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Dearest  作者: 水上翡翠
41/49

40、かけがえのない…

※2020/12/31より改稿のため非公開設定となります。ご注意下さい。

 フェルディアドが地方視察出て二週間が過ぎた。今頃は帰路についたところか。



 王妃の執務室は昼間の日当たりが非常に良い。

 赤いビロードのカーテンはくくられていて、レースのカーテンから透ける光が床に繊細な模様を描いていた。

 あまりの暖かさにうとうとしてしまい、リシュエールは慌てて頬をつねる。手に判子を持っているのに、居眠りなんてしたら大事な書類が大変なことになるだろう。


「ふぅーー」


 判子を置いて背伸びをした。それでも眠気は取れない。


「妃殿下、お疲れですか?」


 仕事を手伝ってくれていたレクリスが、心配そうに声をかけてきた。

 彼は騎士なので武が専門のはずなのに、事務仕事も優秀なのには驚いたが、補佐官としてとても役に立つのでありがたい。トリストが自分の部下ではなくレクリスを、視察中のリシュエール付き臨時補佐官に指名したのも頷ける。


「いいえ、疲れているというか……眠くって。」


「この暖かさですからね。」


「昨夜寝る前に本を読んでいたら面白くって……ついつい夜更かしをしてしまったの。だからかしら、朝も目覚めが悪かったのよ。」


「まったく……」


 仕方がない、とでもいいたげにため息をつかれる。


「ほどほどになさってください。」


「ふふ、気を付けるわ。」


 少々取っつきにくい雰囲気を纏っているレクリスが、このように感情を見せてくれるのは珍しい。距離が縮まったようで、なんだか嬉しかった。


「ねぇ、レクリス殿は恋人とかいらっしゃらないの?」


「……は?」


 物凄く訝しげな顔をされる。


「あら、だってもういいお年でしょう?結婚してないのは知っているけれど、恋人はどうなのかしらと思って。」


 どうなの?と首をかしげれば、彼は大きくため息をついて、首を横に振った。


「残念ながら。過去にいたことがないとは言いませんが、私はいつも力が及ばないようでして……」


「あらまぁ…もしかして、こんな人だとは思わなかった!とか言われた?」


 ぽんと手を叩いてそう言うと、レクリスは目を丸くして驚く。


「よくお分かりで…」


「あなたの凛々しい騎士姿と、普段の少し抜けた様子はだいぶ違うものねぇ。きっと彼女たちは夢を見てしまったのよ。」


 女の子っていうのは、そういうものよ。と、笑いながら言うと、なんだか神妙な顔で見つめ返された。


「……妃殿下も、夢を?」


「…えぇ、そうね。」


 勢いで頷いてから、あぁそうだったのかと自分でも納得する。


 結婚というものに夢を見ていたわけではなかった。むしろ、王女として、相応の覚悟を持って嫁いできたはずだ。

 それなのに、思いの外大切にされ、優しい笑顔や甘い言葉を与えられて、欲張りになってしまった。

 物語のお姫様のような、夢物語のようなハッピーエンドを夢見てしまったのだ。


「でもきっと、あなた自身を見てくれる方が現れるわ。」


「…陛下にとっての妃殿下のように?」


「……えぇ。」


 少し迷って、リシュエールは大きく頷いた。その様子にレクリスは目を見張って、それから笑みをこぼす。


「なるほど、陛下は良い方と出会われた。」


 恥ずかしくなって、リシュエールは肩をすくめる。


「…お茶にしましょうか。リディエ、リディエ。」


「はい、ご用意してございます。」


「あら、さすがね。」


 隣室で控えていたリディエは声をかけるとすぐに、モニィとともにお茶とお菓子をのせたワゴンを運んできた。お菓子はマカロンとスコーン。


「レクリス殿は甘いものはお好き?」


「…嫌いではありません。」


 お茶がカップに注がれて、湯気が立つ。


(あれ?いつもと匂いが……)


 甘い香りをきつく感じてしまって、思わず口元に手を当てた。


「ねぇ、そのお茶いつもと────」


「妃殿下!!」


 突然、執務室の扉が開かれたのはそのときだ。


「何事です。ノックもなしに入るとは無礼ですよ。」


 飛び込んできた官吏の姿を見て、リディエが冷たくいい放つ。しかしただ事ではない様子にリシュエールはリディエを止めた。


「何かあったのですか?咎めませんから、おっしゃいなさい。」


「ひ、妃殿下…ただ今、陛下に従い視察に出ていた部下が早馬で戻って参りまして、その者が言うには、賊に扮したテレリア公国の兵が視察団と衝突したと!」


 くらりとめまいがした。


「事実確認はまだですが、部下の傷が深く……。すぐに別隊を向かわせましたので、彼らからの報告を待って──妃殿下!?」


 甘いお茶の香り…気分が悪い。目眩と眠気がひどい。倒れている場合ではないというのに。


「窓、窓を開けて…」


 そこで意識は途切れた。








 頬に触れたシーツのひやりとした感触が気持ちいいと思った。そっと目を開ける。日の高さから見て、倒れてしまったときからさほど時間はたっていないようだった。


「お目覚めになりましたか?」


「リディエ…ごめんなさい。心配かけたわ。もう大丈夫だから、先ほどの報告の続きを……」


「なりませんぞ。」


 体をお越しかけたリシュエールを止めたのは、年のいった宮廷医だった。その後ろにレクリスが控え、部屋に入ってくる。


「大丈夫ですわ。少し動揺してしまったの。体はなんともないわ。」


「いいえ、今日は一日休んで頂きたい。」


「でも、休んでなんて……」


 こんな大変なときなのに、少し動揺してしまったくらいで止めることはないではないか。そう思って、リシュエールが不満げに眉をひそめたのを見て、宮廷医は、


「もう妃殿下お一人の体ではないのですぞ!」


 かっと目を見開いてそう叫んだ。


「…どういうことです?」


「そのままの意味です、妃殿下。」


 さっとその場にいた全員が膝をつき頭を下げた。王族に対する最敬礼である。突然のことにリシュエールは驚く。


「ご懐妊の由、ご報告申し上げます。おめでとうございます、妃殿下。」


「おめでとうございます。」


「……」


 とっさに言葉がでない。はっとして慌てて宮廷医に問う。


「そ、それは本当ですの?」


 リシュエールは自分の耳を疑ったが、宮廷医は大きく頷いた。


「間違いございません。現在三ヶ月ほどとなられるお子さまでございます。」


「王妃さま、月のものが遅れていたのは確かですから。わたしたちも、そうではないかと思い始めていたところだったのてす。」


 と、リディエとモニィが顔を見合わせてなにやら納得している様子だった。


「……そうなのね。他の侍女たちには?」


「これから伝えます。お許しがでましたら……」


「そうね。身の回りの世話をするあの子たちに隠してはおけないでしょう。侍女たちと宮廷医とレクリス殿……他にこの事を知っている者はおりませんね?」


「おりません、妃殿下。先ほどの官吏にも、お疲れだったのだと言ってあります。」


「わかりました。では箝口令を命じます。陛下が無事にお戻りになるまで、他の誰にも言ってはなりませんわ。」


「御意に。」


「かしこまりました、王妃さま。」


 下げられた彼らの頭を見つめ、リシュエールは気を引き閉めるべく深呼吸をする。


「事件の詳細の報告を求めます。できるだけ事細かに正確なものを。情報が整いしだいわたくしのもとへ。それまで休ませていただくことにするわ。」


 とりあえず今は体と頭を休めよう。それから事態を急速に解決に導かなければならないのだ。リシュエールがこれからやるべきことや、フェルディアドの安否、そしてお腹の中の子。

 彼がいないのがとても心細い。けれど、リシュエールはもう守られているだけのお姫さまではいられないのだ。


「…お母さまに、力を貸してね。」


 まだ実感のないお腹に手を当て、リシュエールはそう呟いた。





 守らなければいけない。彼の帰るところを───


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