはいけないだろう?」
「…恋人だとしたって限度がありましたよ。まったく、何度あの子の尻拭いをしたことか。」
「その節はいろいろ迷惑をかけました……」
自由奔放で周りを騒がせるリリシアナに、トリストはよく手を焼いていた。
そういえば、この前のハンカチーフの件もまだ解決していない。もう一度呼び出す必要があるだろうが、今度はリシュエールを傷つけないようにしなければ。
「まぁ、静か過ぎるといっそ不気味ですが。」
何もないとそれはそれで不安らしい。何だかんだと、トリストは妹を放っておけないのは彼らしいと思う。
「平和なのはいいんですけどね…」
トリストが肩をすくめて苦笑した。
あぁそうだな、と頷こうとして、フェルディアドは息を詰める。
「……まて、何か聞こえないか。」
テレリアとの国境は森が続いている。その方向から、小さな金属の擦れる音と弓を鳴らすような音。それから、馬の蹄が草を踏みしめる……
「まさか……」
フェルディアドが呟いた時、
「陛下っ………!」
女の甲高い叫び声が聞こえた。
「敵襲です!陛下!」
護衛の騎士たちが一斉に剣を抜いて、その切っ先を向けた先には────
「テレリア兵…………その女性を離せ。」
テレリアの軍人と、彼に捕らわれた騎士姿の女性───リリシアナの姿があった。
全身が鉛にでもなったかのように重く、そのままどこまでも沈みそうな気がした。気分はいまだに優れないが、そう休んでもいられない。
ベッドから起き上がったリシュエールは、執務室に戻ると早馬で帰ってきた騎士から詳しい話を聞いた。
「…報告は以上になります。」
「そう。ありがとう。」
アイデンハイツにさしかかったところでテレリア兵が襲ってきたこと。なぜテレリア兵が襲ってきたか理由はわからないこと。そして───リリシアナがテレリア兵に捕らわれたこと。
ふいに頭痛を感じてこめかみを押さえる。
「陛下に、お怪我はないのね?」
「はい。あくまでも、私があちらを出るまでは、ですが。」
「わかりました。……テレリアが急に態度を変えたのは気になりますが、今は情報が少なすぎますね。ですが、すぐに王都に軍隊が押し寄せる、というわけでもないでしょう。視察団が襲撃されたことは箝口令をしいてください。もしもに備えて、騎士団には連絡を。城の備蓄も確認しておきなさい。」
「御意。」
一通り指示を出してから、気持ちを落ち着けるためにリディエが出してくれたお茶を飲む。
部屋にはレクリスとリディエだけを残していた。
「……妃殿下、一つだけお聞きしてもよろしいでしょうか。」
「なんですの?」
「ザーツヘイン伯爵令嬢のこと、お気になさりはしないのですか?仮にも夫の元恋人ですよね。」
ザーツヘイン伯爵令嬢───リリシアナのことを、聞きづらそうでもなく好奇心でもなく、まるで試すかのような質問。
リシュエールはお茶のカップを置いて、静かにレクリスを見つめた。
「心配ですわね。お怪我がないといいわ。」
「それだけ?」
「あのねぇ。」
リシュエールはぱさりと長い髪を後ろに払う。一番上の姉を想像しながら、彼女の強かで力強い、上に立つ女性としての気品を真似た。
「わたくしは、王妃です。王族として生き、王族として死ぬべくして生れた女よ。そんな他愛ないこと気にすると思っているの?あなた、意外と失礼ね。」
そうして鼻で笑って見せる。
そんなリシュエールに、レクリスとリディエは息を飲んでいた。これほど気丈に笑う主を、リディエですら一度もみたことがなかったのだ。
そこのいるのは、もう可愛らしくてちょっと賢い、でも守らなければいけない王女さまではなかった。
王妃だ。すべての国民の母たる強い王妃がそこにいた。
「きっと、わたくしは一人じゃないから……。わたくしは守ると決めたの。陛下の守りたいものと、陛下の帰る場所を。」
だから今は、やるべきことをやって、あとは信じて待つだけ。下手に城を飛び出して、臣下たちの手を煩わせるのは愚かだ。城の守りが手薄になる。それに、自分たちを守ってくれるはずの主君が不安がっていては、国民はもっと不安になってしまう。
「それに、この子も守らないといけないもの。」
と、リシュエールは自分のお腹に手をあてた。まだ、実感はない。
けれど、確かにそこには、愛する人との子どもが育まれている。そのことが、眩暈がしそうなくらい幸せで、嬉しくて、守らなければと思うのだ。
「あなたたちの力が必要よ。わたくし一人ではなにもできない。あなたたちがいるからこそ、わたくしは強い自分でいられるのだから。」
そう言って微笑む主君は誰よりも美しくて、レクリスとリディエは深く深く頭を垂れた。
聖母の如く微笑むリシュエールを注ぐ夕日は、温かく彼女の頬を薔薇色に染める────




