32、贈り物と隠し事
遅くなりました!
この北方王国においての夏は短い。そして、秋というものはすぐに過ぎ去る。
10月というと、もっと南のイザリエ王国などでは丁度秋だろうがここエスティグノア王国はもう冬に近い気候となる頃なのである。
リシュエールも侍女たちと衣替えを済ませ、花瓶には秋の花を飾った。
身に纏った衣装も、モスグリーンのベロアの光沢の美しいドレスである。ところどころに飾られたピンクの薔薇が可愛らしい。
「ところで王妃さま。」
モニィがリシュエールドレスの裾を整えながら言った。
「陛下のお誕生日の贈り物はお決めになられましたか?」
「それが………」
聖ヨアの剣の月10月15日は、エスティグノア国王フェルディアド1世の誕生日である。その日は王国全体が祝日で、あちらこちらで祭りが行われるのだ。そして宮廷では、賓客も招いて舞踏会が催される。
もちろん、王妃であるリシュエールがそれを知らないはずがない。前もって渡された舞踏会計画資料を頭に入れながら、フェルディアドの誕生日プレゼントを考えていた。
「陛下っていつも同じような白のハンカチーフを胸ポケットに入れていらっしゃるでしょう?だからわたくし、ハンカチーフを差し上げようと思って。」
「まぁ……素敵ですね。」
「あとね、刺繍もしようかなって。……ハンカチーフと刺繍糸、用意してくれる?」
「かしこまりました。」
そうして用意されたのは、白と薄青、紺色やボルドーなどの絹のハンカチーフだ。糸の色は、フェルディアドの瞳の紫。それから、金糸。
気付いてくれるだろうか。金──琥珀は、リシュエールの色だと。
刺繍は得意だ。多少凝ったモチーフでも、刺すことが出来る。布の刺繍の型にはめながら、リシュエールは図案を思案した。
「リディエ。ラシェット王家の紋章って、獅子よね?」
「そうですわね、リシュエールさま。」
エスティグノア王家のラシェット家の紋章は、獅子とレイピア。紋章は紫で刺そう。そして金糸でクラウンのモチーフを。
下書きをして丁寧に刺繍をしていくと、無心になれた。
気付けば、太陽は真上にのぼっていた。
「出来たわ!」
まるで幼い頃、リディエとともにリディエの母に刺繍を習っていた頃のように、出来た刺繍をぱっとリディエの前に広げて見せると、彼女は苦笑した。
「上手に出来ておりますよ。」
「でしょう?我ながら会心の出来ね。」
糸の向きも長さもきちっと揃っている。これならフェルディアドにプレゼント出来そうだ。
「売り物にも出来そうなくらいですわ、妃殿下。」
「まぁ、売り物だなんて。職人さんたちには、及びませんわよ。」
大げさに褒めるリディエがおかしくて、リシュエールはころころと笑ったときだ。
「ずいぶんと楽しそうだな、私の妃は。」
笑い声が聞こえて、リシュエールがはっと扉のほうをみると、そこには笑顔のフェルディアドと困り切ったミレーニアがいた。おおかた引き留めるミレーニアを、フェルディアドが押し切って入ってきたのだろう。ミレーニアは、フェルディアドへの贈り物をつくっていると知っていたので、申し訳なさそうに頭を下げた。
「まぁ、陛下。こんな時間にどうなさったんですの?」
普段は政務活動に忙しいフェルディアドに、昼間会うことは珍しい。リシュエールはリシュエールで王妃としての公務があるので、なおさらである。めったにないことに戸惑って、そう言ってしまうと、フェルディアドはひょいと肩をすくめた。
「なんだい、不満そうだね。……ちょっとは休めとトリストに追い出されたんだ。私が昼間に戻ってきてはいけないのかい?」
「いけないことはないのですけど……」
よりによってフェルディアドへの贈り物を作っているときに帰ってくるなんて、間合いの悪いことだと思っただけだ。
てきぱきと刺繍道具を片付け、さりげなくハンカチーフも隠す。刺繍をして、暇つぶしをしていたのだという体を装って。
「なにかお召し上がりになります?わたくし、これからお庭でサンドイッチを頂こうかと思っていたのですけれど。」
「いいね!ピクニックのようだ。お邪魔してもいいかい?」
「もちろんですわ……」
子どものように無邪気な笑顔を見せられたら、ダメだなんて言えるわけがないのに。本当に、仕方のない人、とリシュエールは苦笑しながらエスコートしようとするフェルディアドの手をとった。
リシュエールが手入れする王妃の庭には、季節ごとに色とりどりの花が咲き誇っていた。エスティグノア王国はリシュエールの祖国ロスフェルティよりも少しばかり暖かいため、その分咲く花の種類も豊富なのだ。
「リシュエールはいつもこんなに素敵なお昼を過ごしているのかい?」
王宮のシェフが腕をふるったサンドイッチに舌つづみを打ちながら、フェルディアドは恨めしそうにそう言った。
リシュエールはその様子にくすりと笑みをこぼす。
「まぁ…いつもではございませんわ。お天気の都合も、わたくしの公務の都合もございますもの。」
「そうだよね……」
「……そんなに羨ましいのなら、たまには休憩を多めに取ってこちらまで帰っていらしたらいいのに。」
「えっ……?」
意外、とでも言いたげに目を丸くするフェルディアドに、リシュエールはちょっと唇をとがらせた。
「働き過ぎて倒れられたら本末転倒ですもの。それに……」
───もう少しお側にいられたら…
そう言いかけて、リシュエールは口をつぐんだ。
我が儘が過ぎるのではないかと思ったのだ。朝と夜一緒にいて、この上昼間もお会いしたいと言うなんて。そんな可愛らしい我が儘が許されるのは、両想いの恋人たちだけ。
「リシュエール?」
どうしたの?とフェルディアドが首をかしげる。
フェルディアドは優しい。もしかしたら、リシュエールの我が儘も叶えてくれるかもしれない。
でもそんな優しさは辛いだけ。リシュエールはにっこり笑って首を振った。
「なんでもありませんわ。」
「……そう?」
なにかを疑うような目でフェルディアドはリシュエールを見ている。
「あの、陛下。なにか……」
お気に障ることを……
「先ほどの刺繍、誰かにあげるもの?」
「えっ……」
さすがは陛下、ということか。鋭い勘に、リシュエールはたじろいだ。
「手慰みにしては気合いをいれていたようだから……」
フェルディアドは視線を泳がせながらそう言った。
「いえ、そういう訳ではありませんわ。いつも通りです。」
リシュエールは微笑む。
だてに狸ども渦巻く王宮で生まれ育っていない。サプライズを隠すことなんてわけないことだ。そう思って王妃らしい笑みを浮かべれば、フェルディアドはふーんと納得したのかしてないのか、とりあえず頷いてくれた。
「……なにかあったら遠慮なく言っていいんだよ。あなたは私の無二の妃なのだからね。」
「…?はい、わかっておりますわ。」
話の繋がりなく突然の話題に、リシュエールはきょとんとフェルディアドを見返す。
紫水晶の瞳が、じっとリシュエールを見つめていた。
「……今日は、出来るだけ早く帰るよ。ここのところ、誕生祭の準備で二人でゆっくり出来ていなかっただろう?」
「えっ、はい。お待ちしていますわ。」
じゃあもう時間だから、と言ってフェルディアドは政務に戻っていった。
「何だったのかしら…?」
最近、フェルディアドはときどきリシュエールを戸惑わせる。
意味のわからない行動なのに、どうしてかリシュエールの胸を煩く鳴らせるのだ。




