04話 村と千年樹の実
ヤマトはルノの手を引き、周囲を警戒しながら、木の影を縫うようにして村に近づいていった。
村に近づくにつれ、ヤマトの端正な顔に浮かぶ表情が険しくなる。狩りで鍛えて敏感になったヤマトの嗅覚は、うっすらと流れてくる血の匂いを捉えていた。
歩みはどんどんと慎重さを増し、村の間近までたどり着くと、ヤマトの耳には人々の叫び声も聞こえてきた。
ヤマトは辺りを見渡し、こんもり茂った藪の陰にルノを誘導して囁いた。
「村……様子、変……ここで隠れてて……すぐ、戻る」
え、え、と言いながらガクガク震え出すルノ。
ヤマトはその手を両手でぎゅっと握り、すぐ戻るから、と一度囁いて藪から飛び出した。
念のため、低めに抑えていた霊力循環を再び強化し、身体能力を引き上げてから風のように走り出す。体を低く保ち、躍動感あふれるその姿は若鹿のようだ。
村に近づくにつれ、村の外縁に放置された悪鬼の死骸が見え隠れしてくる。ヤマトは村の手前の最後の木の陰で止まり、そっと村を覗きこんだ。
夕日に染まる茅葺きの村は、血にも染まっていた。
ふもとの村は半農半猟、農より猟の比重が高い典型的なコシの民の村である。村は二十~三十ほどの粗末な竪穴式住居で構成されていて、人口は百名弱、豊かな森に囲まれ、魚が採れる川を背に、近隣は何世代もかけて育てた実のなる木が林となっていた。村の周囲をぐるりと防護柵が囲み、その外側にちらほらと陸稲その他、簡単な畑があった筈だった。
しかし、地面は荒らされ、おびただしい悪鬼の死骸が静かに転がっていた。畑がどこにあったかすら判別できない。
視界に入った悪鬼の死骸は少なくとも百、村の防護柵の外側には特に多く、何ヵ所か柵を破られている場所もあった。柵の内側では幾人かが大声を上げながら慌ただしく動き回っており、怪我人の呻き声も聞こえるものの、戦い自体は終わっているようだった。
ヤマトは村の防衛が成功したらしいことに安堵を覚えつつも、一人で不安であろうルノのことを思い出し、一旦戻ってルノを連れて来ることにした。
「おや、ルノは生きてたのかい――」
ヤマトがルノの手を引いて村の柵を抜けると、柵の修理をしていた村人が着ている毛皮で汗を拭い、じろりと睨んで呟いた。総髪に束ねられた褐色の髪に土と木屑が混じり込んでいる。
村の中では、倒された家から家財を持ち出す人や、怪我人に肩を貸して奥へ進んでいく人、倒された悪鬼の死体を片付ける人などでごったがえしていた。ほとんど皆が一様に鹿皮の上着に腰巻という格好だ。地面や家、そこら中に悪鬼の血と思われる暗緑色の染みがあり、それにはところどころに人の血のどす黒い色も混じっていて、つい先ほどまで行われていたであろう戦いの激しさを物語っていた。
「あれ、ヤマトじゃないか」
「悪鬼共に悪さをされなかったかい?」
「相変わらず綺麗な顔をしてるわねえ。こんなことの後であんたを見ると、なんだか心が癒されるよ」
「千年樹様はつつがないかえ?」
ヤマトに気付き、幾人かが手を止めて集まってきた。ルノがおずおずとヤマトの背中に隠れるように下がった。
「うわ、ルノが帰ってきちまった――」
「おいタシロやめろっ! そんなこと言うんじゃない!!」
「だって白子じゃねえか。今回の悪鬼だってコイツを狙って――」
タシロと呼ばれた村人が言った、そのあまりの内容にヤマトは言葉を失い、その場に立ち止った。後ろでルノがうつむいたまま小さく震えている。
「そもそもこんな全部の色が抜けたような娘っ子、縁起が悪いんだよ――」
「だからそれは関係ないって言ってんだろ――」
「あああ!!」
頭が真っ白になったヤマトが叫んだ。静まり返る村人達。
「……そんなこと……そんなこと……」
言いたいことはあるのだが、うまく言葉にならないヤマト。もどかしさで涙が込み上げそうになり、振り払うように斜めに視線を落とした。後ろからヤマトの上着の裾を掴むルノの手が小さく震えている。
パァン!
静寂の中、平手打ちの音が景気良く響いた。
悪言を垂れ流すタシロという男が、恰幅の良い女性に頬を叩かれていた。いつもヤマトの買い物に応じてくれるパピリカというおばさんだった。村では副村長に近い立場で、親のいない子供達をまとめて面倒を見ていたり、村の女性陣のまとめ役の人だ。
「こんなにひどい恰好をして」――パピリカはヤマトを押しのけるようにルノを抱きしめて言った――「良く帰ってきたね。怪我はないかい?」
パピリカは、されるがまま、表情が欠落したままのルノの頬を肉付きの良い手でそっと撫でた。そして振り返り、語気鋭く村人達に言った。
「おいっ! あんた達っ!! そのタシロとかいう屑、とっととどこかに連れてっとくれよっ!」
呪縛が解けたかのように動き出す村人達。庇うどころか手荒く集団でタシロを引っ張っていくその姿を見て、ヤマトは少し気持ちを落ち着けることができた。悪い人ばかりではないようだ。
「そうそう、良いところに来たよ、ヤマト。ねえあんた、ひょっとして千年樹様の実はもってないかい?」
パピリカがルノの頭を撫でながら、まるで話を変えるように聞いた。
「持ってるんだね。なら悪いけど譲ってくれないかい? 怪我人がいるんだよ」
そう言うとパピリカは右手にルノの手を、左手にヤマトの手を取って歩き出した。このパピリカという人は、ヤマトに対してはほとんど自分一人で喋り、どんどん物事を進めていく人だった。ヤマトが喋るのが苦手ということを知っているのだろう、勝手に話を進めてしまうが、不思議とヤマトの意に反する結果になったことはない。今回も怪我人がいるなら千年樹の実を使うのに異議はなく、ヤマトは素直にパピリカに従って歩いて行った。
「ほら、この中だよ」
ヤマト達は村の集会場に連れてこられていた。村の建物はほとんどが茅葺きの竪穴式住居だが、この集会場は木造の立派なものだった。中には二十人ぐらいだろうか、建物一杯に怪我人が入っていた。
おい、こっちに止血草をくれ! きれいな布はまだか!――手当てする者の怒鳴り声が響く中、壁にもたれて一人静かに痛みを堪えている人もいれば、涙する数人に囲まれ、苦しそうに横たわっている人もいる。
ヤマトは誰かを踏んでしまわないかビクビクしながら、一番大きな声で指示を飛ばしている男の人のところへ進んでいった。そして、ありったけの千年樹の実を背嚢から床に転がした。
「……使って……」
「おお、これはっ! 少年、恩に着るっ!! おおい、助かるぞ、皆!」
男の人はその場でテキパキと分配を始めた。一人一個とまでは量が足りなかったが、軽傷の人は一つの実を分け合う形で行き渡りそうだ。
ヤマトはそっと後ろに下がると、入り口で待つパピリカとルノのところへ戻った。
「全部やっちまったのかい? そこまでしなくても――いや、そこまでしてくれたんだ、だね。ヤマト、本当にありがとう」
パピリカはそのふくよかな胸にヤマトを抱きしめ、突然のことに慌てるヤマトの耳元で囁いた。
「ルノを助けてくれたんだね。こっちも、ありがとう。でっかい借りが出来たよ」
「さ、これから女衆を集めて炊き出しを作らなきゃ」
パピリカはヤマトを胸から離すと、勢いよく宣言した。パァンとひとつ手を叩く。
「もちろんあんたらもお腹一杯食べるんだよ。出来上がったら呼ぶから――」
「ルノ姉ちゃんっ!」
路地の向こうから赤毛の子供が駆け寄ってきて、そのままルノに抱きついた。年は八歳ぐらいだろうか、明るい緋色の髪をお下げにし、着ているのは皆と同じ鹿皮の上着と腰巻というありきたりのものだったが、毛色の違いを意識したつぎはぎはお洒落のつもりかもしれない。華奢な体つきだったが、ルノに突撃した身のこなしは結構なものだった。
「こらこら、セタ、ルノがびっくりしてるじゃないか」
パピリカが子供をたしなめるが、白金の髪に半ば隠れたルノの顔はほころんでいた。胸までしかないセタの体を優しく引き離し、言った。
「セタ、私は大丈夫だったよ」
「ルノ姉ちゃんはセタが守るんだから、勝手にどっか行っちゃダメじゃないか。心配したんだからっ!」
セタがそばかすだらけの顔に真剣な表情を浮かべてまくし立てた。
「お姉ちゃんは大丈夫よ。今日は千年樹の御使い様が守ってくれたの」――ルノは不自由な視線を宙に彷徨わせたまま、清楚な顔をほんのり赤らめた――「それに、みんなの怪我を治すようにたくさんの実までくれたのよ。セタもお礼を言って」
「御使い様って……ヤマトの兄ちゃんのこと?」
ヤマトは急に自分に話が向けられて戸惑い、たぶんそう、と口の中でもぐもぐと答えた。
「ありがとう、ヤマトの兄ちゃんっ! じゃ、ルノ姉ちゃん行こっ!!」
「待ちなセタ! これから炊き出しを作るから、後でルノを連れて広場に来るんだよ――って行っちゃったよ、あの子」
駆け足でルノを手を引くセタの背中にパピリカがため息をついた。