十九度
エンニチは何かに興味を持つという事があまり無いが、一度気に入ると異常なまでの執着心を見せる。
私の知っている中で一番のお気に入りはあのパープルダイヤのネックレスだ。
あのネックレスは神殿に行った時にチョーカーとして身に付けていたもので、最初リアンさんのドレスと共に衣装箱に保管するつもりだったのだが珍しくエンニチが嫌がった。
チョーカーを外そうとする手をかいくぐり、イヤイヤイヤと首を振りながら逃げる始末。正直エンニチのスピードに敵う者など誰もいないので困り果てた。
見た目は小ぶりだがパパさんの用意したものが安物の訳はないだろう。ダイヤをぶら下げたヒヨコなどカモネギ状態。手のひらサイズの小さなヒヨコなどすぐに攫われ………無い。有り得ない。想像もつかない。問題無かった。
元々パパさんは普段身に付けてられるようにと小ぶりにしたらしく、懸念も消えた事から後日、白金のチェーンを使いネックレスに仕立てくれた。エンニチとお揃いである。
その日から鏡でチェックするのが毎朝の日課になっている。
そんなお気に入りのネックレスを馬鹿にされたエンニチの心境は推して知るべし、だ。
恐る恐るエンニチを見れば、体からドロドロとした黒いオーラが滲み出ているではないか。
このままでは素敵なイングリッシュガーデンに真っ赤な血の雨が降る。
説得を試みるべくエンニチの前に立つ。
「落ち着け、落ち着きなさいエンニチ」
何故なら縦ロール少女に向かい一歩踏み出そうとしていたからだ。
和かにエンニチの前に立っているが怖い。正直怖い。ハイライト?瞳の輝きが無く深淵を覗いたかの如く黒一色の瞳。見ているこちらまで引きずり込まれそうな闇。
こ、こいつ殺る気だ!
私は確信した。
身内から犯罪者が出る。
「ほ、ほら〜エンニチ。このネックレスはお揃い、私とお揃いだよ〜。つまり家族以外は知らない私たちのヒ・ミ・ツ。
だからあっちの空気が読めない縦ロールは知らなくて当然だよ〜。
ね?ね?エンニチが手を出す価値も無いよ〜。其れより私の側にいて欲しいな〜、オ・ネ・ガ・イ☆
だから落ち着こうね〜」
普段は使わない、お願い☆私の側にいて欲しいの攻撃が功を奏したのか、僅かに瞳に光が戻ってきた事を確認しホッと胸をなでおろした。
どうやら最悪の事態は避けられそうだ。
しかしその矢先、場の空気が読めない縦ロールの憤慨した声が響く。
「んっまあああっ、御子様の前を塞いでわたくしの方に行かせない様にしているのね!なんて浅ましいの」
黙れ、このKY縦ロール!誰の為だと思っているんだ。私が塞いでなかったら死ぬぞ!瞬殺だぞ!
「御子様、今わたくしがお助けいたしますわ!」
それでも退かない私に業を煮やしたのか、何処ぞの騎士の様な台詞を叫びながら此方に駆け出す。
来んな!!
私の心の叫びも虚しく両手を突き出して勢いよく駆けてくる縦ロール。
あ、私を突き飛ばすつもりなのか。
エンニチのおかげで動体視力は人より高いと自負しているが、残念ながら動体視力と反射神経は比例していない。
つまり何が言いたいのかと言うと、向かってくるのは分かっても咄嗟の回避行動までは移れないのだ。
突進して来る縦ロールは力の加減を知らなさそうだ。せめて頭だけは死守しようと思っていた私の背後から黒い物体が飛び出した。
それはまるでテレビのスローモーションで見ているかのようにゆっくりと見えた。
一際高くジャンプをしたエンニチの飛び蹴りが縦ロールの額にヒットした!
ガスッ!という鈍い音とホギャァ!と甲高い叫び声と共に弧を描き、髪飾りの羽を撒き散らしながらそのまま潰れたカエルの如くべちゃりと地面に伸びた。
エンニチは蹴り上げた勢いのまま空中で後方宙返りを華麗に決めると私の前に軽やかに着地する。
僅か数秒の出来事だった。
背後を振り返り私の無事を確認するその表情は何処と無くスッキリとしている。
うん、ストレスが溜まっていたんだね。
私と目が合うとふっ、とニヒルな笑みを浮かべまた縦ロールの方を向いた。
仕留めても油断しないとは流石アサシンヒヨコである。その雄々しい後ろ姿に思わず胸きゅんしそうだ。
前の方では従者、確かマリウスと呼ばれていた少年が縦ロールに声を掛け起こしている最中だったが、その動きが止まり体を震わせた。
…心配で泣いているのだろうか?
私がやった訳ではないが、子供に対して大人気ない真似をしてしまった罪悪感に眉をひそめた時、ちょうど従者が一際大きく体を震わせた後、
大爆笑した。
「ひ、姫様〜、大丈夫ですか〜?……ぷっ……あは、あはははははっ!!な、なんですかそれ?額にひた、あはははははっ、ひ〜苦しい〜あはははははははは!」
…………
何事が起こったのかと唖然として見ていたが、縦ロールの額を見て理解する。
額の中央部分に三枝の様なエンニチの足跡がくっきりと残されていたのだ。
白い肌に黒い足跡は目立ち、はっきり言って可愛らしいを通り抜け間抜けな姿だ。
多分本来ならば私も指差して大笑いすると思うのだが、他人が大爆笑していると引くというか何となく乗り遅れた気分になる。
しかも膝を付きながら体をくの字に曲げ、地面をバンバン叩いて呼吸困難になっているのは正真正銘縦ロールの従者だ…何だか可哀想になってきたなぁ。
その縦ロールは顔を真っ赤にし、まだしつこく大爆笑している従者を蹴り上げると、踵を返し中庭の入り口まで戻り、クルリとまたこちらを向いた後、ビシッと指差し叫んだ。
「よくもやったわねー!御子様を嗾けるなんてどんな悪どい手を使ったのよ!?
絶っっ対に許さないから!お父様に言いつけてお前なんか死刑にしてや、、ヒィィィイッ!!」
エンニチの後ろ姿しか見えないのでどんな顔をしていたのかは分からない。分からないが、縦ロールの顔がムンクの叫びになっているので大体の想像はつく。
縦ロールは涙目のまま、地面に伸びた従者をそのままに、猛ダッシュで逃げて行った。
……まんま悪役の台詞だな。あーあ、この髪飾りの羽、高そうだな。誰かに預けた方がいいのだろうか?
エンニチはというと白いベンチの上に乗り、羽でパタパタこっちゃこいこっちゃこいと手招きをする。
落ちていた羽を拾い招かれるままベンチに座ると、私のネックレスにポンポンと二回羽で触れ満足気に頷いた。そのまま地面に降りるとエンニチはジェスチャーを始める。
「…つまり訳すとエンニチは先ほどの縦ロールにトドメを刺して来るから、私にこのベンチで待っていろ、と?」
コクコク頷くエンニチ。
獲物の息の根を止めるまで追いかけるとは、恐ろしい奴だ。
しかしそのまま行かせる訳には行かないので、エンニチに繰り返し殺すな、大怪我もダメだと言い聞かせる。
何度もイヤイヤと首を振る仕草は可愛らしくもあるが、内容は人の生死がかかっているので絆される訳にはいかない。
多少時間が掛かったが渋々ながらも何とか納得させ、手を振り送り出した。
すまない縦ロールよ。
私に出来る事はここまでだ。後は自分でどうにかしてくれ。
エンニチを見送りつつ己の無力さにそっと涙した。
ついでに中庭を通りかかった警護の騎士に従者を預けやっと一息。疲れた、非常に疲れた。
手に持った羽を眺めながら、あの縦ロールの名前も知らないな、と思った。
まあ現王の娘は第一王女のみなので、姫様と呼ばれていたあの少女の正体はバレバレなのだが。
第一王女の名前は確かルイベットだったはずだ。従者の少年はマリウスと呼ばれていたっけ。
疲れた頭と体を休め手元の羽をクルクル回しながらぼーっと花を見ていると、風を感じた瞬間、物凄い勢いの風が私の周囲を檻の様に取り巻く。
そして続く得意げな声。
「やったぜーっ!!妖精ゲットォォッ!!」
……今度は一体なんだ。
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「……なぁ、俺は馬鹿娘を連れて来いと命令したよな?誰がその従者を連れて来いと言った」
「はっ、申し訳ございません。しかし詳しく事情を説明出来るのがこの者しかいないもの事実でして」
「気絶してるじゃねえか。んで説明って?」
「その、ただいま姫様が逃走中でして。制止を振り切り、まるで何かに追われるようにあちらこちらと必死の形相で走り回っております。理由も分からず従者の他に幼女が一人居たのですが、まだ三歳とのこと。事情説明は無理でしょうし」
「いや、大丈夫だったんだがな」
『うむ。セーラなら詳細な説明が出来たであろうに。しかし逃げ回っておるのか。予想どおりだな』
「やはり国葬の準備ですね。献花には口は災いの元と言う意味合いでクチナシの花にでもしますか」
「城の者全員で馬鹿娘を捕獲しろ!」
最後にエンニチとルイベットの話を入れる予定でしたが、長くなりそうだったので閑話として書きます。




