14、ホットミルクと夫婦
遅くなってしまいまして、申し訳ありません。
しかも短い……
お楽しみ頂ければ幸いです。
夜の帳の降りた寝室で、ゆらゆらと揺れる燭台の炎を眺めながら、リシュエールはぼんやりとしていた。
赤色、橙色、黄色、そして時折見える暖かな琥珀色の炎をじっと見つめる。
こうした自然のものは普遍的であり、リシュエールの心を落ち着かせるのだ。
故郷ロスフェルティでも、炎は同じ色。夜の闇も、月の光も。
けれどそれらは、同じであり同じでないのかもしれない。
故郷で眺めたときのリシュエールと、ここで────エスティグノア王国で月を眺めるリシュエールとは、違う。あの頃は知らなかったエスティグノアという国を知り、この国の王妃となり、フェルディアドという男の妻となったリシュエールなのだ。
そしてふと、昼間に聞いた話を思い出す。悲しくて苦しい、フェルディアドの過去の話。
────陛下は、人が愛することが怖い。
デリーナはそう言っていた。フェルディアドは人を愛して、それが失われるのが怖いのだと。
では、リリシアナのことは?
恋人であるリリシアナのことを、フェルディアドは愛してはいないのだろうか。いや、好意的ななにかはあるのだろう。きっとフェルディアドが、それが愛と名の付くものだと気づいていないだけで。気づいていない、ふりをしているだけで。それは、大切な人を傷つけたくないから。
“大切な人”と、リリシアナを思い浮かべたとき、リシュエールの胸はちくりと痛んだ。そう、フェルディアドが大切に思っているのはリリシアナ。リシュエールではない。
政略結婚のフェルディアドとリシュエールである。突然妻となったリシュエールよりも、長年一緒にいたリリシアナを大切に思うのは当然だと思う。
─────けれど、それでも。
リシュエールは、フェルディアドのことだけを考えていた。たとえ政略による結婚でも、お互いを支え、信頼し、想いあう夫婦になれるのではないかという夢を思い描いて。リシュエールは歩み寄ってきた。そのおかげか、フェルディアドもずいぶんと打ち解けてくれたように見える。
でも、リシュエールは気づいていた。フェルディアドの笑みは、ずっと仮面のままだと。初めて会ったときと、なにも変わっていないと。
また、胸が痛んだ。
─────どうしてこんなに胸が苦しく切ないのか。
初めての感情。でも、それがわからないほど、リシュエールは鈍くなかった。
それを認めることはできないけれど。
「あぁ、リシュエール、起きていたのかい?」
湯浴みを終えて寝室に入ってきた夫に、リシュエールはふんわりと微笑んだ。
「待っていたのですわ。……ワインでもいかがです?」
「そうだね…ミルクがいいな。蜂蜜入りの。」
「まっ……」
子どものような答えが返ってきて、リシュエールはくすりと笑う。
「かしこまりましたわ。」
「……君、今笑ったね?」
むっとフェルディアドは唇を尖らせた。その様子が、可愛らしいなと思った。
「笑ってませんわよ?」
「いーや、笑ったね。子どもっぽいと言いたいんだろう?」
フェルディアドが拗ねる。夫の珍しい姿に、リシュエールは春一番の薔薇を見つけた子どものように心を踊らせた。
ミルクに少し蜂蜜を混ぜて、フェルディアドにカップを渡す。
「…ありがとう。」
それを受け取ったフェルディアドは、ソファに腰を降ろした。リシュエールも彼の隣に座る。
熱いホットミルクをふぅふぅと冷ましながら、フェルディアドはそっと口をつけた。暖かいものが好きなのに、彼は猫舌なのだ。
リシュエールは彼の頭に手を伸ばした。束ねずに流されたフェルディアドのプラチナブロンドをゆっくりと梳く。
「リシュエール?どうしたんだい?」
カップをテーブルに置いて、フェルディアドはこちらを伺った。リシュエールは両手で夫の頬を包む。
「……暖こうございますか?」
「えっ…?」
「……わたくしでは力不足でしょう?分かっております。けれど、わたくしは貴方の妻ですわ。わたくしは、どこにも行きません。貴方を裏切ったりなどいたしません。絶対に。だから…」
安心してお眠りになってよろしいのですよ、とリシュエールはフェルディアドを抱きしめた。
いつだったか、トリストが言っていた。他人とは眠れないフェルディアドが、リシュエールとは眠れる、と。
「ね……わたくしの腕の中は暖こうございますか?」
ゆっくりと背中をなでてやると、フェルディアドはぴくりと震え……次の瞬間、すがりつくようにリシュエールを抱きしめた。きつくきつくかき抱くさまは、まるで彼女を縛り付けているかのようで。
「……リシュエール、私の妻。…そばにいてください。離れないで……おいていかないで。」
愛し、愛される心を子どものころに置き忘れた王は、暖かい妻の腕の中でふっと息をついた。
柔らかく、唇がふさがれる。
ミルクの味がする、口づけ。
いつまでも、子どもではいられない。
それでも、母の愛を無邪気に求める子どものような夫を、持ちうる限りの力で暖めてあげたかった。