21、恋の終わり
遅くなってごめんなさい……
えー、結局陛下はヘタレです。
「まぁ!大好きよ、フェルディアド!」
リリシアナが輝くような笑顔でそう言った。
とても愛おしく思う笑顔だ。今でもそう思う。だが、それだけだった。前はそれが恋なのだと思っていたが、リシュエールと出会ってそうでは無いことを知ったのだ。
「リシー、聞いて。私は───」
「いやよっ!」
言葉の雰囲気から何かを感じ取ったのだろうか。フェルディアドが言い終わらないうちに、リリシアナは拒絶の言葉を言った。
「いやでも聞いて。私も、酷いことを言うと分かっているから。」
顔色を悪くしてフェルディアドを見つめるリリシアナに、少し申し訳ない気持ちになる。
それでも、フェルディアドはこのどっちつかずな態度を辞めようと思って、行動することにしたのだ。
「私は君が大切だよ。好き、だった。いや、今でも好きなんだけど、それは恋や愛じゃないのだと思う。」
そう、それは妹に対するような、優しい感情だ。
リシュエールに対する、時折酷く強い力で自分だけのものにしたいと思ってしまうような独占欲もなく、真夏の砂漠の乾きを潤すように水を求めるような渇望もなく。
その笑顔を可愛いとは思っても、守りたいとかずっと傍にいて欲しいとか思ったりはしないのだ。
「ごめんね、リリシアナ。私はたぶん、王妃を愛しているんだ。」
「そんな……嘘でしょう?」
「嘘じゃない。ごめん、自分でも分かっているよ、酷いって。でも、もうこうして二人きりで会ったり、プレゼントをあげたりは出来ないよ。」
「フェルディアド……」
呆然と呟かれた自分の名を聞いて、フェルディアドは顔をしかめた。
そういえば、リシュエールでさえ「陛下」なのに、どうしてリリシアナには名前で呼ぶことを許していたのか。ほとほと、自分の愚かさに呆れる。
「ごめん、リリシアナ。名前で呼ぶのも辞めてもらえる?次に会うときから、私たちはもう王と騎士だから。」
そう言うと、リリシアナは酷く傷ついた顔をした。名前で呼ぶことを拒絶することが、リリシアナのなかでどれほどの意味を持つかをフェルディアド知らない。
「もう、終わりだというの……?」
「そうだよ……」
泣きながら唇を噛み締めるリリシアナを見ていられず、フェルディアドは俯いた。
大切な人だ。傷つけたかったわけではなかった。だが、別れを告げることで傷つけないはずがないのだ。
「ごめんね、リリシアナ。すべて私の勝手だから、恨んでくれて構わない。でも、王妃は関係ない。王妃のことは嫌わないであげて欲しい。」
男の身勝手で無神経な言葉は、リリシアナのなかでぐるぐると暗く深い闇を作り出していく───
迎えにきたトリストに、泣き続けるリリシアナを託してフェルディアドはいつもと変わらずに仕事に戻った。
泣き続ける妹の背をさすりながら、トリストはかける言葉を悩んでいた。
思い返すのは、リリシアナが初めて剣を持ったときのことだ。
5歳のリリシアナは兄が剣の稽古をしているのを見て、自分もやりたいと言い出した。母は止めたのだが、父が面白がってやらせた。
その時、リリシアナの才能が花開いた。確かに腕力の差があるからトリストには負ける。だが、明らかに剣筋のセンスが違った。トリストが苦労して会得した技も、リリシアナは呼吸をするのと同じようにするすると覚えていったのだ。
それからすぐに、リリシアナは騎士になりたいと言い始めた。トリストと一緒にいたいという理由で。無邪気に兄を慕う幼い妹は可愛かったが、母は大反対、父はどっちつかずで、トリストも反対していたのだ、あれを見るまでは。
リリシアナが14歳になったくらいだったか、二人で領地の街で買い物に出ていたときだ。
おそらく孤児だろう、いかにも柄の悪そうな男に囲まれた少女たちがいた。リリシアナはそれを見てすぐに、男たちをぶっ飛ばした。文字通り、跳び蹴りを食らわせて男たちを倒したのだ。少女たちが泣きながらリリシアナに礼を言っていた。
その時のリリシアナの笑顔といったら!無事でよかったと笑うリリシアナは、とても輝いていた。
だから、あぁ兄を追いかけていただけではなかったのだ、と思ったのだ。そのあとも、困っている人がいれば助けていた。
そんな、無邪気で朗らかで、ちょっと甘えん坊で我が儘なところもあるけど優しいリリシアナは、17歳になるとトリストの紹介で国王フェルディアドに謁見した。
この時もまだ、リリシアナは騎士になりたいと言っていた。社交界デビューをした、年頃の娘がである。そしてその望みをところ構わず熱弁した。それがフェルディアドには好ましく映ったようで、彼の手助けでリリシアナは騎士になった。
それから二人が恋人関係だと気付いたのはいつだったか。フェルディアドがあまりに暖かい目でリリシアナを見ていて、それまでどこか冷たい雰囲気だった上司の良い変化に、トリストは嬉しく思ったものだった。
フェルディアドは、トリストの唯一無二の君主だ。彼のために生き、彼のために死ねると言っても過言ではない。その彼を良い方向に変えた妹に、トリストは期待していた。その分、落胆も大きかったが。
王妃リシュエールが嫁いできて、フェルディアドを大きく変わった。リリシアナが与えた変化が霞んで見えるほどに。
「リリシアナ、陛下が嫌いになったわけではないことは分かるね?」
静かに、諭すように。一言一言を噛み締めながら、トリストは言った。
「えぇ、分かるわ。お兄さま……」
「では、陛下が王妃さまを愛する理由は分かる?」
「……分かるわ。」
一呼吸置いて、リリシアナは肯いた。
「……王妃さまが、陛下を愛していらっしゃることは?」
リリシアナは黙り込んだ。認めたくない、ということだろうか?
「……わたしだって、愛しているのに」
「そうだね……」
妹の頭を優しく撫でながら、トリストは苦笑した。
「失恋だなんて、リシーも、大人になるんだなぁ。」
胡乱げにトリストを見ているリリシアナに、彼は言う。
「愛しているのに愛されない……よくあることだよ。分不相応の恋をしたのならね。」
伯爵家など、所詮中流貴族だ。トリストたちが手を伸ばすことの出来ない相手など、いくらでもいる。トリストはそれをよく分かっていた。
「……なによ。」
「だからね、リリシアナ。陛下のことは───」
突然トリストの手を振り払って、リリシアナは飛び退いた。
「わたしの気持ちなんて分からない癖にっ、偉そうなこと言わないで!」
「あっ、リリシアナ!待って!」
追いかけようとするトリストをきつく睨んだリリシアナは、庭から立ち去った。その後ろ姿を見て、トリストはため息をつく。
東屋のベンチに腰を下ろすと、春の名残の赤い薔薇を見つけた。
思い出すのは金の巻き毛のちょっと高飛車な少女。いつもすぐ近くにいるのに、絶対にトリストには届かない相手だ。
───デリーナ嬢……
想いが届くことはとても幸運で、とても幸せなことだとトリストは知っている。
だから、主君夫婦には幸せになって欲しいのだ。
国王と王妃という重い立場にあるからこそ、お互いの心を支え合える人が必要だと思う。
フェルディアドの想いが早くリシュエールに伝わるといい、とトリストが思っているとき。
リシュエールが……その心が、少しずつ少しずつ傷ついていることを彼らは考えもしなかった。




