15、城下視察へ
み、短い!
それを言われたのは、昼、午前中の公務を終えて、午後の暇な時間をどう過ごそうかと考えていたときだった。
「城下の視察、ですか?」
「あぁ、そうだよ。二人での初めての視察だね」
きょとんとしたリシュエールに、フェルディアドはにこにこしながら答える。
「わたくしも……?」
「うん。」
はぁ、とリシュエールは生返事をしてしまった。どうもそれがお気に召さなかったようで、フェルディアドがむっと唇を尖らせる。
慌ててリシュエールはにこっと笑って、手を叩いた。
「ま、まぁっ、わたくしも連れて行ってくださるなんて、嬉しいですわ!」
そう言ってフェルディアドに飛びつくと、彼はちょっと目を丸くしてそれから嬉しそうに笑う。
「そう、よかった。一週間後だけど大丈夫かい?」
「えぇ、大丈夫です。」
それだけだよ、と言ってフェルディアドは午後の執務に戻った。
どうやら、忙しい合間を縫って来てくれたらしい。リシュエールがどういう反応をするか気になっていたのだろう。リシュエールが嬉しいと答えたとき、明らかにほっとした表情を見せた。
いつだったか、庭師の方の話で城下にもフェルディアドとリリシアナのことが知られていると聞いた。おそらくはフェルディアドもそのことを知っていて、城下でリシュエールが不愉快な思いをするのではと心配したのだろう。
もちろん、民が無礼をしたからといってすぐに罪に問うほどリシュエールは愚かではない。
フェルディアドだとて、それぐらい分かっていると思われる。彼は純粋に、リシュエールのことを心配したのだ。
相変わらず、優しい夫。
優しくて、腹の立つ人。
王妃であるリシュエールにとって、確かに、自国の民に嫌われることは辛いのかもしれない。
ただでさえ人の恋路を阻む邪魔者なのに、このうえ民にも貴族にも嫌われる王妃になどなりたくないのに。
少し憂鬱な気分で、リシュエールはお茶の時間を過ごした。
一週間はあっという間に過ぎた。
エスティグノア王家の紋章が描かれた馬車は、ゆっくりと街の中を進んでいく。
リシュエールは、初めてこの国に来た日以来の王都を嬉しそうに見ていた。
「まぁぁっ、凄いわ!」
窓から身を乗りださんばかりのリシュエールに、フェルディアドはクスリと笑う。
リシュエールも、今日自分が浮かれているという自覚はあった。
(だって!陛下と二人で出かけたことなんてなかったもの。デートみたいだわ!)
実際、デートがどういうものかよく分かっていないリシュエールだが、友人の話や小説から知って密かに憧れていたのである。
「ねぇ陛下、あの子が売っているものはなんですの?」
窓から見えた、可愛らしいお菓子屋さんの前で看板娘がかごに入れて売り歩いているもの。
「あぁ、プィーシュキだよ。ロスフェルティではドーナッツって呼ぶのかな?北の帝国ノラフから伝わってきた揚げ菓子だね。」
「まぁ、あれが!話には聞いていましたが、実際に見るのは初めてですわ。」
揚げたてのおいしそうな甘い香りが漂ってくる。うっかり美味しそうと呟けば、フェルディアドは吹き出して笑った。
「じゃあ視察が終わったら買って帰ろう。なに、視察の一環さ。」
「本当ですか!?嬉しいですわ。」
「あぁ。……さて、そろそろ馬車を降りるよ。ここからは歩こう。」
「はい、陛下。」
馬車が止まり、扉が開く。フェルディアドが先に降りて、リシュエールに手を差し出してきた。その手をとって、リシュエールはゆっくりと馬車を降りた。
国王の視察を待ち、集まっていた人びとの視線が突き刺さる。その視線は好奇心や不安など様々だが、思っていたよりも悪感情は感じられず、リシュエールはほっとした。
「ようこそおいでくださいました、陛下、妃殿下。改めまして、ご成婚心よりお喜び申し上げます。」
「あぁ、ありがとうハッシュ殿。今日はよろしく頼むよ。」
人々の前列にいて、フェルディアドに声をかけたのはヨゼル・ハッシュという男。
王都一帯に大規模な商会を開く、地元の名士だそうだ。
「お初にお目にかかります、妃殿下。ハッシュ商会のヨゼルと申します。」
「こちらこそ初めまして、ヨゼル殿。今日はよろしくお願いいたしますね。」
リシュエールがふんわりと微笑めば、周りに集まっていた街の若者や騎士たちが頬を染めた。
それにめざとく気づいたヨゼルは、ニヤリと笑ってフェルディアドに話しかける。
「これはこれは……美しい王妃さまですなぁ、陛下?」
「そうだろう?私にはもったいないほどの素晴らしい女性だよ。」
フェルディアドが苦笑しながらそう言った。
不覚にも、リシュエールは頬が熱くなっていくのに気づく。
「だからあんまりじろじろ見ないで欲しいな、私は自分で思っていたよりも心の狭い男のようでね。」
お願いだよ、と騎士たちを見回す。彼らは慌ててこくこくと頷いた。
「もう、変なことおっしゃらないでくださいな、陛下。どこから見るのですか?皆さん首を長くしてお待ちですわ。」
「ん?あぁ、そうだね、行こうか。」
そう言って差し出された手をごく自然にとって、リシュエールはフェルディアドと二人での初めての視察を始めたのだった。




