黒刃の破魔刀
風が吹いて、舞い散る木の葉の一枚が地面に触れた時――二人は同時に動き出した。
彰介の突き出した鋭い白刃が、風火のかぶる塗笠を容易に撃ち貫く。わずかに急所をそらした風火は、長い黒髪をばらっと振り乱しながら、男の胴元を狙って、すかさず抜刀する。
後の先を狙った、二の太刀の攻撃――
しかし、彰介の動きは、おそろしく俊敏で熟練されていた。にぶい金属の衝撃音を鳴らし、上段に空振っていたはずの刃が、いつの間にか移動して、風火の攻撃を受け止めている。
塗笠が地面に落ち、互いの刃が空中で交錯して、じりじりと競り合うと――
「ぐっ――」
先に風火が悲鳴を漏らした。純粋な力勝負になってしまっては、もとより女の肉体に利はない。顔の間近まで迫る彰介の刃を前に、風火はたまらず叫んだ。
「幽州暗恨の念よ、飛ばせ……!」
巻き起こる突風が、彰介の身体を突き飛ばす。むろん、打ち倒すほどの手応えはない。切迫した状況では、それほどの霊術を構成する余裕もない。三間ほど退がったところで、彰介は踏み止まった。とっさの霊術にしては上出来といえる威力だった。
(……強い……)
風火は半ば絶望的な気持ちになって、そう舌打ちした。
かつては人斬りという素性も、たしかに頷ける話であった。明らかに、彰介の卓越した剣術は自分のものより優れている。しかも、彼はまだ余力すら残しているように見える。
彰介はあいも変わらず涼しげに佇んでおり、息切れ一つ起こしていない。その静かさが逆に恐ろしい。まるで冷徹な獣のようで、一時たりとも油断ならない。
攻めにも及べず、逃げにも転じることができず――
風火が慎重に身構えていると、彰介はこんなことを問いかけた。
「……それは破魔刀なのか……?」
「なにを珍しがる。武霊隊の者であれば、破魔刀など見慣れておるだろう」
「いや……。妖禍使退治の霊具・破魔刀。その刀身は、いずれも穢れなき白刃のはず。それが黒刃のものなど、拙者とて見知らぬこと――」
「……」
互いに、手持ちの刃を見比べる。
どちらの鍔元にも同じように霊髪が巻かれているが、刀身の色は、まるで異なる。
白い刃と黒い刃。
武霊隊の破魔刀をきちんと見るのは、風火にとっても、それが初めてのことだった。
「いったい、それをどこで入手した? そもそも破魔刀を所有するは、武霊隊のみ。流浪の破魔士風情が持ち得るモノではないはず……」
「さあな。生まれた時には持っていた。戦災孤児だったわたしに分かることは、それだけ。過去の経緯など、知らん」
「なるほど。それでは聞いても無駄ということか……」
そうつぶやいてから、彰介は表情を急変させた。
「じつにめずらしい……欲しいな、それは……」
ほとばしる殺意。
彰介は、まるで情欲たっぷりに極上の女を舐め回すように、黒刃の破魔刀へ視線を向けていた。ごくりと喉を鳴らし、唇を舌でねっとりと濡らしている。
「……やめておけ。この破魔刀は、わたし以外には扱えん」
「ほざくな。そのような霊具、存在せぬわ」
「昔、ある霊力者が、この刀を使おうとして、命を落とした。嘘ではない」
「もともと霊具は容易に扱える代物ではない。未熟な者が扱えば気を失うものよ。とはいえ、死ぬほどの代償とは。ふふ……。そんな稀有な話を聞けば、ますます欲しくなってきたぞ、おぬしの刀……」
「言っても無駄か」
「左様……」
彰介が飛びかかり、再び斬り合いが始まる。
展開は、ほとんど防戦一方である。彰介の繰り出す斬撃を、風火はただ後退しながら受け流すことしかできない。
あっという間に、外套はぼろぼろに裂かれていた。攻撃の幾筋かは、袴を切り破いて、風火の肉にも届いている。痛みと血の感覚。それに疲労が一気に押し寄せる。死の足音を感じ取ると、風火は意を決した。
(――なんとか隙を――)
肩の留め具に手をかけて、相手の視界をくらますように外套を投げこむと、風火は真上に跳躍した。
彰介が外套を払いのけると同時、宙空に舞った風火が、頭上の死角から破魔刀を振り下ろす。
今度こそは刃が届く――そう確信した瞬間だった。
「甘い」
彰介は、まるで背中に眼でもつけているかのように、刀を背後へ掲げると、風火の渾身の一撃をいとも容易く受け止めてみせた。さらに、そのまま勢いよく後方に飛び込んで、空中から落下している風火の不安定な身体を一気に突き飛ばす。
痛烈に地面へ打ちつけられて、転がり――
仰向けになった風火の顔に、そっと刃が向けられた。
「残念だったな。おぬしと拙者では、生きた時代も、過ごした年季も違う。こと斬り合いにおいて、拙者は負けん」
つうっと血の流れる感覚に、風火が固まる。わずかにでも動けば、この男は顔面を貫く。そんなことは疑いようもないことだった。
さらに、風火の腕をおもいきり踏み抜くと、彰介はお目当ての破魔刀をも奪い取った。
「まことに美しい……こんな珍妙な破魔刀があろうとはな……」
二本の破魔刀を並べて、それらの刀身をうっとりと一望する。
そして、黒い刃のほうを空に掲げて告げた。
「喜べ。最期は、おぬしの刀で屠ってやろう」
「はやく手を離せ。取り返しがつかなくなるぞ」
「ふふ。おぬしの命が、か?」
「そなたの魂がだ」
風火が警告すると、その異変はついに起こった。
「なっ――――」
かすかな悲鳴と共に、それまで冷然と構えていた彰介の表情が、途端に歪む。
「…………ぐっ、うう…………」
がくがくと膝を震わせて、彰介が後退する。
白刃の破魔刀がその場にがらんっと落ちると、拘束から解放された風火は、ばっと起き上がって、すぐに叫んだ。
「はやく手を離せ! 死ぬぞ!」
その光景はおぞましいものだった。
破魔刀を握る、彰介の片腕。それが黒い触手によって、次々に食い千切られているのだ。破れた皮膚から血が流れ、その血が黒い膿となって、連鎖的にとめどなく増殖していく。
彰介が刀を手放そうと抵抗するも、複雑に絡みつく触手が、それを許さない。触手は、意志を持った蛇のようになって、執拗に、執念深く、粘着質に、まとわりついている。
「幽州暗恨の念よ、滅せよ……!」
風火の両手から膨大に膨れ上がった白い閃光が、激流のようになって彰介の左腕へ降り注ぐ。まるで強靭な嵐が木々をひっぺがすように、黒い膿が光の中へ消えていく。
だが、触手は一向に枯渇しない。光の中で消えながら、増殖も同時に続けて、やがて風火のほうが先に息切れしてしまった。
彰介は身体の自由を失ったように、よろめき倒れると、地に伏したまま、ふりしぼるような声でうめいた。
「……き……きれ…………」
思い出したように、彰介の破魔刀を拾いあげて――
風火は即座に、その黒い腕を斬り落とした。