24、フェルディアド、風邪を引く
「フェルディアドさま!大丈夫ですか!?」
こちらに走り寄ってくる、一人の女騎士。ピンクがかった金髪のポニーテールが揺れるのが、可愛らしい。
リシュエールは一瞬、自分の顔が王妃にあるまじき表情に歪んだのを感じた。しかし、すぐに困った微笑みに変えてみせる。
大丈夫、きっと誰も気付いてなどいない。
「リリシアナさま、あの……」
「あちらに休憩所がありますわ!ご案内いたします!」
リシュエールの声を遮って、リリシアナは大きな声でそう言う。休憩所に案内して、フェルディアドを看病するつもりなのだろう。
フェルディアドは喜ぶのだろうか。不安に思って彼のほうを見ると、頭痛でもするのだろうか、こめかみの部分を指先で押さえていた。
はっとして、リシュエールはリリシアナを見る。
「……病人の前ですわよ。もう少し小さな声で話すのが常識だと思うのですけれど?」
思わず意地悪な言い方をしてしまった。リリシアナが、悔しそうに口元に手を当てて押し黙る。そして今度はうるうると目に涙をためながら、リシュエールを見つめてきた。
「ご、ごめんなさい。わたしはフェルディアドさまが心配で……」
「それはわたくしだってそうですわ。」
ため息をつきたくなった。心配ならば、もっと気遣いが出来てもいいと思う。もっと相手のことを良く見て。
「王妃さまが心配なのは、フェルディアドが王さまだから……ですか?公務が滞る、から?」
強気に反抗してきたリリシアナは、なんとも的はずれなことを言う。
フェルディアドの名が呼び捨てにされた。しかも、リリシアナの言葉はリシュエールを愚弄している。これはリシュエールは怒ってもいいのだろうか。
しかしそんなことをしている時間が惜しい。
トリストが来てくれれば手っ取り早いのだが、ここはリシュエールがおさめないといけないのだろう。そう思ったときだ。
「リリシアナ嬢、わがままはそこまでにしなさい。王妃を困らせないで。」
一瞬、トリストが来たのかと思った。だが、違った。その声は、リシュエールのすぐそばから聞こえたのだ。
「フェルディアドさま……?」
フェルディアドが眉間に皺を寄せて、リリシアナを睨んでいた。
「……リシュエール、手を貸してくれる?王宮に帰りたい。」
「わ、分かりましたわ!」
リリシアナのもとにとどまることではなく、リシュエールとともに王宮へ帰ることを選んだフェルディアドに、リシュエールはなんだか泣きそうになった。
「ま、待ってフェルディアド……」
「ごめんなさいね、陛下の体調を考えて今日の視察はここまででいいかしら?みなさんの働きはおおかた見せていただきました。剣技大会、楽しみにしております。」
そう言って、ふんわりと柔らかで上品な笑みを浮かべて見せた。リシュエールのその微笑みを見て、うっとりとした騎士がいるのを確認する。それからリリシアナをちらりと見て、彼女が悔しげにリシュエールを睨んでいることに気付いた。
ふらつくフェルディアドを、カルラにも手伝ってもらって支えながら歩き出す。
騎士団から出たところで、トリストが走ってくるのが見えた。
「陛下!王妃さま!」
「トリスト殿!」
カルラと場所を変わって、トリストはフェルディアドを支える。それから、恨めしげにフェルディアドを睨んだ。
「だから言ったでしょう、今日は休んだほうが良いと!なにしてるんですか!?」
「すまない、トリスト……」
しゅーんと効果音がつきそうなフェルディアドの様子に、リシュエールは笑いそうになる。なんとかそれを飲み込んで、彼らをせかした。
国王夫妻の寝室に戻ってフェルディアドを寝かせ、リシュエールは医師やら水やらの指示をだす。
気の利く侍女たちは、リシュエールが考えていることの先を予測して動いているのか、用意はすぐにできた。まったく、本当に優秀なことだ。
そうして、薬を飲まされたフェルディアドはリシュエール監視下でベッドに沈まされていた。
「過労って、なんなのです……?」
リシュエールの目が据わっている。珍しく怒っているのだ、と気付いた侍女たちは早々に退出していた。
ちなみに、その物騒な視線を受け止めている本人は、苦笑いを浮かべている。
「ちょっと忙しくてね、休憩返上して……」
「だったら無理してわたくしと寝なくても。一人のほうが休まるときもあるでしょう?」
別に毎夜夫婦の営みがあるわけではない。夜遅くになるのなら、執務室と離れた夫婦の寝室ではなくそれより近いフェルディアドの私室に行けばいいと思うのだ。
「それは嫌だ。」
間髪入れずにフェルディアドに否定されて、リシュエールはたじろいだ。
「どうして……」
「……リシュエールと一緒のほうが、よく眠れるから。」
ふっと柔らかく笑ったフェルディアドの目は、あまりにも優しい。
「あったかくて……いい匂いがするんだ。」
「…………変態?」
「……この状況から考えて、違うのわかるよね?」
うっかり心の声が出てしまったようだ。慌ててフェルディアドに、にっこり笑った。
「とにかく、ちゃんと寝てくださいね!」
「なにか誤魔化された気がしたけど……まぁ、わかったよ。」
わたくし、トリスト殿に報告してきますから、と声をかけてリシュエールはフェルディアドから離れ───
られなかった。
フェルディアドが、リシュエールの袖をつかんでいたからだ。
「……陛下?」
訝しんでフェルディアドを呼ぶと、彼は驚いたように目を見開いて、ぱっと袖を離した。
行き場をなくしたフェルディアドの手は、ふらふらと宙をさまよう。
その手をつかんで、指を絡ませてみる。フェルディアドが、その手をじっと見つめていた。
「……行かないでくれないかな、リシュエール。」
情けなく声を振るわせて、フェルディアドがリシュエールの手を引く。
「陛下……」
「ごめん……私の我が儘、聞いて欲しい。リシュエール……もっとそばに……」
ぐいぐいと手を引かれ、リシュエールはよろけてベッドに手をついた。
「あのっ、ではわたくしは陛下が眠るまでここにおりますから……」
「いやだ、もっと。」
「もっと……?えっ、陛下っ!」
縋るように両手を伸ばされて、リシュエールは抱きしめられる。
ベッドの中に引き込まれて、リシュエールはフェルディアドの腕の中に抱え込まれた。
「……陛下、熱いですわ。」
「うん……私は寒い。」
発熱しているフェルディアドの体は、汗をかくほど熱い。
「うつしてもいいかい?」
「……いいですわ、うつしてください。それであなたが楽になるなら。」
熱を持った彼の頬に手を添えて、リシュエールは唇を近付けた。すると、フェルディアドは慌てて口元を隠す。
「君が苦しむのはいやだよ。」
「……陛下。」
まったく、優しいことだ。リシュエールは、フェルディアドのためなら風邪を引くことなんてなんでもないのに。
フェルディアドの熱が、うつったかのように汗ばむドレスが鬱陶しい。もぞもぞとフェルディアドの腕の中で動くと、彼はあぁと頷いた。
「……熱いのだろう?脱がせてあげよう。」
「えっ、えっ?」
フェルディアドが若葉の妖精と呼んだエメラルドグリーンのドレスを、彼自身の手で脱がされていく。
あっという間に下着だけの姿になってしまい、リシュエールは頬を真っ赤に染めた。
そういうとき、以外にこんなに無防備な姿をさらしたことなどあっただろうか。
「へ、陛下ぁ……恥ずかしいですわ……」
思わず情けない声を出してしまい、フェルディアドにくすりと笑われた。
「可愛い。リシュエール……」
そう言って、豊かな胸が透けて見える薄い下着の胸元に、顔を埋める。
ふっとこぼれた熱い吐息が胸にかかり、背筋がぞくりと震えた。
そっと両腕でフェルディアドの頭をかかえる。
「……もうおやすみになって。」
「うん……そうするよ。」
リシュエールは、フェルディアドの艶やかなプラチナブロンドをゆっくり撫でた。
しばらくすると、規則的な寝息が聞こえてくる。
「陛下、陛下……」
返答はない。
「……フェルディアド。」
彼が起きている間は呼べない、彼の名前を呼んでみた。リシュエールには、呼ぶことの許されていない名を。
「愛してますわ、フェルディアド……」
彼の心がどこにあろうと、今フェルディアドとともにあるのはリシュエールだ。
すれ違い、になってます?




