30、王妃と侍女が思うこと
ちょっと寄り道、、
※2020/12/31より改稿のため非公開設定となります。ご注意下さい。
王宮、奥の宮の庭。
二人の若い淑女が、暑い日差しを逃れて東屋でお茶の時間を楽しんでいる。
「それで、どうなんですの?陛下とは。もう城下では、陛下とリシュエールさまの仲についていろいろ噂されているみたいですよ?」
「……う、噂ってなんですの?」
突然お茶会に誘われたと思ったら、言われたのがこの言葉だったものだから、リシュエールは驚いた。
「陛下がリリシアナ嬢と別れたーとか、王妃さまに袖にされてるーとか。はたまた溺愛してるっていうのもありましたわねぇ。」
「まぁ。そんなふうに言われているのね、知らなかったわ。」
「またまた。そんなことおっしゃって、本当は知っていらしたでしょう?王妃さまのことですもの。もしかして、王妃さまが流した噂だったり……?」
いくらなんでも、それはリシュエールを買いかぶりすぎだ。さすがにそんなことまで計算して動けるほど、リシュエールは策略に長けていない。
「それはないですわ。……本当に、真実はどうなのやら。わたくしが聞きたいくらい。」
「あら……」
知らず、弱々しい笑みになっていたようだ。慌てて微笑みに直すが、デリーナは心配そうにこちらを窺った。
「陛下はなにもおっしゃっていないの?」
「えぇ、なにも。」
「まぁまぁ……なんてこと。」
眉間によったしわを指でぐりぐりと押しながら、デリーナはため息をつく。
「本当に、あの方のヘタレ具合はどうにかならないのかしら……」
「デリーナ……?」
よく聞こえなかったので聞き返すが、デリーナはなんでもないと首を振った。
デリーナとフェルディアドは幼なじみだ。リシュエールよりもよっぽど、彼のことをよく分かっているのかもしれない。そのことを少し寂しく、悔しく思った。
さぁっと、夏の暖かい風が二人の髪を揺らす。
「ところでリシュエールさま?最近モーディル夫人の姿を見ませんわね。」
モーディル夫人とはカルラのことだ。カルラの夫が、モーディル子爵である。
王宮に仕える女官は、身元がしっかりしていて、なおかつ教養の高い女性ばかりだ。ギルベリー伯爵令嬢でありモーディル子爵夫人のカルラも、その例に漏れない。
「カルラは最近体調が悪いらしくて……ずっと部屋で休んでいるの。ねぇ、エシュティ、カルラの体調はどう?」
主人であるリシュエールがお見舞いにいったら、余計に気を遣わせてしまうと思って、リシュエールはカルラに会いに行っていなかった。
「そのことなのですけど……」
お茶を冷ます手を止めたエシュティが、ぱぁっと表情を明るくしてリシュエールを見た。
「報告が遅くなって申し訳ありません。カルラはさん……子どもを身籠もったそうで。」
「えっ、子ども!?」
びっくりしてデリーナと顔を見合わせると、デリーナも驚いた顔をしている。
でも考えてみればそれほど驚くことでもないのだ。
カルラは結婚したばかりだし、年若い。子どもを身籠もったって、なんの不思議もないのだ。
「そう……赤ちゃんが生まれるのね。」
それでも、ずっと傍にいた人がこれから母になるということに感慨を覚えずにはいられなかった。
いつか……いつか、リシュエールも母になるのだろうか。
「……まぁ。おめでとうございますとお伝えくださいな。」
「かしこまりました。」
エシュティがふわりと礼をして、さまし終わったお茶をリシュエールとデリーナの前に置くとまた静かに控えた。
「そう、モーディル子爵もようやくお父上になられるのね。……リシュエールさま、知っていて?モーディル夫人は子爵にとって二人目の奥方なのよ?」
「えっ、知らないわ。そうなんですの?」
この国に来て半年を越え、もうほとんどの貴族の姻戚関係を覚えたと思っていたのに。
少々自信をなくしてしまったと思いながら、リシュエールは首を傾げた。
「そうなの。もっとも、結構前の話よ。……モーディル子爵は今32歳なのは知っていますわね?」
「えぇ、カルラとは年の差があるのねと思って……」
23歳のカルラとは9個も離れている。といってもリシュエールもフェルディアドとは8個離れているので、同じようなものだが。
「モーディル子爵は20歳の時に、幼い頃から婚約していた男爵家のご令嬢と結婚しましたの。ご令嬢は成人したばかりの15歳でしたわ。結婚から2年後に懐妊が分かって、それはまぁ幸せそうな夫婦だったそうよ。」
でも、その幸せは長くは続かなかったという。出産時に、母子ともに亡くなってしまったのだ。もともと華奢なご令嬢であるうえに、初産の不安から体調を崩していた。体が出産に耐えられなかったのだ。
「モーディル子爵はもう見ていられないほどの落ち込みようだったと、母が言っているのを聞いたことがありますわ。それはそうですわよねぇ。最愛の妻と生まれてくるはずだった我が子を、同時に亡くしてしまったんだから。」
「そんなことがあったのね……。では、どうしてカルラと?」
カルラがモーディル子爵と結婚したのは2年前だと、聞いたことがある。
「夫人は成人してすぐに王宮勤めを初めて、そろそろ行き遅れって言われてたのを父親にお見合いで決められたって聞きましたわ。子爵のほうも同じでしょうね。」
そこに愛だの恋だのはありませんわ、としれっとした顔でデリーナは言う。
高位貴族の娘であるデリーナにとっても、王女として生まれたリシュエールにとっても、結婚は政治の道具である。
……それを理解した上で、彼女たちは儚い夢物語に思いをはせるのだ。
「カルラは、不安でしょうね……エシュティ、カルラはもうモーディル子爵には子どものこと伝えていた?」
「……いいえ、おそらくはまだだと。」
「そうよね……」
モーディル子爵がカルラを大切にしているなら、彼はカルラが妊娠したことを喜べない可能性がある。彼の前の妻が、出産で亡くなったのだから。
カルラは嬉しいだろう。愛する夫の子どもを妊娠して。だからこそ、夫に妊娠を喜んでもらえないということを直視したくない。それが不安で言えず、今悩んでいるとしたら……。
「カルラのところへ……行ってみましょう。一緒にどうかしら、デリーナ?」
「もちろん、お供するわ。」
王妃付きの侍女たちは、王妃の住む宮の別棟に部屋が与えられる。王宮に仕える侍女の中でも王妃付きは上位なので、より上の階となる。
カルラの部屋へ向かう途中で、モニィがいたので連れ立って部屋の扉を叩いた。
「カルラさん、起きている?お邪魔してもいいかしら?」
「モニィ?どうぞ、入って。」
「失礼するわ。」
モニィが扉を開けると、ベッドの上に丸くなるカルラがいた。常になく、弱々しい様子である。
「えっ、王妃さまっ!?デリーナさままで、どうしてこのようなところへ!」
「……わたくしまでお邪魔してごめんなさいね。」
どうぞ、お入りくださいと椅子の用意をはじめようとしたカルラを、モニィが鬼の形相で止めてベッドに寝かせる。
「妊婦は安静にしていてください。」
「ご、ごめんなさい……」
どうやら、侍女の習性が母親の自覚に勝ってしまったようだった。
「まずはカルラ。赤ちゃんのこと、おめでとう。」
「ありがとう、ございます……」
リシュエールがにっこりと微笑んで祝いを述べると、カルラは表情を暗くしてしまった。……予想は当たっているようだ。
できるだけ優しい声で、リシュエールはそっとカルラに問いかけた。
「カルラ……赤ちゃんができたことは怖い?不安?」
その言葉に、カルラははっとした顔でリシュエールを見た。
「王妃さまはご存じで……えぇ、私は怖いのです。でもそれは子どもができたことに対してではありません。夫が……夫が何と言うのかが、怖くて……」
手を腹に当てて、カルラは微笑んだ。
「本当は嬉しい……。とっても。でも、夫はきっとわたしと同じようには喜んでくれないでしょう。場合によっては、夫を傷つけてしまう……」
「まだ、モーディル子爵には話していないのね?」
「家に、帰っていないので。……体調を崩している身では馬車は辛くて。でも、そろそろ帰らなければ、夫に不審に思われてしまうので帰ろうと思っていたところです。」
「そう……」
モーディル子爵はなんと言うのだろうか。あいにくリシュエールは彼の人となりを知らないので、想像がつかない。
ただ、子どもを授かったことを素直に喜べないということが、リシュエールの立場にも重なって見えた。
「よしっ……!」
とはいえ、聞いてみないことにはなにも分からない。
確か今日はモーディル子爵が勤めている財務省で、陛下を交えての会議があったはずだ。
「カルラ、動ける?……モーディル子爵のところへ行くわよ!」
「えっ?えっ、王妃さまっ!?」
反応をみようと思った。
モーディル子爵の。
─────────フェルディアドの。