29、小さな嫉妬と噛み合わない……
視点がころころ変わります。
読み辛かったら、すみません……
その後滞りなく決勝戦が行われた。
毎年、決勝戦に残るのは騎士団総団長と副総団長で、優勝するのは総団長ルーディスだった。もちろん、不正はない。ルーディスが最強で最凶なのだ。
しかし、今年はそのルーディスが出場していない。直前、将軍がいないとやる気が半減するとこぼしていた副総団長は、途中までは良かったのだが、決勝戦でレクリスに負けてしまった。
「今年も素晴らしい戦いを見せてくれた騎士たちに、敬意を表する。レクリス騎士団長、優勝おめでとう。」
レクリスに、王家と騎士団の文様が入った鞘を渡しながら、フェルディアドが朗々とした声でそう言った。
「リシュエール、紹介しよう。私の兄弟子で第四騎士団長レクリス・テスラ・フォーレンだ。レクリス、こちらは私の妻のリシュエール。」
剣技大会後の夕方、国王の執務室にフェルディアドとともに戻ったリシュエールは、剣技大会の優勝者が目の前に跪くのを居心地悪く見ている。
あぁ、結構つやつやした金髪なのねとどうでも良いことが目についた。
「お初にお目にかかります、リシュエール王妃。私はレクリス・テスラ・フォーレン、貴女さまのお手に触れるご無礼をお許しください。」
そう言ってレクリスが、リシュエールの手の甲にそっと口づけするふりをする。
これが宮廷の舞踏会で騒がれる貴公子ならば気障だとか無礼だとか思うのだろうが、生憎と今目の前にいるのは騎士である。
まるで古代の王に忠誠を誓った、物語の騎士のような清廉さと剛健さを兼ね備えた騎士なのだから、その仕草は不思議と高潔なものに感じられた。
「こちらこそ初めまして、フォーレン騎士団長。貴方を跪かせるなど、なんと名誉なことでしょう。」
努めて、極上の笑みを浮かべて見せた。この静かなる騎士の忠誠に見合う、最高の貴婦人を装ってみたかったのだ。
ちょっとした悪戯に心躍らせるリシュエールには、フェルディアドの不満そうな顔は見えていないのだが……
「……この度は、良い戦いを見せてくれたそなたに褒美を取らそうと思う。」
「はっ……」
「まぁ、分かってると思うけどね。……レクリスには、第一騎士団長になってもらいたい。どうかな?」
アレンの降格によって空席になった第一騎士団長の座は、レクリスの実力に見合うものだ。アレンには荷が重かったことも、彼なら難なくやりこなせるだろうと、リシュエールも思う。
「陛下がお決めになったこと。私に異存はございません。」
「では、第一騎士団長になってくれるね?」
「御意。」
深々と頭を下げて、レクリスが静に退出すると、フェルディアドはほっとため息を落とした。
「まだ仕事をするから、先に戻ってて。晩餐には間に合うよ。」
丸一日公務だったのに、まだ報告書の確認などをするらしい。……仕事人間すぎて、心配になる。
「分かりましたわ……少しは休んでくださいね。」
「……うん、ありがとう。」
微笑むフェルディアドに、これ見よがしにため息を落としてから、リシュエールは私室に引き上げた。
トントンと扉が叩かれた。
フェルディアドが返事をすると、トリストが入ってくる。
「まだいたんですか陛下。急ぎの仕事はなかったはずでしょう?」
呆れかえった表情のトリストに苦笑を返して、フェルディアドはペンを置いた。
「ちょっと頭を冷やすために、ね。」
「頭を冷やす……?」
トリストが訝しげに問うた。
フェルディアドはなんだか恥ずかしくなって、髪をわしゃわしゃとかき混ぜる。
「……レクリスがあんまり良い男になってたからね。リシュエールがうっとりしてたのに、嫉妬した。」
「はぁ……?」
女の子は小さいころ、王子さまや騎士に憧れるらしい。レクリスは、まるで物語のなかの騎士のようだ。
恋愛小説を好むリシュエールの琴線に触れるものを、彼は持っているだろう。
「心が狭いのは、分かっているんだけどね……あと、私が言える筋合いじゃないのも。」
度を超える嫉妬は、恐れられる。
リシュエールに嫌われたら、フェルディアドは生きていける気がしなかった。
「はぁ……恋患いですか。夫婦なんで、恋って呼ぶのはおかしいかもしれませんが。」
心底嫌そうに、トリストは顔をしかめた。
「それ、ただの惚気ですよね?」
「うん……」
また大きくため息をつかれる。
「……もう、帰ったらいかがですか?王妃さまはいつも陛下のお帰りを心待ちにしていらっしゃると、侍女たちから聞いていますよ。」
「なんだそれは。私はそんなこと聞いたことないんだけど……ていうか、彼女たちは私の密偵のはずだよね?」
そもそもは、王妃となるリシュエールを探るために送り込んだフェルディアド子飼いの密偵のはずだった、カルラ、エシュティ、モニィ、アンナ。彼女たちから報告が上がってきたのは最初だけで、最近では密偵だということも忘れかけていたくらいだ。
「そうですね。彼女たち曰く、陛下に付くより楽しい、と。」
「はぁ……」
それどころか若干嫌われているのだ、とは言えないトリストである。
書類をさっとまとめたトリストは、フェルディアドからペンを取り上げた。
「はい、行きましょう。王妃さまのもとへ。」
「……わかったよ。」
しっしと虫を払うようなトリストに背中を押されて、執務室を出た。
「お帰りなさい、陛下。」
二人の部屋に戻ると、リシュエールは読みかけの本から顔を上げてにっこりと笑いかけてきた。
その柔らかい雰囲気に癒されて、先ほどまでのささくれた気持ちがどこかへ消えた気がする。
ソファの腰を降ろすリシュエールの隣に座ると、その肢体を抱き寄せた。
「あの……陛下……」
リシュエールの戸惑っている気配が伝わってくる。
「リシュエール……」
「は、はい。」
ちょっと首を傾げてこちらを見上げてくるのが、凶悪なまでに可愛い妻である。
急に立ち上がったフェルディアドは、ひょいっとリシュエールを抱き上げた。
「えっ、どうしましたのっ!?」
膝の上にのっけて、リシュエールの腰に腕をまわした。がっちり掴めば、もう逃げられないだろう。
「やっ、やめてくださ────」
抵抗しようとしたリシュエールの唇を、フェルディアドは無理矢理塞いだ。自分の唇で。
優しく優しく啄むような口づけだ。リシュエールの唇を丹念になぞり、彼女がぞわぞわと震えてしまう場所はしつこく舐める。
堪らずにか、フェルディアドの首にすがりついてきた。フェルディアドはくすりと笑って口づけを深くする。
「最近忙しかったから、こうやってゆっくりリシュエールと戯れるの久しぶりな気がする。」
口づけの合間にフェルディアドはそうささやいた。
「……戯れたいんですの?」
痺れる唇を懸命に動かして、リシュエールが問う。
もちろんだとも。
フェルディアドは、恋人に向けるような蕩けるような笑顔で頷いた。
───……っ。
ズキリと胸が痛んだ。
リシュエールとこうして触れあって、フェルディアドは心底幸せそうな顔をする。
意味が分からなかった。
最近、リリシアナに会っているところを見かけない。噂も聞かない。
だけど、それがつまり別れたとはならないとリシュエールは思う。
フェルディアドは優しいから、政略の妻に気を遣ってリリシアナを隠すようになったのでは?
しかしそれだと最初の頃のことが理解できない。だが、リシュエールが彼にとって気を遣うに値する存在になったからだとしたら……。
喜ぶべきなのか。
いや、まったくうれしくなんてない。
「うん……戯れたい。リシュエールに触れたいんだ。」
そう言ってフェルディアドはリシュエールの胸に顔を埋めた。
「いい匂いがする。暖かい……」
「そんな……」
そんなの、まるで母親のような───
フェルディアドは母親の愛を知らない。過剰な狂愛は受けても、無償の愛はもらってこなかったのだ。
初めて“妻”という存在ができて、自分だけに愛情を注ぐ女性が傍にいるということが、フェルディアドに母親というものを錯覚させたとしたら……
考えすぎなのは分かっているのに、悪い方向に考えてしまうのを止められない。前はこんなではなかったのに、なにかがリシュエールを変えてしまった。
きっと、フェルディアドが。
……恋が。
「陛下……キス、してください……」
「リシュエール……?」
リシュエールから口づけを強請ることはあまりない。
ちょっとびっくりした表情のフェルディアドが、ふっと口元を綻ばせた。
「もちろんだよ……私のリシュエール。」
ゆっくりと、夫の口づけはリシュエールの心を乱していく─────




