31、モーディル子爵夫妻
大変遅くなりました…。
身重のカルラを気遣って、リシュエールたちゆっくりとした歩みで政務棟へと向かう。
「大丈夫ですわ、モーディル夫人。貴女の主は優秀な王妃であるゆえに、人心掌握にも長けています。……貴女の主と、旦那さまを信じなさいな。」
「はい……ありがとうございます、レディ・プロノヴァール。」
デリーナが励ますと、カルラは幾分か表情を緩めた。つんとした態度のデリーナだが、その言葉の端々に優しさが滲み出ている。
「あら、デリーナでよくってよ。今の貴女は王宮の侍女ではなくてモーディル子爵夫人なのだから。」
「はい、デリーナさま」
ようやくカルラが笑みを見せた。リシュエールもほっと息をつき、デリーナをじとっと見やる。
「なんだか褒められた気がしませんわね、デリーナ?人心掌握って何のことですの。」
「あらぁ、わたくし、王妃陛下を絶賛したつもりでしたのに。」
「まぁっ!」
リシュエールがデリーナの遊びに合わせてようとしたとき、目的地へ着いたと声をかけられた。
執務棟は王宮の正宮にある。ちなみに、リシュエールたち国王夫妻が暮らしているのは奥宮である。
財務省は執務棟の南だったか。
官僚や貴族たちが政務をとるこの場において、リシュエールたち華やかなドレスの集団はとてつもなく浮いていた。
「おっ、王妃さま!?」
「なにかございましたかっ?」
(ちょっと目立ちすぎますわね……)
これはとても個人的な案件である。真面目に仕事をする殿方たちの邪魔をするのは、リシュエールとしても本意ではない。顔を貸して欲しいのは、モーディル子爵だけである。
「モニィはここでお待ちなさい。デリーナも、カルラを励ましてここまで着いてきてくれてありがとう。……カルラ、いきましょう。」
「は、はい。」
「かしこまりました、王妃さま。」
「どう致しまして、リシュエールさま。お役に立てたなら光栄よ。」
頼もしい味方たちに感謝の気持ちを込めて微笑むと、リシュエールは奥の部屋へと向かった。
ちょっど会議は終わったところのようだった。ちらほらと会議室から官僚たちが出てくるなかに、一際豪奢な出で立ちの男性を見つけた。
「陛下。」
そっと声をかけると、フェルディアドは幽霊でも見たかのような顔でまじまじとリシュエールを見つめてた。
「な、なぜここにいるの?王妃」
「あら、来ては行けませんの?これでもあなたの王妃ですのに。」
「いや、いけなくはないよ。……私会いに?」
フェルディアドが、なぜだか少し頬を赤らめている。今日はそんなに暑い日ではないのだが。
「いいえ?わたくし、モーディル子爵に少し用事がありますの。子爵夫人のことで……」
「え、あぁそうなんだ……」
今度はがっくりと項垂れた。なにかがっかりさせることをいってしまっただろうか?
リシュエールが首を捻っていると、丁度探し人は会議室から出てきたところだった。
「カルラ?……王妃さま、妻が何か粗相を致しましたでしょうか?」
穏やかそうな男性の声がかけられる。振り向くと、上品な黒のフロックコートに身を包んだ男性が心配そうにこちらを窺っていた。
黒髪でグレーの瞳、年の頃は三十歳前後。美男ではないが、優しげな面差しのこの男性はカルラの夫、件のモーディル子爵その人である。
「……モーディル子爵ですわね?」
「はい、妻がお世話に……」
「大事なお話がありますわ、どうぞこちらへ。……陛下、ちょっと執務室お借りますわ。」
「えっ……」
リシュエールにしては珍しく相手の言葉を遮って、強引にモーディル子爵をフェルディアドの執務室に連行……もとい、お呼びした。
落ち着いた濃茶の家具で統一された執務室は、絨毯のロイヤルブルーによって大変上品に仕上げられていた。
皆がソファに腰掛ける。モーディル子爵とカルラ、フェルディアドとリシュエールが向かい合う形だ。フェルディアドの後ろにはトリストも控えていた。
「さて、早速お話させて頂くわね。陛下のお仕事を止めてしまっているから。」
でもリシュエールは知っている。フェルディアドの働き方は異常だ。普通の人間の倍の量を一日にこなしてしまう。もっと休憩を入れてもらいたいくらいだと、この前トリストがぼやいていた。
「な、なんでしょうか?」
ちらちらとカルラを見ながら、モーディル子爵───ウィリー・モーディルは不安そうにリシュエールに尋ねた。
しかしリシュエールは口を開かず、そっとカルラの手に触れる。
───大丈夫……
怯えたような目に決意の色を見せて、カルラは自らの夫に向き合った。
「わたくしから……わたくしからお話致します。」
「カルラ……?」
戸惑う夫ウィリーに、カルラはまるで敵にもの申すかのようにそれを告げた。
「旦那さま、わたくし身籠もったのですけれどどう致しまょう?」
「……………は?」
「だから、わたくし子どもが……っ、えっ、だ、旦那さま!?」
カルラが引きつった声でモーディル子爵を呼んだ。
申し訳ないが、リシュエールも少々……いやだいぶ引いてしまっ、いやなんでもないことにしよう。 三十過ぎの大人がぼろぼろと泣き出したなんて……。
「そんなに、お嫌でしたの?わたくしが、そんな……ごめんなさ……ひっ」
「嫌なわけないじゃないかっ!こんなに、こんなに嬉しいのに!!」
カルラ、お願いだからそんなにドン引きな顔をしないであげて欲しい。いくらテーブルに手をついて、あり得ないほど身を乗り出してきていて、その顔が涙でぐちゃぐちゃでも。
ばっと立ち上がると、モーディル子爵はカルラの足下に跪いて妻の手をとった。
「君が前の妻のことを気にしているのは気づいていた。僕がそのことを引きずっているのではないかと心配していたことも。……確かに、僕はずっと彼女のことを忘れられないでいた。初恋の人だったからね。でも君と結婚して、あぁ彼女と生まれることが出来なかった子どもの分まで生きなきゃって、幸せにならなきゃって気づいたんだ。」
愛おしそうに妻の手に口づけて、モーディル子爵は優しく微笑んだ。
「今度こそ、守るよ。大切な妻と我が子を。きっと彼女たちも守ってくれると、僕は信じてる。」
「旦那さま……わたくし、わたくし嬉しいです。この子を授かって……とても。」
「もちろん僕もだよ、僕の愛しい奥さん。」
幸せな夫婦たちの小さなすれ違いは、どうやらハッピーエンドに落ち着いたようだ。
その後、モーディル子爵があまりに心配するということもあって、カルラには暇を出した。
カルラ本人は大丈夫だ、まだ働くと言っていたが、リシュエールとしても元気な赤ちゃんを産んで欲しいので強制帰宅させた。……本人は本当に不服そうだったのは余談だ。
「なんの心配もなかったじゃないの、もう。」
「本当に!人騒がせな夫婦ですわね!」
待たせていたデリーナとともにお茶に戻ると、リシュエールはぷうっと頬を膨らませて不機嫌を示した。
あれだけ心配したのに、あっさりと解決してしまったどころかカルラたち夫婦の仲の良さを見せつけられた。カルラが幸せなのは良いことだが、なんだかリシュエールの心はちくりと痛んだ。
「私たちまで巻き込んで、結局なんだったのですか?」
トリストがむっつりとお茶を飲みながらデリーナを睨んだ。デリーナはつんと視線をそらす。───その頬がわずかに色づいていることに気づいたのは、恐らくリシュエールだけ。
フェルディアドも隣でじっとりとリシュエールを見ている。
「……まぁ、おおかた予想はつくよ。子爵が懐妊したことを喜んでくれるか、夫人が不安に思っていたんだろう?」
「まぁっ、正解!陛下、凄いですわ。」
「こんなことで褒められても……」
すらっと言い当てて見せたフェルディアドに目を丸くしながら、リシュエールは自身の不安を押し殺した。
そして、さりげなく聞いてみることにする。
「陛下はどうですの?子どもは早く欲しい?わたくしたちの立場を考えると、やっぱり世継ぎは必要ですわよねぇ。」
世間話のような口調で言い、お茶を味わいながらフェルディアドの顔を覗き見た。虚を突かれた、そんな顔だ。
「そうだね、世継ぎは必要だよ。現状、直系王族は私だけだからね。でも……」
フェルディアドがリシュエールの頬に手を伸ばした。優しく触れるその手は、とても暖かい。
「そういうことじゃないよ、リシュエール。子どもはみんな宝だ。」
「そう、ね……」
フェルディアドはリシュエールのふわふわのミルクティー色の髪を、ゆっくりと梳いた。
「最初はリシュエールに似た女の子がいいなぁ。この髪色を受け継いでくれると嬉しい。」
「まぁ……わたくしは陛下似の、凛々しい男の子がいいですわ。」
リシュエールだって、本心では別に世継ぎがどうのといったことは気にしていない。でも、初めは男の子がいい。フェルディアドそっくりの。そうして確認したいのだ。リシュエールとフェルディアドが、確かに結ばれたのだと。
「……まぁ、私としてはまだ二人の暮らしを楽しみたいんだけどね?」
そう言って笑うフェルディアドは、もしも……もしもリシュエールが居なくなったらどうするのだろうか。




