13、リリシアナという人
短いです。ちょっとシリアス。閑話みたい。
夜もふけた騎士団の訓練場に一人残ったリリシアナは、手にもった剣を振り下ろした。
ひゅんっと、風を切る音がする。
女性の手でも扱えるように改良された細身の剣は、リリシアナの想像通りに宙を踊った。
リリシアナはむしゃくしゃしていた。昼間の模擬戦闘訓練で、リリシアナの所属する隊が大敗したのだ。それは明らかにリリシアナが足を引っ張ったせいだった。
今までだって対等に戦えていたとは言えないが、今日の結果はあまりにもひどい過ぎた。そもそも最近はまともに訓練に参加出来ていなかったし、リリシアナの情緒が不安定になっているのもある。
「……どうして、どうしてなの!?」
からん、と剣が落ちた。
リリシアナはその場にうずくまる。
鍛練の手を止めると、夜の暗さがまざまざと見せつけられるようで、急に怖くなった。
それなのに、こんな時に慰めてくれるはずの恋人が傍にいない。
あの人は……フェルディアドは昼は仕事で忙しいし、夜は王妃のもとへ行っているのだから。
なぜだろうか、もう5年も彼を想って彼を支えてきたのに……
リリシアナがフェルディアドと出会ったのは、15歳のときだった。
6個年上の兄・トリストは、その時すでにフェルディアドの侍従をしていた。その関係で社交界デビューをしたときに、紹介してもらったのだ。
────君がリリシアナ嬢?トリストからよく話を聞いているよ。お転婆で可愛らしいって。
初対面で茶目っ気たっぷりにそう言われて、リリシアナは驚いた。遠目から見たフェルディアドは、どこか冷たい雰囲気を纏っていたから、そんなふうに笑うなんて思わなかったのだ。
思えばこの時からもう惹かれていたのだろう。
女なのに騎士になるなんてと非難されるリリシアナを励まし、応援してくれたフェルディアド。彼のおかげで、リリシアナは昔から憧れだった騎士になれた。
そうしていつの間にか、フェルディアドはリリシアナの特別で唯一になっていたのだ。
恋人になったのはそれから2年後、17歳になったときだった。
騎士になってからは、これまでのお返しとばかりにリリシアナはフェルディアドに尽くした。すべてはフェルディアドのために。
彼はいつも優しくて、強くて……たまには甘えて欲しいとも思ったけど、彼はリリシアナの前ではかっこよくありたいようで。だから、リリシアナはフェルディアドが笑ってくれそうな甘えをなんどもした。
────リリシアナさえよかったら、これからも私を支えてくれないかな?
そう、フェルディアドに言われたときは、舞い上がらんばかりだった。フェルディアドもリリシアナと同じ気持ちだったのだと、うれしくなった。
それからフェルディアドとリリシアナは“恋人”になった。初めて口づけをされたときは、あんまり嬉しくて泣いてしまった。同時に、騎士をしているお転婆娘なんて、彼に相応しくないんじゃないかと思って、悲しくなってしまい……それを敏感に感じ取ったフェルディアドに問われ不安を打ち明けると、フェルディアドは優しく笑ってリリシアナは素晴らしいレディだといってくれた。
口づけ以上のこともした。
いつか結婚するものだと思っていた。
それなのに。
─────政略結婚を、することになったんだ。
淡々と、そう言ったフェルディアドはにこりともせず、あぁ彼には自分がまだ見ていない姿もあったのだと思い知った。
フェルディアドが結婚をしても、リリシアナは周囲公認のフェルディアドの恋人だった。
王妃は可哀想になるくらい、この国の人々に邪険にされてしまった。王妃が、あの優しげなたれ目を悲しげに伏せても、みんな気づかないふりをしていて……可哀想だと思うのと同じくらい、いい気味だと思った。リリシアナからフェルディアドと取った罰なのだ、と。
フェルディアドはそんな王妃を慰めるためか、毎夜毎夜、王妃とともに夜を過ごすのだという。
それでも、フェルディアドの心はリリシアナにあるのだと信じて……
剣を丁寧に磨き、鞘に収める。
リリシアナはこの3年間に覚えた衛士に見つからないルートをささっと通り抜け、フェルディアドのもとへ向かった。
会ってくれないのなら、こちらから押しかけてしまえ。
今までだって何度かしたことがあったが、いつだってフェルディアドは笑って許してくれたのだ。
この時間ならまだフェルディアドは執務室にいるはずだ。
フェルディアドの執務室の前までつくと、リリシアナは控えめに扉を叩いた。
「フェルディアド、フェルディアド開けて。」
そうすれば、すぐに扉は開いた。ほら、やっぱりフェルディアドもリリシアナに会いたくて……あれ?
「……トリスト兄さま?フェルディアドはいないの?」
扉を開けたのはトリストで、フェルディアドの姿は見当たらなかった。トリストは険しい表情でリリシアナを見ている。
「……陛下は、王妃さまのところだ。」
「っ……まだ、夕食の時間でもないわよ?早いのではないの。」
フェルディアドが王妃のもとへ行くのは、あくまで嫡子の誕生のためだ。そう聞いていたのだが、なぜこんなに早く王妃に会いに行くのだろう?
「王妃さまと、夕食をともにすると仰られていたよ。それで、お前はこんな時間にどうした?というかどうやってここまで来た?」
「フェルディアドに会いたくて……衛士に見つからないルートを通って来たわ。」
正直な答えると、トリストは苦すぎるコーヒーを飲んでしまったかのように顔をしかめた。
「衛士に見つからないルートだと?……まぁ、それはあとでいい。陛下に会いたかっただと?お前はいったいなんの立場があってここまで来ている?ここは国王の仕事場だぞ!?少しは立場をわきまえろよ!」
吐き捨てるようにそう言われても、リリシアナはどうして怒られたのかわからなかった。
「だって、わたしはフェルディアドの恋人なのよ?」
どうして会いに来てはいけないの?
「それに……フェルディアドはどうして王妃さまと仲良くしようとしているの?兄さまは、わたしの味方でしょう?フェルディアドが王妃さまと仲良くしてていいの?」
「…あぁ、いいとも。あのお方は陛下に必要なお方だ。私は、陛下の幸せが第一なんだ。……お前のことよりもな、リリシアナ。」
「兄さま……?」
トリストはリリシアナを睨んできた。訳が分からない。
「いい加減、諦めたらどうだ?所詮は身分違いの恋だったのだから。」
「諦めるなんて……そんな、そんな簡単に言わないでよ!わたしがどれだけフェルディアドを愛しているのか、兄さまはご存じでしょう!?」
「あぁ、知っているな。」
「なら、どうして……」
「知っているとも。王に愛される自分に酔って、ただ自分の気持ちを押し付けるお前の一方的な恋情など、知りたくもなかったけどね。」
一方的。
そんなふうに見えていたのだろうか?
呆然として、リリシアナは兄の静かに燃える瞳を見つめた。
「リリシアナ。陛下に恋をすることは、そこらの平民や貴族を想うのとは訳が違う。普通の男を愛するようには、愛してはいけないんだよ?国王にとって、最も大事なのは恋人でも妻でもなく、何時だってこの国なのだからね。」
それくらい、分かっているつもりだった。
だが本当に覚悟はしていたのか?
自分の命と、国益とを天秤にかけられたとき、そして国益が優先されたとき、自分はフェルディアドを恨まずにいられるのか?
無理かもしれない。リリシアナには。
「初めはリリシアナが陛下の運命の人かと思ったよ。でも違ったんだ……王妃さまは、陛下のすべてを受け入れようとなさっている。そして、陛下もまた、王妃さまには弱い自分をお見せになる。」
リリシアナにも見せなかった、フェルディアドの弱い姿。それを、王妃は見ているというのか。
羨ましい。
妬ましい。
………憎い。
嫉妬は、リリシアナの心に暗く重い感情を呼び起こした。
「邪魔をするなよ、リリシアナ。私は、仮にも妹を牢に繋ぎたくはないからな。」
兄の言葉は、リリシアナの耳にはもう届いていなかった。




