12、虐げられた過去
暗いです。ダークです。気をつけてください。
それは突然のことだった。
放蕩息子として知られていた、エスティグノア王国王太子ロンディール・アルト・イゼ・ラシェット。その彼が、お腹の大きな女性を連れて離宮から帰ってきたのである。
そして、あろうことか父王たる建国王セペリィドの前で、王太子ロンディールは彼女を妻にしたいとのたまった。もちろん王セペリィドはそれを許すことは出来なかった。息子の連れて来た女性は、隣国レイシュタイン公国の公妃ニーウィエルナだったのだ。
ニーウィエルナは公国建国祭の日に、何者かによって攫われた。レイシュタイン大公は、近隣諸国にもふれを出して最愛の妻を探した。まだ結婚して半年もたっていない新妻を。けれど、一年近くたった今も見つかっていなかったのに。
見つからないのも道理だ。一国の王太子が隠していたのだから。
「自分が何をしたのか分かっているのか?」と、そう聞いた王に、王太子は悪びれもせずに堂々と言い放ったのだ。「愛する人を自分のものにしてなにが悪い。」と。誰もが絶句した。
腹の子の父はロンディールだという。さも愛しそうに、ロンディールはニーウィエルナの腹を撫でた。その間中、ニーウィエルナは一言も声を上げず……いや、声を出すことなど出来なかったのであろう。可哀想なほどに震えながら、ただ王太子のされるがままになっていた。
この一年の間に、どれほど恐ろしいことがあったのか計り知れない。レイシュタイン大公と仲むつまじく微笑み合っていた麗しの公妃の姿は、もうそこにはなかった。
あるのは、恐怖に支配された哀れな女の姿だけ。
その後、結婚に反対した王セペリィドは、王太子ロンディールによって幽閉された。放蕩息子は性格に難あれど、有能であったのだ。
公妃が発見されたこと、公妃を攫ったのがエスティグノアの王太子だったことが公表された。もちろん近隣諸国中の大スキャンダルである。レイシュタイン公国側からは戦争も辞さないという抗議文書が来たが、大国エスティグノアにとってはとるにたらないことだった。
しばらくして、公妃あらため王太子妃になったニーウィエルナが男児を出産した。男児は……なんの因果か、ニーウィエルナの銀髪ともロンディールの赤髪とも違う、プラチナブロンドをもっていた。そう、しいて言えば、レイシュタイン公国に多い髪色。公妃の家系からの隔世遺伝だったのだろうが、まわりはレイシュタイン大公の子ではないかと面白おかしく噂した。それに過剰に反応したロンディールは、さらに深くニーウィエルナに執着し、子どもを疎んじた。子どもは城の中で孤立し、いつしか離宮に追いやられていた。そう、かつてロンディールがニーウィエルナを隠していた離宮だ。
ニーウィエルナは徐々に精神を壊していった。そして彼女にさらに追い打ちをかけたのは、レイシュタイン公国がエスティグノア王国と激突し、レイシュタイン公国が大敗したことだ。軍事大国エスティグノアに、小さな公国が敵うはずがなかったのだ。妻を取り戻そうと前線で指揮をとっていた大公は、エスティグノア王国軍に討ち取られ、ニーウィエルナの前にさらされた。涙も流さず、元夫を見て固まっていたニーウィエルナは、その時“人”としての何かを失ったのだろう。
王が幽閉され、王太子が暗政をしく王国の混沌は、それから二年後に正された。あっけなくも、馬車の事故で王太子が死んだからだ。
王セペリィドが復権し、王国の立て直しが行われた。ニーウィエルナは、王太子が死んでも王太子妃であることに変わりはなく、むしろ前よりもより大切にされ、彼女は少しずつ笑みを見せるようになっていった。
そのしばらく後のことだ。長らく離宮に追いやっていた王太子の子どもを、王が王宮につれ戻した。子どもは10歳になっていた。
プラチナブロンドに青灰色の瞳の少年は、恐ろしいほどにニーウィエルナに似ていた。
だからだろうか、ニーウィエルナは息子に過剰な愛情を注いだ。片時も息子の手を離さない。まるで幼いころ一緒にいられなかった心の隙間を埋めるように、10歳の少年を赤子のように可愛がった。そして少年が成長し始めると、ニーウィエルナは元夫レイシュタイン大公の名で子どもを呼ぶようになった。彼女の壊れた心は、もとには戻っていなかったのだ。その狂った愛憎劇は、ニーウィエルナが死ぬまで続けられた。
子どもの心が壊れることはなかった。祖父がいたからである。彼は、ニーウィエルナを助けられなかった懺悔か、彼女の行動を咎めることはなかったが、その代わりに孫息子を正しく愛し、正しく教育した。そのおかげか、その子どもは────フェルディアドは今現在優秀な王として毎日務めている。
「……陛下はとても危ういの。愛することも愛されることも、彼にとっては不可解なもの。それは、彼を虐げるもの。」
だから彼は、大切なものを持たない。奪われ、心を傷つけられたとき、治す力を彼はとうの昔になくしているから。
「でもね……だからこそ不安定で恐いの。大切なものを持たない陛下は、あるときその手の中のすべてを手放して消えてしまうのではないかって。」
そして彼自身もきっと恐いのだ。誰かを愛したとき、大切なものを持ったとき、彼の両親のように過剰な愛をもってその大切ななにかを壊してしまうのではないかと。
「……デリーナ、なぜそこまでわたくしに。」
教えてくれるの?
リシュエールの問いを見透かしたように、デリーナは微笑んだ。
「……貴女なら、彼に無償の愛を与えられる。陛下を、救える。」
「……デリーナ、貴女、もしかて?」
彼女の言動のすべては、フェルディアドのためで。
だから気づいてしまったのだ。
─────デリーナは、陛下が好き?
「……ずいぶん昔の話よ。」
ふふっとデリーナは優雅に笑った。
彼女たちの髪を、少し冷たい風が揺らした。もうすぐ夕立が来るのかもしれない。




