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マレビト ~少年ヤマトの冒険~  作者: 圭沢
第二章 精霊の森

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52話 精霊の森

 ……マト……ヤマト……ヤマト……


 自らを呼ぶ声に、ヤマトはガバリと体を起こし――思わず目を疑った。

 焚き火のそばで皆と一緒に眠りについたはずが、ただ一人、広大な草原にぽつんと横たわっているのだ。


 早朝の霧が辺り一面に静かに立ち込め、奇妙に捩れた巨木のシルエットがひとつ、ぼんやりと遠くに見えている。

 そして、目の前には音も立てずにぽつんと浮かぶ、淡く脈動する水晶球。


 あ……ここ、知ってる……


 これはスーサでギルドカードを作った時、ヤマトが目にした不思議な光景だ。忘れもしない優しいあの声を聞いた場所――

 ヤマトはややためらいながらも、あの時と同じようにそっと水晶球に手を伸ばした。


 ――ふふふ、少し見ない間に随分と成長しましたね。


 ヤマトの指先が水晶球に触れると、またあの懐かしい声が聞こえてきた。

 千年樹やオキクルミと話している時のような、頭の中に直接沁みとおる声。記憶のとおりのとても優しい女性の声で、再びヤマトは涙がこぼれそうになった。


 ――よくここまで来てくれました。精霊の森はすぐそこですよ。ただ……少しだけ急ぎなさい。レラの時間が尽きようとしています。


 え? レラって……?

 初めて聞く言葉にヤマトの頭に疑問が浮かぶ。だが、水晶球の声は少し悲しそうな響きを含みつつも足早に言葉を重ねた。


 ――ごめんなさい。本当はゆっくりと説明してあげたいのですけれど、こうして話せるのはほんの僅かの間だけなのです。とにかく、少しだけ急ぐのですよ? そして、森に着いたら真っ先にレラを訪ねなさい。そうすれば……


 そこまで言って水晶の声は急速に消えていく。


「……待って!」

 ヤマトは思わず叫んだ。もっと話がしたかった。胸の奥がじんわりと暖まるあの声をもっともっと聞いていたかった。


 しかし、声が戻ってくることはなかった。水晶球の脈動が弱まり、次の瞬間にはヤマトは自分が焚き火のそばに座っていることに気がついた。


 隣にはルノが慎ましやかな寝息を立てていて、足元にはセタが絡みついている。


「……行っちゃった……」

 ヤマトのつぶやきは、ツゲの盛大ないびきに飲み込まれて消えた。




「嫌な夢でも見たかえ?」




 ヤマトが視線を上げると、漆黒の霊狐、イヅナと目が合った。

 起こしてしまったのだろうか、体を丸め、あごを前脚に載せたイヅナが目だけ動かしてヤマトを静かに見ていた。

「随分と哀しそうな声じゃったぞ……」


「実は――」

 すっかり眠りから覚めてしまったヤマトはイヅナにぽつりぽつりと話し始めた。


 不思議な場所で不思議な声を聞いたこと。

 夢では絶対になく、これが二度目になること。

 前回は、まず精霊の森に行き、力が足りないと思ったら龍の湖へ、知識が足りないと思ったら始まりの高原へ行けと言われたこと。


「不思議な話もあるものよのう」

 顔を上げて真剣に聴き入っていたイヅナが、ふう、とため息をついた。

「そなたがそうやって精霊の森に導かれているとは妾も知らなんだ。しかも、龍の湖とな? あそこは悲しみの地ゆえ誰も近づかぬ場所の筈じゃが……」


 ぶつぶつとひとりごちるイヅナに、ヤマトは今回告げられた内容を話した。


「何、レラじゃと!」

 その名を聞いた途端、イヅナが飛び起きてヤマトに詰め寄った。

「何故そなたがその名を知っておる! ……いやその声に言われたのじゃったな。だが、レラの時間が尽きようとしているじゃと?」


「どうした!?」

 いつにないイヅナの焦ったような大声に、いびきをかいていたツゲが瞬時に跳ね起きた。

 その顔からは眠気がきれいに拭い去られ、戦いに身を置く男の鋭さが取って代わられている。その向こうでイメラも双刀を手に身体を起こし、油断なく周囲に目を配っているのがヤマトの目に映った。

 ルノやセタも遅滞なく起き出し、セタは若干寝ぼけ気味ながらもあたりをきょろきょろと見回している。


「のんびりしておれなくなった。直ぐに出発するぞえ」

 イヅナの有無を言わさぬ口調に押され、一行は疑問を押し殺して慌ただしく荷物をまとめるのであった。






 それから足早に進み続けること丸一日。木立の中に夕闇が押し迫る頃、イヅナはようやく足を緩めた。未明から歩き始めて今まで、実に二日分近い行程を踏破している。


 自らに霊力を循環させるだけでなく、ルノやセタにも霊力を供給して体力の補充を行っていたヤマトが、前方を注意を向けた途端に急に大きく息を飲み込んで立ち止まった。


 ヤマトだけではない。疲労の色を隠せなくなってきたルノやセタはもちろん、無言で黙々と歩いてきたイメラまでもが足を止めて前方を注視している。


「ん? みんなどうした?」


 訳が分からず皆の顔を見回しているツゲに、イメラが抑えた声で耳打ちした。

「この荘厳な気配を感じぬか」


 その時、ヤマトの胸から光るかたまりが飛び出した。いつぞやヤマトの胸に入って行った無垢なる精霊、風の子供の一人だ。

「あ、いつのまにこんなところー。あははは、ただいまー」

 光るかたまりは楽しそうにヤマトの頭上でくるくると回り、セタが目を輝かせて見守る中、森の奥めがけてふわふわと飛び去った。


「えーと、さっぱり分かんないんだけど、セタ、何かいるのか?」

 ツゲにはこの場の厳かな雰囲気も、風の子供もまるで見えていない。普通一般のマレビトは、魔法が使える代わりに霊力や神霊の類には極めて疎いのだ。狐につままれたような顔で、しきりと首を傾げている。


「皆、急がせて悪かったの。この先が精霊の森――」


 イヅナが振り返ってそこまで口に出した時、前方から何十もの光のかたまりが洪水のように押し寄せてきた。

「みんなつれてきたよー」


「わーなつかしいけはいがするー、はくりゅうさまみたいー」

「ちがうよヤマトさまだよ。うれしいなー」

「せんねんじゅさまにもにてるねー。あったかーい」

「ヤマトさまだー、ヤマトさまだー」


 光のかたまりの群れは唖然と見守るヤマトを囲み、ふわふわくるくると軽快に飛び回っている。

 大きさはそれぞれで、色も何種類かあるようだ。セタが大はしゃぎで挨拶をすると、今度はセタを取り囲んで踊るように動き始める。


「やれやれ、大歓迎じゃのう。早速で悪いけれど、レラのところに案内してくれるか?」



 イヅナのその言葉を聞いた途端、光る精霊たちは今度はイヅナの周りに群がっていく。

「レラさま、さいきんげんきないのー」

「しょうめつがちかいんだって」

「イヅナさま、なおせる?」


「やはり本当じゃったか……」

 イヅナはちらりとヤマトを見上げ、小さくため息をついた。力なく尻尾を地面に落として精霊たちに話しかける。

「妾にはどうしようもないが、そこのヤマトの顔を見れば少しは元気が出ると思うぞ」


「ほんと?」

「じゃあはやくはやくー」

 困惑するヤマトを急かすように群がる精霊たち。圧倒された態のルノとイメラ、そして何も把握できていないツゲを置き去り気味に、一行は急き立てられるように精霊の森へと足を踏み入れていく。





 精霊の森は、一見普通の森と何も変わらない場所だった。注意深く観察する人であれば、木々の一本一本が異常なほど生命力に溢れ、枝ぶりに勢いがあって瑞々しい大量の葉を誇らしげにつけていることに目を奪われたかもしれない。


 しかし、ヤマトたちがまず心を奪われたのは、この森の清らかな静謐さだった。物音がしない訳ではない。木々の梢で小鳥がさえずり、足下の草葉の陰では虫たちが求愛の唄を奏でている。それらを全て包み込むように、荘厳な霊力がひそやかにこの場所に立ちこめているのだ。

 あたかも、全ての生き物が命を謳歌する伝説上の楽園のような――ヤマトたちは思わず息をひそめ、静かに足を進めていく。


「なあ、ここ何かおかしくないか?」

 ツゲが神妙な顔でヤマトに囁いた。

 霊力に疎い生粋のマレビトであるツゲにもこの場の神聖さが判るのかもしれない。そう思って振り返ったヤマトに、ツゲが予想外の言葉を続けた。


「なんか息苦しいっていうか、力が入らないっつうか……」

 ゆっくり深呼吸するツゲ。

「いや本当に息苦しいとかじゃ全然なくってだな、むしろ清々しいぐらいなんだが――ああ、分かったわ! ここ、魔力が全くねーんだわ。魔力だまりの逆だ。こんなとこあったんだな!」


「ツゲさん!」

 ルノが興奮するツゲの服をくいっと引っ張った。その視線は前方に固定され、驚愕に彩られている。


「お、おう。でも、だってだな――」

 ルノにつられて前に向き直ったツゲの口が、大きく開かれて止まった。




 ――ようこそ、精霊の森へ。



 森の奥に、半透明の女の人が浮かんでいた。そして頭の中に伝わる、オキクルミとは違った柔らかい声。


「レラさま!」

 光る精霊たちが一斉に群がっていく。


「レラ、そなた――!」

 普段は悠然と構えているイヅナも一散に駆け寄っていく。


 レラと呼ばれた存在はゆっくりと両腕を広げ、僅かに上に浮遊して、ヤマトを見つめて神々しくも暖かい微笑みを浮かべた。


 ――待ってましたよ、ヤマト。さあ、あなたの持つ霊力、その本当の使い方を教えてあげましょう。





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