22、王妃は若葉の妖精?
前話から季節が進みまして、六月から八月になっております。
エスティグノア王国の王都リワイン、その中心部に国の核たる王城がある。そして、王城のさらに奥にあるのが、国王夫妻の私的な場所である王宮だ。
奥の宮の一室、王妃の間には今日も麗しの王妃さまがいた。
「暑いですわ……」
窓辺にうずくまってぐったりしながらそう呟いたのは、王妃付き侍女のミレーニア・シェスヴィーチェである。
「まぁ確かに、ロスフェルティの夏よりは暑いわねぇ。でも仕方ないわ、8月ですもの。」
カルラにミレーニアと自分の分の冷たいお茶を頼んで、リシュエール自身もソファに体を沈めた。
ここエスティグノアは祖国ロスフェルティよりも南方に位置しているために、ロスフェルティで生まれ育ったリシュエールやリシュエールについてきてくれた侍女たちにはこの暑さは辛い。
とはいえ、一度外交で訪れたファレーン王国の夏はもっと暑かった覚えがある。それを思うと、ロスフェルティやアルセニア、バーティアと同様に北方王国にまとめられるエスティグノア王国は、大陸のほかの国々に比べれば涼しい国なのかもしれない。
「でもこんな日に騎士団を視察だなんて、陛下も王妃さまも大変ですわねぇ。」
のんびりと他人事のように話すのは、侍女のエシュティだ。
彼女はエスティグノア王国内でも南端の生まれのため、この程度の暑さは苦にならないらしい。涼しい顔で熱いお茶を飲んでいたのを、前に見たことがある。
「………それも仕方ないことだわ。それにもっと大変なのは騎士たちなのよ。」
それでも憂鬱であることには変わりはないが。
「王妃さまのお支度は出来ましたし、陛下ももうすぐいらっしゃると思うのですが……」
モニィがやきもきとした様子でそう言った。
「まぁまぁ、陛下もお忙しいのだわ。ゆっくりお待ちしましょう。」
そうして用意されていた冷ましたお茶を口に運ぶと、モニィとエシュティがうっとりとこちらを見ていることに気付いた。
「……何かしら?」
「だって、リシュエールさまがとっても王妃さまらしくって!」
「えっ……?」
首をかしげるとエシュティが慌てて説明し出した。
「あのっ、今までが王妃さまらしくなかったわけではなくて、なんていうか最近……こう、達観しておられるというか……」
「そう、落ち着きが増して大人っぽくおなりで!」
リシュエールははっと息を飲んだ。まさかそういう風にとられていたとは思わなかったからだ。
────あの日からよ。
あのリリシアナの誕生日から、リシュエールは変わった。
けして大きな変化ではない。例えば、恋愛小説を読まなくなったこと。勉強のためにと、他国の歴史書や語学の本を増やした。あとはちょっとしたおねだりもしなくなったことなど、些細なことばかりだ。王妃として大人っぽくなった、で済む程度の。
しかしその小さな変化が、リシュエールの心を守っていた。
(望まなければ、苦しくないわ……)
ふふっと優雅に、リシュエールは笑う。
「そう、嬉しいわ。」
女神もかくやといった微笑に、侍女たちはほうっと頬を染めた。
「王妃さま、陛下がいらっしゃいました。」
フェルディアドを呼びに言っていたリディエが戻ってきた。そのすぐあとに、フェルディアドが部屋に入ってくる。
「まぁ陛下、今朝ぶりですわ。ご機嫌よう!」
リシュエールのちょっとおかしな挨拶に、彼女の夫はぷっと吹き出した。
「今朝ぶりだね、王妃。朝食を一緒にとれずに早く仕事に行ってしまったから、拗ねているのかい?」
「あら、心外ですわぁ。わたくし、そこまで心の狭い女ではなくってよ。」
確かにと笑って、フェルディアドはリシュエールを抱きしめてきた。
「可愛らしい格好をしているね?若葉の妖精さんかな?」
「よ、妖精さん?陛下って、たまにすごく気障なこと言いますわよね……」
今日は外での視察になるので、動きやすい軽やかなドレスを選んだ。
淡いエメラルドグリーンが基調となっていて、胸元は強調せずに可愛らしい襟があって、ピンクのリボンを結んでいる。
スカート部分はゆったりとしたドレープをつくっていて、下に幾重にも重ねた白いレースがひらひらとそよぐのは確かに少し妖精っぽいかもしれない。
「ん?本当のこと言っただけだけど?」
「もう、陛下ったら!………あら?」
嬉しくなってぎゅうっと抱きしめ返すと、フェルディアドの体が普段よりも少し熱い気がしてリシュエールは首をかしげた。
「どうかしたかい?」
「えぇ、あの……」
フェルディアドの顔を見上げる。よく見ると瞳もなんだか潤んでいるようだ。
「……陛下、体調が悪いのではなくて?」
するとフェルディアドはちょっと目を丸くして、それから髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。
「参ったなぁ、バレた?」
「バレた?ではありませんわ!大丈夫なんですの?」
じとっと見つめる。フェルディアドが自分の体調に対して非常に鈍いということを最近知ったばかりだ。
「だ、大丈夫だよ。」
うんうんと頷いているが信用ならない。しかし今から公務を取りやめますとは言えないのが現状だ。とくに行き先は騎士団。フェルディアドを王として敬愛し忠誠を誓っている彼らは、王が来ることを心待ちにしていることだろう。
「ほら、そろそろ行くよ。」
そう言って差し出された手をとる。やっぱりいつもより熱かった。
「……まったく。少しでも悪化したと思ったら言ってくださいね。公務はわたくしがきっちり行いますから。本当に、陛下はもっと休むべきですわ。」
「分かった、分かったよ。王妃、いやリシュエール、いつもありがとう。」
眉じりを下げて笑った顔は、なんだか少し情けない。ちょっと可愛いなんて思っていると、ぐいっと手を引っ張られて肩を抱かれた。
「どうしましたの?」
「いやぁ、嬉しいなって思ってさ。」
「……嬉しい?」
何が?と首を傾げると、フェルディアドは苦笑した。
「そうやって純粋に心配されるのが、だよ。」
「………っ、当たり前のことですわ。」
なにをおっしゃるの、と笑う。彼の寂しい生い立ちが垣間見えるこういうとき、リシュエールは彼のために何かしたいと、守りたいと思う。
「……いくらでも心配いたしますわ。だってわたくし、貴方の妻ですもの。」
リシュエールの唯一の形あるものである妻という肩書きを名乗ってみせると、フェルディアドはなぜか安堵したような笑みを浮かべた。
「そうだね……私の妻。私の王妃。」
さも愛しそうな視線を向けられて、リシュエールはたじろぐ。こういうのは本当に慣れていなくて、対応に困ってしまうのだ。
「……もうっ、行きますわよ!」
赤くなった頬と隠すために、フェルディアドを引っ張って少し前を歩こうとする。けれどフェルディアドはすぐに追いついてリシュエールの顔を覗き込んだ。
「あれ?赤くなってるよ?」
つんっと頬をつついてくる。
「へ、陛下!」
「あははっ、可愛いなぁ。」
「何するんですの!」
今度は頭を撫でてこようとするフェルディアドの手を払い落とす。それでもリシュエールをからかいたい彼女の夫はじゃれついてくる。
そのうち、付き従ってきていた侍女カルラに、髪型が崩れるのでもうおやめくださいと本気で怒られた。
久しぶりにほのぼのになりました!




